第参話 メンチきってもいいですか
翌朝も優太は登校しなかった。
せっかく順調に登校していた中での欠席でもあったし、昨日の不思議な行動も見てしまったから気になって仕方がなかった。それにパソコンに向かうとすぐに肩がこるし、鼻炎が重なると頭痛もひどくて何もしたくない。
「だんか、ヤバいかぼ(なんか、ヤバいかも)……」
昨夜から鼻炎が悪化していて、鼻水、鼻づまり、その結果ひどい鼻声だった。
――何か起きそうな予感。
珍しく一人きりの保健室で作業だったが、優太のことが頭から離れない。
麗子は思い出していた。
優太が保健室登校になってから本人に質問したことがあった。
「優太君。ちょっとだけ聞いてもいいかな?」
渡された数学のプリントをやっていた横顔に話しかけた。三十分は経っていたが、たった二問しか出来ていなかった。
――え? まだそこ?
真剣に取り組んでいるはずなのに進み具合が遅いことが気になったが、指摘することはしなかった。進まない原因として何か考え事をしていた可能性もある。ただ、テストの順位も下から数えた方が早く、見ていれば簡単な漢字すら書けないこともあってそこも心配だった。
「もしかしてさ、誰かに嫌なことされたりしたの?」
優太はゆっくり顔を上げると、視線は合わせないままで静かにうなずいた。
「そっか……。クラスの子?」
少しだけ考える仕草をしたが曖昧な感じで首を横に振った。
立て続けに「じゃあ誰?」と聞きたかったが、あまりにも悲しい顔をしているからその言葉は喉の奥で止まった。
麗子の中では『いじめ』という一言で片づけてしまうには、納得しがたいものがあり、もう少し本人から話を聞いてみようと思ったが、優太の横顔があまりにも悲しそうに見えてタイミングを失った。
そのときだった。保健室に教頭が血相を変えて入ってきたのだ。
「麗子先生、大変です。すぐに職員室に来てください。袴田優太の母親が来ています」
――優太の母親?
「は、はい」
とにかく小走りする教頭の後ろに続いて職員室に入ると、これまた恐ろしい顔で優太の母親が立っていたのだ。
「おはようございま……」
「アンタ、保健室で毎日何見てんのよ?」
麗子からの挨拶が終わらないうちに早速お叱りを受けた。
優太の母親はまだ若く、金髪のロングヘアーからのぞく耳たぶにはピアスが並んでいて、妊娠を機に再婚したという話の通り大きいお腹をしていた。大人しい優太の性格とは真逆の性格のようで、思ったことはすべて口にしないと済まないタイプなのだろう。
「申し訳ありません」
㊙の資料に、『母親要注意人物』と書いてあったのを思い出す。
クレーマ―にはひとまず謝っておくのが第一段階だ。
――勝手に帰ったのはあんたの息子。
内心とは反対に一歩下がる。
「何で勝手に学校休むのよ? アンタが何かしたんじゃないの?」
母親は猛烈な勢いで麗子を指さした。
「最後に優太君に会った一昨日は、何も変わった様子はありませんでした」
麗子はその通りのことを伝えた。
「保健室じゃなくて、職員室にでも置いたほうがいんじゃない?」
自分の息子のことをまるで『モノ』扱いの言い方だ。
「保健室のほうが、優太君と向き合うことができますから」
へりくだってそう言ったものの、通じるはずもなかった。
「逆に、ご家庭で何かあったりはしませんでしたか?」
すると母親は怒りのメーターが瞬時に倍増したらしく、当然、麗子に向かって怒鳴った。
「はあ? 『曰くつき』のあんたに見てもらったのが間違いだったわ」
――『曰くつき』ねー……。私はそういう噂になってんだ。
一時間目が始まる前ということで全員集合していた教職員たちは、一同にフリーズしてしまっていた。
「では、家庭学習にして見守る体制にしましょうか?」
教頭は「それ以上、余計なことを言うな」と顔に書いてあるような表情を浮かべてこちらを凝視していた。
「だから期限付きでしか保健室の先生になれないんじゃないのか?」
――産休の代替えで学校に来たんだから当然だよ。
麗子は自分に言い聞かせたが、正直なところその通りでもあるので、『怒り』半分『傷ついた』のが半分という気持ちになっていた。
そこでチャイムが鳴り、半分以上の先生が蜘蛛の子を散らすように出て行き静まり返った職員室には、事務員が丁寧に電話対応する声がかすかに聞こえてくるだけだった。
「しばらく優太は休ませるから」
「わかりました……」
教頭が速攻で返事をした。
――なんでだよ。
そう思ったところで麗子に判断の権限はない。従って黙っているしかないのだ。
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