第3話 鬼の素顔
「うゎー」
助左衛門の商船が薩摩半島と大隅半島の間の入り海に入ると、眼前に大きな火山の島が現れた。その景観は素晴らしく、健たちは思わず歓声をあげた。
「見てるだけで気持ちがスーっとするな」
甚左が興奮した面持ちで叫ぶ。
健もこの島を見ていると大声で叫びたい衝動に襲われた。
「桜島と呼ぶらしいですよ」
どこから聞いたのか知らないが、愼が二人に教えてくれた。
「桜島は島津の心や。あいつらはこの島を見てこうありたい思て生きてる。
子供だけに何を言うか分からないから、念のためにと助左衛門が釘を刺した。
「もちろんです。この姿を見て胸を打たれぬ者などおりますまい」
太郎ですらやや興奮した口調に成っている。
駿府にも富士という日の本一と言われる山があるが、桜島の景観はそれに優とも劣らぬものだった。南国の空の下で、海の上にそそり立つような桜島は、観てる者に雄大さと爽快さを強く感じさせる。
「港から
「近い。十町あらへん」
当面の目的地に近づいたことを実感したのか、太郎の顔は厳しく引き締まった。
それを見て、健も厳しい顔を作るが、碧がその顔を見て吹き出す。
「やめなさい。健はそういう顔似合わないから。もっとワクワク、ドキドキって顔があんたの顔でしょう」
碧の言葉に愼や春瑠が妙に納得して頷く。
仕方がないので、健は顔を作るのをやめた。
「助左衛門殿、薩摩には博多のような大商人はいないと聞いていますが、我々はまず誰と会うのですか?」
その国の商いに興味がある愼は、大商人がいない国と聞いて、心配したようだ。
「国の民全てが侍みたいなとこやさかいな。商人が育たへんのは無理もあらへん。琉球との交易は島津家が直接やってるさかい、わしも島津家相手に交渉してる。今日会うのは
さすがは九州最強を目指す家である。
太郎はそんな家中で、内政に骨を折る盛敦の苦労を思った。
父勝悟は戦の帰趨は個の武の強さではなく、最終的にその国の経済力次第だと、常に太郎に教えていた。
島津がこれほどの勢力拡大を行えた背景には、表には出ない盛敦の貢献が大きいのではないかと想像した。
船が港に着いて上陸すると、早速盛敦が迎えに来てくれた。
「助左衛門どん、お久しゅうごわす」
助左衛門を見る盛敦の顔は、親友に会う者のそれだった。
「盛敦殿、お迎えいただきおおきに。少しお痩せになったか?」
「戦がいっぺこっぺで始まっで、兵糧ん手配で手がよかひこになってしまう。おかげで領地が拡大してんなかなか統治に手が回りもはん」
健には盛敦の言葉が正確には分からなかったが、おそらく忙しいと言ってることは理解できた。
「この数年の間に南九州を全て平定したのですから、ご苦労はお察しします。新領土の統治はお一人で手配されているのですか?」
太郎は盛敦の言葉が理解できているようだ。
健には太郎の話す言葉も難しくて、盛敦と同じぐらい難解なことが多い。
「おいと忠棟どんと二人だけじゃ。島津ん者は内ん仕事は不得手でごわす」
「伊集院忠棟か――」
助左衛門はその人物をあまり好ましく思ってないようだ。
名前をつぶやくだけで顔が曇り、健たちは困惑した。
「助左衛門どんな、忠棟どんをあまり好きじゃなかみてなんや。じゃっどん先ん見ゆってん、頭のよか人ど」
盛敦が変な空気を察して、すかさず言葉を継ぎ足した。
今ので健はすっかり盛敦のことが好きになった。
太郎や他の仲間も同じように好意を顔に浮かべていた。
「早速じゃっどん、義弘どんが皆に会おごたっち申されちょっ。もうすぐ肥後で戦が始まっで、急がれちょっごたっ。疲れちょっところ申し訳なかが、義弘どんの屋敷に向かって欲しか」
「おお、義弘殿に会えるんか。ありがたい。すぐに参ろ」
盛敦の申し出に、助左衛門は二つ返事で承諾した。
健はこれから鬼と呼ばれた男に会うと聞いて、緊張してきた。
太郎はそうでもないみたいだが、愼と甚左もぐっと顔が強ばっている。
意外なことに碧はともかく春瑠が普通だった。
鬼島津の屋敷は内城の城下にあった。島津当主の義久は城内に籠もり気味らしいが、義弘は客も多く、皆を集めてこの家で酒を飲むことも多いらしい。
屋敷は駿府の家々に比べると、かなり質素な造りだったが、柱などは太くて頑丈そうで、大きな家なのでたくさんの人が集まれそうだった。
健たちが通された部屋は畳ではなく板張りだった。板の上にゴザが引いてある。部屋には入り口が四方にあり、上座が分かりにくい造りになっているので、仕方がなく入ってすぐの場所に腰を下ろした。
駿府からの帯同者の中で唯一の大人である源五郎は、城下に入ったときから落ち着かない風情だ。
武田にも剛勇無双の士は多いが、火口から煙を上らせるあの桜島の雰囲気と、町ゆく人の質素な雰囲気が、鬼島津のイメージをより一層異形な者に膨らませる。
男たちがみな緊張する中で、盛敦に案内されて三人の男が入ってきた。
遠慮なく向かいにどんと座った男たちを見て、健はおやっと思った。
想像していたような偉丈夫はいなかった。背丈はさほど大柄ではなく、柔和な顔でにこにことこちらを見ている。
