第43話
訪れる客が客室に次々と案内されていく。そんな中、カウンター内の斉藤は電話の受話器を肩に挟みながら端末を操作したり、周りに指示を出したり、多忙に動き回っていた。
それを貧乏ゆすりをしながらしばらく遠目で見ていた大阪がしびれを切らし、待っている客たちを押しのけてカウンター内で端末操作をしている斎藤に詰め寄っていた。
「どういうつもりだ? いつまで待たせる気なんだ」
「申し訳ございません。いつものお部屋のカードキーが一枚見あたらないのです。今急いで探しております。もう少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
斎藤は表情筋のすべてを使ってお願いだから大人しく待っていてほしい。そう大阪に訴えかけていた。だが、大阪には一般的な感性や常識など通用する相手ではない。それは斎藤も唯も嫌になるほどわかっていることだった。
「これ以上待たせたら、このホテルは最悪だと言いふらしてやる。ついでに映王関係各社にも通達を出してやるよ。今後一切このホテルを使用することは禁止するってな」
頭を下げている斉藤の上から、これでもかと大阪は全体重をかけてのし掛かる。呆れ返るほどの予想通りの大阪の横暴さ。予想はしていたが、予想通り過ぎてどうしても怒りが沸き上がる。カウンター越しとはいえ斎藤に今にも掴みかからんとばかりに前のめりになっている大阪を唯は押しやってその間に割って入っていた。
「それで大丈夫ですので、キーをいただいてもいいですか?」
「お前は黙ってろ」
高圧的な上からの目線を斎藤から容赦なく背を向けている唯に注がれようとしていた。が、唯は振り返って眉を潜めていった。
「みんな見てますよ。時期映王の副社長となる人が、横暴な客としてネットに流されたら困りますよね?」
唯は小声でそう言って、視線で周囲に誘導してやれば、客たちの批判的な視線は大阪に集中していた。冷たい視線がさすがの大阪にも刺さったのか、不満ながらにも押し黙りカウンターの上に右手を出し人差し指を叩いてカードを催促していた。
だが、斎藤は明らかに躊躇しているようだった。あれだけ無駄のない動きをしていた斎藤の動作は鈍り、カードキーを手にしたまま立ち止まっていた。だが大阪は、それをもぎ取ると唯に「行くぞ」と声をかけてエレベーターへと向かっていく。その後ろを唯がついていくと斎藤が追いかけてきた。
「申し訳ございません」
深々と頭を下げたその襟足にはじっとりとした汗が浮かんでいた。
きっと何か手立てはないかと考えてくれていたことは、浮き出る汗から容易に想像がついた。
「こちらこそ、ご迷惑お掛けしてすみませんでした」
唯は斉藤以上に深々と頭を下げていた。
気を遣わせて、申し訳ないと思う。けれど、今の私はやるべきことがある。
顔をあげた唯のきっちりとまとめていた髪は決して乱れはしなかった。顔をあげた唯の瞳にはこれまで以上に強い光が宿らせ、大阪とエレベータの中へと吸い込まれていった。
思い空気が立ち込めるエレベーターから吐き出されると迷わず歩みを進めて行く大阪の後を追いながら、肩にかけたショルダーバッグを握りしめていた。肺にある余分な感情を排除して、どんなことが起きたとしても動揺しないように崩れかけていたものを一つ一つ重ねてゆく。私は、絶対に逃げない。自分の逃げ道を塞ぐように唯は、ピンヒールで踏み固める。
そして、大阪の足がエレベーターから一番遠い場所で止まった。ドアの前で一番奥カードキーを当てて、カチャリと鍵がが開く音。
唯は、絶対に揺るぎない最後の力を得るように前を見据えその奥へ足を踏み入れた。
部屋の中は、唯が今住んでいるアパートの部屋よりも広い。入った正面に広々とした面積の中央に椅子二脚と丸テーブル。窓を挟んだ右奥に一台の大きなベッドがあった。薄いカーテンが仕切られて、夜景は見えない。完全に外の世界から隔離されているように感じる。その割に、そこから冷たい空気が入り込んできているのか。やけに肌寒く感じた。
大阪は入り口横にあったクローゼットからハンガーを出してジャケットをしまいこむと、奥へと進む。少し距離をとって唯も部屋の奥へと歩みを進めた。唯は椅子の前に立ち、大阪は応接セットの横、窓を通り過ぎる。
「寛いだら?」
呑気にそういう大阪に唯は隙なく答えた。
「私は、ここに遊びに来たわけじゃありません」
「君って、案外気が強いよな。まぁ、そういうところがいいんだけど」
軋むベッドに腰かけて、薄ら笑いを浮かべる大阪を唯は無表情に跳ね返す。ショルダーバッグから紙を取り出した。今回の記事とこれまで届いた脅迫文も添えて大阪に差し出した。唯の横で、薄いカーテンが揺れる。
面倒くさそうに大阪は手に取り、さらりとその紙を見た。脅迫文は見向きもせず素通りして、大袈裟に目をむいていた。
「へぇ。次の宮川亮のスキャンダルはこれなのか。前回は確か山口アナウンサーとの熱愛報道がでていたはずだよなぁ。週刊真話もなかなかやるなぁ。しかも、この相手。まさかの君じゃないか」
自分がやったことを隠そうとしているのか、そうじゃないのかもよく分からない頭が来るくらいの淡々とした大阪の棒読みが、唯の感情を逆撫でするには十分だった。
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