決戦! ルシェ Ⅱ

「くっ──」


 間一髪という他なかった。


 ルシェの放った斬撃。それは、紛れもなく必殺の一撃であった。ソフィアが態勢を崩し、能力の急激な低下に慣れる暇を与えないよう狙い澄ませた一撃。かの一閃は、歴戦の戦士であろうとも回避不能だろう。


 だがそれを、ソフィアはギリギリで避けることに成功していた。鮮血が舞い、ルシェの剣を真紅の色に染め上げるも、ソフィアの命が刈り取られるという結末は防げたのだ。


「……大事ないか、ソフィア」


 内心では苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる俺。されどそれを表に出すことはしない。平静を装いながら、俺はソフィアに問いかけた。


「ええ。戦闘続行に支障はありません。ありませんが……しかし」


 何もないところに剣を振るった結果、ソフィアの実力が現世における通常状態にまで減衰した。であればそこに因果関係か相関関係があることは明白である。敵がこちらの一手に対する有効打を有しているという事実。ソフィアが言葉を濁してしまうのは、当然のことだった。


(……厄介極まるな)


 現世であろうとも、ある程度『熾天』を全盛期へと近づけることを可能とする擬似神代回帰。空間そのものではなく、ソフィアと俺の間に直接経路のようなものを繋ぐことで世界への影響を皆無にした改良版のそれ。


 それを、ルシェは初見で見破ったとでもいうのか。


(眼に見えているものを斬れるのは当たり前。剣を扱うのであれば、眼に見えないものを斬らなければならない……だったか)


 それでも単純な速度であれば、最弱状態のソフィアであろうとルシェよりも速い。身内贔屓ではなく、本当にソフィアは速いのだ。『熾天』最速の名は伊達ではない。如何に弱体化していようと、人間離れした実力を有していることに変わりはない。


 急激な加速や減速は勿論、零から最速へと至るまでの時間。緩急の調整。複雑な軌道を描いての移動。その全てにおいて、ソフィアはルシェを上回っている。移動速度でさえそうである以上、手元の武器を振るう速度は比較にもならないだろう。真正面から対峙するものにとっては、恐怖という他ない。


(しかし、ルシェクラスの実力者であれば追いつくことが不可能という程ではない。事前感知の手段を有していれば尚更だ)


 周囲に薄く散布されている『血』の力。『闇』であれば対処されると踏んで、こちらに切り替えたのだろう。


 加えて、なんの備えも心構えもなしに急激な体の感覚の変化を受ければ、さしものソフィアといえど対応しきれない。自らの現在時間状態における最高のパフォーマンスを発揮するには、流石に数秒はかかる。そしてその数秒があれば、ルシェであれば敵を葬るのに十分だ。


 結論から言うと、ルシェの対応力も、ソフィアのリカバリー能力も驚嘆の一言。才能にあぐらをかくことなく、研鑽を積み続けていたからこそできる芸当と言えるだろう。


(……とはいえ)


 見えたものもある、と俺はソフィアに対して再び経路を繋ぎ直す。そんな俺たちの様子を察したのかルシェは眼を細めると同時に、剣を濡らしていた真紅の血を振るい落とした。


 ◆◆◆


「バイバイ……とはいかなかったか。残念」

「……貴女の技量に賞賛を。ですが、この程度で、我々を止められると思わないことです」

「ふふっ。我々、ね。ジルは防御に集中したほうがいいと思うけどね?」


 軽く挑発し、余裕を浮かべつつも、されどルシェは己の状況を自覚していた。


(……どうしようかな。かな)


 激情を抑え込みながら、ルシェは冷静に思考を巡らせる。速攻で斬り伏せたいのが本音だが、しかし短絡的行動に出てしまえば敗北は必至。状況は拮抗しているように見えるが、しかしそれが薄氷の上で成り立っているものに過ぎないことを、戦士としてのルシェは理解していた。


(まず第一に、ジルにある程度は制限がかかっていること)


