4日前 清らかなる白の楽園
「すごいね」
そう言ったきり黙ってしまったロティ。気に入らなかったのだろうかと心配になって覗き込めば、氷河色の瞳は溶け出した液体に覆われて、今にも決壊しそうだった。僕は慌ててロティを抱きしめた。ルカのいるところではと自制していたけれど、これはダメだ、待ったなしの緊急事態だ。
「ロティ? どうした? 大丈夫か?」
けれどロティは何も答えず唇を噛み締めたままで、僕は焦ってしまう。と、ルカが耳元でそっと囁いた。
「大丈夫。ロティさん、感動してるだけ」
「え?」
そこでようやくロティが僕を見た。ほろりと涙が滑り落ちる。
「ウィル。すごいね。本当にすごいね。こんなに綺麗なの見たら、言葉がないわ」
「……ああ」
それは広報部が打ち出した式典のイメージ画像だ。解禁できるものが少ないため、出演する聖歌隊を思わせるものがメインとなっている。まずは外周りにいくつかの聖堂イメージ。それらは幻の大聖堂を形作る上で重要だったものを採用した。既存のものをかけ合わせて手を加え、僕が作った独自のものだ。実際に、各柱の軸ともなるべきもの。このポスターを見て式典への夢を膨らませた人たちは、大聖堂の映像を見た瞬間、はっきりとそれがわかるだろう。
そしてそこから中央のスロランスフォードの文字までを埋め尽くすのはマローネ・デスペランサと僕が描いたフィリス・リックの絵だ。新しいマークを思わせるものはさすがに出せないけれど、後ろ姿なら問題ない。さらにこれは財団のマークとしてこの後華々しくデビューするわけだから、ここで見せることによって誰もがより強く脳裏に焼き付けてくれるだろう。
そんなポスターは、全てが白だった。けれど無数の白が散りばめられているのだ。気の遠くなるような数、細かな違いはコンピューターによってはじき出されたものだけれど、デザイン室には雪と氷の星出身の者もいて、彼が電子頭脳に雪の見分け方を教え、導いた結果だ。
真っ白な世界の中に、聖域が花が僕らの星がある。何よりも華やかで、何よりも清らかで、それはもう、この世の楽園とも呼びたくなるような美しさだった。ロティが言うように言葉にはできないと思った。ただただ、感嘆のため息しかなかった。
「光みたいで好き」
ふとこぼれたルカのつぶやきにロティが頷く。光、それはスロランスフォードが目指してきたものだ。軽やかで伸びやかで、どこまでも大きく広がり全てを包み込む力。はるか遠くまで見渡せて、一切の闇なし。
俺たちはどこまでもクリーンでいく、と総督は常に言ってはばからない。総督は銀河に咲く誰もが欲しがる名花だ。群がる虫たちも多い。誘惑も雨のように降り注ぐ。それでも揺るがない信念、それは誰の目にもはっきりとわかる汚れなき輝きだった。曇りなき透明感。この式典は総督に捧げられるものだけれど、まさに総督を象徴したものなのだと僕は思った。
しかし本当に素晴らしい宣伝イメージだ。新しいロゴやマークやキャッチフレーズへも繋がるものとして、けれど決して発表の瞬間まで露見しないものを総督府のデザインチームは作り上げた。初めて見たときにはその美しさにはっとし、どんなことが発表されるのだろうと胸を高鳴らす。そして……この式典が終わった後にもう一度見れば、すべてが鮮やかに蘇ってきて感動がさらに盛り上がること間違いなしだ。
スロランスフォードの新しい花、大聖堂のホログラム、銀河を震わせる歌声、そしてそれらを結びつける財団の創設。式典は終わる。けれどそれは始まりなのだと誰もが思うだろう。財団がある限り、何度も何度もその瞬間を思い出し、それは全て未来へ向けての力となる。
