第22話

 ひなに無理やり水色のワンピースを押し付けられて、ひなに強引に引っ張られてやってきたのは都内のレストランバー。

 店は全体的にガラス張りで外からでも中の様子がよく見えるようなっていた。店は全体的に照明が落とされて大人の雰囲気。元々乗り気ではない会にこんな洒落た店など入ったことのない唯は余計に気が重く全身が拒否反応を示していた。溜息ばかりつく唯に、ひなは唯に念を押していた。

「そんな露骨に嫌な顔するのは、ここまでにしてよね。ほら、いつもバイトで接客しているでしょ? 営業スマイルお願いね。さ、行こう」

 それとこれとはずいぶん話が違うと言いたいけれど、きらきら輝かせている今のひなの瞳に何を言っても今は鏡のように跳ね返されてしまうんだろう。諦めるしかない唯は鉛のように重い足取りでひなのあとに続いて、店の中へと入っていった。


受付スタッフに声をかけると、窓際のテーブル席に案内された。通路側には無精ひげを生やしたツーブロック男。窓際にたれ目が印象的な長めの黒髪にゆるふわパーマ男が先に席についていた。

「フミヤ、お待たせ」

 ひなが満面の笑みで手前にいたツーブロック男、フミヤに声をかけ一言二言言葉を交わすと。ひなの横で棒立ちになっている唯の脇腹を肘でつついてきた。仕方なく唯は伏せ目がちだった瞳を上げてを男性陣に向ける。

「こんにちは」

 唯が無理矢理愛想笑いを浮かべてそういうと、フミヤの瞳にぽっと熱が加えられたようだった。隣にいるゆるふわ男もやけに熱くるしい視線を送ってくる。唯は思わず一歩後ろに下がると、ゆるふわ男性にフミヤが「こっちに手を出すなよ」と小突いていた。


 ひなが奥のゆるふわ男正面席に座り、唯はフミヤの正面に座る。

「ね? 唯美人でしょ?」 ひながそう言うと

「本当に。ひなにこんな綺麗な友達がいたなんて驚きだよ」

 フミヤはにやけながらそういうのを、唯はどんな顔をしていいのかわからず溜息をかみ殺すのに必死になるほかなかった。

 それぞれに軽い自己紹介をした後は、ひなはすぐにゆるふわ男と打ち解けたようだった。唯はそれを横目で見ながら流石だなと思う。盛り上がりを見せる二人。ひなは、大学でも友人が多い。親しみやすい雰囲気は、ここでも例外なく発揮していた。一方の唯はフミヤの質問攻めに、答えるのに辟易としていた。出てくる料理に箸をつけても、何一つ味がしない。ただ胃が重くなっていくだけだった。


 最初は、趣味やバイトの当たり障りのない話に触れる程度だったが、少しずつ踏み込んだ話になってくる。

「今度デートしない?」とか「唯ちゃんは、僕の好みのど真ん中だ」とか「唯ちゃんは、僕の人生の中で出会った人の中で一番きれいだ」とか、ひたすらに誘いやら、歯の浮くような誘い文句を述べてくる。時折口に運んでいた食事が苦くなり始める。だが、フミヤは構わず怒涛の攻め一辺倒。

 ひなに助けを求めようと唯がそちらを見ても、期待は霧散してゆく。真っ直ぐにひながゆるふわ男に向ける視線に唯が入る余地などなかった。ここで、用事があるとでも言って帰ってしまおうかと一瞬頭に過る。でも、ひながせっかく楽しそうにしている腰も折りたくない。その葛藤の穴に落ちたように身動きが取れない唯はせめて視線だけは逃れたいと苦し紛れに忙しなく揺らしていると唯一の細い逃げ道をも塞ぐようにわざわざフミヤは視界に入ってくる。

