あの時「赤」と「緑」に救われた。

Zee-Ⅲ Basser

第1話 あの時「赤」と「緑」に救われた。

 これは30年ほど前のお話。


 新卒で入社したのは、焼肉のたれや味塩コショウなどを製造販売する会社。

 規模はかなり大きく、テレビCMも流れていて、日本全国に営業所があり、同期も20名ほどはいたかな。


 入社して一カ月。

 新人研修は終了し、赴任先が発表される。

 まずは本社の研究開発から。


 自分はどんな業務かな?研究開発?品質管理?それとも製造?


 不安と期待の中、担当業務と名前が読み上げられていく。が、想像していたどの部門にも名前は無かった。


 っちゆーことは、営業?オレ、理系ぞ?


 電話の対応すら真面にできない。人と接することが超絶苦手で苦痛以外のナニモノでもない自分。

 期待が一気に絶望へと変わった。


 営業やら、しきるワケないやん!


 出そうになった声を飲み込んだ。そして、血を吐く思いで気持ちを切り替える。実績積んで異動してやる!と。


 続いて営業部門の発表が始まる。

 自宅通勤以外考えてなかったため、


 せめて県内で!


 祈るような気持ちで呼ばれるのを待つ…ものの、あっけなく県内は終わり、九州地区さえも終わってしまった。

 中国地方が終わり、関西地方が終わり、中部地方が終わってもまだ呼ばれない。そして赴任先で一番遠い関東地方が呼ばれ始める。

 絶望感が爆発的に膨れ上がってゆく。


 やっと呼ばれたのは神奈川営業所。

 担当業務はTC(トランスファーセンター)。

 文字で表わすとカッコいいけど、要は配送センターへの一括納入と倉庫の雑用と事務で、理系とは一切関係が無い部門。

 雑談の中で先輩社員から聞いた話じゃ、「ノルマは無く、できて当たり前。やらかせばダメなヤツとして扱われる。実績が最も認められない仕事」とのことだった。


 何、それ…オレ、一生TCやん。技術には戻れんのやん。


 あまりにも希望が反映されてなさ過ぎて、目の前が真っ暗になった。

 社会人になった嬉しさが劇的に冷めてゆく。


 半年経ったら辞めて失業保険貰おう。


 本日二度目の気持ちの切り替えは、会社を辞める決意だった。


 後々知ったハナシによると、この会社は数合わせのためだけに採用するとのことで、希望は一切聞き入れないらしい。

 こんな騙すような採用を平気でするから、家庭の事情で自宅通勤しかできない二人の同期が研修終了と同時に辞めていった。




 ゴールデンウィーク明け。

 関東に送り込まれる。

 飛行機に乗って、モノレールに乗って、電車に乗って…降りたところは両国駅で、そこからは歩き。


 関東本社に到着すると、再度入社式チックな何かがあり昼食。それが終わるとそれぞれの営業所へと散っていく。

 自分を含めた三人の神奈川営業所組も営業車に乗せられて移動。

 行先は相模原の上溝。

 営業所に着いて挨拶を済ませ、業務の説明が終わると、この日は解散。

 営業所に届いていた荷物を営業車に積み込むと、各々のアパートへ送ってもらう。アパートは10kmほど離れた二本松という場所。

 この時点で既に辞める意志が固まっていたため、必要なものだけ荷解き。

 コンビニ弁当で夕飯を済ませ、風呂に入ると慌ただしい一日が終わった。




 翌日から会社がモーレツなブラックっぷりを発揮しだす。

 まず出社時間だが、就業規則では8:30なのに、7:00前までに仕事できる状態にしておかなければ遅刻扱いされ、所長からは朝礼の時、全員の前で見せしめの如く説教される。

 終業時間も17:30だが、その時間に戻ってこれる営業マンなんかいない。伝票の整理や売り上げの計算、明日の積み込みをしていると、フツーに23:00を過ぎる。棚卸なんかあった日にゃ日付を回るため、その前に強制的にタイムカードを押させられる。

 これらのオーバーした時間には一切手当がつかない。すべて「営業手当」として片づけられてしまうのだ。自分は内勤(月水金に一括納入で鶴見区にある配送センターには行くが)なので営業手当というモノが無く、20時間分だけは残業代がつく。が、もちろんそれだけで収まるはずもなく。

 試しにサービス残業の時間を計算してみたら、月に100時間を軽く上回った。


 サービス残業はさせてなんぼ。

 営業社員は使い捨て。


 これが会社の方針だったのだ。


 残業の他にも有り得ないことはある。各々の業務は完全に本人しか分からないため、他の人間じゃ代りが利かない。よって、病気になっても休めないのだ。例えばインフルエンザで熱が39度あったとしても引っ張り出され、仕事させられる。有給という制度はあるけど絶対使えない。それでも休んだ場合、その日の仕事がそのまんま次の日に上乗せになるシステム。


 こんな会社だから、平日は帰って自炊なんかできるわけがない。吉野家かリンガーハットで済ますしかないのだ。

 とはいえ毎日外食だと金がもたない。


 こんなとき役に立つのがカップ麺。

 週末、近所のスーパーに買いに行く。

 お目当ての棚に行くと、いちばん下の段にあるマルちゃんのカップ麺の詰め合わせが目に入った。大きな袋に5つ入ったカップ麺。これを持てるだけの量、買い込んだ。


 会社から帰るとカセットコンロで湯を沸かし、注ぐ。

 それに前日仕込んだご飯+ふりかけ(仕込めないことの方が多い)、食パンや総菜パン、コンビニ弁当、おにぎりなどを付け加える。

 これが平日のメニュー。



 おかげで相模原生活はどうにか餓死せずに済んだ。

「赤いきつね」と「緑のたぬき」に救われたのだ。

 自分にとって命の恩人といっても過言ではない。

 ありがとう!「赤いきつね」!

 ありがとう!!「緑のたぬき」!!

 この二人には感謝してもしきれない。




 9月末。

 失業保険を貰える条件が満たされたため、辞める意志を所長に告げると、烈火の如く怒られた。

 この半年間で辞表を出したのは自分を含め三人。その内訳はすべて新入社員。この異常な事態に所長は嘆いておりました(笑)。


 でもね。


 仕事に関する理論的な方法は一切教えない(=×、アタマが悪過ぎて教えることができない=○)くせに、失敗すると説教だけは一人前以上にしやがるバカに誰がついて行きたいと思う?

「気合」とか「根性」を持ち出され説教され続けたおかげで、そういった類の言葉がいよいよ大っっっ嫌いになりましたよ。


 このような目にばかり遭ったから、地元に戻り、失業保険の手続きをするため職安に行ったとき、


 なんか仕返ししてやりたい!


 沸々と怒りが込み上げてくる。

 そして、


 相談窓口でサービス残業の件、ありのままぶちまけてやったらどーなるかな?


 楽しくなりそうなことを思い付いた。

 すぐさま実行に移すと、


「その条件だと自己都合退職にはなりませんね。すぐにでも失業保険が出るようになりますよ。タイムカードのコピーありますか?なければ取り寄せてもらえませんか?」


 だそうで。

 思っていたとおり、話が面白い方向に動きだした。

 自分が電話しても間違いなく隠すだろうし、相手にもしてもらえないだろう。


 でも。


 職安から直接電話があったとしたら?


 違法な労働させているから、相当な大騒ぎになるコトは想像に難くない。

 だからあえて、


「どこにあるかわかりません。おそらく福岡本社か関東本社か神奈川営業所にあるとは思いますが。」


 と言ったら、


「分かりました。では、こちらから電話します。電話番号は分かりますか?」


 思い描いた通りの展開に。

 すぐにメモ帳として持って行っていた社員手帳を出し、電話番号をおしえましたよ。


 後日、職安で結果を聞くと、「ウチは創立以来タイムカードなんか使ったことはない。」と言われたらしい。

 思った通りのウソ。

 まぁ、職安の職員は完全に見抜いていたけどね。


 興味本位で同期に電話すると、「その日、日本全国の事業所や営業所がものすんげー大騒ぎになった。」と言っていた。で、その日のうちに証拠隠滅のため、会社全体からタイムカードが消えたそうな。

 こんな面白いコトになるんだったら、タイムカードコピーしとけばよかったよ。それ提出していたら、もっと面白い展開になっていたのに。そこだけはホント、今でも悔やまれるよね。

 自分のタイムカードの提出要求だから、当然会社のお偉いさん達は誰の仕業か分かるワケで。

「アイツは辞めてまでウチの会社に迷惑をかけるのか?」と大激怒だったらしい。


 でも、怒るとか厚かましくない?悪いことやっていたの、自分達なのに。


 その後、管理方法はどうなったのかというと、名前書いて印鑑押すだけの自己申告制になって、ますます勤務状態が不透明となり、労働条件は悪化したとのこと。


 ぶちまけて大正解!


 辞めた会社が良くなったら悔しいし。

 こっちは体張ったんだから、目一杯悪くなってもらわないとね。


 マジ、ざまーみさらせ!


 大きな会社に全国規模の影響を与えることができると気分がいいよね!




 職安以外からも求人情報を得るため、リクルートなどに登録したんだけど、会社名を見るなり、


「あ~…そこ、行かれてしまいましたか~…あの会社、ダメなんですよね~。社員から部長クラスまでがしょっちゅう辞めるんですよ。この業界ではブラックリストに載ってまして、よく求人上がってくるんだけど、絶対に勧めません。」


 だと。

 んで、


「実際に、ほら。」


 出してきたファイルには辞めた会社の求人が。


 こんな腐れ会社でも職歴が一つ付くことには変わりなくて…おかげでその後の就職活動じゃものすごいマイナスイメージを持たれ、書類選考で落とされまくる始末。困難を極める結果となったのでした。


 あ〜マジ、納得いかん!


 あ~あ。あんとき欲出して失業保険貰うことやら考えず、研修終了の時点で辞めときゃよかったよ。っつーか、素直に教授のコネ使えばよかった。


 後の祭りである。




 帰郷してしばらくカップ麺と吉野家とリンガーハットはトラウマになっていたけど、今では心の傷も癒え、どれも美味しく頂いております。

 めでたしめでたし。


 これ読んでくれた皆さん、幸せしみわたりましたでしょうか?心温まりましたでしょーか?

 な~んてね♪


 おしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの時「赤」と「緑」に救われた。 Zee-Ⅲ Basser @1kd-ftv

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