1日前 泣いても笑ってもここが勝負

 朝からみんなピリピリしていた。違和感だらけだ。しかし、大規模な式典を前にした緊張感だといえば納得するだろう。


「……と思いたい」

「大丈夫よ、ウィル。乗り切れるわ。ここが踏ん張りどころよ」


 僕らが大聖堂プランを早々に仕上げ、あの見事なルカの3D模型を片付けてしまったのも、昼前にはオペラハウスに籠って関係者以外の締め出しを行うことにしたのも、すべては……。

 そう、総督の帰還。銀河会議も無事終了し、さらなるスロランスフォードの栄光を勝ち取って戻ってくる総督は、今朝早く銀河ポートに入港していて、その足で総督府にやってくるらしい。

 いよいよだ。作業していた人たちは一斉に、現場から「総督お祝いの会」の要素を抹消すべく奮闘中。「いいか、ミクロの単位で消し去れ! リックにバレるぞ!」などと、副総督が真顔で脅かすものだから、みんな冷や汗をダラダラかきながら必死だ。昨日までの努力を水の泡にしてはいけない。明日の勝利を勝ち取ろう! 僕らは早鐘を打つ胸をなだめながら、いつだって輝かしい総督の姿を見る瞬間を待っていた。


 オフィスのドアが、ノックもなしに猛烈な勢いで開いた。あまりの迫力にルカがビクッと身を震わせる。ロティは顔を強張らせ、僕は……表情筋に力を入れて構えた。


「ボス、お帰りなさい。どうしたんです。時差ボケですか。あまりにマナーが悪くてこれでは新人教育に差し障りが出ます」


 ロティの容赦ない言葉が炸裂しているというのに、総督は豪快に笑いながらどんどん歩いてきて、大きな手でそっとロティの髪を撫でた。


「ティナ、ただいま。やっぱりお前のその冷静さがないと調子が出ねえな。秘書として同行させるべきだった」

「ボス、気が抜けすぎです。言葉遣いが……。向こうでずっと猫をかぶっていた反動ですか? あ、狸でしたっけ。とにかく、明日のスピーチまでには頼みますよ」


 総督が呼ぶ「ティナ」はロティの洗礼名だ。シャーロット・ティナ・オーウェン。カスターグナーでは昔から、家族が呼び合う時に使われることが多い。最近ではそれを愛称として、仲の良い友達同士で使う傾向にあるけれど、ロティはあまりにも育ってきた環境が複雑だったため、総督以外にはロティともティナとも呼ばれたことがなかった。それを打ち明けられた時、胸がいっぱいになった。だからティナは総督に譲って、僕はロティと呼ぶことにしたのだ。


 とんでもない言われようなのに、相変わらず楽しげに笑っていた総督が、ふと振り返り、僕を見てルカを見て、すっと目を細めた。


「ハモンド、式場はオペラハウスなんだってな。ずいぶん凝った仕掛けを作ってると聞いたぞ。まだ早い時間だし、どうだ、見せろよ」

「え? それは……」


 ざあっと血の気が引いた。いきなりそうきたか。えっと言い訳は、ああっ……。これは絶体絶命か、そう思った瞬間、再びドアが吹き飛ばさんばかりの勢いで開けられた。こちらもノックなしに飛び込んできた副総督。ロティが頭を抱えるのが横目に見えた。


「リック! どこへ行ったかと思ったら、やっぱりここか。まあ、いい。もうシャーロットの顔も十分に見ただろう? さあ行くぞ。予定がパンパンなんだ。1日であれこれやらないといけないからな。どうせあっちで暇してたんだろ? 今日はこき使ってやる! まずは衣装合わせだ。すこぶる重要案件だからな。お前にしかできん。覚悟を決めて、男を見せろ!」

