第6話 神話

 健磐龍命たけいわたつのみことの西海鎮撫は順調に進み、日向国ひゅうがのくに宮崎に入った。

 神武帝から下された西海鎮撫の真の目的は、朝廷発祥の地となる高天原周辺の安定と、他勢力の干渉の排除だった。そのためには、ここ日向国と隣国の肥後は必ず抑えなければならない。


 幸い日向国には大和朝廷に敵意を抱く勢力はなく、宮崎には無事に神武帝の神霊を祭った宮を造り、その地の人々に宮の運営をお願いし、併せて朝廷への忠誠を獲得した。

 その後も延岡など日向国の集落を次々と回った上で、馬見原には日の宮を造り、天つ神と国つく神を祭った。


 ここまでは、特に大きな反抗もなく、大和朝廷の威を示せた健磐龍命だったが、肥後に移ると勝手が違った。

 肥後には土地神としての阿蘇神がいて、民の信仰は阿蘇山を鎮めるために阿蘇神に向いていた。加えて海賊、山賊の類いが跋扈し、それを治める強い力もなかった。


 健磐龍命は賊と戦いながら、何度も勝ちを収めたが、民の信仰を得るには至らなかった。

 この地の民を朝廷に帰服させるためには、健磐龍命自身が阿蘇神と会話し、阿蘇山を鎮める力を持つことを証明する必要があった。

 何度目かの賊討伐を終えた後、健磐龍命は単身で阿蘇山に入山した。


 健磐龍命が山中深く入り、火口近くまで登ったとき、阿蘇神は人の姿に変わって目の前に現れた。


「天照の末々よ、お前たちはなぜ他の土地神が治める地に踏み込み、そこを支配しようとする」

 阿蘇神の化身は腹に重く響く声で、健磐龍命に西海鎮撫の理由を訊いた。

 

「そもそも大八島国おおやしまのくには我が祖である伊邪那岐、伊邪那美によって産み出された地。それぞれの地に土地神が生まれ守護しようとも、天照の直系たる我らの守護無くして、その地を平穏に治めることなど能わず」


 健磐龍命がことの成り立ちを言い立て、その正当性を口にすると、阿蘇神の化身は俄に口調を強め、そのための手段を問うた。


「それでは、あくまでも力で我らと向かい合い、地の支配を争うというのか」


 阿蘇神の感情の高まりは、阿蘇の地の底に眠る紅き熱源を刺激し、膨れ上がった熱量が今にも火口から飛び出す勢いを見せた。

 健磐龍命は、ここで阿蘇神の怒りを買ってしまっては、その怒りの熱によって土地は痩せ衰え、民は暮らしていけぬことになると気づいた。


「阿蘇の土地神よ、まずは怒りを鎮められよ。私は力であなたと向かい合うとは言ってない。この国の万物が伊邪那岐、伊邪那美より産まれしものであるからには、我らは共に立てるはず。そうは思われぬか」


 阿蘇神は健磐龍命の言葉を聞いて、怒りを和らげて再び尋ねた。


「では、お前はこの地をどう治めようとする」

「我らはまずこの地に宮を健てる。その宮には天照直系の私と、土地神であるあなたを祭る。阿蘇神への信仰を忘れぬように、我が子孫を大宮司としておき、代々阿蘇山を崇め、この地に来る者に変わらぬ信仰と忠誠を誓わせよう」


 健磐龍命の申し出は阿蘇神を満足させるものであったが、それを実行しうる力があるのか信じるまでには至らなかった。


「では、お前が約を守れる力があるものか、試すべく試練を与えよう。我が山の噴火によってできた窪地には、我を信じ崇める民の暮らしを潤すための大きな湖がある。近年そこに大鯰が住み込み、水の流れを堰き止める壁を造ってしまったので、近々我が怒りを持って、山の底に眠る熱をぶつけこの大鯰を退治するつもりであった」


 そこで阿蘇神は阿蘇山を見上げ、ついで麓の集落を見下ろした。


「しかし、我が怒りに触れてしまっては、湖の水も干上がり、民たちの住む場所も熱い土の流れの下となってしまう。そこで、お前にこの大鯰の退治を任せたい。首尾良くこれを退治し、壁を壊すことができたならば、お前を信じこの土地の統治を任せよう」


 健磐龍命に大鯰の退治を命じると、阿蘇神の化身は姿を消した。

 阿蘇神に託された命に服する前に、健磐龍命はその地に祠を健ててその前に立ち、この任にあたって神武帝から授かった詔を読み上げた。


 最後まで読み上げると、詔の中に込められた帝の呪詛が封印を解かれ、健磐龍命の身体に取り憑いた。呪詛は火に姿を変え、健磐龍命が念じることによって、両の腕から自在に火球と成って宙に飛んだ。


 健磐龍命は静かに東の空に頭を下げて、急ぎ件の湖のある山の窪地に向かった。

 窪地に着くと、湖の底に二十尺はあろうかという大鯰がいた。

 大鯰は健磐龍命の姿を見て、自分に害為す者と判断し、大きな水球を口から吐いてぶつけようとした。


 水球がぶつかる瞬間、健磐龍命が軽く右手を振ると、水球はすぐに右手の持つ熱によって蒸発し姿を消した。

 大鯰が健磐龍命の力に怯えて、水中奥深く逃げようとするのを見て、健磐龍命は強く念じて大きな火球を放った。


 火球は周囲の水を蒸発させながら大鯰に向かい、命中すると大鯰は跡形も無く消滅した。

 健磐龍命は大鯰退治に成功すると、強く念じて右足を熱く熱し、水を堰き止めるために山のように成っている壁を蹴った。


 壁は二重に成っていて、一度の蹴りでは一つしか破れず、さらにもう一蹴りした。

 二度の蹴りによって壁は粉砕され、湖の水は破れた先から音を立てて流れ始め、やがて一つの川の流れとなって集落に達した。


 健磐龍命は事を終えたことを呼びかけると、再び人の姿に成って阿蘇神が現れた。


「お前の力を信用しよう。これからこの地をよく守り、他郷の者に踏み荒らせないようにするために、我が力の一部を与える」


 阿蘇神は、阿蘇山に地中深く渦巻く熱の一部を健磐龍命に与えると、そのまま姿を消した。後に残った健磐龍命の身体には、先ほどとは比ぶるべくもない大きな力が宿り、その後のこの地の平定を大きく助けた。




