第弐話 シャバ僧でいいじゃない

 今日は朝から体調が悪い。やけ酒のせいもあるが……。

 昨日、陽菜が見たと言った男は彼氏だったが、その後、二股が発覚して修羅場になり回し蹴りを一発お見舞いしてお別れした。

 けれどもそれはプライベートの話で、ここは職場である。しかも中学校だ。

 たとえ自分が教壇に立つことはなくとも、すれ違う生徒にだってこんな不機嫌な顔は見せてはいけないのだ。


――だって、私、『保健室の麗子先生』だから!


「よしっ!」


 吹き飛ばすように気合を入れてみたものの、いつもの自分へと立て直す力がこれっぽちも湧いてこなくて、外をぼんやりと眺めた。脱力で椅子の背もたれからずり落ちそうになり見つめる世界が少しだけ傾いたとき、青いアディダスのバッグを斜め掛けにした男子生徒がゆっくりと歩いてくるのが見えた。


 この学校には門扉がなく自由に出入りできた。従ってよっぽど極端な時刻ではない限りはいつでも校舎の中に出入りすることができる状態だった。


――あいつ、また遅刻か?


『あいつ』とは、四月になって間もなくから保健室登校をしている、二年の袴田優太のことだった。


 先週はなんとか無遅刻で登校して来たが、ギリギリセーフで姿を見せるという日常だった。欠席が改善されてきただけでも良い傾向にあると思っていたから、登校時間についてあまり触れなかった。


 気を取り直した麗子はノートパソコンを立ち上げると、保健室の窓から優太の様子をじっとうかがった。


 未だかつて登校拒否になった本当の理由を話してくれない優太のことを、遅刻でも牛歩でもとにかく学校に姿を見せてくれることが今は一番だと思った。


 それから間もなく優太が校門の前までやって来た。ゆっくりとしたペースは変わらずうつむきながら校舎に向かっていたのだが、急にピタリと立ち止まった――かと思ったら、くるりと方向転換し猛烈ダッシュで来た方向へ戻ってしまったのだ。


――おいおい。帰るのか?


 思わず椅子から立ち上がり窓を開けて姿を探してみたが、すでにおらず、その場で立ち尽くし頭をボリボリと掻いた。


――あいつ今日はズル休みか……。私が休みたいわ。


 近年は生徒だけではなく教師もズル休みするケースも珍しくない。どちらにも共通することは、学校に来たくないから――という理由だ。


 以前この中学で国語を教えていた男の先生が鬱で休職したのは、担任を持っていたクラス内で起こった『いじめ』が原因だった。

 その一件でいじめられていたという生徒が優太なのだが、クラスの生徒に何度聞き取りをしても度を越えていると感じるような話は何もなくて、現在も実態は迷宮入りしたままだ。


 優太が不登校になり保護者会を開くまでに至ったが、いじめられた側といじめた側だと言われた親同士の水掛け論で終わってしまい、何の解決にも繋がることはなかった。


 その後、親たちが個人的に騒ぎ始めたらしく場外乱闘のような形になってしまった。それはどんどんエスカレートしてゆき、SNS上で相手の子供のことまで罵り始めたのだ。


 最低だ。

 親同士が喧嘩してどうするのだ? 

 ひとまず立ち止まって子供のことを考えてほしい。


 昔と今の保護者の違いは、昔は子供同士のいざこざに口を出す親は少なかったけれど、最近の親は些細なことでもすぐに学校に電話を入れてくる。「一体どうなっているのだ?」と。

 こちらが聞きたいと思う事例も多々ある。それが悪いことではないけれど、親が余計な口出しをしたがばっかりに子供同士で解決できる力がなくなってしまっているよう気がするのだ。


 そんなことが関連したのだろう。一番納得がいかない生徒たちも騒ぎはじめ、優太のクラスがまとまりを失って崩壊した。保護者側はいじめに発展したのは頼りない担任のせいだと意見するのもが多く、最終的に担任が相当のダメージを受けて心身ともに病んでしまったらしいのだ。


 これも当たり前になりつつある現代病のひとつだろう。

 でも、なぜだろう?

 答えは簡単! 


『怒られることに慣れていない子供』と『怒ることができない親』が多く見られるそんな親子に、学校側の人間が太刀打ちするのは非常に難しいからだ。


 そういう親子にかぎって悪いことをしても謝ることもせず、そうなったことを他人のせいにして悔い改めることがない。自分ルールで世の中を闊歩する常識を遥かに超えた毒親からのクレームなら、それに立ち向かう覚悟を持って対応に臨まなければ、最悪の場合潰されてしまうのだ。


 よって昔のような熱血と呼ばれる教師が少ない現在になってしまったのは、仕方がないことなのかもしれない。


ここまで来ると世も末。恐ろしいとしか言いようがない。


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