ただ先頭で入ってきた男の、袖なしの服から覗く二の腕の太さは丸太のようだった。しかも肉が削げて筋肉がむき出しになっている様は、獰猛な獣を連想させるのに十分だった。
その最初に入ってきた男がまず話の口火を切る。
「助左衛門殿、琉球とん交易ではお世話になりもうした。お主がうまっ整えてくれたゆえに、各地で
「義弘殿のお役に立ったなら嬉しい限りです。それよりも、今日共に参った者を紹介しまひょ」
「おおっ、こんた失礼をした。よろしゅうたのみあげもす」
その素朴な言い方から、義弘はちまたで言われているよりは、怖い人ではないかもしれないと健は思った。
「こちら左から、真野太郎、赤木健、岡部
助左衛門が勝悟の名を出すと、義弘は「おおっ」と叫び、相好を崩した。
「こんた遠かところをよう来られた。おいは島津家次男義弘でごわす。つっにおっとが三男歳久、いっばん向こうが四男家久じゃ」
義弘が如才なく話をするのに対し、三男歳久は冷静で頭が回るという感じだが、決して冷たい感じではない。四男の家久は、
「ところで、おはんらまだ幼かにも関わらず、九州ん地まで足を伸ばしたんな、どげん目的があってんこっか」
義弘が旅の目的を訊いてきた。
ここはしっかり説明をして、理解を求めねばならないと建が気を揉むと、太郎が自分が説明するぞという意思を含んだ視線を送ってきたので、思わず頷いた。
「私たちは高千穂に参ろうと思っています。高千穂は、京に御座す帝の祖先が生まれ育った高天原ではないかと、言われています。私たちはその真偽を調べて、高千穂が高天原であれば、帝について知りたいと思っています」
島津の兄弟たちは、太郎たちの目的が都の帝に絡んでいると聞き、さすがに予想していなかったのか一様に驚きを示した。
義弘は遠慮がちに、なぜ帝について調べねばならないのか訊いてきたので、太郎は推測ではあるがと断ってから、自連の国是とそれに対する帝の関与についての疑いを話した。
彗星と帝との関係の
しかし、そのまさかの話で、この子たちははるばる駿河の国からやって来ている。
少なくとも自連にいる当事者たちには、この話について信憑性を感じているのだろうと思ってくれたのか、最後まで太郎の話を聞いてくれた。
全てを話し終わると義弘は大きくため息をついた。
「まったくおとぎ話を聞かさるようであった。我々は遠か都に御座す帝については、よう知らんからないとも言えん。だが、はっばっ国んためにここまでやって来た、お主たちんために力になろう」
どうやら義弘は我々のために協力してくれるらしい。
健はさすが太郎と、きちんと説明し終えた友が誇らしかった。
「いっつか聞いてん良かか」
三男の歳久がもう我慢できないという風に訊いてきた。
「はい、何なりと」
太郎も如才なく対応する。
「帝がどげん力を持っちょっかは、我々には想像もつかんで、そんこっは聞かん。だけどお主らはそこまで強か力に脅かされながら、ないごて民に主権を与えようとすっ。こん戦国ん世であれば強か王に導かれた方が、民も幸せじゃなかんか」
健は歳久の表情を窺った。その顔は領主の権限を守るために反発するのではなく、純粋に好奇心から訊きたがっているように見えた。
「私は真野勝悟の息子に生まれ、この世のことをいろいろと教わってきました。だがもし普通の民の家に生まれ、何も知らないまま責任は全て領主に押しつけ、どうしてそうなったのか分からずに、ただ理不尽に耐えねばならないような一生は送りたくありません。その思いはみな一緒なのだと思います。だからみなが平等に知る機会を持ち、自分の考えに従って自発的に生きることができる我が国を支持します」
一つ一つの言葉は難しくてよく分からないが、太郎が言いたいことは健にもよく理解できた。その通りだと思ったが、歳久はまだ納得がいかぬようであった。
「だが実際には全てん民にもんを教え、考えを育つっことは金が掛かりすぎてできらん。お主ん国には真野勝悟ちゅう類い希な才ん持ち主がおったで、そうしきっんであろう。であれば、これからも真野勝悟が全てを取り仕切っ方がよかとじゃらせんか」
それは違うと健は思った。結局一人でできることは限られると教わったばかりだ。
「一人でできることなどたかがしれています。自連の経済は父の才よりも、金を作り出すことに長けた者を見いだし、任せたことで今の繁栄が作り上げられました。そして規模が大きくなれば、どんどん人が足りなくなります。だからこそ人を育てることが大事なのです」
なおも言いかける歳久を、家久が制した。
「歳久あにょ、太郎どんのゆことはもっともじゃ。あても同じごつ思う。もし民やったら自連で暮らそごたっち思うじゃ」
歳久は家久の顔を見て、フッと笑って口を閉じた。
これで三人には理解してもらえた。長兄の義久に会ってないことが気がかりだが、それでも太郎のおかげで確かな手応えを得た。
また一歩、この旅が前に進んだ思いで、健たちは意気が上がった。
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