 はっきり言ってジルとソフィアのコンビはインチキだ、と乙女心を一旦排除してルシェは評価する。全力のジルと、あの状態のソフィアに同時に襲いかかられると、普通に死ぬ。どちらか片方だけであれば、状況を拮抗させる自信も自負もあるが。


(ジル。こうしているだけで、貴方はどれだけの力を消費しているんだろうね)


 ちらり、とルシェは視線だけを軽く頭上に向けた。そこでは神々しい光の壁が、今なおルシェの『絶』を防ぎきってる。エクエス王国の全土を襲撃している絶対の一撃を、完全に防御しているのだ。


(あの力。私に対して毒だよね。ね。ね。だからそれを攻撃に向けられたら、流石にキツい。『絶』を使い続けて強奪した力を消費しちゃうのは嫌な展開だけど、必要経費として割り切るしかないかな。うーん……総合的には劣勢)


 同時に複数の術式を行使可能だとしても、それは小規模なもの同士に限るはずだ。流石にあの規模で術式を展開している上に、更に別の術式を展開するとなると様々な面で無理があるだろう。


(しかも、エクエス王国民に対しても余波対策で結界のようなものを張っている。力の消費量以上に、流石に複雑すぎるでしょ術式の演算が。それでも疲れた様子がないのは、やっぱり規格外でかっこいいけどね!)


 つまりジルは片手で複数の針に複数の糸を通しつつ、もう片手でキャッチボールをこなし、片足立ちをしながら空いた方の足で球を蹴り続け、頭の中では別個の複雑怪奇な問題を同時並行で解いている──以上の作業を、数時間も休憩なしで行っているようなものだろう。それで平然とした様子など、バケモノに他ならな──。


「……くく」

「?」


 突如としてジルが笑みを浮かべ、思わず疑問符が浮かぶ。そんなルシェに対して、ジルは「何、貴様の勘違いを正してやろうと思ってな」と口にして。


「私が戦闘行為を行わないのは防御に専念しているからなどというくだらない理由ではない。──私が直々に、貴様に手を下す必要が既にないからだ」

「……」


 かっこいい。ルシェのハートは射抜かれた。


(……じゃないじゃない。そうじゃなくて)


 ハッタリだ、とルシェは頭を振る。なにせ、ジルが参戦すれば、それだけで雌雄は決する。逆にジルが参戦しないのであれば、こちらが優位。戦局を大きく左右するというのにそれをしないということは、つまりはそういうこと。残りの面々など、ソフィア以外は恐るるに足りないのだから。


(使えるのは剣と、私自身に宿っている『呪詛』の力。剣はソフィア相手に使うとして──貴女たちは、これで十分だよね! ね! ね!)


 呪詛 双頭修羅


 ルシェの肉体から溢れた『闇』の力が修羅の形状へと変化し、地上から躍り出てきた者たちへと襲い掛かる。彼らの足場は、ヘクターが投げ飛ばした人が乗れるサイズの大地の破片。であればこそ、回避は困難だと見越したルシェは、騎士団長たちに目をくれることなくソフィアへと突貫した。


「来なさい、ルシェ!」

「正妻面しないで!」

「こ、言葉で惑わそうなど不埒な!」


 何もない空間を、ルシェが切断する。目に見える変化はなかったが、しかしソフィアから放たれていた圧力は減少した。


「──ええ。ジル様からの支援が受けられないのは織り込み済み、です!」

「!」


 ルシェが剣を振るえば、ソフィアが受け止める。ソフィアが槍を突き出せば、ルシェが首を傾けて回避した。火花が散り、金属の打ち合う音が響く。蹴りや打撃も織り交ぜながら、二人の攻防は続いていた。


「ムカつくくらい真っ直ぐな槍だね! ね! ね!」

「私からも、貴女に対する敬意を! これまでの振る舞い、所業はさておき──その剣からは、貴女の強い意志を感じます!」


 まさに高速の連撃。


 ソフィアは速度で、ルシェは技量で応じる。されどそれは、ルシェの速度が遅いことを意味している訳ではないし、ソフィアの技量が低いことを意味している訳でもない。あらゆるステータスが達人を超えた領域に極まっているからこそ、彼女たちは相対的に相手を上回る部分を活かした戦術をとっているのだ。


