19日前 麗しの響きを求めて

 僕は冬の街を見下ろす窓辺で一枚のカードを読み返した。感謝のメッセージが添えられたそれは美しいものだ。と、小さなノックとともにロティが入ってくる。


「なあに、嬉しそうな顔して」

「素敵なものをもらったんだ、ほら」


 そっと開いてみせる。カードを自分寄りに掲げ、覗き込む彼女を腕の中に囲うようにしたことは内緒だ。ロティがカードを読んでいる間、僕はそのぬくもりと息遣いを独り占めする。


「これ……」

「12月25日に大ホールで公演予定だった声楽隊からだよ。3年越しで予約が取れたって喜んでた人たちだったんだ。小さな星のものだけど、とても評判がよくてね。だからそのまま式典に参加してもらうことにしたんだよ。もちろん、打ち合わせなんかのために滞在も伸びるから、その宿泊費や当日の衣装なんかはこちらが持つ。その旨を副総督から伝えてもらったら、なんだか喜ばれちゃって」

「聖歌隊……。ホログラムの中に、本物の花と歌声……」

「うん。うっかりしてたよね。聖堂といえば聖歌隊じゃないか。スケジュールを見てはっとしたよ」

「そうよ! そうよね!」


 あれだけ中尉の歌声を話題にしていたのに私ったら、と自分の失態を嘆いて反射的におでこを叩こうとする彼女の手を、僕も一緒だと言いながら握って元に戻す。時々ロティは、自分の体で気持ちを表現してしまう。それもかなりの力でだ。部隊流だと笑うけれど、僕にはどうも彼女が傷つくことが許せない。総督に過保護だと呆れられても、それだけは譲れない。彼女が気持ちを切り替えられるよう話題を誘導する。


「聖歌隊、あちこちに声を掛けようと思うんだ。式典って言っても特に何をするわけでもない。むしろ演目が欲しいくらいだ。お祝いの会だからね。だったら大聖堂ならではの楽しみを堪能したいじゃないか。もちろん他の宗派にだってあるわけで、聖歌、まさにだよ。そして……」

「あっ!」

「ね」

「ああぁ……、ウィル、なんて素敵なの!」


 感極まったロティが腕の中で跳ねた。顎下に頭突きを喰らわされそうになった僕は、思わず身を引いて彼女をがっしりとホールドする。結果、ジャンプの頂点で吊り下げられてしまったロティ。そのくらいの腕力なら僕にもある。ごめん、不可抗力だったと言いかけた僕は、けれど思わず呆けた。魅力的な顔がすぐ目の前だ。


(わあ、ピンクの唇、プルプル。可愛いなあ)


「あのぉ、ウィル……。ちょっと……」

「……」

「ウィル? ねえ」


 僕は愛らしい唇に夢中になった。その色に形に。だから、彼女の表情が変わったことに大して意味を感じていなかった。今や彼女は落ち着きを取り戻し、いつになく挑戦的な表情をしていたのだ。


「ウィル、ちょっと」


 呆けたままの僕にロティがそっと問いかけた。僕はおうむ返しにそれに答える。


「ちょっと?」

「うん。ちょっと……してもいい?」

「へ?」

「してもいい?」

「ああ、いいけど?」


 ロティの言わんとしていることがわからず、僕は気軽に了承した。まさか持ち上げられたままだからといって、一発腹に食らわしはしないだろう。その返事に、ロティが恐ろしいほど妖艶に微笑んだ。次の瞬間、柔らかなものが僕の唇に押し当てられる。氷河の白が信じられないくらい近くで輝いた。


「っ!」


 思考能力は完全停止し、ロティを捕まえていた腕は角度こそそのままに力を失った。その隙にロティは脱兎のごとく部屋を出て行った。


(今、何が起きた? 白昼夢か?)


 数秒か数分か。デスク上のデバイスが奏でるメロディーにようやく呪縛が解ける。僕はのろのろと近づいてそれを確認した。


『聖歌隊のリサーチはお任せください オーウェン』


 なんとも事務的なロティからのメッセージ。それを見つつ、僕はまだ呆然としていた。まさかの不意打ちだった。いつだって仕掛けるのは僕で、物足りなさにじれったくなる程なのに。ロティの感情が豊かになるにつれ、その行動にも少しずつ変化が現れてきたということか。

 

「いや、違うな。あれは戦闘態勢だった……」


 してやられたのだ。危機一髪の場面で、彼女の中で作り上げられた対戦スキルが発動した結果、恋愛経験に乏しい彼女だからこその予想を裏切る行動に、まんまとしてやられたわけだ。

 軽いキス一つで石化するなんて十代かよ! と天を仰いだけれど、こればかりは仕方がない。こんな反則、無理だろう。誰だって絶対にこうなるはずだ。どんな百戦錬磨だって! 総督だって叫ぶかもしれないし、少佐なら、もしかしたら嬉し泣きするかもしれない。もちろん二人のそれは、ロティではなく別の誰かとやってもらうけど。


 そんなこんなで僕が予期せぬ衝撃に打ち震えているうちに、恥ずかしがり屋のアイスプリンセスはおそるべき手腕を発揮していた。緊迫のシーンから抜け出して我に返ったのだろう。吹き上がった羞恥心を向ける先がそこだったのだろうと容易に想像できた。

 彼女はわずかな時間で銀河中からデータを集め、実力のある聖歌隊を選び出し、出演交渉にまでこぎつけた。しかもそれはなかなかに興味惹かれるライナップだった。けれど……僕は送られてきたメモをもう一度まじまじと見る。


 フェルナンド中尉の聖堂。それはカスターグナーのとある田舎町にある。僕らとは違う宗派で、慎ましやかなその情報量は少ない。そして、その連絡先の欄には……住所しかなかった。


 勝負の日まであと19日。

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