第23話
外に出れば、暗い空に明るい金色の満月が浮かんでいた。その美しい明かりから逃れるように唯は亮の腕を引っ張りながら数メートル先にあった裏道まで行くと、切れかかった白い街灯の下へと立つ。ゆっくりと亮から手を離したと同時に、人通りの少ない静かな空間に唯の声が鋭く響いた。
「亮、一体なに考えてるのよ! あんなに大胆なこと!」
「いくら連絡しても音信不通だったからだろ。だったら、もう直接会うしかないと思ったんだよ」
冷静にそう指摘されてしまえば、ぐっと黙り込むしかなかった。なかなか、気持ちの折り合いがつかず亮からの連絡を一方的に絶っていたのは否めない。そこに対する反論はできなかった。
「……じゃあ……なんで、ここがわかったの?」
「大学に行って所在を聞いて回ったんだ。ゼミの研究室の前でばったり会ったひなって子の友達から運よく情報を引き出せて、ここに辿りついた」
さらりとそんなことを言う亮に、唯は目をむいた。
「わざわざ、大学に行ったの? 今学生たちの間では亮の話題で持ちきりなのに、そんなことしたら亮バレちゃうじゃない!」
「一応帽子とマスクはしてたから、大丈夫だろ。実際気付いてなさそうだったし。それにバレたって別にいいさ」
マスクと帽子を外しながら、そんなことどうだっていいような口ぶりでそういう亮に唯は怒りを滲ませていた。
「……よくないでしょ。亮は、何をしたって大きな話題になる。今だってそうじゃない。そんな状態なのにそんなことしたら、また何を噂されるか……亮がこれからっていうときに、私のせいでやめてよ……」
最後の方は苦し気に振りぼるような声にかわっていて、唯は瞳を不安定に揺らし足元に視線を落とすと、長い睫毛に暗い影を作らせうつむいていく。それを目の当たりにした亮は、ずっと唯を思い続けていた一番柔らかい心の中心が鈍く鋭く痛み始めていた。決して自分の前では見せまいとしていた、唯の本当のが顔。声は明るくともいつも唯は何度もそんな風に思い悩んだ顔をして、下を向かせることばかりさせていたんだろう。ずっと気づいてやれなかった罪悪感が重くのしかかる。
「唯を探してる間、色々わかったんだ。俺はいつもそうやって、唯に気を遣わせて、傷つけてばっかりだったってこと。俺は自分のことばっかりで、全然唯のこと見えてなかった」
苦し気に呟く亮の声は、今までに聞いたことがないほどに弱々しかった。それを聞いた瞬間、唯の胸に一瞬で何かが鋭く傷つけていった気がした。痛みとともに、唯の眉間に深い溝が出来上がっていく。
いつもの自信に満ちて真っすぐ迷いのない亮の声。太陽のような笑顔。そんな亮だからこそ魅力的で、みんなを惹きつけてやまない存在となっている。なのに。このまま私と一緒にいたら、私のせいで亮の輝く明るい道に影を作ってしまう。そんな強い不安がまっすぐに唯の心臓を貫いていて、秋の涼しげな風が吹きすさぶ。それが、唯の頭の中を一層冴えわたらせていった。冷静な言葉だけが、余計な感情を避けるように飛び越えて唯の口をついていた。
「……ねぇ、亮。そう思うのなら。私と別れて」
白い街灯の頼りない明かりにぼんやりと映し出される。影と光の境界線がこれ以上曖昧にならないように、唯はゆっくりと亮の方へと顔を向け悲しげな笑顔を浮かべてそういった。
亮は、儚く浮かぶ唯をただ真っ直ぐに見据える。
二人を照らす白い光がチカチカと無機質な音を立てながら点滅していた。
「色々考えていたら、ここまで時間が経っちゃった。本当なら、亮がわざわざ私に会いに来るようなことさせる前に言うべきだったけど、できなかった。余計な時間を使わせてごめんね」
頭をフル回転させて、感情に追いつかれないように口先だけを必死に動かすことに集中しながら唯は口を開いた。
