決戦! ルシェ Ⅰ

『──────も……私を騙したのは許せないよね! ねえ! ねええええええええ!』


 空間を伝播し、響き渡るは憎悪が込められし怨嗟の叫び。"絶対に逃さない。殺る"と言わんばかりのそれは、聞くもの全てに生物としての根源的な恐怖を抱かせるほどのもの。そんな、憎しみという概念を具現化したかのような呪言を聞いて──


「! ……そうか。そういうことだったのか」


 ソルフィアを構え、上空に光の矢を放つ機会をうかがっていたローランド。彼はルシェの叫びを聞いたことで、心の内にあったわだかまりを解消することができていた。


(俺は勘違いをしていた。オウサマは、世界を終末に導こうだなんて思っていなかったんだ)


 ローランドがそれに気づくことができた理由は、至極単純。ルシェがジルに対して、"私を騙したのね"と口にしたからだ。


(あの少女は、オウサマに対して"私を騙した"と口にしていた。それはつまり……オウサマは、あの少女を倒すために一芝居打っていたってことなんじゃないか?)


 即ち、騙し討ち。獲物を釣るために餌を撒き、獲物が飛びついたと認識した瞬間に喰い殺す。それが、ジルのとったルシェに対する手段。


 流石に詳細までは分からないが、なんらかの理由でジルはルシェと遭遇し、そこで彼女の危険性を察知したのだろう。有象無象の『魔王の眷属』ならいざ知らず、あの少女であれば世界を滅ぼすに足る力を有していると。


 事実として、一撃でエクエス王国の全土を覆い尽くす規模の力を振りまくことを可能としている存在だ。それは即ち──力の総量が足りるという前提だが──時間と手間さえかければ彼女は大陸の全てを呪い尽くすほどの力を有していることを意味しているのではないだろうか。


 なにせ。


「ソルフィア。一ついいか?」

『なんだ』


 なにせ、ローランドは知っていた。本当の意味で物心がついたときから何故か傍にいる存在が、あの力を脅威であると認定していたことを。


「前に言っていたよな。あの力は、俺たちの世界にとっては毒だって」

『ほう、我輩の話を覚えていたか。然り。あの力は、人の世にとって毒そのものだ。神代にはなかった──あるいは、確立できなかった代物というべきか。いずれにせよ、あの力を確立した人間は、人間の域を超えているという他ないな』

「……」


 ──ローランドには知る由もないことだが。


 それは、◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎による心の底からの称賛だった。事実、◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎は本気で『魔王の眷属』の『伝道師』とやらに感心を抱いている。それこそ、彼は神の血を引く者たちやジル、人類最強といった人類規模の最強格たちに対する評価よりも、まだ見ぬ『伝道師』に対する評価を高く見積もっていた。


『以前にも言ったが』


 ルシェに対する評価に関しては触れることなく、そのままソルフィアは言葉を続ける。


『現時点のアレに世界のを破壊する力はない。……いや、結果として崩壊することはあるかもしれんが』

「……」

『だがまあいずれにせよ、放置すれば人類の滅亡は避けられん。別次元の存在からの認識は別だが……人類種の認識上では、世界が滅んだと言っても過言ではない結末を招くだろう。そしてそれは、我輩にとっても望む結末ではない』

「……そうか。ありがとう」

『礼には及ばん』


 ソルフィアがここまで断定した以上、やはりルシェこそが『世界の終末』を導く存在なのだろう。であればルシェを討伐すれば、予言の否定は成される。ローランドの目的は、完遂するのだ。ソルフィアを握る拳の力が、自然に強まる。


(オウサマはあの少女の危険性を誰よりも早く察知して、あの少女を討つための計略を立てたんだろう。定期的に顔を合わせる約束をすることで、その位置を捕捉したりしてな。その現場をニールさんは目にしてしまって……オウサマもあの少女とグルだって勘違いしたんだろうな)


 敵を騙すにはまず味方から──とは異なるが、ジルがルシェに対して演じていた"世界を滅ぼす意思に賛同する姿"は、偶然目にしたニールから見ても本物だったということだろう。ニールにはバイアスがかかっていたことも加味すれば、ニールを騙せてあの少女を騙せない道理はない。


(……オウサマは何かを演じる才能でもあるんだろうか。なんだかんだいって根が善良と思えるような行動が節々で感じられるのも、実は普段の姿が何かを見据えて演じているからとか……? いや、流石にないか)


 思考が逸れたが。兎にも角にも、ジルはルシェを釣り出すために一芝居を打っていたということだ。逆に言えば、あの少女はジルが騙し討ちを必要とするほどに警戒せざるを得なかった相手、ということでもあるが。


(まあ、それもそうか。オウサマが犠牲を全て無視するのなら、幾らでもやりようはあったんだろうが……)