シベランス銀河最後の内戦は終わったけれど、未だ復興途中の星も連邦政府の目を盗んで暗躍する星もある。完全に平和になったわけではないのだ。だからこその援助の手。この財団は、全銀河の人々のものだ。
人々を守るため、多くの犠牲が払われた。総督のDF部隊はその最前線で戦い続けた部隊だ。熾烈を極めた戦いの中、傷つかなかった者はいない。けれど憎しみあっても答えは導き出せない。昨日の敵と共に立ち上がり、しっかりと手を結び、一緒に明日を考えてこそ、銀河は一つになっていく。
そんな前進の中で、スロランスフォードは全銀河の希望なのだと思う。輸出入やヘッドハンティングを通して、銀河の隅々まで働きかける。栄光にあぐらをかき、輝かしい場所で贅沢を貪っているわけではないのだ。有り余るほどの資金に才能、けれどそれらを休むことなく動かして未来を模索している。美しいだけの美観地区でもなければ、科学の先端を見せびらかすためのモデル地区でもない。それは全ての星の未来を映し出す鏡だ。全ての人に平等に平和と幸せをもたらそうという誓いの形。決して平坦ではないその道を、鮮やかに提示し続けることで人々を鼓舞し続けるのだ。
「ロティ、白がいくつ見える?」
「え? 私そんな能力なんて持ってないわ」
「そうだっけ。こんな綺麗な氷河色の瞳をしているから、てっきりロティには全てお見通しかと思ったよ」
そう囁けばロティは真っ赤になって俯いた。その頬を、そっと両手で包んで上向かせる。ああ、この人はフィリス・リックによく似ている。見れば見るほどそう思った。これはまた総督が大はしゃぎだろうなあ。手塩にかけて育て上げた愛娘を想わせる花を背負って立つのだ。きっと引退なんてしばらくは言わないだろう。
「ねえ、ロティ。僕は財団の理事にきみを推薦しようと思ってるんだ」
「え? そんなの無理よ。私、経営なんて学んだことないわ」
「大丈夫。きみはシンボルだ。優秀なブレーンにまずは船出してもらえばいい。そこから学んでも遅くない。この先、ずっとずっときみが守っていくんだから、時間はたっぷりあるさ」
「ちょっとウィル、それは先走りすぎ。ボスにも聞かなくっちゃいけないし、まずは副総督にだって相談しないといけないし、会議だっ」
「問題ないよ。誰だって認めるさ。文句なしにきみだ。だから僕が最初のお祝いをしないとね」
「?」
「僕の氷の王女さまに、永遠の光を」
そう言って僕はロティに口づけた。お祝いのキスだ、ロティも怒ったりはできないだろう。まだ誰にも言っていないけれど、ロティの理事就任は揺るぎないものだと僕は確信していた。
しかし冷静でいられたのはものの数秒だ。久しぶりの柔らかな感触に僕は目眩がしそうだった。我慢しすぎるのも良くないってことか。ロティの体から力が抜けると同時に、僕は一層深く彼女を抱きしめる。甘いロティの香りの中で、今度はフィリス・リックのネックレスを贈ろうと決めた。
ロティが何も言わないのをいいことに、僕は二度三度とその可愛らしい唇をついばみ、最後に少しだけ長く堪能した。「公開処刑ですか!」と後で激怒されそうだが、そんなもので済むのならいくらでも。今はしばし幸せに浸りたい。名残惜しいけれど、これが引き際だと身を起こせば、ハアハア言いながらルカが走ってくるところだった。
「も、う終わり? ちょっ、と雪でも降らそう、かと思って、秘密兵器持ってき、たのに」
「ルカ……」
ああ、これはダメだ。カミナリが落ちるぞと僕は構えたけれど、ロティはふんわり微笑んだ。
「ありがとう。でも休暇が取れたら、雪ではなくて花をいっぱい降らせてほしいわ」
「うん! もちろんだよ、ロティさん」
勝負の日まであと4日。
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