(十六)囚われの身
後宮取締
「鈴ちゃん!」
振り向いた鈴はいつもの笑顔を向けた。
「良かった鈴ちゃんに会えて。あ ごめん。私はその、女だった……」
うんうんと頷いて鈴は立ち上がり美桜にぎゅっと抱きつく。
『マノスケさんっ会いたかった。女でもやっぱり可愛い』
「可愛くないよっ」
と発した美桜はしまった……と口を閉じる。ついつい心の声に返事をしてしまったのだ。
「手伝うよ鈴ちゃん」
美桜は長い竹竿から洗濯物を取り茣蓙に乗せる。畳みながら、何度も鈴と微笑み合いながら穏やかな時間に少しは気が晴れた頃、背後から誰かが呼びかける。
「美桜っ美桜っ」
振り返ればそこにはつぶらな瞳の武官府先輩こと
「え?な……どうされたのです?!」
「ちょっとついて来てっ早う」
その姿に鈴だけは笑っている。
龍人について足早に歩き、後宮の門の隅までやって来た。塀を龍人はさっと飛び越える。美桜はこんなことしていいのかと躊躇するも見張り番に気づかれぬうちに同じように飛び越えたのだ。
そのまま走り抜けたどり着いたのは夕貴の部屋。
「来た来た来た来たっ夕貴殿下っ入りますっ」
慌てふためいた
すぐさま龍人は女官服を脱ぎ「これ、鈴ちゃんに返しといて」と美桜に押し付けた。
「鈴ちゃんが?!」
くしゃくしゃに丸められた衣を抱えた美桜は、部屋の奥に座る夕貴を見てはっと正座した。
「……夕貴殿下」
「こちらへ来い」
「はい」
龍人と扇は静かに部屋の外へと出る。二人が今は夕貴の侍従武官であった。
美桜を見て柔らかな目をする夕貴だが、身を引き締めたように座り直し
「時間がない。食事の時間までにそなたを戻さねば。ここにでも連れて来なければ落ち着いて話せぬ故、少しばかり手荒な真似をした。」
「手荒?あ……はい」
「美桜の母君の名は?」
「
「皇帝に殺められたとは……言いたくなけれは無理強いはせん。なんの因果で……。父君の名は?」
「……母も踊り子の店屋の皆も父の事を
静かに聞き入っていた夕貴は、惚れた女を皇帝が殺めるか……と疑問に思う。惚れっぽい皇帝が他所の女を側室にも迎えずに、手をつけるのをいつも怒っていたのは
「あの……夕貴殿下」
考え込んだ様子の夕貴に美桜はじっと見て声をかけた。
「ん?」
「砂羽様が、私に着物を……竜胆皇后の命だと言われ、今朝色合わせをさ……」
ガタンと机に膝をぶつけ夕貴が立ち上がった。
その顔はひどく血の気が引いたような、美桜は見たこともない顔であった。
「夕貴殿下、夕貴……」
◇
その頃、夕貴の母
「皇子の母ともあろう方が、騒がしい。もう少し落ち着いたらいかがか」
ゆっくりと着物のたもとを押さえ座る竜胆の前に、さっと座り込んだ桔梗は声を荒げた。
「美桜は夕貴の管理下であり、後宮では私の管理下として……」
しかしそれを遮り低い声に力を込め竜胆が口を開く。
「陛下が床に伏せられた今、摂政はこの私だ。正室であるこの竜胆に、もの申すのか?たかが女官を側室に迎えるだけ。
桔梗は相槌も返事もせずさっと立ち上がりそそくさとその場を去る。美桜を紫葉の側室になどせぬ為策はないかと考えながら早足で単廊を進む。お付きの女官も急ぎ足で後をつく。
「呉服屋を止めるか、あ いや……はあ……」
立ち止まった桔梗は、そう言って女官の方を振り返る。
「夕貴を呼んで」
「あの、桔梗妃様……時間がもう過ぎました」
後宮に皇子が正式な夜伽以外に訪れる時間は限られていた。女官が誘惑するのを防ぐためである。
「では美桜はどこに?美桜を呼んで」
◇
桔梗が部屋へ戻りしばらく、美桜はやって来ない。
食事が並ぶも手を付けずにじっと待っていた。
「失礼致します」と入って来たのは女官ひとり、
「美桜は?」
「それが、竜胆皇后様が側室としての準備の間はあちらの御殿で美桜様を置かれると取り合っていただけません」
「なんと……」
美桜は竜胆皇后の御殿で、一部屋を設け常に見張りを付けられることとなった。
豪華な食事を出されるも箸が進まず美桜は物思いにふける。
(竜胆皇后がここまで強引だとは……。ここを逃げれば何処までも追われそう。逃げれば桔梗妃様や夕貴殿下に迷惑が。私はもう逃げられないのか……)
見張りなど巻くのも、塀を飛び越えるのも屋根を走ることだって出来よう。しかし、目に見えない縄に囚われた美桜は大人しくその部屋で一夜を明かした。
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