「私思ったの。私達は同じ舞台に立っているって思っていたけれど、本当はちょっと違う場所にいたのかもしれないって。亮はいつも一段高いところにいて、私はそんな亮をずっと見上げていた気がする。
近いところで、ちょっと上にいる亮が色んなことを危なっかしく仕出かすのを声が枯れるくらい怒ったり、応援したり、喜んだりしてさ。時々、サボろうとしたり、何でも直球でいこうとする亮の背中を叩いて、窘めてみたり、ぐいぐい押してながら文句を言いながらも少しずつ私の手から離れてまた飛び出してく亮の背中を見ているのが、大好きだったよ。
亮と一緒にいた毎日は、本当に楽しかったし穏やかだったしかけがえのないものだった。渡米してからだって毎日ドキドキしながら亮のことを考えながら過ごして、亮が帰ってくるのを待ったりして。そんな何気ない日々が宝石を散りばめたみたいに輝いていたよ。私の手じゃ余るほどに、たくさんの幸せを亮からもらった。だけど、もう十分よ。これ以上は私のちょっと小さい手じゃもう抱えきれない」
亮から視線を落として唯は自分の手のひらを見つめる。失いかけた光が一瞬だけ光って、すぐに闇のまれて消えていく。終わりの時は、こんな風に色を失っていくものなのかもしれない。
幼い頃は、一緒に手を繋いで家まで帰るのが当たり前で。小学校もずっと毎日登下校してたけれど、いつの間にか手を繋ぐのは恥ずかしくなって、中学生の頃は少し距離を空けながら隣を歩いていた。付かず離れず。そんな距離を保ち続けていたけれど、その距離がなくなって、何十年ぶりに繋ごうとした手にはずっと握りしめていた種があった。それを二人で埋めて、また繋いだ手は記憶にあるよりもずっと大きくて、温かかった。
そして、気づけばその種は大きく育っていて、亮を思う気持ちが彩り豊かな花となって咲いていた。だけど、その花はいつかは枯れてしまう。
点滅していた白い光が繋ぎ止めていた糸を切るようにパチンと音を立てて消えた。
闇夜に包まれると、置いてきた感情が追い付いて振り返らせようと必死に腕をつかんでいた。それを振り切るために、唯は笑顔で断ち切る。
「だから、もうおしまい。たくさんの夢を見させてくれて、ありがとう」
唯の声は、闇に溶けるように静かに震える。何も言わない亮の息遣いだけが響いてくる。沈黙の隙間を見つけて、何とか抑え込んでいた感情が一気に溢れ出しそうだった。本当は、亮とずっと一緒にいたい。本当は、どうしようもないくらい亮のことが好きだ。
せっかく逃げ切った思いがこのままじゃ、涙に変わりそうで、そうはさせないように唯は口元を引き上げて明るい声を発した。
「それに亮には、もっと光を与えてくれるようなそんな人がお似合いだよ。ほら、この前噂になってた山口さんみたいな。キラキラしていて、亮と一緒に輝けるような人。私みたいに辛気臭いのといつまでも一緒にいると、輝けるものも輝けなくなっちゃうよ」
冗談っぽく言ったつもりだったのに、やけに沈んだ声に自分でも驚いてしまう。感情に飲まれてはダメだ。そう言い聞かせるほどに、視界が滲んでくる。これ以上亮の前にいたくなくて、踵を返そうと背を向けようとしたのに、亮の手は素早く唯の腕を掴んでいた。
本当は顔を見たくない。けれど、掴まれた腕がやけに熱くて仕方がない。思わず掴まれた腕からゆっくり亮へと視線を移せば、今までに見たことのないほどに真剣な眼差しとぶつかった。
あまりに真っすぐに見つめてくる黒い瞳。ぶつかったところから、本当の感情が溢れ出しそうになる。厳重に包んでいたはずの本心。包まれた薄い膜が呆気なく破れて決壊しそうだった。それを阻止するために唯は口の端を引き結び喉の奥もギリギリ息ができるほどに細く閉ざして、ぐっと抑え込んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます