#3
雪が薄っすらと積る中、ひとみは初めて来たときと同じように窓から店の中を覗く。今回は女性が一人、カウンターで何やら作業している姿が見える。ゆり子が言っていた学生だろうか。二十歳ぐらいの女が黙々と作業をしている。
ひとみは深呼吸する。冷たい空気が肺を満たし、ふうと温かい空気を白い息として吐き出す。そして、意を決して扉を開ける。カラン、と澄んだ音が店内に響くと、女が顔を上げる。
「いらっしゃいませ」
凛とした声色にひとみは背筋を伸ばす。
女は作業の手を止めると、立ち上がる。
「あの、磯貝と言います」
「磯貝さん?」
女は首を傾げる。彼女もチャイナシャツを着ている。彼女の長い髪がさらりとこぼれ落ちる。
「磯貝ゆり子のひ孫です」
「なるほど。ひ孫さんね。先日、いらっしゃったって聞きました」
女は表情を和らげる。
「今日もおつかい?」
「はい。あの、ゆ、夢を買いに来ました」
ひとみは女の反応を窺いながら言うと、女の眉がピクリと動く。
「……夢を買いに来たのね」
「はい」
「わかった。ちょっと待っててくれる?」
座って、と女に椅子を勧められたひとみはコートを脱いでおずおずと腰掛ける。女は暖簾をくぐって奥へ行ってしまう。
何だか緊張する。夢として売られているビー玉らしきものの方へ視線をやる。照明を受けてキラキラと光っているあれが本当に夢なのか。もしも、詐欺だったらどうしようか、とぐるぐると頭の中で嫌な方向の思考になっていく。
少しして、女が戻ってくる。そして、カウンターの引き出しから紙とペンを取り出してひとみの対面に座る。
「緊張してる?」
「えっ」
ひとみは我に返る。女が心配そうにひとみを見つめている。じっとこちらを見つめる視線に耐え切れず、ひとみは目を逸らしてしまう。
「あなたぐらいの子が入るにはちょっと勇気がいるお店よね」
「何だか、大人が入るようなお店な気がして……」
「そうよね」
女はふっと笑うと、紙とペンをテーブルの端によける。
「今中学生?」
「はい」
「部活は何かやってる?」
「バレー部です」
「バレー部……。ポジションは?」
「セッターです」
ひとみがバレー部に入ったきっかけは小学校の部活見学だ。六年生の先輩がかっこよくスパイクを決めているのを見て憧れた。実際にやってみると、アタッカーよりも周りを見てアタッカーにトスを上げるセッターの方が向いていたようだ。自分では中々点を決められないが、点を取ってもらうためのサポートをする方が得意ということに気づいた。それからは自分で点を決めなくても、得意な人に決めてもらった方がいいと考えてからさらに周りを見るようになった。
「セッターって司令塔だよね? 格好いいね」
「そんなこと……」
セッターは状況を分析して動く必要があるため、司令塔と表現されることがある。実際に言われると少し気恥ずかしい。
「よく周りを見て、臨機応変に対応するポジションでしょ。すごく難しいと思うけど、大切な能力だと思う」
「思ったとおりにトスができて、点が入ったらすごく嬉しいです」
「そうだよね。すごいなあ」
女は優しく褒めてくれる。初対面でもこうやって褒められると悪い気がしない。
「バレー楽しい?」
「はい。練習は大変だけど、楽しいです」
「いいね。楽しめることが一番だよね」
あの硬い声音はどこへ行ったのかと問うほど、優しい声だ。最初は愛想がないのかと思っていたが、実際はそうではなさそうだとひとみは安堵する。同性ということもあって少し気が緩むのかもしれない。
「はーい、いらっしゃい、ひ孫ちゃん」
軽やかなその声にひとみの肩に再び力が入る。呑気なその声にひとみは恐る恐る声の主を見上げる。
細い目に、少し長い髪をひとつに結んだ中華風の服を着る男。初めて店に来たときに応対してくれた男だ。
「……あれ? 僕、警戒されてる?」
「前回何かしたんじゃないの?」
女がじとっとした目で男を見上げる。
「うーん……。心当たりはないけど。あ、もしかして、ゆり子ちゃんから僕の悪口聞いた?」
男は呑気にそう言いながら盆の上の茶杯をひとみと女の前に置き、もうひとつを二人の間に置き、急須をテーブルの中央に置くと隣の席から椅子を運ぶ。椅子はひとみと望の隣の辺に置かれる。
「ちょっと、ひ孫さんの前でもそう呼ぶの?」
女は驚いた様子で男に問う。
「うん。だって、ゆり子ちゃんはゆり子ちゃんだし」
「だからって……」
女は、はあ、と息をつく。
「ごめんなさい。何か店主が悪いことした?」
女がひとみにそう問いかけてくる。
「いいえ、そうではなくて……」
「僕が気に障るようなことしたって言うなら正直に言ってほしいな」
男は腰掛けるとひとみを見つめる。何を考えているのかよくわからない細い目がじっとひとみを見ている。
「あの、嫌なことされたとかではないのですが……。その、ちょっと気になることがあって」
ひとみは膝の上で手を組む。本人たちを目の前にすると少し言い出しにくい。
「気になること?」
「はい」
ひとみはチラリと男の肩越しに見える商品棚に並ぶビー玉に視線をやる。ゆり子曰く、あれが夢らしい。ひとみの視線に気づいた男が背後を見ると、なるほど、と小さく呟き、ひとみ向き直る。
「夢を買いに来たって話だよね? 何か気になった?」
「……はい。本当に夢を売っているのかなって」
「疑っちゃったかー」
「いや、あの、疑うというか、どんなものなんだろうと気になったと言うか……」
どんどん尻すぼみしていく声と一緒に視線も下がっていく。疑っている、という言葉がまさにぴったりなのだが、さすがに店員に対してストレートには言えない。となれば、別の言葉を選ぶべきなのだが、当てはまる言葉が思いつかない。
「いいって。むしろ、はい、そうですかって素直に受け取る人の方が少ないから。ね、望ちゃん」
男は女に対してそう言う。望ちゃん、と呼ばれた女は男の言葉に賛同するように頷く。
「正しい判断をしている」
「ほらね」
あはは、と男は笑う。商売をやってる側としてどうなのだろうとひとみは逆に心配になる。
「夢を売っているなんて言っても信じてもらえないんだよね。だから、月にひとつ、ふたつ、人様が買ってくれるならいい方。“夢屋”って言ってるけど、お茶屋の方がいいぐらいだよ」
「改名すれば?」
「いいや。本業は夢屋だからね」
ひとみに対してとは違い、望はズバズバと男に物を言う。
「まあ、うちの営業については置いておいて」
男は物を横に置く動作をする。客人、それも中学生に話す内容ではないのだ。
「で、本当に夢を売っているのかって話だよね?」
「はい。以前、曾祖母が夢を買ったことがあると言っていたのですが、本当ですか?」
「本当だよ。彼女も最初は疑ってたけどね」
男は呑気にそう言う。
「ちなみにですけど、どんな夢を買ったのですか?」
「それは内緒。個人情報だから、血縁者とは言え本人の許可なしに教えられない」
男は人差し指を立てて口元にあてる。
「……」
ひとみはかまをかけたつもりだ。ゆり子からどんな夢を買ったのかは聞いている。ゆり子が買った夢は花畑の夢だ。綺麗なお花畑でね、と言ってゆり子が教えてくれた。
適当に売りつけているのであれば、覚えていないとか、でたらめを言うかと思った。当たっていたら当たっていたで、覚えてはいるんだな、と認識するだけ。正解だからと言っても信用まではできない。
結果、教えてくれなかった。覚えているのか否か、真偽は定かではない。個人情報だからと言えば筋は通っているように思うが、その言葉はある意味便利な言葉だ。その言葉を使えば言いたくないことも隠せてしまう。教えられないとなると、ひとみの中の疑念が深まる。
「余計に疑われちゃったかな?」
「それはそうでしょ」
「だよねー」
望に言われても男のノリは軽い。
「ひ孫ちゃんは賢い子だね。ちゃーんと疑うってことを知っているみたいだ」
「うっ……。その、疑うというか……」
飄々としているようで、男の細い目は何もかも見透かしているかのようだ。どことなく人間離れしているこの男にひとみは誤魔化しが通用しないと悟る。
「大事なことさ。ただ、隠すのは下手っぴみたいだけどね。中学生にしてそこまでしっかりしているなら上出来だよ」
男は立ち上がると商品棚の方へ歩いて行く。キラキラと輝くビー玉を見つめ、手前の瓶を手に取り、テーブルに置く。
「ひ孫ちゃんは動物好き?」
「え? 好き、ですけど……」
突然のことにひとみは反射的に答える。
「それは結構。百聞は一見に如かず。試してみればいいさ」
男は瓶のふたを開ける。
「犬と猫だったらどっちが好き?」
「どっちも好きですけど、犬、かな」
「犬ね。了解」
男は瓶の中からビー玉を取り出す。柔らかなベージュ色の玉が証明の灯に照らされて日差しのような色合いを放っている。
「ひ孫ちゃん、時間あるよね?」
「はい。一応……」
今日の部活は午前で終わっている。この後の予定はとくにない。
「よし。じゃあ、望ちゃん、十分後に起こしてくれる?」
「わかった」
一体何をされるのか。ひとみの表情が強張る。
「怖がらなくていい。僕も一緒に行くから」
「……犯罪者臭がすごい」
「望ちゃん、ちょっとひどくない?」
望はいかにも不審者を見つけてしまったという顔をしている。
「手出さないって」
「そう言う男が危ない」
「本当に向こうで何もしないって」
すんすん、と男が泣き真似を始める。状況を飲み込めないひとみがわかることは今から何かされるということのみ。
「今まで僕が夢の中で何かした?」
「何もない」
「でしょ?」
「あの、私、これから何をされるんですか?」
男が何をしようとしているのかわからない。ただのビー玉に見えるベージュ色の玉が不気味に見えてくる。
「百聞は一見に如かず。実際に夢を見てもらおうと思う。このガラス玉もどきが本当に夢なのか、お試しさ」
「お試し?」
ゆり子も試したと言っていた。とくに問題がなかったから、ゆり子は夢を買ったのだ。
「えっと、本当に警戒しないで。今から見る夢は犬が見た夢。お日様の下、元気に走り回る夢だよ」
「夢を見るって今から寝るんですか?」
「そうだね。肩の力を抜いて、目を閉じて、あとは身を任せるだけ」
ひとみはチラッと望を見る。望は小さく頷く。
大丈夫だろうか。様子を見るに、望はひとみのことを案じてくれている。とは言え、望は店側、つまり、男側の人間であるため、どこまで信じていいのかわからない。
「不安かもしれないけど、大丈夫。私も何度か経験したことがあるけど、本当にすっと夢を見られるから」
「う……」
「うーん、嫌なら無理強いはしないよ」
男は苦笑する。今から眠って夢を見てもらう、なんて言われてすんなりと受け入れられるとは限らない。それも、ひどく警戒されている。ここで強引に夢へ連れ込むこともできるが、本人が訝しみ、怪しんでいることをやってのけるのはいかがなものかと思う。
「……本当に、眠るだけですか?」
ひとみは再度確認する。
「眠って夢を見るだけ。十分経ったら望ちゃんが起こしてくれる」
ね、と男が望に確認すると、望は強く頷く。
「スマホでアラームを設定するから」
望はスマホをひとみに見せる。十という数字が設定され、あとはスタートを押すだけの状態だ。
「……あの、絶対に起こしてくださいね」
「もちろん」
ひとみは深く呼吸すると、男を見上げる。正直、怖いがここまできたら。
「お願いします」
「うん、よろしい。じゃあ、力を抜いて」
ひとみは肩の力を抜く。すると、睡魔が襲ってくる。ゆっくりと目を閉じ始めたとき、男の目の色がベージュ色に見えた気がする。
いい子だ、と男の声がすると水に沈む感覚がする。そして、抗えないほどの睡魔が襲いかかり、ひとみは意識を手放した。
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