「ロブ……うるさい。ちょっとは黙ってろ。お前はせっかちすぎるんだよ。なんだよ朝っぱらから。落ち着けよ! 少しくらい時間はあるだろう。ハモンドの仕事ぶりを見たいんだよ。いいだろう? 一緒にいるの、トラヴィスの親友なんだって? そんな面白いことになってるならなおさらだ。本番前にちょっと、な?」

「ダメだ。こっちはもう秒刻みなんだ。あっちもこっちもお前を待ってるんだよ。来い、行くぞ」

「……」

「リック、いい歳こいて、拗ねてんじゃねえ」


 狸親父たちが化けの皮を脱いで、言いたい放題だ。それも雷かと思うほどの大声で。ルカはあっけにとられていた。

 絶対に引かない少佐を見て、大きなため息をついた総督が肩をすくめてみせる。そんなゼスチャーさえも様になる完璧な肉体。どんな時もこの人は魅せるなあと、全く関係なことを、けれど本気で思ってしまう。

 最高級のスーツに身を包んだ総督が、ロティに向き直って微笑んだ。研ぎ澄まされた横顔の鋭さが瞬時に溶ける。それは、やわらかな春風が吹いたかと思うほどの破壊力だった。けれどロティはほだされた様子もなく、うっすらと笑みを貼り付けたまま微動だにしない。


「ティナ、じゃあまた後でな。ティータイムには一度俺の執務室に顔を出せ、いいな」


 静かに頷くロティ。満足そうな総督は、睨みをきかす少佐とともに部屋を出て行った。ため息が出るようなスーツに身を包んだ大きな男が二人いなくなれば、部屋は一気に広くなったような気がした。その圧力がどれほどのものだったか、僕らは一気に脱力し、大きな息を吐き出した。


「ロティさん、あれが総督」

「ええ、あれがボスよ」

「本当に氷河色の軍神……」


 さすがのルカも呆然としていた。まさにあの聖歌隊の代表と同じ状態。総督の、想像以上の軍神ぶりに言葉もなかったようだ。


「あんな人、この世界にいるんだね、ウィル……」

「ああ、銀河一特別な存在だよ」

「中身はただの涙もろい親父よ。いい? あの笑顔に騙されてはダメ。うさんくさいことこの上ないわ」

「ロティ!」


 けれど、そんなロティの悪態を気にすることなくルカが言った。


「格好いいね。すごい。ベニーがどうしてあんなに惚れてるのかわかった。ロティさんのお父さん、本当にすごい」


 珍しくロティがまごついていた。嬉しいのだろう。お世辞や社交辞令ではなく、こんなにも素直にあれこれ褒められた上、「お父さん」なんて言われてしまい、さすがのアイスプリンセスもその仮面が溶解したらしい。


「さあ、二人とも」


 僕はパンパンと手を打ち鳴らした。邪魔が入らないうちにオペラハウスに直行せねば。

 明日の式典で銀河中を感動の渦に巻き込む。名声や評価が欲しいんじゃない。純粋にそう思っている。僕自身がそれを望んでいるのだ。オペラハウスに満ちる感動に、まずは自分が酔いしれたい。

 この空間には想いがあふれている。過去も未来も。決して消えない傷も新しい夢の形も。だからこそ僕らは手を取り合って歩いていく。それを銀河に宣言するのだ。美しい光と花と歌声を伴って……。

 僕とルカの初仕事。もちろんそこにはベニーの才能とロティの手腕があってのこと。この大聖堂は始まりだ。最高の出発点、そして最高のプレゼントになるはず。


「ウィル。負けないように頑張らないと。軍神、半端ない。そうだ! ウィルも脱いだらいい!」

「「ルカ!」」


 それだけはお断りする。僕が脱いだところで太刀打ち叶うわけがない。まあ、その辺りは衣装チームがうまくやってくれるだろう。僕らの分は当日のお楽しみで十分だ。今はとにかく大聖堂の準備をしようと僕はルカの背中を押した。


 勝負の日は……いよいよ明日。

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