第4話 桜島の声

 その日は義弘の屋敷に泊まった太郎たちは、翌朝早くに堺に戻るという助左衛門を見送った。

 昨日、助左衛門自身は太郎たちに付き合ったが、部下たちは焼酎や大平布など、薩摩と琉球の特産品を買い付けていた。これからそれらの品を堺に持ち帰り、売りさばくのだと言っていた。


「本当にお世話になりました」

「おう、自分らもちゃんと目的を果たすんやで」


 助左衛門のおかげで島津に話を通すことができた。皆を代表して礼を述べた太郎に、変わらないぐらい健も感謝していた。

 健たちは一人づつ、助左衛門と握手を交わす。

 健の番が来た。


「太郎の生真面目さと自分の鷹揚さがうもう噛み合うたら、自分らは何でもできる。力を合わして頑張れや」


 助左衛門はここまでの船旅の間に、子供たちの特徴をしっかり把握したようだ。健と同じように他の者にも、それぞれの長所に見合った言葉を贈っている。


「必ず謎を解き明かして見せます」

 健は謎の内容自体を正確には把握してないにも関わらず、助左衛門に大して大見得を切った。

 助左衛門はそれでこそ健と言わんばかりに、にこやかな顔で頷いた。


「ほな、わしはしばらく定期的に薩摩に来るさかい、そのときまで頑張れ」


 助左衛門が去って、いよいよこの地での冒険が始まる。

 健は新しい土地や人々を知る機会に、胸を躍らせた。



 義弘の好意で、義弘の屋敷を活動拠点にした太郎たちは、高千穂までの行程を話し合っていた。

 地理が不案内な太郎たちのために、義弘は大河平おこびら隆重という日向の地理に詳しい家臣をつけてくれた。


 隆重の話では、高千穂に行くにはルートが二つあるということだった。

 一つ目は、船で日向の門川まで行き、門川から山越えをして高千穂に入る行程だ。

 この行程だと山がそれなりに険しく、子供の足だとかなり負担が大きいということだった。


 二つ目は内城から真っ直ぐに北上し、肥後に入り阿蘇山の麓を回って高千穂に入る行程だ。門川からの行程に比べ、距離は若干長くなるが、山道はぐっと減るらしい。

 ただ、問題なのは肥後における島津の勢力圏が、まだ南部にしか及んでなくて、北部は大友氏と同盟している阿蘇氏の支配下にあることだった。


 もちろん太郎たちは立場的には中立なので、阿蘇氏に交渉して通らせてもらうことは可能だが、戦時中でもあり、阿蘇氏とうまくつなぐのに時間が掛かりそうだった。

 厳しい行程だが、門川周りでいくしかないかと、太郎が腹を決めようとしたとき、隆重から提案があった。


「こんた軍事機密じゃっどん、近々阿蘇氏とん間で戦が起きっ。阿蘇氏は去年、今年と立て続けに当主が死去し、現当主は僅か二才じゃ。しかも、長年阿蘇氏を支えてきた甲斐宗運そううんも今は亡く、島津は戦の口実を探しちょっ状態じゃ。そけ宗運ん跡を継いだ親英が、島津ん花の山城を攻撃した。近々義弘どんが兵を起こし阿蘇に攻め入っ」


 戦と聞いて、甚左はピクリと反応した。健自身、梨音について上田合戦に参陣したぐらいしか、経験がない。


「勝算はあるのですか?」

 太郎は冷静だ。


「今回は必ず肥後を征服すっ。ないせー義弘どん自身が出馬さるっじゃっで」

 隆重は胸を張って答えたが、太郎は迷ったような表情を見せた。


 健には太郎の迷いが何となく分かった。

 義弘の個人武勇に頼り切ってるところに、太郎は不安を感じているのだろう。もちろん他国から来た太郎たちに作戦の詳細は言えないにしても、城攻めとなれば力だけではなかなか落ちないと言われている。