「っ!」

「!」


 瞬間、半円状に描かれた槍の軌跡。暴風が吹き荒れ、それがルシェの肉体を後方へと吹き飛ばす。


「くっ」


 空中でたたらを踏んだルシェは、投擲されたソフィアの槍を剣で弾き飛ばした。大地に向けて弾き飛ばした槍は如何なる仕組みによるものか、即座にソフィアの手元へと戻っている。担い手の元へと自動で戻る機能でも付与されているのだろうか、とルシェが思考を巡らせようとした時だった。


 ──【禁則事項】は。


「っ」


 直後、ルシェは顔を顰めて剣を振るう。その様子に、眼を見開くソフィア。そして、『加護』を使用した本人たるキーランと、ルシェを観察していたジルはその眼を細めた。


「……成る程」


 その言葉は、果たして誰のものだったのか。されど、この戦局が大きく動くことは決定された。


「キーラン。貴様は役割を果たせ」

「仰せのままに」

「ソフィア。果敢に攻め続けろ」

「了解しました」

「騎士団長。奴の剣はどうだ?」

「……成る程、そういうことですか。上官殿。ええ、問題なく」

「レイラ。理解しているな?」

「ええ。成し遂げてみせます」

「であればローランド。貴様の行動は変わるまい」

「……ああ」

「ヘクター。貴様には複数の役割を任せることが可能だが……どうしたい?」

「ハッ。んなもん。決まってんだろ」


 彼らを中心に、戦意が迸る。直前までと異なり、ルシェは有象無象を有象無象と切り捨てることができなくなったことを察した。その事実に軽く戦慄しながら、ルシェはジルの言葉を思い出す。




『私が戦闘行為を行わないのは防御に専念しているからなどというくだらない理由ではない。──私が直々に、貴様に手を下す必要が既にないからだ』



 

(まさか、本当に……?)


 だとすれば、それは……私がジルに力をあげる必要なんて……。私の手助けなんて必要じゃ……。

 

「……そんなこと、ない」


 ──剣を握りしめ、ルシェの肉体から極大の闇の力が迸る。


「そんなことないんだから」


 ならば証明しよう。ジルが十分だと認識した者たちなど、所詮はその程度でしかないということを、この身が証明してみせよう。何人の人間が束になろうと、自分には届かない。その事実をもって、ジルの見積もりが誤っていることを分からせてみせる。


「一掃してあげる。ジル以外の人間に、今の私が負けるなんてあり得ないんだからね。ね。ね」


 空間が震撼し、大地が胎動する。


「ジルは強すぎるからね。自分以外がどれだけ弱いのか、イマイチ正確に測れないんだよね。ね。ね。仕方ないな、本当に。……だからこそそれを正すのが、恋人の役目だよね! ね! ね!」


 世界の悲鳴を背に、ルシェはその手に持つ魔剣を掲げて宣言した。


 



「……ええ。これで終わりにしましょう」


 対するは、ジルの軍勢とでも呼ぶべきものたち。ジルから得た信頼を、無に帰すなどあり得ないと、彼らの士気は高まっていく。ソフィアからは神威が漏れ、騎士団長が放つ剣気が周囲を切り刻んでいた。


「……二人が主体、で良いんだよな?」

「あの女への因縁は、そこの二人が最も大きいだろう。何より、ジル様もがそれをお望みである以上、それ以外の選択肢はない」

「サシでやりてえって気持ちもあるけど、俺も問題ねえぜ。ボスの命令には従うのが役割ってな」

「ヘクターさんって、戦闘狂なのにその辺しっかりしてますよね……」

「ふむ。己の欲望よりも、役割に徹するか……これは」

「どうしました、騎士団長?」

「いや、なんでもない。行けるかソフィア」

「勿論です」


 各々が配置につき、そして構えた。


「ルシェ。貴女は強い。私の歴代最強の称号は返上だな……だが、それでも私達が勝つ。今代の騎士団長として、その責務を果たさせてもらうぞ」


 決着は、近い。

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