「彼いるの?」

 更に唯を追い詰めようと真っすぐに視線をよこしてくる。

 そんな質問、ここ場を切り抜けるためならば「います」と即答すればいい話だと思う。けれど、隣にいるご機嫌のひなの顔と盛り上がっている二人の会話。そして、どうしても思い浮かんでくる亮の顔が唯の喉の奥で邪魔をして異物がつかえたように言葉が詰まる。けれど、変な隙は与えないほうがいいと冷静な頭が働いて、慌てて唯は口を開こうとした。すると、こちらの会話は聞いていないと思っていたひなが割って入り唯の代わりに答えていた。


「彼とうまくいってないのよ、唯」

「ちょっと、ひな!」

 唯はひなを睨むが、素知らぬ顔。

「別にいいじゃない、本当のことなんだから」

 それだけ言い置いて、またゆるふわ男との会話に戻っていくひな。

 ずっと我慢して平静を装っていた唯の顔も流石に険しくなる。一方のフミヤの顔はわかりやすく緩んでいた。より一層前のめりになってくる。唯はできる限り椅子の背もたれに体を押し付けていたが、自分にはどこにも逃げ道なんてなくて、檻に入れられたような気分になって追い詰められていた。

 

「僕にチャンスあるって思っていいってことだよね? 遠慮なんてしなくていいってことだ」

 最初は疑問形だったのに、断定的な言葉に変わって強引さを増してゆく。ずっとぎりぎりのところで避けていた攻撃が唯のみぞおちにまともに直撃してゆく。

「じゃあ、この後二次会に行こうよ。もちろん二人で」

 胃に大きな穴が出来上がってしまったんじゃないかと思えるほどに、キリキリ痛み始めて視界が歪んでいきそうになる。

 そして、その奥から浮かび上がる。悩んだとき、困ったとき、どうしても亮を思い出してしまう亮の顔。

 ダメダメ。何思い出してるのよ。内心で叱咤しても、逆効果。どんどん鮮明になっていく。

 首を振って、無理やり打ち消そうと俯き足掻いていると、突然。


「唯はあなたと付き合うことあり得ませんよ。唯にはここにれっきとした恋人がいるので」

 その声に、唯の心臓が身体からこの店の外まで飛んでいきそうなほどに、跳ね上がった。

 気づかぬ間に、唯の横に立っていた人物。ゆっくりと顔を上げれば、そこには。唯が一番会いたくて、一番会いたくなかった人物。唯は目が飛び出るんじゃないかというほど大きく見開き、絶句していた。



 マスクはしていたけれど、見間違えようがなかった。薄暗い店内でも、アーモンド形の聡明な目元がはっきりとそこにあった。その声だって、聞き間違いようもない。

 ずっと唯に迫り続けていたフミヤも含めた全員が呆気に取られている中、唯は弾けるように立ち上がっていた。

「ちょ、ちょっと!! 何でここに……」

「何でって、唯に会いに来たに決まってるだろ」

 痛い視線を意にも介さず、愚問だとでもいうようにそういう亮に対して唯は忙しなく周囲を気にしていた。別にどんな答えが返ってきても解決にもなるはずもないことはわかっていたし、ともかく冷静さを取り戻す時間がほしかった。店内の人々はそれぞれの会話に一生懸命で亮に気づいていないのが救いだと思いながら、唯は首を振り何度も目を瞬かせ自身を必死に落ち着かせる。急上昇していた熱が急激に下がり、止まっていた思考回路が一気に回り始めていた。まだ、周りには気づかれていないにしても、時間の問題。この状況は非常にまずいのではないかという結論に至る。それを裏付けるように、ひなが埋もれた記憶を掘り起こしながら言った。


「…………ねぇ、唯。この人が彼? ……私、どこかで見たことあるような気がするんだけど……」

 首をかしげながら、亮の顔を穴が開くのではないかというほどに真剣な視線を送り続けるひな。一方のずっと唯に迫っていたフミヤも急に現れた亮に対抗心を燃やすように睨んでいた。亮もその視線から逸らすことなく鋭く見据えて視線が激しくぶつかり合っていた。唯は、それらを遮るように亮の前に立ち、張り付いた笑顔を向け早口にいった。

