嫉妬

「絶望に咽び泣きなさい──『絶』」


 厄介な状況だ、とキーランは思った。


(……自らを巻き込んで放った結果、闇のせいで姿が見えなくなったか。これでは使えんな)


 キーランの『加護』。それは、禁則事項と罰則を敷くことで相手の行動に規制をかける規格外の能力だ。そして、彼は知らぬことだが、現時点の性能でも神々を屠ることのできる手段の一角でもある。神々がキーランの敷いた禁則事項に触れる行動をとるかは別の問題なので、安定した手段とは言い難いが。


 だが、そんな彼の能力にもいくつか欠点が存在する。尤も、キーラン本人は欠点と認識していないのだが。


 一番制約として機能する欠点は、分かりやすくシンプルだ。その欠点は、禁則事項に呼吸といった"生命維持活動に必要な事項"を設け、罰則を"死"にしてしまえば誰が相手でもキーランは確殺可能だというのに、それをしないのは何故なのかという疑問への解消にも繋がる。


 その欠点とは──この『加護』による禁則事項と罰則は、自動的にキーランにも課せられるという点だ。『加護』が自分とそれ以外を対象にして『加護』の効果範囲を任意で設定するという性質である以上、相手に敷いた禁則事項と罰則はキーランにも敷かれることとなる。


 故に、キーランは自分が抵触してしまう可能性のある禁則事項と罰則を敷くことはない。禁則事項を敷くにしても、罰則を緩くするなどして保険をかけておく必要がある。自らの意思で破棄することが可能とはいえ、大きすぎるリスクを負う必要はないからだ。


「……」


 他にも、複数の欠点が存在する。とはいえこの欠点が存在する理由はこの『加護』の大元となった力の"理念"が理由であり、本来の理念を考えれば欠点でもなんでもないので「欠点などない」というキーランの見立てはある意味では正しいのだが──今は脇に置いておこう。


 いずれにせよ、キーランの『加護』は最強無敵ではない。いずれは最強無敵になる可能性を秘めているかもしれないが、少なくとも今はそうではない。そもそもこれは、戦闘で使うことを目的として生まれた力ではないのだ。それを戦闘に用いようとすれば、戦闘向きではない部分で欠点が浮上するのは当然の理屈。


 過去の例を参照するならば、ローランドやレイラに対して使ったときの利用方法が正規の利用方法に近いのである。


(神の裁きは"平等"だ。平等であるが故に、それを畏れ多くも代行させていただいているオレにも【禁則事項】と【罰則】が課せられるのは当然のこと。そして平等であるが故に──【禁則事項】と【罰則】が、曖昧などということはあってはならない)


 ──と、天を見上げて目を細めるキーランの横に、同僚が並んだ。


「キーラン。テメェの『加護』ならアレもどうにかできるんじゃねえか? あれ、結構反則だろ。ボス曰く、『理論上は教会であろうと壊滅状態にできる』らしいじゃねえか」

「視認できていないから不可能だ」


 ジルの小国を魔獣の軍勢が襲ってきた際に、地面に潜んでいた魔獣をキーランは認識していたにも関わらず、他の魔獣と違ってその魔獣は絶命しなかった理由──それは、物理的な遮蔽物で姿を遮られていたせいでキーランの『加護』の対象外と化していたからだ。それと同様に、ルシェの姿が物理的に遮られている以上、ルシェを相手に禁則事項と罰則を敷くことは不可能。


「タイミング悪いな、オイ」

「見えなくなる直前に【禁則事項】を攻撃に、【罰則】を不発にしたが、アレが今にもオレたちに向かって放たれようとしている以上、どうやら通用しなかったらしい。理解不能だが、アレは攻撃ではないのだろうな」


 とはいえ、と先ほど敷いた『加護』を破棄してキーランは瞳を黄金色に輝かせる。一瞬でも闇が晴れれば、その隙に一度であれば『加護』を使えるかもしれない。ルシェの技が以上は一か八かの賭けになるが、何もせずに死ぬよりはマシだろう。ならば、自分はそれだけに集中するのが道理。万が一の時の援護は、ヘクターに任せれば良いのだから。










