3日前 野に咲く花をあなたに贈ろう
まだ世界は朝霧の中だった。冬の早朝、人気のない大通りを総督府に向けて走ってくるトラックが、一台、二台、三台……へ? 三台?
「ロティ?」
「ん?」
「三台見えるね」
「ええ、三台ね」
嘘だろう、と僕は天を仰いだ。中身は花だ。大聖堂、すなわち僕のオペラハウスの大ホールを飾る花。その道のプロではないけれど、僕だって大体の検討はつく。多すぎるだろう。本当に必要なのか……。
「
「……まさか、当日に開花とか言わないよね」
「ピンポン♪」
ルカがいつの間にか隣に立っていた。
「ロティさんは、一番綺麗な瞬間が欲しいから」
「そりゃあそうだけど、でも、咲かなかったらどうするの?」
「だから予備」
「!」
これはまたすごい予算だろうと思った。個人では絶対に無理だ。総督府、果ては連邦政府がバックについた銀河最強のチームだからこその技だ。けれどここはスロランスフォードで、銀河に配信される式典で、総督を祝う会。贅沢ではなく役割なんだと僕は密かに唸らされた。
「花は終わったら全部配るわ。スロランスフォードにやってきた人みんなに」
「大聖堂を飾った花、嬉しい」
そうこうしているうちにトラックはパーキングエリアへと滑り込んできた。DF部隊のものは通常よりも大きい。その迫力を前に平然と近づいたロティが、さらに奥のエリアへと誘導を始める。そして手元のデヴァイスを操作すれば、僕らはフロアごと地下へと降された。
(おいおい、これ……)
思わず口をパクパクさせてしまう。これもまた非常緊急時用のシステムだ。それを発動。どれだけ極秘でどれだけ過保護。しかし言うべきではないと飲み込んだ。
それは小型宇宙船格納庫並みの設備だった。いや実際、一般公開されていない極秘装備が満載のはず。スロランスフォードはシベランス銀河における唯一の自治区。けれど連邦政府と密につながっていて、現総督はリチャード・デボンフィールド。誰よりも有事のあれこれを知る男。当然だ。
僕は正式にはDF部隊ではない。けれど思わぬ繋がりを持った。それでも率先して連邦政府との関係を持ちたいとは考えていない。ロティを守るためにはなんだってするつもりだけれど、組織には一切興味がないからだ。秘密は秘密のままでいい。
そんなわけで僕は地下へ入ったことがなかった。けれどあまりいい思い出がない。ここにはマローネ3の一件でロティが一人奮闘した場所があるからだ。
外部からの波動振動を一切遮断する素材で覆われた特別倉庫。ロティが持つ秘められた力、その特殊能力を使って、彼女はそこで来る日も来る日も植物兵器と向き合った。総督はどうしてこんな危険なことを彼女にと、憤りを感じずにはいられなかった。けれどそれが彼女の決意でありけじめだったのだ。打ち明けられた時、僕は腹立ちながらも受け入れるしかなかった。
「で、行き先は?」
「地下倉庫よ」
「……」
「ウィル?」
「……そうか。とんでもなくすごい場所なんだっけ?」
頷くロティに気づかれないよう、僕はため息を押し殺した。ここで対峙することになるとは。建築家としては心くすぐられる設備だ。けれどなんだかとても複雑な気分だった。ロティが身を張って任務を遂行しただけではなく、幼い頃にその能力をコントロールするために過ごした場所を彷彿とさせるためだろうか……。
やがて信じられないような巨大な空間の脇に大きな金属のドアが見えた。ロティがそれを開けると同時に、音もなくトラックの後部が開き次々とカートが引き出される。ルカがロティにそっと報告した。
「温度、湿度、風力、全て完璧。昨日ベニーが色々操作していったよ」
「ありがとう」
それは倉庫というにはあまりにも特殊だった。天井は高く、床も壁も全てが銀色に輝く不思議な場所。光源はどこから来ているのか、今は柔らかな春の日差しのような雰囲気だ。整然と並ぶコンテナは今回の花用。多くのチューブが配置され、もちろん水も十分に入っている。壁に浮かび上がるパネルの一覧をルカが興味深そうに見ていた。どうやら水質管理も完璧なようだ。
それらの手配は全て少佐の秘書さんたちがしてくれた。本当にありがたい、僕らだけでは到底無理だった。これだけのチームだからこそ、このプロジェクトは成功に導かれるのだと感謝の気持ちしかなかった。
「ウィル、ここ面白いね。気に入った」
「そうか?」
「うん。光が自由」
空っぽのようでそうではない。多くのものがあるのに、全て壁の中に収納されてしまうのだ。吸収、反射、遮断、あまりにマルチで空恐ろしい。なるほどこれならロティがどんなに力を発揮しても大丈夫だろう。しかしここにかかった費用は……それはもう考えないことにした。これがあったおかげでロティが救われたのだと信じたい。僕がルカと二人、倉庫内を見て歩いているうちに、ロティの指示のもと花の移動が始まっていた。振り返ったルカが息を飲んだ。
「わあ、なにこれ」
白の洪水だった。白、白、白。この世界のありとあらゆる白がやってきたのではないかと思った。それもすべて花だ。美しいなんて陳腐な言葉しか出てこない自分を殴りつけたいほどに、僕はその光景に感動してしまった。
「これ、もう大聖堂なんかいらないんじゃ……」
「ううん。もっと感動すればいい、絶対に忘れられないもの」
「……ルカ」
彼の純粋なる欲望は僕にいつだって大いなる刺激を与えてくれる。どこにも頂点などない。けれどそれは落胆には繋がらない。その先へと自らが楽しむために歩き出すのだ。ルカの繊細な横顔になんとも心強いものを感じていると、ふとルカが呟いた。
「咲いてなくても絵になる」
「え?」
「想像できる。ワクワクする。嬉しくなる」
「……ロティ!」
思わず僕は叫んでいた。満開の世界ばかりを想像していたけれど、そうではなかったのだ。今が最高の瞬間というのはものすごく贅沢だろうけれど、それ以上に心くすぐるものがあった。可能性だ。もし目の前でその一輪が咲いたら? そう、それはきっと忘れられない一瞬になるだろう。
思えば、それこそが野に咲く花だ。あれもこれもあるからいいのだ。極端なことを言えば、折れてしまったものも枯れてしまったものも、それさえもが愛おしいかもしれない。
僕らが目指した聖堂には、人々の持ち寄った花があふれていた。無造作に摘み取ったそれは何もかもが不揃いで、けれどそこに計算されたものをはるかに凌ぐ美しさがあった。大聖堂の中もそんな風にすればいい。完璧な演出ではなく、今まさに銀河中から持ち寄ったという感じで飾ればいいのだ。
「素敵ね。本当にそうだわ。みんなのためのものなのだから、いろんなものが一緒でいいのよね」
無造作に入れるとなると数は予定よりも多くなるだろう。けれどロティが万が一に備えて用意したものも全部投入すればいい。そしてそれらを配る時、それらは本当の意味で聖堂の主役だったものたちとなる。僕は込み上げてくる嬉しさに頬を緩ませずにはいられなかった。
勝負の日まであと3日。
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