 ルシェを釣り出して、その身を狩る。言葉にすれば単純だが、実行に移そうとすれば非常に難しいであろうことはよく分かる。


 まず前提として。元々会場にいたような状況から分かるように、ルシェの擬態能力は恐ろしいまでに高い。あれほど悍ましい力と雰囲気を隠して集団の中で身を潜めることを可能としているという事実。それは、日常生活を送る中ですれ違っていても気付くことができないことを意味している。想像するだけで、思わず背筋が凍ってしまいそうだ。


 集団の中に紛れ込んで潜む敵。しかも敵は、広範囲を一度に殲滅する手段を有している。成る程、厄介極まりない。


 ──そしてだからこそ、ジルは一計を案じたのだろう。


(今この場は、ある意味エクエス王国にとって最も戦闘をしやすい場所だ)


 人気のない場所であればルシェとてそれ相応の警戒をする──あるいは出てこない可能性──を考えれば、ある程度は人が集まっている場であることが望ましいのだろう。現実問題、ニールがルシェとジルの二人組を目撃したのは街中である。その事実から、ルシェは無人であれば姿を見せない程度には用心深い可能性が高いと、ローランドは察した。


(ドケリーは『騎士団長』を狙っていたことから、あの少女を始めとする『魔王の眷属』に『騎士団長』を駒として活用する計画があるのは間違いない。それはおそらく、人類を滅亡させたの話だろうが……少なくとも、『騎士団長』がいることはあの少女を釣るための絶対条件)


 だから、この場を利用した──というより、このタイミングで来るだろうなと分かっていたから構えていたのだろうとローランドは推察する。ジルが「空気を読んで式が終わってからにしろ」といった風の愚痴を吐いていたのは、これが理由だったのだ。即ち、味方を演じることで情報を収集した結果、結婚式のタイミングで来る可能性が高いと踏んでいたということ。


(一般市民をなるべく多くこの場に集めて居場所を確実に把握することで、可及的速やかに結界を張り、人質を取られる可能性をも可能な限り排除する。更には念には念を入れてオウサマの魔術で支援された騎士団を配置することで結界を抜けた余波からも確実に守れるようにしつつ、標的はこの国に集った最高戦力で叩く。……もちろん穴はあるかもしれないが、それでも最善に近い策だ。敵を騙す必要性も考慮すれば、非常に理に適っている)


 いくらエクエス王国といえど、普通に考えて、ただの結婚式会場に騎士が数多く配置されるなどあり得ない。それこそ、普通の結婚式に騎士団長がいれば意味不明である。確実に、敵を待ち構える布陣だ。


 だがこれは、その騎士団長本人の結婚式だ。他の人間の結婚式や普通のパーティならいざ知らず、騎士団長の結婚式であれば話は変わる。騎士団長本人がいるのは当然として、彼女を我が子のように思っている王も参列する以上は護衛騎士がいるのも当たり前だろう。


(そして何より──騎士団長の結婚式であれば、この場にいる騎士団が正装という名の鎧姿で列席していてもおかしくない)


 この光景を見ても、ルシェは「まあ騎士団長の結婚式だしね」と状況に納得するだろう。一般人の結婚式会場に騎士団長を始めとする騎士達が武装体制で待機していたら「……罠かな?」と警戒して引きこもっていたに違いない。


 また、本日は騎士団長が休暇という前提のもとで国中に騎士が配置されている。本来であれば休暇だった者も「普段から休みをほとんど取らない騎士団長の数少ない癒しの結婚式です。喜んで働きましょう」と自ら志願して緊急特例により武装済み。一般人への被害を最小に抑える態勢を作り上げると同時に、確実に魔王の眷属を釣り上げるための至高の舞台を味方にすら悟らせずに完成させている──!


(この状況は、味方側でオウサマ以外が勘付いてもダメだったんだろうな。ルシェは少しでも違和感を感じれば、引きこもっていたかもしれない)


 つまり、この場には魔王の眷属を叩くにはこれ以上なく最高の舞台が整っている。元より、超常的存在による襲撃を相手に全てを守りきることは不可能──それでも全てを守りきるつもりでジルは作戦を立案して実行し、結界を張っているのは流石という他ない──だろうが、被害を最小限に抑えつつ人類の脅威を排除するために用意された布陣。


 世界を救うと同時に、人々の犠牲も出さない。理想論や夢物語の類としか思えない虚像を、ジルは無理なく実像へと昇華させたのだ。流石はオウサマ、とジルの思考を読み切ることができてしまったローランドとしては感服する他ない。自分ではここまでの策を思いつくのは不可能だし、実行できるとも思えないからだ。頭脳と魔術と魔力量と戦闘センスと演技力。その全てを兼ね備えていることが最低条件である。本当に同じ人間なのか疑うレベルだった。


(『龍帝』では作戦を立案できても実行できない。『氷の魔女』や『騎士団長』、『人類最強』じゃ作戦の一部を実行できても立案ができないし、実行できるのはあくまでも一部。オウサマは一人大陸最強格なのか……?)


