15日前 何よりも清らかなるもの
聞きなれない音。それが小鳥のさえずりだと気付いた時、僕はベッドに一人だった。
「ロティ?」
起き上がりながら呼びかける。返事はない。散歩にでも行ったのだろうか。けれど日はまだ昇ったばかりだ。僕は昨夜のやりとりを思い出す。
「眠れないの?」
僕がシャワーを浴びて戻ってくると、ロティは窓際で空を見上げていた。大丈夫だろうかと僕は彼女のそばへ急いだ。
銀河ポートについたのは早朝だった。大都市ならば乗り継ぎも多くあるだろうけれど、そうはいかない僻地への旅。時間を無駄にしたくなくて、僕たちはそのままこの町へと向かった。道中、やはり思いもしないハプニングがあり、前もって事細かにあれこれ探っておいてよかったと胸をなでおろした。それでもどうにかこうにか、午後一にたどり着けた。
けれど本題はそこからだ。いきなり押しかけての出演依頼。到底無理だと思われる状況の中で、それでもロティはずっと笑顔を絶やさず心込めて語った。そんな答えが翌日に持ち越され、気も高ぶっているだろう。目が冴えてしまっていても仕方がない。
うっすら笑っただけのロティを僕は抱きしめた。せっかくの旅行だと、いろんなことを妄想して一人で盛り上がりまくっていたけれど、今はただ彼女を抱いていてあげたかった。そっと包みこめば、まだ濡れたままの毛先ががすっかり冷えていた。
「ダメじゃないか、風邪を引いてしまうよ」
そう言いながらもっと深く抱き込めば、腕の中の彼女はやがて力を抜いて頭をもたせかけてきた。こういう優しさや甘えにまだまだ慣れない人なのだ。どうしても一人で頑張ってしまう。今まで何度となく彼女が任務に命をかけてきたことを思い出し、僕は今更ながらに深い安堵の息をつく。
このぬくもりが失われなくてよかった。知れば知るほど、大事に思う。知れば知るほど、離したくないと心が叫ぶ。ガラス細工みたいに繊細なくせに、己を吹き飛ばしてでも前線を死守することを迷わない人。彼女が心の奥から僕を頼ってくれる日はまだ遠いかも知れないけれど、決して一人じゃないんだと何度だって繰り返し伝えたい。
「ロティ。僕が守ってあげる。ずっと一緒だ」
窓の向こうには星降る夜。それはスロランスフォードにはない澄み切った闇だった。純粋で素朴で、ほんのり甘いような気さえする。僕らは互いの体温を、息遣いを感じあいながら、しばし時を過ごした。
やがてうつらうつらし始めた彼女を抱え上げ、僕はベッドに移動した。ロティを包み込んだままデュべを被れば、それは二人分の熱ですぐに暖かくなる。朝までずっとこのままでいよう。少女のように安心して自分の腕の中で眠ってしまった彼女が愛おしかった。こんな夜も悪くない。そう思って僕は目を閉じたのだ。
「ロティ?」
薄暗がりに向かってもう一度声をかける。返事はない。やはり探しに行ったほいうがいいだろうか。立ち上がりかけた時、静かにドアが開いた。
「あっ、ウィル。おはよう」
いつもと変わらないロティの声にほっとする。
「おはよう。よく眠れた? いつから起きてるの?」
「しっかり寝たわ。起きたのはさっき、小鳥の声が聞こえたから」
そう答えるロティの手に何かが握られているのが見えた。
「それは?」
「あっ、これ。近くを散歩してたら見つけたんだけど……」
すでに枯れて花も落ちているその小さな植物はけれど種子を宿していた。その形にどことなく見覚えがある。
「ね、マローネに似てるでしょ。もしかしたらと思って。他にもあったから一つくらいはいいかなあと思ってもらってきちゃった。育ててみたいの。もしマローネなら無理かもしれないけれど、でも……。せっかくここまできたから、何か一つは持って帰りたいじゃない?」
「ロティ……」
「いい答えがもらえなくてもいいの。出演は無理でも主教様には私たちの気持ちは伝わってるはず。中尉の愛もね。来た甲斐はあったと思う。来れてよかった。今度はボスも連れてき」
早口であれこれ言い募るロティを僕は抱きしめた。
「ロティ、まずはゆっくり息を吸って。ねえ、聞いて。何もまだ決まってない。どうしたの、らしくないよ。そうか、お腹が空いてるんだな。空腹だとね、人はろくなことを考えないんだよ」
そう言っている脇から僕の腹が音を立てた。片目をつぶって見せれば、ロティが小さく笑い声をあげる。僕は彼女の顔を覗き込み、その鼻の頭に自分の鼻先を擦り付けた。
「くすぐったいわ、ウィル」
