第13話 悪魔の誕生

「俺の故郷伊賀は、天正六年(一五七八年)に織田信雄の侵攻に対し挙兵し、次の年には攻め寄せる八千の兵を撃退した。だが、天正九年に織田は十万の兵で攻めてきて、伊賀は制圧された。そのとき伊賀に住んでいた者は、女子供も含め三万人が殺された」


 無明の顔色は平成のままだったが、声にはどこか悲しみを帯びている感じがした。


「俺はそのとき十才だったが、父親に床下の隠し穴に入れられた。織田兵は家に入ってきて父母を殺し、金や食い物を取っていった。俺はずっと隠し穴の中にいて助かったが、家から出ることはできなかった。季節は冬で、寒さで気を失いそうになった」


 無明の声には怒気が加わっていたが、正直は怒気のうちにある冷たい感情に気づいた。


「俺が穴から出たのは二日後だった。家は村の外れにあったので、死体は放置されてそのままだった。あまりにも腹が減って、死体を見ても怒りも悲しみも感じなかった。だが、家の中には何も食い物はない。織田の兵がいるのではと外にも出られない。俺は腹をすかせたまま、家の中でじっとしていた」


 無明がかっと目を開いた。話し始めてから、初めて表情に変化が出た。


「五日目になって、水も食べ物もない中で、俺は頭がよく働かなくなっていた。見ると側に肉が転がっている。俺はまず父の身体を包丁で切って食い始めた。血を啜って喉の渇きを癒やした。次の日は母の肉だ。既に肉は腐りかけていたが、ちっとも気にならない。よく覚えてないが、旨かったと思う」


 正直は吐き気を感じた。胃からこみ上げるものを、必死で飲み込む。


「父と母の肉を食い終わったとき、なんだか力を得たような気がした。織田兵も怖くないと思った。俺は外に出て、見張りの兵を殺した。六人は殺したか。そのまま逃げて、行く先々で人を殺して食い物を奪った。別に悪いとも何とも思わなかった」


 後ろで嗚咽が聞こえる。あまりに悲惨な話に恵那が泣いていた。


「俺に同情するのであれば泣く必要は無い。俺は今生きてるのが楽しい。俺は三河で捕らえられたが、俺の非情さと強い力が気に入った服部半蔵は、俺の親となりこの名を与えてくれた。俺は情に縛られず、強さだけを求める今の世が気に入っている」


 正直はため息をついた。

 無明の話を聞いて、無明を生かしておくことは、無明自身の苦しみを増すだけだと分かった。


「屈折しているな。無明よ、お主は自分の強さや非情さを確認したいだけだ。わしがお主に引導を渡して楽にしてやる」

「武気も使えぬ状態で、笑わせるな」


 無明は言葉が終わる間もなく、右手の人差し指を正直に向けた。

 指の先から真っ赤な炎が細い線になって、正直に向かって伸びてくる。

 正直は気合いを込めて、左手を前にかざして、炎を止めた。


「馬鹿な、お前も武気を溜めることができるのか?」

「お主は知らぬだろうが、武術の達人は紙で鉄を斬ることができる。身体を鉄のように硬くして刀を受ける者もいる。武気はこうした武術で使われる気に、光の力を取り込んで強化したものだ。お主の武気を防ぐくらいは気のままで十分」


 正直は改めて刀を八相に構え、少しずつ無明との間合いを詰めていった。

 無明は黙って正直の動きを見ていた。

 何か考えているようでもあった。


 無明が正直の間合いに入った。

 正直の剣が袈裟懸けに振り下ろされる。

 無明が状態を捻ってこれをよけると、正直は振り下ろした地点から折り返して切り上げる。剣先の速さは常人には捉えきれない。


 斬ったと思った瞬間、無明の姿が消えた。

 無明は壁を炎で焼き切って、庭に転がり出ていた。


 正直は無明が肩で息していることに気づく。

 たった二回剣先をかわしただけで、無明は全身の体力を消費していた。それほど正直の剣筋は鋭く速かった。全身の筋肉を最大限に収縮させ動いた結果、無明は限界を超えた速さで短距離を走り抜けたような状態に陥っていた。


 この動きを続ければ、無明は動けなくなる。

 正直は勝てると思った。

 再び八相の構えで、無明との間合いをじりじりと詰めていく。

 焦ることはない。無明はもう何もできないはずだ。


 追い詰められた無明は、逆に吹っ切れたような顔に変わった。

「お前、強いな。さすがは自連の軍を任されるだけのことはある。しかし、これにはどうする」


 無明は武気を両手に溜め始めた。両手が赤く光ってくる。輝きはだんだん大きくなって、やがて大きな球になった。


「くらえ」


 無明の手から離れた武気の塊は、回転しながらとてつもなく大きな火球に変わって、正直目がけて飛んできた。

 その球火球の大きさを見て、正直は気づいた。

 気合いで両断すれば、自分は助かるが、切断された火球の一部は恵那たちがいる部屋に向かう。そうなれば、恵那と寧音が焼け死んでしまう。


 それは咄嗟の行動だった。

 父として夫として身体が反射的に動いていた。


 正直は両手を広げ抱きかかえるようにして、火球を受け止めた。

 受け止めた瞬間、気合いを込めて火球を押しつぶした。


 押しつぶした体制のまま、正直は仁王立ちしてピクリとも動かない。

 肉の焦げる匂いが周囲に漂った。


「いやあー」

 恵那が叫び声をあげる。

 正直の身体がゆっくりと傾き、仰向けになって大地の上に倒れた。

 その顔や胸など、前面は焼け焦げ、指は爪が溶けて火ぶくれしていた。


 それを見て、無明はニヤリと笑った。

「情など持つ者は戦いには勝てぬ」


 無明の顔は口に手を当てて泣いている恵那に向いた。

 久しぶりの際どい命のやりとりに、全身の血がたぎって興奮が収まらない。もう少し人を殺さねば、たぎった血を抑えることができなかった。

 もう武気は残っていないが、女と赤子を殺すだけなら剣で十分だ。


「心配するな。今すぐお前もこの男のもとに送ってやる」

 無明は悪魔のような笑顔を見せて、恵那の方に近づいていく。


 無明の足首を誰かが掴んだ。

 足下を見ると、正直が倒れたまま、火ぶくれのした手を伸ばして掴んだのだ。


「この死に損ないが!」

 無明はカッとして、正直にとどめを刺すために、剣を振り上げた。

 剣を握った無明の手首が、ポトリと地面に落ちる。

 上空から剣を振りかぶった男が跳んできた。


 無明は反射的に後方に飛び退いた。

 跳んできたのは梨音だった。

 正直の屋敷の庭が火球で明るくなるのを見て、心配して駆けつけてきたのだ。


「お前、夜でも武気を使えるのか?」

「私は風魔の者を嫁に貰っている。武気を溜める技は習得済みだ」


 梨音は再び、かまいたちを発する構えをとった。

 無明は、傷口を焼きながら、武気が完全に空になったことを知った。


「また会おう」

 無明は宙に跳んで姿を消した。


「待て」

 梨音は無明の消えた辺りにかまいたちを放ったが、手応えはなかった。


「旦那様!」

 恵那が正直の側に駈け寄るが、正直は動かない。

 梨音はちらと寧音に目を向け、やりきれなさそうに正直を見た。


あおいを呼んでくるから、総統を動かさないで」

 声の主は太郎だった。

 太郎はすぐに正直の家を飛び出していった。

 碧の住んでいる岡部の屋敷はすぐ近くだ。



 しばらくすると、太郎が碧を連れて戻ってきた。

「碧、頼む」


 碧は正直の側に近づき、膝をついて正直を覗き込んだ。次に脈を診る。

「大丈夫、まだ生きてる」


 太郎は駆けつけた家人に指示をして、正直の周りに何本も灯明を立てた。

 正直の庭が灯明の優しい光に包まれた。


 碧は正直の胸に手をおいて、癒やしの武気で治療を始めた。

 胸、顔、手の順に治療を続ける。

 火傷は皮膚が死んでいるので、跡が残るのは避けられないが、皮膚の下の血管は活動を始め、正直の身体に赤みが戻ってきた。


 かれこれ一刻近く、碧は治療を続けた。

 正直の生きてる証である呼吸音が、固唾を飲んで見守る者たちにもはっきりと聞こえ始めた。


「また、命を拾ったようだな」

 正直の意識が戻った。


「そこにいるのは恵那か。寧音は無事か?」

 生死の境を彷徨いながらも、正直は寧音のことだけを心配している。

 恵那はすぐに寧音を抱いて戻って来た。


 寧音の寝顔を見て、正直は満足そうに笑ったが、皮膚が引きつれてうまく笑えない。

 その様子を見て、ホッとした碧が地面に伏せた。


「碧、大丈夫か?」

 太郎が駈けよって碧を抱き起こす。


「武気を使いすぎたんだな。本当にありがとう」

 梨音が意識を失った碧に頭を下げる。




 無明は痛む右腕を左手で支えながら、隠れ家に向けて走っていた。

 後一歩まで追い詰めたが、結局正直の暗殺には失敗した。


 正直が火球を受け止めたとき、しょせん人間は情に負けて命を落とすのだと思った。

 自分の考えが正しいと確信した瞬間だった。


 しかし、正直は武気も使わずに火球を握りつぶした。

 武気で作った炎の槍も、正直は気でもって打ち払った。

 自分はもしかしたら、家族を守ろうとする人の力を超えた思いに負けたのではないかと、信念を揺るがすような思いが浮かんだ。


 無明は走りながらその思いを打ち払う。

 そんなはずはない、あれは正直個人の力に過ぎないと強く念じると、自分が食った父親が身体の中で否定しているように感じた。


 俺はこの亡霊と一生付き合って行くのか――無明は走りながら顔を歪めた。

 この地獄を一人でも多くの者に味合わせたい。

 平和に包まれて安穏と暮らしている自連の住民を、絶望の中に落とし込みたい。

 暗い欲望が胸の内でどんどん大きくなる。


 家康にとって自連は邪魔な存在でしかない。

 自連さえ無ければ、家康は東海を制し、関東に手を広げて羽柴に対抗する力を手に入れられる。


 家康がその野望を諦めることは絶対に無い。

 例え羽柴に臣従しても、自連をつぶすことを諦めることはないだろう。

 無明は家康の心の奥底に潜む天下への野望に気づいていた。


 信長に対する劣等感が、家康の諦めない心の素地になっている。

 天下取りの一歩手前で命を落とした信長を超えるには、家康自身が天下を手中に収めることでしか果たせない。

 なんと自分にピッタリ合った主人では無いか。


 無明は走り続ける。

 家康の元で自連を潰すことを誓いながら――。

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