「私、ちょっと出てくる! 皆さんは気にせず、楽しんで!」

 唯は早口にそういうと、亮の腕を掴んで店の外へと足早に進めていく。

「え!? ちょっと、唯!」

 勝手に出ていく二人にひなの声が追いかけてきたが、唯はそれを振り切って外へ出た。



 外に出れば、暗い空に明るい金色の満月が浮かんでいた。その美しい明かりから逃れるように唯は亮の腕を引っ張りながら数メートル先にあった裏道まで行くと、切れかかった白い街灯の下へと立つ。ゆっくりと亮から手を離したと同時に、人通りの少ない静かな空間に唯の声が鋭く響いた。


「亮、一体なに考えてるのよ! あんなに大胆なこと!」

「いくら連絡しても音信不通だったからだろ。だったら、もう直接会うしかないと思ったんだよ」

 冷静にそう指摘されてしまえば、ぐっと黙り込むしかなかった。なかなか、気持ちの折り合いがつかず亮からの連絡を一方的に絶っていたのは否めない。そこに対する反論はできなかった。

「……じゃあ……なんで、ここがわかったの?」

「大学に行って所在を聞いて回ったんだ。ゼミの研究室の前でばったり会ったひなって子の友達から運よく情報を引き出せて、ここに辿りついた」

 さらりとそんなことを言う亮に、唯は目をむいた。

「わざわざ、大学に行ったの? 今学生たちの間では亮の話題で持ちきりなのに、そんなことしたら亮バレちゃうじゃない!」

「一応帽子とマスクはしてたから、大丈夫だろ。実際気付いてなさそうだったし。それにバレたって別にいいさ」

 マスクと帽子を外しながら、そんなことどうだっていいような口ぶりでそういう亮に唯は怒りを滲ませていた。

「……よくないでしょ。亮は、何をしたって大きな話題になる。今だってそうじゃない。そんな状態なのにそんなことしたら、また何を噂されるか……亮がこれからっていうときに、私のせいでやめてよ……」

 最後の方は苦し気に振りぼるような声にかわっていて、唯は瞳を不安定に揺らし足元に視線を落とすと、長い睫毛に暗い影を作らせうつむいていく。それを目の当たりにした亮は、ずっと唯を思い続けていた一番柔らかい心の中心が鈍く鋭く痛み始めていた。決して自分の前では見せまいとしていた、唯の本当のが顔。声は明るくともいつも唯は何度もそんな風に思い悩んだ顔をして、下を向かせることばかりさせていたんだろう。ずっと気づいてやれなかった罪悪感が重くのしかかる。

「唯を探してる間、色々わかったんだ。俺はいつもそうやって、唯に気を遣わせて、傷つけてばっかりだったってこと。俺は自分のことばっかりで、全然唯のこと見えてなかった」

 苦し気に呟く亮の声は、今までに聞いたことがないほどに弱々しかった。それを聞いた瞬間、唯の胸に一瞬で何かが鋭く傷つけていった気がした。痛みとともに、唯の眉間に深い溝が出来上がっていく。


 いつもの自信に満ちて真っすぐ迷いのない亮の声。太陽のような笑顔。そんな亮だからこそ魅力的で、みんなを惹きつけてやまない存在となっている。なのに。このまま私と一緒にいたら、私のせいで亮の輝く明るい道に影を作ってしまう。そんな強い不安がまっすぐに唯の心臓を貫いていて、秋の涼しげな風が吹きすさぶ。それが、唯の頭の中を一層冴えわたらせていった。冷静な言葉だけが、余計な感情を避けるように飛び越えて唯の口をついていた。


「……ねぇ、亮。そう思うのなら。私と別れて」

 白い街灯の頼りない明かりにぼんやりと映し出される。影と光の境界線がこれ以上曖昧にならないように、唯はゆっくりと亮の方へと顔を向け悲しげな笑顔を浮かべてそういった。

 亮は、儚く浮かぶ唯をただ真っ直ぐに見据える。

二人を照らす白い光がチカチカと無機質な音を立てながら点滅していた。


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