 天空より落下せしは闇の大質量。


「レイラ。空間切断でどうにかならないか?」

「……切断はできる。だから多分、私たちだけならどうにかなる。けど、アレの落下そのものまでは止められない」

「……そうか。ソルフィアはどうだ?」

『……』

「ソルさん?」

『……いやなに、少し先のことを考えていただけだ。さて、それに関してだが可能か不可能かで言えば──』


 これの厄介な点は、ルシェにとってこれがノーリスクで行える挨拶代わりの一撃という点と、通常の手段では防御不可能な脅威を用いているという点と、この一撃が齎す副次的な効果が凄惨であるという点の計三点だ。


「ははは。騎士団長、私がこの身を捧げて特攻すればどうにかできますかね?」

「覚悟を決めた真面目な視線をよこしたところで、勝算無き無謀な自爆特攻など、私が許すと思うなよニール。国に殉じようとする心意気は買うし、逃亡以外の手段を真っ先に選ぶお前が騎士団にいることを嬉しくは思うがな」

「ですが」

「……といっても、だ。お前が考えた通り、正直、打つ手がない。ノアの超級魔術でもアレは防げんらしい。範囲そのものは問題なかったが……結界が一瞬にして汚染され、効力を失ったようだからな」

「……」

「まあ、足掻けるだけ足掻くさ。ただし、先に死ぬのは私の役目だ。本来であれば、最高戦力にして指揮官である私が真っ先に死ぬのは良くないんだが……こればかりはな。戦力を出し惜しんで、全滅よりはマシだろう?」

「ですが、騎士団長にはキーラン殿がっ」

「ふっ。国を守護しつつ、旦那様も守護するのが騎士団長たる私の役割。旦那様を優先して、国を見捨てるとでも? 違うぞニール。私ほどの存在であれば……二兎を追って二兎とも仕留めるんだ」

「騎士団長。キーラン殿を仕留めるのは良くないのでは」

「いやいや、ハートを仕留めるんだ」

「ハートは射止めてください」

「さて。話を置いて、往くとしよう」


 ルシェ本人の自己申告の通り、今の彼女にとって都市を覆い尽くす規模の一撃を放つことはほとんど労力を要さない。故に、彼女にとってこの程度の一撃は連発可能なものであり、ジャブと同程度の役割を果たしてしまえることを意味している。


(……ですから、この次に本命の一撃が来るのでしょうね)


 ならばこの一撃を無視していいのか──答えは否。ジャブはジャブでも、これは相手を倒せるジャブだ。即ち、この後に本命が来ると分かっていても防御態勢に入らざるを得ない一撃である。


(この一撃の真髄は、この一撃を受けた世界が汚染され、環境を根本から変化させることにある)


 故に、何が何でも防ぐ必要があった。地上に落下する前に、地上に影響を及ぼさないように防ぐ必要があった。そうでなければ、例え人々を守護することができても、その後の世界で人々は生きていくことができないからだ。


(種族とは滅亡と誕生を繰り返すものだという言葉を、目にしたことがありますが……)


 世界の理が死ぬ。そうなれば新たな世界が誕生し、その新たな世界で生きていけるのは『魔王の眷属』や、神の血を引く自分のような例外と──神々くらいだろう。そして長い年月を経て、霊長という概念そのものが変化していく。


 それがこの世界にとって、正義なのか悪なのかは正直に言うと不明だ。もしかすると、自分が信仰を向けるべき神々からすれば"それはそれであり"という結論を出すものなのかもしれない。もしかすると、この末に世界は救われるのかもしれない。


 だが少なくとも。


(──別に、それに抗うことだって、悪ではないはずです)


 少なくとも、ソフィアにとってこれは"良し"とできない結末だった。そして多分、彼女が一番信仰を向けている神、ジルにとってもそうだと思う。


(今の私では『天の術式』を十全に扱うことはできませんし、正直に言うとこの術式を使うのはあまり得意ではありませんが……)


 中途半端に使える術式があるのは血筋の関係よ、とグレイシーが言っていたのを覚えている。『天の術式』の適性とは血筋の関係なのか、と目を丸くしたからだ。グレイシーは「知らなかったの……?」と不思議そうにしていたが。


(反動は大きい。消耗する体力も、神の力も)


 それでも、この地を守ってみせよう。友人が住むこの国を、守ってみせよう。


 だがしかし、自分では本命たる二撃目に備えることは不可能だろう。


 そう──自分では。


(任せます、というのも変な話ですが)


 そう言って、ソフィアは笑った。神の信徒らしからぬ、普通の女の子のような笑みだった。


「絶望に抗いましょう──『光神の盾』」


 そして、光の壁が顕現した。絶望を前にしても、希望の光は決して揺らがない。


 ◆◆◆


 エーヴィヒ最強の一撃──『絶』。

 それは、厳密には呪詛ではない。


 エーヴィヒの力の象徴たる闇と血を混ぜた状態で収束させて放つ絶対の一撃であり、呪詛とは異なるものへと変貌した絶対の一撃である。故にキーランの見立ては正しく、呪詛を禁則事項として設けても意味がない。魔術を禁則事項に設けても、魔力を雑に放出する一撃は禁則事項の対象外になるのと同じ理屈だ。闇を禁則事項にしたところで、血も混ざって別物と化しているので無意味である。


 そして同時に、ルシェの場合は闇が呪詛と似通った性質も有してしまっている。というより、彼女はただの闇が"呪詛 羅刹変容"と同等か、それ以上の悪辣さを有してしまっているのだ。厳密には呪詛ではないが、他人から見れば他の『魔王の眷属』が操る"呪詛"よりも数段凶悪と化した"呪詛"にしか見えない。


 故に、ルシェの『絶』は世界を汚染する性質を有している。言ってしまえば特級魔術を遥かに凌駕する破壊力──補足範囲は最大にまで広げても特級魔術と同規模程度だが──だけが特徴であるエーヴィヒの『絶』よりも、厄介極まりない点と言えるだろう。


 だがそれを──あろうことか、真正面から受け止めた存在がいた。


「へー! 止められるんだね! ね! まあ、どうでも良いけど」


 そう言いながら、この一撃を受け止められている隙に次の一手を繰り出そうとして──止める。


「うーん、でもちょうど良いか。私に分からないと思ったかな? かな?」


 女の勘とでも言うべきか。ルシェには分かる。分かったしまう。この盾を展開した少女──ソフィアがジルに対して好感情を抱いていることを。


「ふふふ」


 人様の恋人に恋心を抱くなど、万死に値する。勘違い女風情がジルに近づこうなど、一体なんの冗談だろうか。優しいジルが何も言わないから、その優しさに付け入るようにしてジルの側に居続けようとする不届き者。きっと、落とし物を拾って手渡すときにさりげなく手に触れたり、昼食を食べるときに隣の席に座ったり、ジルが好きな作品を見て「私もそれ好きだよー」とかアピールし始めたり、始めは複数人で遊ぶ予定を入れて距離感を縮めてからちょっとした予定で二人きりになる時間を作っていく工作をしたり、私の方が彼女より仲良いですアピールを始めて外堀を埋め始めたり、なんかそういうことをし始めるに違いない。独り身の人間を相手に行うなら恋の戦略として頷けるが、自分という名の恋人がいるジルに行うならばそれはもう泥棒猫であり、自分に対する宣戦布告である。


(好きでもない人からもらう好意ほど、不愉快で怖いものはないよね! ね!)


 ジルが可哀想だ、とルシェは思った。

 普通に不愉快だ、とルシェは思った。

 速攻で泣かすか、とルシェは思った。


「キミは色んな人を守ろうとしてるみたいだけど……大国の中でも最も広大な国土を有するこの国の人たちを守りきることができるかな?」


 エクエス王国は、その国民性の影響もあってか大国でも最も広大な土地を有している。かの『氷の魔女』と言えど、エクエス王国の全土を一度に捕捉するのは不可能だろう。


(その広大な土地に住む全ての人々を、貴女は守れるかしら?)


 予め準備していた一撃を破棄して、ルシェは既に放たれている一撃が止むのを待った。今も必死に闇を防いでいるであろう忌々しい少女の顔を、絶望で濡らすために。


「燃料にするのは最後。絶望で満たして、羅刹変容で堕として、絶望と怨念と憎悪の全てを糧にしてあげる」


 そうすれば、芳醇な"呪詛"が溜まり、ジルへの最高のプレゼントになるだろうから。力の凄まじさを示しつつ、更なる高みへと至る。完璧な計画に、ルシェは満足げに頷く。


「この国の人たちが全滅した光景に、涙を流してね」


 ◆◆◆


 そして遂に、ソフィアはルシェの一撃を凌ぎ切った。

 

 時間にして十分といったところか。『絶』を放つために収束させられてちたエネルギーが枯渇したことで、その一撃は終わりを迎えたのである。


「ソフィア! 大丈夫か」

「ええ……大丈夫、です」


 凄まじい疲労感だ、とソフィアは思う。あまり得意ではない──グレイシー曰く血の問題とのことだが──天の術式をそれなりに長時間、広範囲高出力で使う必要があったとはいえ、ここまで疲弊するとは思わなかった。自分が思っている以上に、弱体化は激しいらしい。


(ですが)


 耐えた。

 ならば、疲労を回復する時間も得られたといっても過言ではない。


「すごいすごい」


 膝を突いて汗を流すソフィアの頭上から、パチパチと手拍子の音が。賞賛とも侮蔑とも取れる感覚で手を叩いている少女──ルシェは光のない瞳でソフィアを見下ろしていた。


「大陸最強格でも、この一撃を防ぐのは無理だったのにね。貴女って、本当に凄いと思う」

「……無理だった? まるで、過去に大陸最強格が一度は受けて敗北したような物言いだな」

「うん。だって、私がそうだもん」


 騎士団長の疑問に、なんでもない風にルシェが答える。目を細めた騎士団長を余所に何百年前だったかなあ、と首を傾げたルシェは「まあいいや」と微笑んだ。


「貴女には素直に敬意を表するし、凄いと思う──けど、それ敬意これ女の勘とは話が別だわ」


 再び天を覆うは暗黒世界。だがその範囲は──


『き、騎士団長!』

「……その焦燥っぷりから言おうとしていることの予想はできるが。報告を聞こう、ノア」

『え、エクエス王国全土を覆うほどの規模で……闇が展開されていっています」

「────」

『超級魔術ではおろか、特級魔術でも、こんなことは不可能です! 「氷の魔女」が海岸で放つ特級魔術を見たときでも、ここまででは……!』

「特級魔術以上、だと……?」

『「氷の魔女」の場合は、ある程度自重している可能性もあるので、一概には比較できませんが……おそらく! 威力は不明ですが、少なくとも補足範囲は人間の域を越えています……! 廃人を生み出し続けた"禁術"とやらに匹敵する可能性も考え──』

「……ふふふ。特級魔術でも、エクエス王国の国土全てを覆うのは無理だと思うし、伝道師さんでもそうだろうけど──今の私にはできちゃうんだよね。ね。ね」


 そこまで言って、ルシェはとある方向へと顔を向けた。そこには。


「残念だったね。これはね、呪詛でも闇でもないの」

「……っ」


 そこには、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるキーランがいた。それを見て満足げに頷いたルシェは、再び感情の籠らない瞳でソフィアを見下ろす。


「貴女、私と同じだよね。ね。ね」

「……」

「言ってることの意味は分かるよね? ──だから、ムカつく。だから、絶望させてから殺す。泣き顔を見せてくれると嬉しいな」


 そしてルシェが右手を振り下ろすのと同時に、絶望は放たれる。自らの姿が闇で覆い隠されるより速く、ルシェは言葉を続けた。


「頑張って防ぎきったね。人々に希望を与えたね。本当に、可哀想な人たち。貴女に中途半端に救われちゃったから──どうしようもない二撃目を前にして、更に絶望しちゃうんだから。貴女では、誰も守れないよ」

「……ええ。悔しいですが、私には無理でしょうね」

「……?」


 目を細めるルシェ。それに対して、「頼ってしまうようで恥ずかしく、同時に不甲斐ないのですが」とソフィアはここではない誰かに向けるように。


「あの無作法な一撃。お任せしてもよろしいですか、ジル様?」

「──元より、貴様らの役割は、私が一般人が余波で死なぬように結界を張り終えるまでの時間稼ぎだ。であれば、これは私の務めと言える」


 再び、闇を覆い尽くすようにして光の壁が放たれる。完全に『絶』を防ぎきっているそれを見て、目を見開くルシェ。そうして現れたるは──神々しいオーラを纏った一人の王。


「ありがとうございます、ジル様」

「礼は良い」


 頭を下げ、そしてソフィアはルシェを見上げる。


「しばしお待ちを。ジル様の『光神の盾』が『絶』とやらを防いでいる間にも体力を戻して」


 自分と同じ人を好きになった少女を、ソフィアは見上げ続ける。


「ルシェは、私が仕留めますので」


 それこそが、自分のやるべきことだと思うから。別に、自分はジルの恋人でもなんでもない。だから、お門違いといえばお門違いだ。それでも、彼女が嫉妬を向けている以上──それを受け止めるのは、自分の役目なのだと思った。


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