第三章 高天原
第1話 旅立ち
保科
そこで問題になるのは、正直不在の間、誰が代わりに総帥職に就くかだった。
序列から言っても実力から見ても、梨音が総帥を務めることは自然ではあったが、それは代表である勝悟が反対した。
代表と軍総帥の自連の二大要職を真野家が独占することは、良くないというのが反対する理由だった。
これに対し、氏真以下の議員たちは、勝悟と梨音の人となりをよく知っているが故、そんな心配はしていないと言ったが、勝悟は承知しない。
この国は民の国である以上、全ての民が納得する人事でなければ意味が無い。少なくとも全ての民の納得を求める姿勢が重要だと主張した。
ここに来て氏真たちも梨音を諦めた。梨音はまだ二三才と若い。今ではなくても、後に必ずその大任に就くのは間違いなかった。
しかし、そうなると適任者を探すのが難しい。
過去武田家も内藤昌豊亡き後、高遠城の司令官選びに失敗して、滅亡への道を歩んだ経緯がある。そのぐらい重要な役職だった。
候補者としてまず挙がるのが、各地の司令官歴任者だ。
現浜松城司令官の三枝守友、駿府守備隊長の朝比奈泰友、旧西上野司令官だった小幡昌盛、そして伊豆韮山城司令官の上杉景虎だ。
このうち、まず朝比奈泰朝が早々に辞退してきた。その理由は、元亀二年(一九七一年)の戦以来、実戦から遠のいているので、自連の総帥は荷が重いというものだった。
氏真はさもあらんと勝悟を説得し、泰朝は候補者から外れた。
小幡昌盛は西上野と伊豆の領地交換以後、駿府大学校で兵学教授をしていた。これが本人としては天職だと思ったらしく、一生を後進育成に捧げたいと言ってきた。
もちろん国の存亡をかけたときは、一部隊長として復帰するが、総帥職は遠慮すると言うことだった。
三枝守友は、自分は一度高遠で命を亡くした男であり、戦人の性で今この地位にあるが、全軍の総帥などもっての外であると述べて、それ以上は一切語らなかった。
結局伊豆の上杉景虎に、総帥として駿府に戻ってもらうことになった。
後任の伊豆韮沢城の司令官は、長らく今川水軍を統率してきた伊丹康直が引き継ぐことになる。伊豆は陸地沿いには特に敵国と境を接してなく、軍事的には水軍の重要度が高い。その意味では適任だと言えた。
太郎は浮かない顔をして、丸一日ぼんやりと授業を受けていた。
その姿は、普段から学ぶことに対して人一倍貪欲な太郎とは大きく違和感があり、健は見ていて心配になった。
「何かあったのか?」
普段自分から太郎に話しかけることのない健の声に、太郎は夢から覚めたような顔で頷いた。
「健は無明のことをどう思う?」
「どう思うって、凶悪な奴だと思うよ。それに強い」
「そうだよな。これから先、あんな奴がたくさん現れたら、戦自体も様相が変わるよな」
「あんな奴はそうそういないだろう」
「そうとも限るまい。力はまだ奴には及ばないが、健の火炎も不思議な力だ。私の凍結もそうだし、碧や慎や春瑠の力も侮れない」
言われてみればそうかも知れないが、今更なぜそんなことを考えるのか、太郎の真意が健には理解できなかった。
「それで何か分かったのか?」
「ああ、やはりこの力はあの巨大な彗星に関係してると思うんだ」
彗星とこの力に何の関係があるのか、健にはさっぱり分からなかった。
怪訝な顔をしている健に太郎は続けた。
「あの彗星が近づいた日、私は頭が割れるように痛くなった」
「そう言えば俺もそうだ」
「碧や愼もそうらしい。何よりも兄上もそうだった」
「確かにみんなそうだったと言えば関係ありそうだけど、頭が痛くなって能力が身につくなんて、俺にはやっぱりよく分からん」
「私にだって、そこはよく分からない。ただ、あの彗星はいろいろと世の中に影響を与えている気がするんだ」
世の中への影響など、結びつけたこともない健はびっくりした。
「南蛮では古来から彗星は不吉な星とされていたらしい」
「へー、日本では願い事が叶うとか言われてるけどな」
確かに、あの赤い彗星は禍々しさがないでもなかった。それでも健はしっかり願いごとをしたのだが。
「何でも、彗星が現れたときに、シーザーという南蛮の古き英雄が暗殺されたらしい」
「ふーん。ただの偶然じゃないのか」
健は半信半疑だった。
「私も最初はそう思った。しかし、日の本でも同じことが起きたではないか」
健は太郎の言葉に首を捻った。
誰かが暗殺された記憶はなかった。
「あの彗星が現れた次の日、織田信長が明智光秀の謀反で死んだ」
「あっ!」
それは
「それまで信長のもとに天下が治まりそうな気配があった。自連も信長との講和が成立しそうな雰囲気があったからな。それがあの彗星が現れてから信長が死に、徳川が我が国に対して好戦的に成った。そして無明が現れた。私にはこれがみんな彗星でつながってるように思えてならないのだ」
