戦後

 あれだけの暴威を振るっていたルシェの最期は、思わず拍子抜けしてしまうほどにあっけないものだった。ソフィアとしてはまだまだ立ち上がるのではないかと身構えていただけに、どことなくやるせなさのようなものを感じてしまう。


「……ルシェ」


 彼女の死体は、なかった。ボロボロと肉体が崩れ落ちていき、最後には霞のように消えていったからだ。後に残ったのは、彼女が破壊し尽くした街の外観だけ。隕石でも落ちてきたかのような大地や、バターのように斬り裂かれた建造物や木々。凄惨という他ない光景だけが彼女がいた証であり、それさえも、ジルの術によって元に戻って終わりだろう。


「何十年、何百年かけても罪を償ってもらい、その後はと考えていましたが……」


 黄昏たような空気を放ちながら、ゆっくりと槍を下ろすソフィア。そんな彼女のもとに、騎士団長は歩み寄った。


「すまないソフィア。我が国の問題で、苦労をかけた……心よりの感謝を。そしてエクエス王国から──」

「いえ、私に関してはお気になさらず。『魔王の眷属』という賊軍がジル様にとっての敵である以上、私の問題でもありますし……何より、彼らは世界を脅かす外法の術を使いますから。……私が所属している組織にも報告して、少し調べる必要があるかもしれません」

「……ん? ソフィアは上官殿以外にも、仕えている方がいるのか?」

「というより、私が属している組織……教会が、ジル様にお仕えしている形ですかね」

「成る程。上官殿には、まだまだ隠し戦力のようなものがあるということか」


 ふむふむと興味深げに頷く騎士団長を見て、ソフィアは軽く笑って。そして、憂いの帯びた表情に戻すと、ゆっくりと空を見上げた。先ほどまで『闇』や『光神の盾』によって覆われていたのが嘘のように、青い青い空を。


「ルシェとは、少しだけ話をしたかったんです」

「……」

「あれほどまで、己の想いを素直に口にできる少女。私は、そんな彼女に敬意を抱くと同時に、嫉妬のようなものを抱いていたんです。筋違いな嫉妬であることは、理解していますが……」

「……そうか」

「私にとって、ルシェはどうしようもなく一人の少女でした。自分の想いを真っ直ぐに伝えることができる、強い人間。そんな彼女の想いは……不敬な考えなのかもしれませんが、神々のご降臨だけでは救われないものなのでしょう。ジル様は、彼女の想いに応えないと口にしましたからね」

「それは……」

「あ、ジル様が間違っているなどとは全く思いませんよ? むしろ、きちんと言葉にしたのは誠実という他ありません。言葉を濁して中途半端に期待させると、余計に辛いでしょうから。ルシェも、最後には『ジル様を振り向かせる』という方向性で落ち着きましたし……ま、まあ厳密に言えば『強引に屈服させる』という過激な方向ではありましたが。ただそれも、相手のことを本当に好きだから生じる感情の一つではあると思います」


 そこまで言って、ソフィアは目を瞑り。


「私は、教会の教えを正しいものだと思います。思うんです」

「……」

「ご降臨された神によって人々は導かれ、世界は救われる。その教えは間違いなく、正しいことの、はずなんです」

「……」

「ですが、本当にそれだけで良いのでしょうか? それだけで、本当に全てが救われるのでしょうか? ──そもそも、綺麗に全てが救われるなんてことが、あり得るのでしょうか?」

「……」

「私では無理です。私では、目に見える範囲しか救えません。主義主張が異なる相手とは、対立をするでしょう。そんなことは理解しています。それでも、神々であれば、と考えていたのに」

「……」

「私は、我々は、あまりにもこの世界を、知らなさすぎる。知ろうとも、していなかった」








「……知ろうともしなかった、か」


 ソフィアの後ろ姿を見ながら──騎士団長は、想い人のことを脳裏に浮かべた。


 ◆◆◆


 ──大儀であった。貴様らには別途褒賞を与えるが、まずは私が立つに相応しい形へとこの国を戻すとしよう。


(……とは言ったものの、流石に範囲が広いな)


 ソフィアたちとルシェの闘争が終わるのを見届け、労いの言葉をかけた俺は、現在復興作業に勤しんでいた。俺自身詳しい原理は未だによく分かっていない魔術を用いて、エクエス王国の破壊し尽くされた都市を元に戻していく。人工的な建造物だけでなく、木といった自然も修復できるのは、この魔術の非常に優れた点と言えるだろう。


 とはいえ、流石に一人でやるのは骨が折れる。エクエス王国の土地は非常に広大なので、ルシェが暴れた都市の修復だけでも多少は疲れるのだ。単純な面積であれば人類最強との戦闘による爪痕の方が広かったが、複雑性という面では今回の方が勝る。なのでまあ、切実に手助けが欲しい。


「……ノア。貴様はこの術を使えるか?」

「し、失礼な物言いになるかもしれませんが、その……これ、どう考えても特級魔術ですよね? 利便性と規模が超級魔術とは段違いですし。魔導書を見せて頂けたとしても、超級魔術でさえ詠唱必須な自分には不可能かと……」

「……然様か」

「申し訳ございません。……けど、これ本当に凄い魔術ですね。特級魔術の魔導書、一度でいいから見てみたいなあ……」

「禁術ならば可能だが」

「か、勘弁してください。好き好んで廃人になる趣味は、自分にはないっす……」


 分かる、と言わざるを得ない。廃人になることが確定しているにも関わらず、禁術の魔導書を求める魔術大国の人間が異常であるからして。ノアの思考が、ごく普通の人間の思考というものだ。