身をよじる彼女をもっと構っていたかったけれど、さらに盛大な音が聞こえて邪魔をする。「大変。早く行きましょう」とロティに急かされ、僕らは美味しい朝食を取るために部屋を出た。
その後すぐ、昨日の道を戻る。
朝の聖堂は、午後とはまた違う清らかな光に満ちていた。北窓からの光が柔らかい。白が立ち上るかのような、画像で見たあの雰囲気だ。ふと見ると、礼拝に訪れた人たちがみな花を手にしている。
「ああ、だから……みんなが持ち寄って……」
聖堂が美しい花に満たされていたわけにロティも気づいたようだ。持ち寄られる花。手向けられる花。それはすなわち、心だ。人の想いが白い花になり、ここに集っている。
そして、見上げた列柱にはこの土地で生きる人たちの暮らしが刻まれていた。綿々と続く生の営み。聖堂は手の届かない天上の映し鏡なんかじゃない。この大地に
「おはようございます」
いつの間にか主教様が、彫刻を見つめる僕の横に来られていた。
「この柱の彫刻は全て地元の有志によるものです。何代にもわたり刻まれてきました。これは……この聖堂が常に人のそばにあり、心に添って来たものだと私たちに教えてくれる宝なのだと思っています」
僕はその言葉に大きく頷いた。建築家として多くのものを手がけてきた。きらびやかで強い印象のものが多い中、それとは対照的なこの聖堂にこれだけ心惹かれたのはそういうことなのだと納得する。たんなる装飾ではない。その強さ、清らかさ、美しさを僕はまざまざと感じた。この先僕が手がけるものが、何十年何百年という時間の向こうで、そんな風に思ってもらえることを願わずにはいられなかった。
「オーウェンさん」
主教様がロティを振り返った。小さく微笑むロティに歩み寄った彼はそっとその手を取った。白い光の中、ロティの揺れる瞳がまるで捧げられたマローネのようだ。僕は知らず息を飲んでその光景を見守った。
「連れて行ってもらえますか?」
「え?」
「宇宙など想像したこともないのです。神が作られたもの。それくらいの知識しかありません。けれど、その知らなかった世界からあなたが来てくれた。これは神の御意志ではないかと思うのです」
主教様の決意にロティの目がこぼれんばかりに見開かれた。
「導いてくれたのはフェルだ。私はあの子の声を忘れたことはありません。それはそれは美しい声だった。あれは、世界の醜さを一切知らない声。穢れなき天上の声だと思いました。ここを離れた後、苦しかったでしょうね。けれどあの子もまた私たちを忘れずにいてくれた。それは彼の心を守ってくれる人がいたから。そう、あなたのお父様だ。その恩に少しでも報いたいと思いました。私たちの声でいいのなら届けたい、そう思ったのです」
僕は膝から力が抜けて、情けなくも崩れ落ちそうだった。どんな風にロティを励まして帰ろうかと心の何処かで思っていた。それが全て杞憂に終わったのだ。
ロティは泣いていた。静かに静かに、嗚咽を噛み殺し、何度も頷きながら。主教様の手を握って涙を流すロティに朝の白い光が降り注ぐ。それは例えようもなく美しい光景だった。
「ハモンドさん、こんなものでよかったら」
そう言って手渡されたのは古い紙束を何枚も挟んだ冊子のようなもの。そっと開けばそれは聖堂の絵だった。白い花ばかりが飾られた聖堂。けれど差し込む光の強さや角度によって、明確に季節や時間を感じさせる。素晴らしいものだった。どんな記録映像にも勝る気がした。
「お預かりします」
ぼくがそれを胸に抱いてお礼を述べれば、ロティが満面の笑みをたたえた。
「どうぞ必要なものだけをお持ちください。何の心配もいりません。全てこちらで準備しますので。1週間後にお迎えにあがります」
どうやらロティは、輸入する花だけでなくここでもDF部隊を動かす気のようだ。けれど僕もそれには賛成だ。この清らかな空間から出たことがない人たち。想像もできないような環境の変化は免れないだろう。少しでも心安らかにスロランスフォードに来ていただきたかった。特に、高齢の主教様のことを僕らは気にかけたけれど、主教様はロティの言葉に、不安を吹き飛ばすかのような明るい笑顔を見せられた。
銀河ポートへの出発を前に、僕らはもう一度聖歌隊の歌声を聞いた。この清らかさをオペラハウスで再現するために、どんな努力も惜しまないと思った。目を閉じて旋律に身を委ねるロティの肩を、僕はそっと抱き寄せた。
勝負の日まであと15日。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます