堕ちた恋の行先は

「……」

「彼女……ルシェは歴代騎士団長の一人です。数百年も以前の人物ですが、神の血がないにもかかわらず『魔王の眷属』の最高眷属であることがそれを可能にしています。そしてその……とある理由から私は彼女の相手をしたく……」

「──貴様は疲労しているだろう。ならば、アレの相手は私がしよう」

「……ですが、その。彼女は私を──」


 ソフィアの言葉を聞くことなく、音を超えた速度でジルは飛翔した。彼はルシェと同じ高さまでにたどり着くと同時に、その口を開こうとして。


「……貴様は」

「──私を騙したのは許せない」

「……?」


 開こうとして、ルシェが小さく呟いた言葉に反応してその口を閉ざす。常人であれば聞き取れなかったかもしれないが、しかしジルの聴力は人類最高峰のそれ。なればこそ、ルシェの独り言が筒抜けなのは当然だった。


「私とジルの結婚式だって言ってたのに、本当はジルの部下と今代の騎士団長の結婚式……? 放置プレイの上級版か知らないけれど、いつからジルが上位になったのかな? かな? それは私たちの関係としては解釈違うなー。別にアブノーマルな関係を求めてはいないよ? でもね、もしもそういうことをしちゃうならば、普段は絶対王者かもしれないけど、恋人としてはジルが攻められる側じゃないとおかしいよね。ね。ね。対外的には、まあ、ジルが上でも許してあげる。なんかこう、猫みたいで可愛いよね。ね。ね。外では自由を与えるけど、家庭では監禁。ふふ、ふふふふふ」

「……」


 ルシェの口から紡がれる怪文書が如き言葉の羅列に、内心で震え出すジル。それは呪詛よりも悍ましく、呪詛よりもジルの精神を蝕む呪言であった。性根はどこまでいっても一般人のジルにとって、狂人の狂言ほど恐ろしいものはない。


 ある意味で、ジルは心底恐怖を覚えていた。グレイシーやソルフィア、人類到達地点へと至った人類最強に並ぶ勢いでジルに恐怖を与えた人物かもしれない。


「けど……それはそれとして、さっきも言ったようにそもそも別にアブノーマルな関係を望んでいるわけじゃないんだよね。ね。ね。仮にそうだとしても、普通の恋人みたいな関係がベースにあるべきなんだよ。まあ、私を騙した以上は、もう分からせるのは確定事項だけどね。ね。ね。でもそれはそれとして、普通の恋人としての逢瀬も大切。私たちの結婚式と思わせておいて酷いことをしたのは許せないけど、もう、耐えられない」

「……」

「だから、うん。私は悪くない。──ジル!」


 満面の笑みで抱きつこうとしてきたルシェの突撃を、ジルは己の身体能力の全霊をもってして回避した。


「ひどい。なんで逃げちゃうの? 私の王子様……」

「貴様の王子様とやらになった記憶はない。それよりも、話を聞け」

「うん、そうだね。ごめんジル。私たちは、対等な恋人だもんね……」

「恋人でもないわ戯け。その口を閉じ、私の話を」

「そうだよね。私の王子様なんて言ったら、まるで勘違いの恋人ごっこをしているみたいだもんね。対等な私たちの関係を表すのに、相応しくないよね。ごめんねジル。恋人なのに、ジルのことを不安にさせちゃった」


 瞳を潤ませながら、ポッと頬を赤らめるルシェ。その姿はまさに恋する乙女といった風で大変可愛らしいものだが、しかしそれを向けられたジルは内心でドン引きしている。鋼の精神で冷徹な無表情を貫いてこそいるが、本当にそれだけだ。ジルからルシェへの認識は、「話を聞かず、意思疎通が不可能な珍生物」というものから一ミリ足りとも前進していない。


「……でも」


 そんなジルの認識はともかくとして、ルシェが恋する乙女と化していたのも束の間。彼女の瞳からハイライトが消え、それと同時に禍々しいオーラが彼女の身を包み始める。


「私たちが恋人だとしても……私を騙したのは許せないよね! ねえ! ねええええええええ!」

「!」


 剣を振り抜いたルシェ。それをジルは首を傾け間一髪といったところで回避したが、しかし髪が僅かに斬って落とされる。


「……」


 ダメージは皆無。されど、完全な回避ができた訳でもない。その事実を重く受け止めたジルは軽く目を細めると、空中でバックステップを踏み、ルシェとの距離を置いた。そして油断なくルシェを見据えると同時に、両の手をポケットから引き抜く。


「初見でこれ、ちゃんと回避できるんだ。私の今の技量と身体能力を考えると、身体能力とか動体視力とかだけでどうにかできる問題じゃないんだけどね」

「……生憎だが、その剣は知っている」


 騎士団長との訓練。それは確かに、ジルの剣術への理解を深めていた。ジル本人が振るうには訓練が足りていないが──それを扱う相手に対して、魔術といった搦め手を使用することなく対処可能になっている程度には。


「……ふーん。じゃあ、もう少し本気を出しても大丈夫かな」


 ──銀閃が奔る。


 全方位からジルを襲撃するは突きを含めた百数余の斬撃。数秒という僅かな時間。その間で同時に襲いくる斬撃と、時間差で襲いくる斬撃──それらは全て、背後を含む人体の急所や関節部分を狙って放たれている。全ての斬撃を同時に放つのではなく、あえて時間をズラす斬撃も混ぜることで敵に対処を不可能にさせる絶技。


 まさに究極の殺人剣。エクエス王国に伝えられし剣術の一つであり、急所に一撃必殺をキメる戦術を好む今代の騎士団長が最も得意とするところの技術の一つである。鎧を纏っている敵が相手であれば、鎧の関節部分を確実に斬り落としてから中身を穿つなど、複数のパターンも織り込み済みである点がこの剣術の殺意の高さを物語っていた。


 初見であれば、まず間違いなく完璧な対応はできず──それ故に、使用者側の習得難易度も相応に高い。それこそ、習得自体が不可能だった歴代騎士団長もそれなりに多いくらいだ。その場合次代は先先代から学ぶか文献から学ぶことなり、アナスタシアは数代ぶりにこの剣術を復活させた天才である。


 そんな、人間を殺すことに特化した剣術。それが、真正面からジルを襲う。


「────!」


 ジルは身体をひねって、あるいは剣の刃ではない部分に掌底を当てるなどして対処していく。身体能力。動体視力。予測。観測。経験値。既知。反射神経。五感。第六感。その全てをフルに活用し、大気の流れやルシェの性格や殺意の有無等を見極めることで死の螺旋から逃れる。


 この剣術は、初見殺しの側面も少なからず存在する。そのことを、ジルはよく知っていた。故に冷静に、そして慎重に斬撃が急所に被弾することを防いでいく。肩が僅かに斬れたが、所詮は薄皮一枚。ならば問題はない。ある程度は割り切ることも大事であり、焦る必要はない──


「ふふふ」


 ジルそれは、完璧な対処方法といえるだろう。剣術を放った側である、ルシェから見てもジルの動きは百点満点を与えてもいいものに仕上がっていた。


 が、


「分からせてあげる!」

「!」


 その隙を突くかのように、ジルの足に闇が纏わりついた。空中である点と、ルシェがあえて足の急所を狙わなかったが故に──必然的に、足元への注意は浅くなる。狙い通りの展開に持ち込んだルシェは右手を振るい、そのままジルの肉体を放り投げて。


「ジルは子供が何人欲しいかな! かな!」


 体勢が崩れたジルへと、再び襲い掛かる。


 何百年もの間、研鑽を積んだ鬼才の堕騎士ルシェ。彼女は狂気的な瞳に笑みと、恋する乙女のような笑みが混ざったような表情を浮かべながら、ジルを一方的に攻め立てていた。


「凄い! 凄い凄い凄い! やっぱり、初めて見たときよりも強くなってる! 力を求めてるから強くなってるんだよね! ね! ね!?」


 しかし、ジルの牙城を崩せてはいない。最小限の動きで回避していくジルに、少しずつルシェの攻撃速度は上昇していく。調教するのに最適な力を、感覚で見極めていく。


「うふふ!」


 見るものが見れば、これは二人だけの演舞。二人だけの世界だ。その事実を認識して、ルシェの感情は高揚していく。愛する人と向かい合って、こうして自分たちだけの世界に浸っていられる。分からせて、幸せな家庭を作ることは大事だが、それはそれとしてこの世界を楽しもう。


「やっぱり、私たちって恋人だから波長が合うんだよね! だから私は、このプレゼントを用意しました! この力の良さは見てたよね? ね? ね!? 大陸最強格が二人同時に相手でも、余裕を持っていたこの強さを! ちゃんとジルにあげるからね! 邪魔者を皆殺しにして、ジルを分からせるのが先だけど……受け取ってくれると嬉し──」

「──もう一度、言うぞ。私の話を聞かんか、愚か者めが」


 瞬間。


 ガシッと、ルシェの攻撃は真正面から止められた。手首を掴まれて、動きを封じられたからだ。完璧なタイミング。完璧な力加減で、身動きを封じられた。それは呼吸を読まれ、動きを読まれ、その他様々なものを見切られたという事実の証明に他ならない。


 すなわち、戦闘における絶体絶命。致命的な隙という言葉ですら生温い。死の間際。……なのだが。


「え!? あ、あう」


 肉体の距離が縮まっていて、しかも好きな人に手首を握られているという事実。その事実の方にしか意識が向かないルシェは、顔を真っ赤に染めて口をパクパクとさせることしかできなかった。蒼い瞳がこちらを射抜く様子に、動かない心臓がバクバクと音を鳴らす。もしかして、空中でそういうことをするのだろうか。それは人類として初の試みなのではないだろうか、とかピンク色に染まった脳で思いながら、ルシェはジルと視線を合わせた。彼女は妄想逞しかった。


 だが、ルシェの思うような展開は起こらない。


「私は、貴様と恋人ではない」


 ……?

 この人はなにを言っているのだろうか、とルシェは思った。記憶喪失? 


「私は貴様と交際する気はない、と言っている」


 理解できない。


「私は貴様に告白などという真似をした記憶がない。逆もまた然りだ。何をもって、貴様は私と交際していると誤認している? それとも貴様は私に告白をしたのか? どうした、異論があるならば申してみよ」


 理解できない。


「貴様は私のことが好きらしい。その思考回路は理解できんが、気持ちは受け取ろう。光栄に思え。……だが、その上で言う。その気持ちに、私が応えることはあり得んとな」


 理解できない。


「現時点において、私は貴様のことを何も知らぬ。何も知らぬ以上、私が貴様を好意的に見る要素は皆無だ」


 理解できない。


「ふん。私の言葉は理解できたか? 理解できたのであれば、建設的な思考を──」


 ◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎。


 直後、ルシェの肉体から闇が溢れ出す。それに応じるかのように、ジルの肉体から黄金の光が放出された。


 ◆◆◆


「私とジルは恋人。私とジルは恋人じゃないとおかしい。なら、今の状況は本当じゃない。本当じゃない本当じゃない本当じゃない本当じゃない本当じゃない本当じゃない」

「……」

「でも、ジルが嘘を吐くのはあり得ない。私たちは恋人なんだもん。……でも、恋人じゃない? じゃあ、嘘を吐く? だとしたら、だとしたらだとしたらだとしたら」


 ルシェがジルの恋人を自称することに加えて、何百年も昔の人物であるという事実。それらを総括した俺は「いや、ないよな……ないよな?」とは思いつつもとある疑念に駆られた。


(……もしも俺が憑依する前のジルが、ルシェとの間にラブストーリーを展開していたらどうしよう)


 勿論ながらジルというキャラクター像を考えると、誰かとラブストーリーを展開するのはあり得ない。だがしかし、もしもルシェと遭遇していたら「(中々に強い的な意味で)私好みである」だったり「(レーグルに入れ的な意味で)私のものになれ」みたいなことを口にしている可能性が完全には否定できないのも事実である。


 ジルは優秀な人間を好む。才能がなくとも向上心を持っているのであれば光る可能性があるという意味で価値があるらしいが、それはそれとして才能があると良いのは間違いない。


 だからこそ、彼は自らの前に立ち塞がる大陸最強格を鏖殺しなかった。自身の方針に異を唱える不届き者であったにも関わらず、戦闘不能状態まで叩きのめす程度に留めていたのである。


 その最たる理由は、彼が大陸最強格を好ましく思っていたが故のこと。大陸の頂点に君臨する者たちを認めていたからこそ、彼は楽しげに大陸最強格たちとの戦闘に興じていたのだ。それこそ、異を唱える程度の反骨心はある方が好ましい程度に思っていたのかもしれない。有象無象であれば処刑対象だっただろうが、大陸最強格には激甘だったのである。


 そんな彼の価値基準に照らし合わせると──ルシェを気に入る可能性は、正直に言って否定できない。もしも過去にルシェと遭遇していた場合、告白と勘違いされてしまうような言葉を、イケメンフェイスとイケメンボイスとラスボス特有の謎の距離感のトリプルパンチで言い放っていた可能性は十分にある。男女を逆にして考えたら、まあ、姫のようなものである。途端に弱そうに感じたが、そういうものなのである。


 もしこの想像が正しければ、その効果は絶大に違いない。なにせ、ジルはあのステラからも「ジル少年はイケメンだよねーほんと。だから私を燃やそうよ。さあ。さあ!! 今すぐ! 燃やそうよ!」という素晴らしき評価を得ている。……いや、この評価は全く参考にならんな。


 とはいえ、それだけならぶっちゃけ、無視できた。転生前のジルが築き上げてきた資産は利用するが、転生前のジルが積み上げてきた負債は踏み倒すのが俺のやり方だ。会社の経営者が、負債を損失として全て前任者に押し付けることで自分の経営手腕を良く見せる手法に酷似しているが、言ってしまえばそういうことである。


 故に俺が「あかん」と向き合うことを判断せざるを得なくなった理由は──ルシェが今回の結婚式を"俺とルシェの結婚式"だと勘違いしてしまっていたことに起因する。


 俺は思い返した。そういえば、結婚式を計画している最中に軽く会話をしたなと。俺はそのときの記憶を掘り起こした。そういえば、ルシェはなにやらテンションが高かったなと。俺は頭を抱えた。ルシェが勝手に勘違いしたのが完全に悪いが──それはそれとして、もう少し言葉を足しておけば良かったのではないかと思わなくもない。


(……くだらない感傷ではある。偽善でしかない。それはそうなのだが)


 俺は思った。流石にルシェが不憫であると。詳しくはないが、前世のサブカルチャーで流行りの婚約破棄でもここまで酷くはなかったのではないだろうかと。同情の余地があるのではないかと、なんとなくそう思ってしまったのである。キーランの結婚式だったり、ここ数日過ごしてきたエクエス王国の空気に当てられている感は否めないが、しかし思ってしまったものは仕方がない。


 だから俺は、真正面からルシェを振ってやることに決めた。叶うことがない恋を、終わらせてやるくらいはしてやろうと思ったのである。


 ジルと敵対した以上はその末路は確定している。だがしかし、せめてもの慈悲として……一度この謎めいた因縁を清算してから、殺してやると結論付けたのだ。


 非合理的だ、と自分でも思う。

 王の選択として如何なものか、という自覚はある。


 結果として殺すことに変わりないとはいえ、敵に同情して殺すまでに一段階挟むなど愚行極まる。義理のある相手ならばともかく、一方的に恋心を抱いてきただけの初対面の勘違い女相手に何故そこまでしてやらなければならないのかと冷静な部分は訴えている。


 だがしかし、これは別に何もルシェのためだけにやる訳ではない。このままルシェを消したら胸に引っかかるものがあるから、それを取り除いてから消そうという俺のエゴも含まれている。だから、慈善活動では決してない。


 ──と。


「筋は通したぞ」


 エネルギー同士の衝突の余波に身を任せて自然と距離を置き、そして俺はルシェを見据えた。


「無視をしても構わなかったが……私は王だ。ならば不相応にも、王に恋し、そしてその全てを捧げんとする者に対して返事をするくらいの慈悲はくれてやる」


 ルシェがジルのことを好いているのであれば利用価値はあるのではないか? という意見はあるかもしれない。だが元々、俺にとって『魔王の眷属』はそこまで必要な人材ではない。神々の力を弱点とする彼らは、神々との決戦を見据える俺にとって戦力的な意味での魅力が乏しいからだ。恭順の意と有用性を示すのであれば受け入れるが、それでもそこまで魅力はない。そうでない『魔王の眷属』は尚更のこと不要である。


 だがまあ、それでも突き抜けていれば神々との決戦用の戦力として全く機能しない訳ではない。それこそ、ルシェクラスであればある程度は機能するだろう。あとは毒をもって毒を制すという言葉もあるように、神々はともかくとして対『魔王の眷属』の残党用の戦力としては十分に使える。


 なのでまあ、ルシェは他の『魔王の眷属』と比較すれば一応有用性が存在した。ジルに対して従順であるならばという前提ありきではあるが、少なくともエーヴィヒの信奉者であるスフラメルよりは使えるだろう。とはいえ、恋愛脳に支配された状態であれば制御不能な予感がしたのでその辺の軌道を修正して使えるならばという話ではあったが……結果はご覧の通りである。目に見える地雷が、目に見える核弾頭へと進化を遂げてしまったという訳だ。


 よって、俺にとっても人類にとっても彼女を生存させることへの益は微塵たりとも存在しないことが確定した。というか、エーヴィヒはよく配下にできたなと驚嘆するばかりである。どのようにして、制御してきたのだろうか。叛逆される未来しか見えない。


「だが、叛逆行為となれば話は別だ」


 偽りの恋人関係を続ければうまく利用できるのではないか、という意見に対しては肯定を返そう。恋人関係を演じることは、可能か不可能かで言えば可能だ。


 だがはっきり言ってしまうと、それは些か俺の信条に反する。生き残るために絶対必要な条件であればともかく、そうでないならば信条に反する行為は避けるのが、俺が己の中に敷いた法である。まあ端的に言うと、俺は好意に対して悪意を返すような趣味を持ち合わせていないということだ。


 縁談の話が持ち込まれたときにも言ったことだが、俺は好きでもない人間と交際したり結婚する気はないのである。王ならば側室候補くらいは……という意見が今後出てくるかもしれないが、この世界の平均寿命はぶっちゃけそこまで低くない。勿論国によるが、少なくとも俺の国は前世とそこまで変わらなかったりする。寿命以外で分かりやすく後継者問題が発生するとすれば、俺が神々に殺された場合だろうか。だがまあ、その場合は神々に敗北して国家滅亡エンドを意味している可能性が高いので、消極的理由にはなるが問題ない。なのでまあ、側室云々の話は堂々と突っぱねる気満々である。


 王が多くの側室──もっと正確にいうならば後継者候補──を用意する必要があるのは、後継者候補が幼少期に死んでしまったら後継者がいなくなってヤバイ問題が浮上してくるからだ。なので、後継者候補が幼少期に死ぬ可能性が低いならば極端な話、一人で問題ない。能力的に問題があれば考えれば良いだけのこと。


 まあ俺の場合、そもそもとして元の世界へ帰還するのかだとかを考える必要も出てくるので、血縁ではない人間に後継者を任せる可能性が高いのだが。


(とはいえ、ジルに並ぶような優秀な人材が見つかるとは思えないんだよな)


 可能性があるとすれば、頭脳面ではジルと並ぶ『龍帝』くらいか。それでも今の俺と同じような体制で仕事を引き継げば、体力だとかの問題で確実に過労死してしまうだろう。なので、まずは複数人の文官の育成を先に──話が逸れてしまった。


(心なしか、ルシェ以外のことを考えている間はルシェからの視線が鋭くなっている気がする。一方で、ルシェのことを考えてる間はなんか愛憎入り混じった視線な気がする……心の中をなんとなく読めてたりする?)


 だとしたら怖すぎるんですけど、という言葉を飲み込む。もっとこう、俺はパンケーキ美味しいとかそれくらい楽な思考で生きていきたいのだが……まあ、今更か。この程度のことで、愚痴を吐いても仕方がない。前に進むためにも、なるべく建設的な思考を心掛けよう。


 とまあ長々と語ったが、俺の結論はいたってシンプルだ。俺とルシェの道が同じになることはない。だからルシェはここで死ぬ。俺が殺す。ただ、それだけの話だ。


「故に、貴様はここで朽ち果てると良い。最高眷属」


 視線に、常人であれば受けた途端に心臓が停止しかねない殺意と神威を上乗せする。そんな俺からの素敵すぎるプレゼントを受け取ったルシェは、しかし萎縮した様子もなく狂気的な笑みを浮かべることで応じた。


「──ううん。死なないよ。だって、どんな手を使ってでも私のものにするって決めたから……でも、手足の数本は覚悟してね。ね。ね」

「……そうか。だが、慈悲はない」

「ふふふ。まずは、私の名前を呼ばせるところからだよね! ね! ね!」


 肉体に『神の力』を巡らせる。彼女への義理は果たした。それはつまり、これ以上彼女と向き合う必要はないということだ。であるならば『権能』とて発動させても構うまい。とはいえ、騎士団長が『光神の盾』に切り傷を刻んだことから考えると、過信は良くないだろう。節約も兼ねて、『権能』は使わないのも手か。


「……でもまあ」

「……?」


 ルシェの実力は高い。それは戦闘技術もだが、ルシェの背後で渦巻いている禍々しいオーラがなによりも問題だ。はっきり言って、禍々しさはエーヴィヒよりも数段上だ。総合的に見ても、これまでの『最高眷属』なんぞ比べ物にならないほどの実力者である。一体どのような手段で、これだけの力を溜め込んだのか見当もつかない。


 特に最大火力は、なんなら人類最強よりも厄介かもしれない。人類最強には周囲に被害が及ばないように"自重する"という制限があったのだが、人類の殺戮者であるルシェにそんな制限は存在しない。周囲の人間が、国が、どれだけ死滅しようが狂気に堕ちようが彼女に気にする理由はないのだ。それはつまり、理論上の最大火力はともかくとして、現実として放たれる最大火力はルシェの方が上回る可能性があるということ。はっきりいって、「自分の結婚式だと勘違いしたから出てきた」とかいう理由で生えてきていい存在ではない。普通にラスボスクラスではないだろうか。


 ならば耐久力はどうか。これに関しては、俺以外の人間からすれば人類最強とルシェの間に大きく差はないだろう。人類最強は防御力と体力と根性が怪物すぎて攻撃が通じないという意味で絶望感があるが、ルシェはルシェでどれだけ傷を負おうがが首を刎ねられようが心臓を貫かれようが死ぬことなく笑顔で復活してくる不死性という意味で絶望感がある。はっきりいって「私とあなたは恋人だよね! ね! ね!」なんて勘違いから敵対していい相手ではない。普通にラスボスのような風格と動機を伴って出てきてほしい。


 結論から言うと、ルシェは数百年積み上げてきた戦闘技術と人類最高峰の火力と不死身の肉体をフルに活用してぶん殴ってくるというクソゲー仕様の敵である。人類最強を世界最強のプレイヤーに運営がチート仕様権限を与えたと例えるならば、ルシェは運営がバランス調整を誤ったレイドボスといったところか。逆でも構わないが。というか、例えとして不適切な気がしたが。


 まあ結局のところつまり、普通に考えれば撃破不可能な存在。……だが、俺であれば少し話は変わってくる。俺であれば、人類最強よりもルシェは幾分か御し易い敵なのだ。他の人間からすればルシェの方が厄介だろうが、俺に関しては話が別である。ジルに恋をした少女への、せめてもの手向けだ。ジル本人ではないが、俺自らの手でルシェは責任を持って処理を──


「泥棒猫候補を殺すのを先にした方がいいかな」

「……なに?」

「私、好きなものは最後に食べる派なの。だって、終わりが気持ち悪いと最悪だからね! だから、嫌なことはさっさと終わらせられると嬉しいな!」


 俺が訝しんだのも束の間──ルシェが、剣を横薙ぎに一閃した。反射的に構えた俺だったが、しかし何も起きない。嵐の前のような静けさが、空間を包み込むだけ。


(……いや、本当にそうか?)


 本当に何もしなかったのか、と俺が目を細めていると。


「ソフィア?」


 俺の視界の端に映るのは、美しい銀色の髪。俺の横に並んだその少女はルシェへと真剣な面持ちを向けたままに、その口を開いた。


「ジル様。私に、口を開く許可をいただけないでしょうか」

「……? 構わん。許す」

「はっ。ありがたき幸せ。……不敬を承知の上で、申し上げさせていただきます。──どうかにも、戦闘のご許可を下さい」


 俺が軽く目を見開くのと同時に。ルシェの笑みが、更に深まった。

 

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