「いやほんと、凄いですよこの術。自分なんかじゃ、こんな……」

「貴様は魔術大国に属さない身でありながら、超級魔術に届いた。そう己を卑下する必要はないだろう」

「そう、なんですかね? 超級魔術を使えると変人扱いされることが多いんで、そう言っていただけると嬉しいです。引かれることもあったなあ……」


 この世界の魔術師の肩身の狭さに、俺は内心で同情の念を禁じ得なかった。


「けど、自分なんかいなくても、エクエス王国は……。騎士団長の切り札の一つには役立てますが……それでも」

「私が卑下する必要はないと申した以上、己を卑下する行為は私への侮蔑と捉えるがな。それに、貴様には天眼があるだろう? ……ふん、ちょうどいい。天眼を使え、ノア。復興作業に役立つ」

「は、はい」


 俺がそう言うと、ノアは固有能力『天眼』を起動した。鏡のようなものが現れ、そこにエクエス王国を上空から撮影したかのような映像が流れてくる。


 これこそが、エクエス王国が誇る独自の監視網。『天眼』のノアによる上空からの監視である。魔術ではないため、魔力感知といった類のものにも引っかからないという大変便利な代物だ。


「さて、では続けるか」


 勿論欠点もあるが、それでも便利な代物であることに変わりはなく、復興作業は迅速に進んでいく。まあこの修復魔術は直接視認せずともよく分からないまま修復されているので、確認作業としての意味しかないが……まあ、ノアに自信をつけさせるためだ。是非もない。


 それはそれとして。


(……クロエの手を借りたい)


 彼女であれば、多分この魔術も使えるだろう。この術はおそらく無属性魔術だろうから、属性云々は関係ないはずであるからして。何より設定上、クロエはジル以上に魔術の技量に優れているのだから。両者共に魔術において人類最高峰という位置付けだが、細かく見ると経験値的な部分で差異は存在するのである。ジルが魔力によるゴリ押しを好む一方で、クロエは魔力の繊細な操作による戦略を好む──みたいな具合で。総合力は互角だそうだが。


(あとは、ステラも特級魔術に至る才能は間違いなくある。……うむ。奴はジルの部下であるからして、こき使っても問題あるまい。早く特級魔術を習得させよう。今まで以上に、彼女を見るために割く時間を増やしても構わんか。お前は社畜になれ、ステラ)


 なんてくだらないことを考えているうちに、復興作業は完了した。あとは天眼で最終確認をして、それが終わればキーランの結婚式の続きを行なって、そして撤収作業に移るとしよう。撤収作業は『神の力』を手に入れるためエクエス王国に対する取引交渉から始めて──


「ジル様」

「キーランか。暫し待て。これより、貴様の結婚式の続きを行うための準備を行う」


 確認作業を行いながら、俺はキーランの方を見ずにそう答えてやる。気配から察するに、片膝を突いて頭を垂れているであろうキーランに。


「……ジル様は、私が騎士団長と結婚することをお望みですか?」

「……? おかしなことを言う。臣下の婚姻を祝福するのは、王として当然のことだ」

「──分かりました。全てはジル様のお望みのままに」


 そう言って深く頭を下げたであろうキーランは「暫し、お時間をください。ご進言したいことがございます」と言葉を続けた。

 

「構わん。申せ」

「ありがたきお言葉。ジル様……この国の者たちに、カウンセリングを行うのは如何でしょうか?」

「……ふむ」


 成る程、ルシェが用いた『闇』は、それ単体で呪いとして成立する領域に至っていた。俺の張った結界が無ければ、一般人だと直視した瞬間に錯乱状態へと陥り、自害しかねない程度の呪いとして。ならば結婚式に参列した連中のカウンセリングは行っておいた方が、結婚式がいい雰囲気で進行するというのは道理か。


 キーランも騎士団長も、そして勿論俺たちも、お通夜をしたい訳ではないのだし。存外、キーランも結婚式に関して真面目に考えていたらしい。


「……良かろう。貴様の進言を受け入れよう、キーラン」

「感謝を。では、私がこの国の者たちを──」

「──だがそれは、私直々に行うとしよう」

「!」


 キーランに全てを任せたら、よく分からない理論でいつのまにか俺の話になり、そして間違いなく狂信者が爆誕する。信仰されるのは望むところではあるが、狂信者は不要なのだ。俺を見た瞬間に感涙に伏して泣き崩れられたり、半裸になられたり、靴を全力で舐めに来られたり、全財産を捧げに来られたり、魔術神の眼前で禁術の魔導書を読んで廃人になりたいですとか宣言されたり、俺の目の前で殺し合いをすることで至高に至りたいとか言われたり、ドM化されたり、そういう奇行種はもうごめんなのだ。


(……目指せ、ちょうどいいライン。信仰はされても、狂信はされない。そんなラインを目指せ)


 正直、城の中から出たくない自分がいる。ヒキニートになりたい自分がいるのだ。なので、せめてエクエス王国は俺の安住の地にしてみせよう。神々打倒のために心労が募るのは構わないが、それ以外の理由で心労が募るのは勘弁したいので。


「承知致しました! すぐ様、会場を手配致します!」


 そして──














「ジル様。教えてください。何故、我々は親友とカップリングについて語り合うことができないのかを」


 なんて?


「……」

「親友が、自分とは異なるカップリングを愛していた場合。あるいは、同じカップリングでも解釈が違った場合……我々は、殺し合わなければならないんです。けど、それを恐れて、親友とカップリングについて語り明かすことができない……それはそれで、間違っていると思いませんか?」

「…………」

「本音で話すことができない……それは、もしかすると、親友ではないんじゃないかと、そう思うんです……」

「………………」

「私は、私は……私はあッッッ! うっ、くっ……ぐぅぅぅ!!」


 泣き崩れる相談者。それを無表情で見下ろす俺は、しかし内心ではルシェとは全く関係ない方向からの相談に頭を抱えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る