異世界転移小説が流行ってるらしい

蟬時雨あさぎ

予想だにしていない読者もいるらしい

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 今日の予定していた分の執筆と推敲が終わり、首尾は上々。計画通りに書き溜めを行えていることにホッと安堵の息を吐く。

「よっし、休憩〜」

 ふわりと揺れるカーテンがのどかな、土曜の昼下がり。

 冷蔵庫からお気に入りのパック詰めコーヒー豆乳を取り出してから、リビングのソファーに座る。目の前のローテーブルからリモコンを取ってぽちっと押せば、テレビに映るのは人気番組の再放送。

「『今週も芸人が持ち寄る至高の鉄板話ネタをお届けします――』」

 ってこれ見たことないやつじゃん。お笑い番組は須らく目を通すのが鉄則の私としたことが!!

 まあでも、ゴールデンタイムの番組は残業とか電車の遅延とかで見逃すことあるもんなあ……。

 なんて思いつつ食い入るように見ていれば、視界が真っ白に邪魔される。カーテンがぶわっと広がってきたのだ。

「もー風強いな今日……」


 カーテンを避けて、窓を閉めようと立ち上がる。

 セキュリティ重視で選んだマンションはそれなりのお値段だったけど、窓の外に広がる景色は田舎から出てきた私にとっては憧れのものだ。四階だけど。

 バルコニーの向こうには、大小様々な建物と雲が泳ぐ青い空が見える――。


 ――はずだった。はずだったんですが。


「えっと、……は?」

 結論から言うと見えませんでした。

 なぜなら立っていたから。男が。知らん男が立っている。ウチの狭い狭いバルコニーに。洗濯物を背景にして。

 カラコン着けてるみたいな淡い緑の目。緑がかった黒い髪。手触りの良さそうな布をひらひらさせたゆるゆるの服装はなんかのコスプレか? いや残念ながら私は知らんぞこんなキャラ。

「あの、」

 うわ。声優みたいな耳障りのいい声。天は二物を与えないのではなかったのか。

「いきなりすみません、綿津見ワタツミコウさんですか?」

「……いやいやいや、誰ですかあなた。なんでウチのバルコニーにいるんですか? ここ四階ですよね?」

「ああ、これは色々と手違いが積み重なった結果でして……」

 湖守コガミみよ。二十八歳。

「申し遅れました。どうも、いわゆる神に類するものです」

 バルコニーに突如出現した神サマを名乗る男に、バッチリネット上のペンネームで呼ばれました。まさかの与える天側の生き物。




「いきなり訪ねてしまってすみません、綿津見コウさん。まさか直接ここに出るとは思わず……」

「はあ、そうですか」

 とりあえず窓側にあるソファに男を座らせて、玄関にほど近いキッチンに立つ私。敵意とかはなさそうだけど、不審者には変わらない。此処なら包丁とかあるし、玄関までの逃走経路もバッチリだ。

「ああ、お茶とかはお構いなく。どうしてもというなら頂きますが……」

「……そうですか」

 お茶の存在を要請されているようで要請されていないと判断して何も出さない。何しろ四回のバルコニーに立っていた男だし、一瞬でも目を離せば目の前に来るとかできちゃうかもしれない。

 ――不思議と、半分ぐらい信じてるのだ。神様なんじゃないかって。

「とりあえず、綿津見コウさんとお話がしたいだけですので」

「いや待ってすみません、連呼するのやめてもらっていいですか??」

 窓はしっかり閉めたし、部屋の壁の厚い方だからいいとは思いたいけど、やっぱり面と向かって呼ばれると心がざわざわする。

「? 何故ですか?」

 だって、誰にも言ってない。


 私が・・綿津見コウである・・・・・・・・・ことなんて。


 友人の一人にも、オフ会にすら参加したことはない。それこそ正直なところハッキングされてないか、今すぐパソコンのウイルス対策ソフトでスキャニングをしたい。

「まあどんな理由があるとしても、この名前しか呼べませんが」

 神サマを名乗る男の、淡い緑色の目。視線を合わせると、なんだか色々と見透かされている気がしてむずがゆい。座って姿でさえ神々しさがあるような気がする。近寄りがたさは身の危険を僅かばかり感じているからだと思うけど。