 もし攻略に時間がかかるようなら、行程は厳しくとも、門川から向かった方が結果として早いのではないかと、太郎は考えているのだろう。


「あのう、一つ聞いてもいいですか?」

 健は一つだけ隆重に確かめたいことがあった。


「ないでん訊きたもんせ」

 迷っている太郎は怪訝な顔をしたが、隆重はためらいなく承知した。


「阿蘇の人たちは、高千穂のことについては詳しいのでしょうか?」


 健の質問を聞いて、太郎は「あっ」と声を出した。

 高千穂は日向国にあるが、地理的には日向の北の外れに当たり、肥後の阿蘇氏の方が詳しいはずだ。おまけに阿蘇氏は阿蘇神社大宮司の家だ。有益な話を聞ける可能性は高い。


「もちろん詳しかやろう。阿蘇氏はあん土地ん神官じゃっで、神社同士んつながりも深かはずじゃ」


 闇雲に行ったとしても、何か得られる保証はない。手がかりとなる情報は少しでも多い方がいいに決まっている。


「隆重殿、義弘殿が阿蘇に攻め入るときは、我らも帯同できるように手配くださいますか」

「もちろんじゃ。きっと義弘どんも承知すっやろう」




 義弘は太郎たちの帯同を認めてくれたので、出陣までの間は少しでも知識を詰めておこうと、太郎と愼が中心に成って情報収集と整理をしていた。


 健はそういった仕事が苦手なので、二人の邪魔にならないように、少しでも高千穂のことに詳しい人を求めて、城外を歩き回っていた。

 しかし、隣国とはいえ大友家の影響の強い地域である上、高千穂自体が容易に人を受け入れぬ秘境であるため、知識を持つ人は見当たらず、普通の散歩と化すことが多かった。

 それでも薩摩の人々と直に話す機会と成り、薩摩という地と薩州人についての健の見識は豊かになっていった。


 健が感じた薩州人の代表的な気質とは、何をおいても現実的というのが最初に浮かぶ。

 薩摩の土地は南国にも関わらず、桜島の火山灰のせいで痩せている。稲作には適さず食糧事情はあまり良くない。


 だから信じる理想があっても、先に現実を確かめる。気質的には情熱的で、簡単には信条を変えない一本気な部分もあるのだが、一方で現実的な問題解決に信条を曲げることを厭わない面がある。特に年長者や権力からの要請に対してはその傾向が強い。



 今日も建はフラフラと話し相手を求めて、場外を歩いていると、見覚えのある男が丘の上に座って、ぼんやりと桜島を眺めているのに気づいた。

 男は島津家四男の家久だった。


 これが太郎であれば、何か一人で考える事があるのかもしれないと、声をかけるのを遠慮するところだが、あいにく建にはそういう繊細な気遣いがない。


「家久殿、何を見ているのですか?」

 建は反射的に家久に近づいて、何のためらいもなく声をかけた。


「ああ、建どんか。いやときどき桜島を見てしまうのが癖でね。今もないも考えんでぼーっと見ちょったじゃ」

「ホントに立派な山だ。海の上に聳える姿は富士山にも負けない雄大さだ」


 そのころには家久は、建が嘘をつけない正直者だと分かっていたので、お気に入りの山を褒められて、嬉しそうな顔をした。


「義弘兄じゃは、桜島んような男に成れが口癖で、自分もそうあろごたっち思うて生きちょっ」

「家久殿は違うのですか?」

「あてはわっぜじゃなかが、桜島んような男には到底成れもはん。じゃっどん桜島に褒めらるっような男に成りとうて、よう桜島に向かって、自分のしたことを話に来っ」

「そうですか。桜島は褒めてくれますか?」


 健は何の疑いもなくそう訊くと、家久はおもしろい動物でも見るかのように健の方を向いて、いきなり大声で笑い出した。


「健殿はおもしろいわっぱじゃん。あてがこん話をして、真面目に桜島はないてゆたか訊いてきたしは、他にはおいもはんやったじゃ」

「そうですか。何て答えてくれるのか聞きたいけどなぁ」


 家久は再び桜島に目をやり、真面目な顔で答えた。


「桜島はないもゆてはっれん。じゃっどんわしは感ずっ。やろごたなかことをやっ必要はなかぞちゆちょっ声を」


「家久殿は戦がきらいなのか?」

 健の声には少し驚きが混じっていた。


「島津を守っためには戦うたぁ嫌じゃなか。じゃっどんわざわざよそん土地に戦いに行ったぁ好きじゃなか」

 まるで桜島に聞かせるように家久は心情を吐露した。


「なんで島津は九州統一をしようとしてるんですか?」

「義久兄さがゆには、大きな力をつけんと、畿内ん兵が攻めてきて、従わんなならんくなっ。おいも兄さも義久兄ん言葉を信じて戦うちょっ」


「九州を統一したぐらいで勝てるかなぁ」

「おいたちは義久兄さんゆことを信じて戦うだけじゃ。じゃっどん昨日聞いた話じゃと、真野勝悟は他ん国を侵掠すっことなっ、国を守りぬこうとしちょっ。ほんのこて戦の天才じゃな」


 何となく、家久の考えてることが健にも伝わってきた。

 家久は義久の言うままに戦う男から、自分でも戦について考えようと思い始めたのだ。

 その原因は太郎から聞いた自連の国是で間違いないだろう。

 わざわざ他国に攻め入ることなく、薩摩を守る方法はないか、それを考え始めたのだ。


「一度、羽柴にきっちり勝てばいいんじゃないかな。その後で羽柴が、改めて降伏しろと言ってきたら、応じればいい。そうすれば島津が攻め取った地は返せと言われるかもしれないけど、少なくとも島津から薩摩を取り上げようとは思わないんじゃないかな」


 健が思いつきで言った言葉に、家久は目を輝かせた。


「一度島津ん力を見せっとな。おもしろい。それならばできそうじゃ。じゃっどん羽柴が徹底的に潰しに来たやどうすっとじゃ」

「そのときは徹底的にやることになるけど、羽柴はそこまでしない気がする。第一九州は遠すぎて、ここで長い間戦うのはたいへんだし、無理矢理島津を潰しても薩摩を苦労して治める価値がないように思う」


 事実、これまで見た限り、駿府と比べても薩摩は貧しい国だった。

 畿内のような豊かな土地を治めている羽柴が、わざわざ薩摩を苦労して手に入れようとするとは思えなかった。


「はは、そうか。おいどんたちにとっては大事な地でん、羽柴にはそげん必要じゃらせんか。言われてみればそん通りじゃ」


 家久は立ち上がって楽しそうに笑いながら建を見た。

 どこか吹っ切れたような表情が、健には眩しく見えた。

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