第44話

「この記事を売ったのあなたですよね? どうして……。どうして、こんなことしたんですか?」

 感情を抑ようとすればするほどに、溢れてくる怒り。ここで、感情に支配されては負けだと言い聞かせ制御しようすれば声が代わりに震えていた。そんな唯をみて、大阪は相変わらずの黒縁眼鏡を光らせて歪んだ笑みを浮かべていた。


「何を馬鹿なこと言ってんだ。俺がやったという証拠もないくせに。女は自分の感情ですべてを決めつけにかかるから、困る」

 相変わらず人を見下した言い方だった。大阪の粘着質な声が覆いかぶさると、唯の怒りは一気に沈んでいく。唯の熱くなっていた頭が、急速に冷えていく。

「なら、『週刊真話』からの記事だってどうしてわかったんですか?」

 唯は目線より少し下にある大阪を冷やした視線で見据えた。大阪は切れ長の目を半眼にし、唯への白眼視を助長させ薄い唇を歪ませていた。

「ここに書いてあるからだろ」

 大阪は面倒そうに手に持った紙に目をやる。迷わず黒縁眼鏡の奥の瞳は記事が書いてある紙上部のヘッダーに移した。が、探す瞳の揺れはしばらく経っても止まることはなかった。それを見届け、唯は告げる。


「ないですよね? 記事をコピーしたとき、週刊誌名を私があらかじめ消しておいたので」

 大阪の目が訴えるように、確かに記事の上部のヘッダーには確かに『週刊真話』と記載されていた。だが、唯は大阪の証拠を裏付けるために小細工を仕込んでおいたのだ。もちろん、うまく引っかかるとは限らないことは重々承知の上だった。だけど、少ない可能性も全部絡めとって、少しでも大阪の動きを封じたかった。それが功を奏した。小さな仕掛けがうまく作動し始める確かな手ごたえを唯は感じ取っていた。

「前回こいつの山口アナウンサーの熱愛報道記事が出たのは、週刊真話だった。続報も当然同じところから出るって、普通はわかるだろ」

 大阪の語気が強まる。大阪にフラストレーションが降り積もり始めた。その熱のせいか、黒縁眼鏡が曇り、その奥の瞳も濁り始めていた。

「その山口アナウンサーはあなたの従姉だと聞きました。その時もあなたが指示を出して仕組んだんでしょう」

 唯は畳み掛けた。

 退院の日に徳島が話していた声が脳内で再生された。

『ビッグテレビ社長の一人息子。大阪聡、映画館勤務中。山口アナウンサーとは、従姉にあたる。山口アナウンサーとの熱愛報道のシナリオを作ったのは、この人です』


「知らねぇよ!」

 大阪はもう付き合いきれないとばかりに、力いっぱい紙を床に投げつけた。

 だが部屋の空気に守られるように、叩きつけられることなくひらりと流れ、唯の足元に綺麗に着地した。それらを唯は拾い上げて、大阪に向け写真を指示した。

「……じゃあ、この写真。どうして、私だってわかったんです? この写真じゃ、真っ暗な上に宮川亮の影に隠れ、相手の顔は真っ暗でわかりませんよね? 文章にも相手の情報は一切書かれていない。この写真で私だってわかるはずない。わかるのは、これを売った本人かこの記事を書いた人くらいだわ」

 両ひざに肘をついて、前のめりに少し視線を落とした大阪の表情は、角度が変わったせいか照明が黒縁眼鏡に反射してよく見えなくなっていた。だが、薄い唇を真一文字にして引き結び、戦慄いていることだけは見て取れた。確かな変化が読み取れる。そこから、突破口を更に広げるために唯は畳みかけた。


「バイト先で、住所変更したときの事務員さんに送別会に来る前に電話確認しました。私の新しい住所知ってる人、事務員さん以外に誰かいましたかって。そしたら、言ってました。大阪さんが私が住所変更した紙を写真に撮っていた、と。そして、脅迫文とこの記事がうちのポストにこれが入ったのは、その直後。

 これって、立派な脅迫ですよね? これを私が警察に届け出たら。映王の次期副社長がそんなことしていたと知れ渡ったら。どうなるんでしょうか」

 一息にそういった唯は、微動だにしなくなった大阪の黒縁眼鏡を見据えた。

「私の要求はただ一つ。あの記事を差し止めてください。そうすれば、脅迫の件は目をつぶります」


 そこまで言い切ると、急に大阪は深々と俯き始めた。唯の視界からは、大阪の後頭部とやけに細くぎょっとするほど青白い首だった。しばらく、そこに気を取られていたら、大阪の肩が小刻みに上下に揺れ始めた。細長い皺になった白いワイシャツの背中から気味が悪い程静かにくつくつと笑う声が漏れてくる。その数秒後には、大阪は気が触れたようにゲラゲラと笑い立て、腹を抱えていた。一通り笑い転げ顔を上げた大阪の眼鏡の奥に涙が浮かんでいた。その異様な光景に、唯の背筋に悪寒が駆け上がる。口の中まで不快な味がしてきて、唯は固唾をのみこんだ。

「……何がそんなにおかしいの?」

「そりゃあ、滑稽に決まってるだろう。そんな勝ち誇ったような顔をしてさ。そんなこと暴いたところで、なんなんだ?」


 笑いながら大阪は言って、腰かけていたベッドから勢いよく立ち上がり、素早く唯の目の前に立った。急に近くなった距離に怯みそうになる。だが、ヒールを履いている唯よりも数センチ目線が上になった大阪を睨みつけて踏みとどまる。

「なぁ。俺は誰だ? 俺は何でも持ってるんだよ。俺くらいになるとな、そんな紙屑、俺は簡単に握りつぶせるんだ。警察にコネがないとでも思ってたのか? 俺はな、世の中を自由に動かせる。お前の下手な交渉に乗らなくたってな」

 にやりと笑った大阪の薄い唇が大きく歪む。黒縁眼鏡の奥の瞳が白目がなくなるほど、どす黒く濁っていく。

「それに、ここはどこだ? 俺のテリトリーだ。そこに自ら飛び込んできて、まさかこのまま無事に帰れるなんて思ってないよな?」

 漆黒に染まった切れ長の双眸が不気味なほど鈍く光っていた。そこに吸い込まれたら、もう二度と這い出すことができない。唯の本能が強く訴え、唯は反射的に後方へと下がろうとした。だが、それよりも早く唯の右手首を力任せに捕えていた。唯が突き付けていた紙が勢いよく床に落ちていく。手首を掴む大阪の黒い手は血が止まるほどの力だった。けれど、その痛みは地からも這い上がってくる恐怖のせいで、感じることもできなかった。

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