「……実名とか真の名がどうとか、そういうハナシですか」

「そんなところですね。やはり人気作家というだけあって、知識が豊富というか、想像力が豊かというか」

「『どわっはっはっは!!!』」

 タイミングよく、いやこの場合は悪くか、大きく響く笑い声。つけっぱなしだったテレビが、壊れた笑い袋みたいだ。あーこの芸人さんの話だったらそれもそうだわな……。ああ、私のお笑いエンジョイタイム……。

 つかの間の現実逃避はすぐさま、テレビがぶちん、と真っ暗になり終わる。

 バッと横を見れば、神サマが無言でリモコンをローテーブルに置いていた。再びこちらを見るだけの緑の目と、いたたまれない静寂が続く。

「……えっと」

 なぜか神サマは口を開くことなく、じっと私を見ている。話があって来たというのなら話題の提供をしてほしいところだが、なんだかしてくれなさそうだ。

 となれば私から話題を提供するしかない。聞きたいこと、そうだなあ。


「失礼ですが、……本当に神サマですか?」


 おっとやばい、少しだけムッとした顔にしてしまった。


「失礼ですね、本当に神様ですよ。とはいっても、貴女の住むこの世界の神ではありませんし、定義や本質的な部分では神と異なりますが」

「へえ、そうなんですね……」

「信じてませんね。いいでしょう、そうですね。コウさんが執筆を本格的に始めたのは十八歳から」

「え、ちょっ何で知って」

「おや、今年で十年ですね。でも最初に書いたのは十三歳で、たまたま見た小説の公募を見て興味を惹かれ、仲間数人で応募したところ友人の一人が入賞。その後貴女は秘密で同じ公募に数回応募しましたが――」


「あーあー信じました信じましたから!!」


 怖い。まじで怖いよ。失礼だった腹いせなのでしょうか神サマ。

 公募のくだりとか、その後の追加の応募は悔しくて、誰にも言わずに切手も封筒も一人で用意してやってたのに!

「それは良かった。まだまだ続きはありますが?」

「遠慮します」

 恐るべし神サマ。もう聞きたくないです。

「……じゃあ何故違う世界の神サマが私の家こんなところに?」

「そうですね。そろそろ本題に入りましょう」

 神サマがそう告げたところで、私はキッチンから出てダイニングテーブルのイスを神サマの方へ向けて座る。流石に距離をおいて立ったままは不敬かもしれないと思った。いやこの場合は座る方がダメなのか?

 まあいいや。

「結論から申し上げますと、コウさん」

「はい、何でしょうか」



「貴女の、異世界転移小説の執筆をやめていただきたいのです」



「……どういうことですか?」 

「そのままの意味ですよ」

 事もなげに言われる。表情一つ崩さず。

 私が、綿津見コウとしてネット上に投稿した作品はいくつかある。

 その中でも、自分が一番楽しんで書いているのが今連載している『異世界転移先が実は私の故郷だったらしい』だ。

 それを、やめてほしい、なんて。

「嫌です。なんでやめないといけなんですか」

「どうしてか、という話も、これから順を追ってお話しします」

 努めて冷静に話す私に、どこまでも冷静に返答する神サマ。そこに初めて、どこか神サマらしさを感じる。意識的に呼吸を繰り返して、感情を抑えないと。

 でも、それでも冷静になりきれないで。


「面白く、ないからですか?」

「――違います!」


 思わず出た言葉が食い気味に、はっきり否定されて息を飲んだ。

「それだけは、断じて違います」

 念押しするように神サマは重ねてそう言う。その表情がちょっとだけ複雑な感情が混ざっているように見えて、ますますわからない。

「じゃあ、なんで、どうしてそんなことを?」

 いやほんとわからない、混乱してる。神サマなにしてんの? 異世界からきたっぽい神サマよう。おいおい。

「……その逆、逆なんですよ」

「その逆、とは?」

「貴女だけでなく、多くの異世界転移小説が――」



「――面白すぎて困るんですよ!!」



 ですよ、ですよ、ですよ……とエコーが聞こえてきそうな迫力だった。

「面白すぎて、困る?」

 面白すぎて困る。これは褒められているのか?