 いずれにせよ、確かなことは一つ。


(……オウサマは、世界を滅ぼす存在じゃない)


 だから、目の前の脅威を倒そう。自分の役割はここで終わってしまうけれど、それで日常が続くのであれば是非もないのだから。










 ──なお、これはほぼ全てローランドの深読みである。ルシェがここへやってきた目的はジルとの結婚でしかなく、ジルも別にルシェを釣り出そうとしてはいなかった。もしも『魔王の眷属』がやってきたら会場内はこういう風に結界を張って、騎士たちの配置と立地はこうだから結界を張るのに必要な演算はおそらく……程度のことは確かにあらかじめ策として用意していたが、ルシェの存在は完全に計算外である。


 故に、簡略化して仕舞えば「なんか奇跡的に上手くいった」だけなのだが、それでもローランドの勘違いは解消されたし、ジルが予め用意していた策も大体は機能──ルシェの火力が想定外すぎたりした結果、予想を遥かに上回るほどに多忙になったが──した。終わり良ければすべて良し。


 ◆◆◆


「……不敬を承知の上で、申し上げさせていただきます。──どうか我々にも、戦闘のご許可を下さい」

 

 そう言った銀髪の少女の言葉に、ルシェは己の口角が吊り上がるのを自覚した。


「私は、彼女と戦いたい」

「……ふふふ」


 真っ直ぐに視線を送ってくる銀髪の少女──確か、ソフィアといったか──に対して微笑みを返す。彼女と自分の思考は、おそらくある程度一致していて……同時に、決定的に違うところがある。


「……」


 一方で、ソフィアの言葉を聞き届けたジルは軽く目を見開いたまま静止していた。やがて目を瞑り何事かを思案するような素振りを見せたかと思うと──


「──良いだろう。貴様らに、ルシェを討つ許可を与える」

「はっ!」


 ──そして、ソフィアの姿が視界から消えた。


「……!」


 速い、と驚愕する間もなかった。ルシェが剣を頭上に構えたと同時に、衝撃が走る。


「っ」


 そのままソフィアは槍を振るい続ける。元より、ソフィアの槍術の技量は恐ろしいまでに高く、同時に巧い。空気を裂くようにして放たれる刺突の連撃が不意に止んだかと思えば、突如として蹴りを放ち、それを回避しようとすれば横薙ぎに槍が振るわれる。


 だから、ルシェは距離を置いて。






 ──槍が投擲されている。


 気が付けば、目の前に槍の切っ先があった。走馬灯のように、視界が遅くなって初めて、ルシェはそれに気が付いたのだ。放たれた槍は衝撃波を纏い、轟音を立てながらルシェへと襲いくる──!


「速いなあ!」


 間一髪。ルシェはそれを首を傾けることで回避した。そして同時に、彼女は上体を屈めた。


「! やりますね!」


 直後、背後より放たれしは槍による突きの一撃。ソフィアは槍を投擲すると同時に槍以上の速度でルシェの背後へと移動し、そのまま槍を掴んでルシェへと襲い掛かったのだ。その一撃を回避されたことにソフィアはルシェに対して称賛を送り、ルシェは内心で毒づく。


(技量が見た目の年齢に合ってない。高い。私と同じで不老不死だったりする……? ……なにより、速すぎるでしょ)


 自分はおろか──悔しいことに、ジルよりも速い。先ほどよりも、格段にスピードが増している。それこそ、比較にもならないほどだ。常に全神経を集中させて、なおかつ『血』による事前感知を用いて防御に徹することで初めて対処できる。そして速いだけならともかく、ソフィアはルシェから見ても巧かった。目が慣れるには、まだまだ時間がかかるだろう。


 その事実に一瞬だけ動揺するも──されど、ルシェとて天才にして達人だ。


「合わせろ、ソフィア」

「はっ!」


 暫し静止していたジルが、ソフィアとルシェの戦闘に参戦する。同時、ヘクターが大地を砕いて投げ、それに飛び乗ることで地上にいた面々が空中戦に躍り出ようとしていた。


「……」


 それはいい。それは構わない。全員叩き潰してやるつもりのため、空中戦は望むところだ。


 だからルシェにとって問題なのは──ジルの肉体から、僅かであるが何らかの繋がりがソフィアとの間に結ばれていることだった。


(……へえ)


 ルシェの瞳からハイライトが消え、そしてそのままルシェは剣を横薙ぎ一閃。


 瞬間、ソフィアの速度が減衰した。


「!」

「なっ」


 ジルとソフィアの眼が軽く見開く。そんな彼らの様子を見て、ルシェは嗤う。


「バイバイ」


 直後、鮮血が舞った。

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