(十七)紫葉の手

 翌朝からも女官について回られ風呂に入れられ、髪を椿油で手入れされる。白粉をはたき紅をさされ女官服では無く、絹の毬模様の着物を着せられる。


 そして竜胆りんどう皇后の部屋へと呼ばれた美桜は静かに座った。


「美桜、背中に刀傷があるとはまことか?」

 女官が見た為驚いて竜胆の耳にも入ってしまったようだ。


「……はい」

「いつの傷じゃ?」

「争いに巻き込まれた際に負った傷です」

「争いに……?」


「父も母もおらず、山寺で育ち人攫いに合ったと砂羽さわに言ったそうだが、山寺の名は?」


「……高」


「失礼致します。紫葉しよう殿下が来られました」

「通しなさい。美桜、もうよい」

「失礼致します」


 部屋を出てすれ違いに部屋へと入る紫葉は溢れるような笑みを美桜に向ける。


「散歩しても良いですか?」

 美桜は女官に付き添われたまま御殿と御殿をつなぐ単廊の横に続く長い庭園に足を踏み入れた。


 ただ石や砂利の上をゆっくりと進み松の木を眺める。その時木の隙間から夕貴ゆうきが見えたのだ。

 皇帝の御殿の方から歩いてどこかへ向かう途中の様子。


 庭から単廊へ戻ろうとした美桜に女官がぴしゃりと言い放つ。


「夕貴殿下とお話にはなれません。近づかせぬようにと言われております。」


 小さく頷いた美桜は、遠くから歩き去る夕貴の後ろ姿を見えなくなるまで見守った。

 その背後から「美桜、美桜」と呼ぶ声は紫葉である。


 女官に尻をポンと叩かれ紫葉の方を向く。

「おはようございます 紫葉殿下」

「はあすっかり美しい女じゃ。どれよく顔を見せてくれ」

 と美桜の頬に両手を添えるが美桜は紫葉の手首をつかみ後ろへ下がりそれを拒む。


「そなた、余の何が嫌なのだ?あの者を好いておるのか?」

「殿下こそ、蓮華れんか妃様をしっかりとお相手してください」

「ほほお 蓮華の心配を……。そなたが身籠ればな。」

「…………」


「余はこれまで何にも楽しいことなどなかった。剣を振り回し戦う事も知らねば、都で酒を飲んだこともない。いつもここに閉じこもり父上や大臣、母上が決めた相手と夫婦だとされ。なあんにも無い。だが、余はそなたを見ると胸が高鳴った。この世の慈しみも悲しみも詰めたようなそなたの舞に心が踊った。」


「……ならば、殿下もご自分でもっとこの世をご覧になれば良いのです。私を通さずとも、殿下の目で」


「ふふ 余に見せてはくれぬか、共に見てはくれぬか?」


 紫葉は美桜の手を取り「少し歩こう」と、もぞもぞと手を離そうとする美桜の手を力強く握りしめ

「手を離すというなら、抱いて離さぬぞ、そなたを担いで歩いても良い」

「はあ」


『余が邪魔か……美桜 そなたには余は要らぬか……それでも余はそなたを大事にしたい。側に置き共に生きたい……余は弱い 怖いのじゃ これからが 怖い せめてそなたが居れば……』


 手を繋いだまま歩く紫葉は相変わらずの化粧顔に長い髪を風に靡かせ嬉しそうにしている。


(私も怖い……このままここに居るかと思うと怖い。この寂しい手を振り払いたい……。こんな出会いで無ければ、この人を都の飲屋にでも連れて行ったのかな……)


 紫葉を殺めるほどには憎めない美桜であった。しかし、都の飲屋に行くなら夕貴もおうぎも一緒に行きたいと叶わぬことを思い描く。



 ◇◇◇



 数日が経ち、美桜は相変わらず竜胆皇后のそばに置かれていた。


 その日夕貴の叔父 永安ながやすが宮殿へとやって来る。そのまま夕貴の母、桔梗ききょう妃を訪ねたのだった。そこには夕貴も居る。


 歩き回り疲れた永安は、「はあー」とその場に座る。


「ご苦労さまです。何か分かりましたか?」


豊洲とよすの姫君は幼名さくら、瑠璃川に身投げしたと聞き探したもののその後の行方が分からん。しかし、身投げする直前まで高台寺こうだいじ丸栄まるえいの元に居たのはたしか。その前は父の嘉実よしみが亡くなり踊り子として母の夢月むつきが都の加賀屋かがやという店に居た。桜もそこに居たが……どうした 夕貴?」


 驚いた様子の夕貴に永安が話を止めた。


「さくら……それは美桜です」

「……え?」

「それはまことか……」



 しかし、その頃美桜は藤色の新しい着物に袖を通し着々と側室として迎えられる準備が進んでいた。

 後宮の宴の間に儀式の料理と酒が並び、紫葉も後宮へと続く単廊を菊之輔と女官達と共に歩く。


「やっとこの日を迎えた」

「おめでとうございます。殿下 マノスケを得られて何よりですぅ」

「美桜じゃ」

「あっ失礼しましたあ〜」


 跳ねるように歩く二人の横を勢いよく永安が走り抜ける。

「な 何事……?殿下に挨拶もせずにぃ」


 紫葉と菊之輔も小走りに永安のあとに続いた。

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