 本当になんだかちょっとよく分からない。じっと神サマを見ていれば、座ったままでいられなくなったのか急に立ち上がって。


「みんな真似するんです!!」


「みんな真似する……?」

「本当に異世界人を連れてきて、その様子を観察しようとか!!」

「あっそういう?」

「勇者に仕立て上げたりとか!! スローライフさせてみたりとか!!」

「ちょ、ちょっと待って」

「異世界の技術を市井に広めてみたりとか!!」

 だんだんと声の大きさもヴォリュームアップして、力の入った良い声が部屋いっぱいに響く。これはやばい。

「落ち着いて神サマ!!」

 明日ぐらいに両隣の部屋からクレーム来たらどうしよう。いやまあ内容的にこちらとしてはシラを切るしかないんだけどさ。

「……なんですかコウさん」

「落ち着いてください」

「はい、至極落ち着いておりますが」

「あー……はい、わかりました」

 何も突っ込みません。相手は神サマ、そう、触れない方が良いこともある。まさに触らぬ神に祟りなし。

「本当に、予想外でした。ある世界においてとても面白い小説がある、そのジャンルが何やらとても流行っている、と聞いたときは素直に喜んだものです」

「はあ」

「それが異世界に転移した人の話であり、それが神々の間で話題となり。実際に異世界から人を転移させることが流行るだなんて……」

 現状を鑑みて気分が落ち込んだのか、ソファーに再度沈み込んだ神サマ。額に手を当てて溜息を吐く姿が、すごくさまになっている。というか。


「執筆してる私としても、神様が読者だなんで予想だにしていないんですが」


 聞いている限りだと、神様が私の小説を読んでるらしいということになるのだけれど、なんだかすごいスケールの話じゃないか? これ?


「そうでしょうね。特定世界の事象がこんなにも広まるのは、極めて特異な事例ですから。しかし、神々がこぞって異世界から知的生命体の召喚を行うようになってしまい、世界線が今までになく交雑しはじめているのが現実です」

「……えっと、そうですね。そういう設定的なアレは嚙み砕いて説明していただけると助かります」

「仕方ない人ですね。許容できない範囲で法則の違う世界の文化が混ざり始めておりとっても危険な状態です」

「ありがとうございます。とってもよく分かりました」

 なるほどなあ。自分の与り知らぬところで、異世界転移小説は大変大きな影響を与えてしまっていたらしい。

「それをどうにかするために、神サマはいらっしゃったと」

「ええ。時空の神に、『お前の領域が発端なんだから事態の収拾をしてこい』と言われて送り込まれてしまったわけです」

「――ん?」

 言われて、送り込まれてしまった。受動態だ。受け身であるということは、この目の前にいる神サマは、時空の神サマではない?

「神サマは時空の神サマじゃないんですか?」

「いつそんなことを言いましたか?」

 こらこら目の前でこれ見よがしに溜息を吐くな。神サマに直接そんなことは言えませんけどね! 心の中も見透かされているならだいぶもう既にやばいかもだけど。

「じゃあ何の神サマなんですか?」

「あなたにわかるように一言で言うならば、――文芸の神ですよ」



「文 芸 の 神 … … ? ?」



 はっ、と息が止まる。ベランダから来たのは、文芸の神?

「……神サマ、お布施って今からでも間に合いますか?」

「貴女、いい性格してますよね。間に合いませんし、貴女からの信仰は必要ありませんので」

 そこでパンパン、と話を区切るように神サマ――もとい文芸の神サマは両手を叩く。それだけで少し空気が澄んだような、周りが静かになったような錯覚をしてしまうのは、存在が為せる業か、あるいは私の信じる心が故か。

「話を戻しますよ。コウさん」

「はい、なんでしょう神サマ」

 凛とした緑色の瞳がまっすぐ見ている。神サマが、他ならぬ私に目を向けている。

 私の生活の、人生の楽しみの一つを、奪うために。

「異世界転移小説の執筆をやめていただきたい」

 だから。


「――嫌です」


 ここで引き下がるわけにはいかない。神サマの眉間に、皺が寄るのが見える。

「貴女、この期に及んで断れると思っているのですか?」

 怜悧な視線。息が詰まりそうな感覚を意識的な深呼吸で追い払って、酸素を脳みそに巡らせる。さあ、一世一代の大舞台だ。

「思っていますよ、だって」




「神サマのその作戦は、とーーっても悪手だって知ってるからです」

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