いつの間にか健は太郎の言葉に聞き入っていた。
彗星にそんな役割があったとすれば、いったいどうしてあんなものが現れたのか。
もしかして神様? よもや悪魔ではないよな。
健は妄想に突入していた。
健は夢中で考えるうちに、言葉にしていたらしい。
太郎がクスッと笑う。
「悪魔はともかくとして神は近いかもしれない」
健はいつの間にか自分が、妄想を口走っていたことを知って恥ずかしくなったが、太郎が肯定したので気を取り直した。
「神っていると思うか?」
「神が実態を持って存在するかどうかは知らないが、神に近い人間ならいる」
「神に近い人間?」
「帝だよ」
帝と言われて健は少し考え込んだ。
でも思い当たるのは一人しかいない。
「もしかして京に御座すあの方か」
健が御座すなどと口成れない言葉を使ったので、またも太郎は笑った。
笑ってから、健が相手だと自分はよく笑うことに気づいた。
「他に帝はいないだろう。私は兄から、帝は呪いをかける力を持っていると、聞いたことがある。その最大のものがあの彗星だとしても不思議ではない」
「ちょっと待て、なんで京いる帝が彗星を呼ぶ必要があるんだ」
世の中は治まろうとしていたのだ。なぜ不吉を呼ぶ星を出現させる必要がある。
「全てはこの自連が、ひいては我が父真野勝悟が目障りだからだ」
「なぜ代表が……」
「考えてみろ。自連の建国の精神は平等だ。人は能力や意欲を持ってのみ、それに適した役割を与えられるが、それは世襲されるものではない」
健はやっと自分にも分かる話になったので、素直に頷いた。
「だが、帝室や貴族たちは当然ながら世襲だ。それはまさしく自連の精神に反する」
「それだけ?」
「それだけだ」
「なら話せばいいじゃないか。別に帝や貴族を脅かすつもりはないと。誰も帝に成りたいとは思わないぞ」
「それは通じないだろう。例えば下剋上の発想にしても、上という概念は帝によって定められた序列が基に成っている。だが自連は違う。帝の作った序列の世界とは別に存在している」
「それなら南蛮だってそうじゃないか」
「そうだ。だから朝廷は積極的に南蛮とは接しようとしない。むしろ避けている」
健にもだんだん太郎の言うことが分かってきた。
つまり自連の作る世の中には、帝の入り込む隙間がないのだ。
それを作ってあげればこの問題は解決する。
「どうすれば作れるのかな」
「帝の居場所のことか」
「うん」
健と太郎はかなり以心伝心に成ってきた。
もともとこの二人は、性格から考え方までまったく違うのだが、不思議と理解し合える不思議な関係だった。
「そのためには、我々はもっと帝のことを知らねばならない」
「京に行くのか?」
「もっと遠くだ」
「遠く」
「高天原だ。そこは帝の先祖の発祥の地と言われている」
「どこにあるんだ?」
「九州、日向国」
健は面食らった。九州など明国に行くのと大して変わらぬ気がする。
「行けるのか?」
「駿府から船を仕立ててもらって、博多まで行く。その後は陸路だ」
「分かった。じゃあ俺も行く」
いつの間にか健は、自分も行かなければならないと思い始めていた。
その言葉を聞いて、太郎はようやく心に巣くっていたモヤモヤが晴れた気がした。
実は太郎は既に、勝悟と梨音に自分の考えを話し、日向行きをお願いしていた。
二人ともあまりにも遠い地なので危ぶんだが、最終的には承諾してくれた。
供として、あの市川源五郎を付けてくれることになった。
源五郎は、梨音が勝頼の小姓をしていたときからの旧知の仲だが、武田家滅亡後反乱勢力に身を置いていた。反織田に向けて自連議員の暗殺を企てたが、未遂に終わり捕まった。
その後に改心して、今は政庁の役人として働いている。
まじめな性格なので、今回の旅も安心して任せることができる。
そこまで段取っていながら、太郎は今ひとつ成功の確信を持てないでいた。
それなのに健が同行すると言っただけで、心強くなり成功の予感もしてくるから不思議なものだ。
太郎は潜在的に、健に対して言葉にできない信頼感があったのだろう。
ところがこの旅の同行者は健だけに留まらなかった。
健のでかい声で、碧、愼、春瑠も計画を知るところと成り、同行したいと言い出した。
それを見て、甚左までも行くという。
怪我で療養中の冬馬を除く、いつもの仲間が勢揃いした。
それぞれの親の了承も取り付け、駿府港で八重の手配してくれた船に乗り込み、いよいよ子供たちは旅に出発した。
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