6日前 天上の歌声は誰もを導く

 翌日、朝食の後に副総督を伴って僕らは主教様の部屋を訪れた。朝晩の礼拝や瞑想の時間、食事の内容、それらを一切変えることなく行えるよう細かく準備してきた。ホテルなので間取りや家具等までは無理だったけれど、それはご理解いただけた。


「おはようございます、主教様。ご紹介させてください。今回のイベント最高責任者であるロバート・ハリソン副総督です」

「お会いできて光栄です、主教様。私は銀河政府DF部隊で少佐を務めております。先の内戦時より、総督でもあるリチャード・デボンフィールド大佐から聖堂のことは何度も聞かされ、想像してきました。もちろん戦友フェルナンド・デスペランサからも。我々は血を血で洗う戦の場を生きながらえてきました。悪夢との戦いでした。それでも心までは腐らすことなく生きたいと望むことができた。それは……フェルナンド、フェルが何度も歌ってくれたからです。部隊のメンバーは銀河中から集められた全くバラバラの宗派に属するものたちですが、その歌声はみなの心にしみました。幼き日を、美しき日を思い出し、誰もがバカのように泣泣いたんです。明日をもしれぬ前線で、フェルの歌に一体どれだけのものが心救われたことでしょう」


 少佐が唇を噛み締める。その頬を静かに涙が伝わっていった。僕は込み上げてくるものを必死で抑え込んだ。あの日聖堂で聞いた清らかな歌声が再び降ってくれば、写真でしか見たことのない若き日の総督が少佐が、そして中尉が泣き笑いしながら抱き合っている姿が見えるかのようだった。少し離れた先でルカが泣いていた。そんな中でロティは鉄壁のポーカーフェイスだった。みんな感情の崩壊を食い止めるべく、氷河のようにそこに立っていた。

 主教様が一歩前に出られ、そっと少佐の肩を抱き寄せた。小さな体で、鍛え上げられた大男を包み込む。嗚咽をこらえる少佐は幼い少年のようだった。


「ありがとう、ありがとう。私たちはただ歌うことしかできません。それが誰かの役に立つ、なんと嬉しいことでしょう。仕える神は違っても、人として生きようと思う気持ちは一緒。みなの心の中に届いてよかった。フェルは、誰よりも綺麗な声を持っていましたから。嬉しい限りです。こちらこそ、本当にありがとう」


 それから主教様はデスクに向かい、置いてあった小さな箱をロティに差し出した。


「オーウェンさん」

「これは?」

「開けてごらんなさい」


 そこにあったのはなんとも素朴なバッチだった。押し花をガラスに閉じ込めたもの。


「ヴェッラ・デ・ラ・マロネリオン……」

「ええ、そうです。中庭で丹精込めて育てたもの。フェルが幼い頃には今よりもずっと少なくて、祭壇に備えるのもやっとでしたが、ある年、いつになくたくさん咲いたのです。その時フェルがそれを使って何かを作りたいと言いましてね。聖歌隊の中には歌を学ぶためだけに滞在するもの、行儀作法の勉強のために一時的に預けられたもの、様々なものがおります。みながみな、神の道へ進むわけではないのです。ずっと一緒にはいられません。フェルは残る側でした。旅立つものたちに何か手渡したかったのでしょう。そしてこれをみなで作りました。けれどすぐに予期せぬ別れがやってきて、フェル自身が出発することになった。これを残して」

「なぜです! これはみんなと自分をつなぐもの、持って行きたかったのでは……」

「穢したくなかったのでしょう。自らの行き先がどこであるか、彼は分かっていた。戦いの中に、この清らかさを持ち込むことを良しとしなかったのです」


 少佐が天を仰いだ。その地獄を知っている身としては、有り余るものがあったのだろう。


「今、私はこれを持ち主に返そうと持ってきました」

「持ち主?」

「ええ、これをこの先も守っていってくださる方です」

「!」

「リチャード・デボンフィールド大佐にお渡し願えますか?」


 ロティがその氷河色の瞳いっぱいに涙をためて、大きく首を横に振った。凍れる結晶のように涙の雫が舞う。


「ありがたいお申し出ですが、清らかなままでと願った中尉の気持ち、どうぞそれは主教様が」

「いいえ、そうは言っても、これもきっと寂しがっていると思っていました。温もりに触れたいだろうと。だから、これを愛した者と同じ心を持つ方に届けるべきだと思ったのです。しかしそんな機会を生み出すことは叶わず、これもまた運命なのかと受け入れてきました。けれど、どうです。動き始めたではありませんか。まさに神の御心。どうぞ、私のわがままをきいてやってください」


 当日まで、この聖歌隊の出演も主教様たちの滞在も総督には完全に伏せられている。そして総督が帰ってくるのは前日。僕らは残された一日を死守しなければいけない。バッジを手渡すのは最後の最後の瞬間だ。


「こんな素敵なプレゼントがあるか? ないだろう。最高じゃないか、シャーロット。リックを泣かせるんだろう、これはまさにそのためのものだ」

 

 最初のダンディーさは今やすっかりなりを潜め、言えば言うほど口の悪さが露見していく少佐を、けれど主教様は温かく見守っていた。少年フェルディナンドはきっと闊達で、なかなかにやんちゃな少年だったに違いない。そんな姿を思い出されているのかもしれない。聖堂を離れてからの中尉のことを何一つ知らされていない主教様は、言葉には出さなくてもずいぶんと心配なされたことだろう。共に戦い共に泣き笑い、あの内戦を終結に導いた少佐を通して、中尉が過ごした時間を感じているのかもしれないと思った。


「こんな箱ですみませんね。新聞紙を折りたたんだもの。贈り物にふさわしい何かをぜひ用意してあげてください」

「いいえ。これもまた中尉の手作りなんですよね。これが一番です。これでなければ意味がありません。総督に、父に、必ず手渡して泣かせてみせますから」


 ロティがそう言って微笑んだ。少佐も赤くなった鼻をこすりながら頷く。ルカがさっと駆け寄って、主教様に大聖堂の成功を誓う。祝福を授けられたルカは嬉しそうだった。


「え? ルカの宗派って?」

「ないけど」

「へ?」

「何かを信じたことなんてない。でも主教様のところなら、いいかも」

「おいおい、まじか。まあ、恋に落ちるときと一緒か」


 ロティが唖然とする横で、これまた爆弾発言をする少佐に僕は突っ込んだ。


「副総督にもそんなロマンチックなことがあるんですね」

「秘密だ。教えてやらん。知りたければお前らも長生きすることだな」


 主教様を前によくもまあ、またぬけぬけと。けれど、DF部隊が直面してきた戦いの日々は、僕らなんかの想像をはるかに超えたものだったと思う。その濃度はものすごくて、少佐がいう長生きもきっと間違ってはいないのかもしれないと思った。


 勝負の日まであと6日。

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