 坂梨惟永は全てを話し終えると、肩を上下させて大きなため息をついた。この長い話を語るのにいささか疲れてしまったようだ。


「健磐龍命ん子孫である阿蘇家も、時ん流れん中で神んごとき力ば失うてしもうたばってん、阿蘇ん神ばはらかかせなかために、阿蘇神社ば護りぬく役目はまだ続いとる。お主らが島津と交流があるならば、惟光様ば決して害することのう、大宮司ん役目ば続くるごつ話してくれんやろうか」


 惟永の表情から、これが主家を思う家臣としての言葉ではなく、肥後の民の暮らしを護るための言葉だと察せられた。


「必ず今の話を伝えましょう。島津としても、この地を平穏に治められるならば、幼い惟光殿の命は必要ありますまい」


 無条件に必ず伝えると約束する太郎の横顔を見て、健は誇らしく思った。自分も力の限り、阿蘇の話を伝えようと心に誓った。


「お主らん本来ん目的だが、高千穂には確かに高天原に通ずる道があるちゅう。ばってん人ん力ではそけは立ち入れんばも聞く。もし行きたくれば、そん道ば切り開く者が必要じゃろう」


 まさか惟永の口から、こんなに具体的に求める話が出るとは思ってもみなかっただけに、太郎は思わず身体に力を入れて身を乗り出した。


「あるんですね。高天原への道が」

「わしも実際に行ったことはなかばってん、あるて言われとる」

「道を切り開く者とはどういう者ですか」

「高天原は神々ん御座す場であるけん、道ば切り開く者には神に近か力ば持たんばならん。例えば健磐龍命が得たような阿蘇神ん力じゃ」


 惟永の示した条件を聞いて、健はハッとした。是永の話を聞いてる最中から、健磐龍命の力と自分の力が、似通っているように思えたからだ。


「この力で道は切り開けますか」


 健は武気を高め、腕を振って火球を空に放った。

 惟永はその火球の行方を追って空を見上げたが、すぐに健に視線を戻し首を振った。


「そら天照が大神がこん大八島ん民に与えた力や。確かに普通ん武気よりは神に近うなってはいるばってん、たいぎゃ阿蘇神ん力に及ばん」


 ずっと黙って聞いていた愼が、興奮したような口調で思わず口を挟んだ。


「武気とは天照の大神が人に与えた力なのですか。それならば天照の大神の力は南蛮にも及んでいるのですか?」

「大八島ん民の武気はそうじゃ。知らんかったんか。だが南蛮んもんなそれとは違う。南蛮には南蛮ん神がおるんじゃろ」


 なるほどと、愼が得心したような顔をした。

 健は少しずつ、人の力の核心に触れている気がして心が騒いだが、それよりも道を切り開く力だ。


「阿蘇神の力を手に入れるには、どうすれば良いのですか。大鯰を探し出して退治すればいいですか」


 勢い込んだ健の言葉に、惟永は今日初めて微笑んだ。


「そう都合良う大鯰はおらん。お主がそん力ば得たくれば、一人で山に入って阿蘇神に語りかくるしかあるまい」

「一人で山に入ればいいんだな。分かった」


 健はすぐにも阿蘇山に向かって走り出しそうだった。


「待て、健。食料も持たずに山に入るのは無茶だ。まずは山に入る準備をするために、一度島津の陣に戻るぞ」


 さすがに源五郎が、暴走する子供を止めるように、健に言い聞かせた。

 健はなぜか源五郎の言うことはよく聞く。

 では、島津の陣に早く戻ろうと、先頭に立った。


「待て、健。惟永殿、数々のために成る話、ありがとうございました。これから高天原入りするための準備を整えます。首尾良く目的を達成したら、再びこの庵を訪れてお礼を申し上げます」


 太郎が丁寧に頭を下げると、惟永は厳しい顔で太郎に言った。


「こん先はお主ら二人には、厳しか試練が待っとるやろう。最初にあん子が、そして次はお主や」


 太郎は惟永の言葉に怪訝な顔をした。

 健が試練を迎えることは分かる。

 だが次は自分とはどういうわけだろう。

 それを聞こうと口を開きかけると、惟永それを制するように話を続けた。


「今は知らんちゃ良か。まずはあん者が首尾良う、土地神から力ば与えらるることだけ考えばい」


 太郎は確かにその通りだと思った。

 健が道を切り開く力を得られなければ、何にも始まらない。


「では、我々は失礼いたします」

 源五郎は今にも走り出しそうな健を気にして、早々に惟永に挨拶して、帰りの途についた。


 惟永はずっと太郎たちの後ろ姿を見ていた。

 やがて、彼らの姿が見えなくなると、フッと笑った。

 次の瞬間、惟永の身体は力を失い、うつ伏せに倒れた。

 さらに驚くことに、地に伏せた惟永の姿は人の形を為した骸骨と成っていた。

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