結婚式 後

「久しぶりだな、あなた」

「……」


 そう冷笑──本人からすれば微笑だが──を浮かべる騎士団長を前にして、キーランは内心で表情を硬くする。決して逃がさないと言わんばかりの眼光は獲物を前にした獅子がごとき威容を誇っており、こちらに全集中力を向けているのがヒシヒシと分かるほどの威圧感は周囲の空間を歪ませるほどの領域。更には"あなた"と呼ぶことで「お前の名前には、私が語るほどの価値がない」という死刑宣告を間接的に行う所業。


 間違いなく、こちらをる気の人間だ。


「もう、私はあなたを放さない」


 肉食獣のような言葉を放つ騎士団長。普段ならば涼風のように受け流せるはずの圧力なのに、何故かキーランは恐怖という感情を抱いていた。意味が分からないが、騎士団長には何故か一生勝てない気すらしてくる。


(莫迦な。何故、この場で彼女が出てくる)


 そんな処刑人の姿を見ながら、キーランの混乱は更なる高みへと至った。


(だがしかし、以前のような猪突猛進といった空気はない。ある程度落ち着いている……それに、殺気はないな。今すぐにオレを殺す気はないということ。いや、冷静に考えると、当然といえば当然だ。エクエス王国の法や国事情を考えれば、正当な理由でオレを殺すことはできない。オレを殺すには、彼女自身が信念を捨て堕ちる必要がある)


 成る程、とキーランは納得する。サプライズとは──このことを冷静に察せるかどうかを指していたのだろう。


 思えば、自分は忠誠を誓い信仰を捧げつつも、自らの不確定要素である騎士団長に関して詳しく報告していなかった。エクエス王国の法や判例、世論にその他の事前調査の結果"問題ない"と過去のキーランが判断し、ジルの軍門に下った際に騎士団長との因縁を語ったくらいである。実際、問題ないのはその通りではあったが──そんなことは、ジルには関係ない。当時のキーランの行動の全てを知る訳ではないジルにとっては、キーランと騎士団長の関係は不確定要素に他ならないからだ。


 全て。余すことなく、一言一句違えずに。何一つ漏らすことなく、全てを語らなければいけなかったのだ。要約したものではなく、重要な部分と趣旨や背景だけでなく、全てを。


 なればこそ、この場を設けたに違いない。事実、ジルからの鋭い視線を感じる。視線からは、何かを見届けようとする意思を感じることからも、キーランがこの結論に至るかどうかを試していたことが窺い知れるというもの。


 しかし、何よりも重要なのは──ジルの手を煩わせることになってしまったということだ。


(オレはなんと、なんと莫迦なことを……)


 なんたる不敬。なんたる愚行。思考が後悔によって埋め尽くされ、今すぐ服を脱ぎたい衝動に駆られる。やましいことなど、はかりごとなど一切存在しないと服を脱ぐことで証明して信仰を示したい。だがしかし、今はその時ではない。今は、任務を遂行するために行動しなければ。


(だが、オレがいることで標的を釣るのが対象だったと考えると、騎士団長が標的でもあるのか……? いや、違うな)


 確かに、騎士団長であれば自分を発見すれば現れるだろうとキーランは思う。だがしかし、騎士団長が暗殺対象ということはあり得ない。何故なら、理由もメリットも皆無だからだ。故に、彼女が暗殺対象でないことは分かる。流石にそんな勘違いをすることはない。


(──つまり、騎士団長を見て現れる者こそが暗殺対象に違いない)


 そのように、キーランは結論付けた。騎士団長を害そうとする者を排除することが、今回の任務であると。つまり騎士団長は餌であり、ならば自分が為すべきことは決まっている。


(我が使命は騎士団長を躱しつつ、この場に騎士団長を縫い止めること)


 まずは、会話を交わそう。女性との会話で大切なのは──


「……良い服装だな」

「そ、そうか?」

「ああ。オレが見てきた中でも、最も映える服だ」

「────」


 まずは服を褒める。これは鉄則である。なのでキーランは、まずは騎士団長の服を褒めることにした。だが、顔を真っ赤にして怒り狂っている辺り、どうやら褒め足りないらしい。


「国宝級などという言葉ですら生温い。もはや世界の宝と言えるだろう」

「あう」

「お前のその姿を見れたことを、オレは嬉しく思う。あの日のことを思うと……実に、感慨深い」

「わ、私も……感慨深く思う。こんな日が、来るなんて……始めは、思ってもみなかった」

「そうだな……(今後は殺し合いをしない的な意味で)より良い関係を築きたいものだ」

「! ああ、(新婚生活的な意味で)より良い関係を築いていこう!」

「そうだな。これからも、オレたちの人生は続くのだから(そのままの意味)」

「ふふ、そうだな。これからも、私たちの人生は続く(夫婦生活的意味)」


 よし悪くないな、とキーランは内心で頷いた。威圧感は霧散しているし、騎士団長の言の葉も軽快だ。野獣のような眼光は消えていないが……まあ、一度に全てを解決しようというのは贅沢だろう。


(あとは、ここへ縫い止めるために……)


 騎士団長が満足して帰宅されたら困る。なので、キーランは言葉を続けることにした。


「ここから離れるなよ」

「こ、こことは?」

「ここだ」


 そう言って、キーランは自分の横を指差した。それを見て、騎士団長の顔が更に真っ赤に染まった。地雷を踏んだのかもしれないと若干焦るキーランだが、何も言わずに騎士団長がキーランの横に立ったことで焦りが消える。


「あ、あなたの横から離れなければ良いんだな?」

「そうだ。決して、オレの傍から離れるな」

「!!???」


 突然のキーランからの大胆な言葉に、公式から供給過多を受けたオタクのように目をグルグルと回す騎士団長。野獣のような眼光が消えたことでパーフェクトコミュニケーションを完遂したと満足げに頷くキーラン。満足げに頷くキーランを見て「なんだかんだで騎士団長のこと大好きじゃねえか」と呆れるヘクターと、「俺が解放される日は近いかもしれん」と冷笑を浮かべるジル。そんなジルの表情を見て「世界の終末を引き起こそうとしてる顔……!?」と泣きたくなるローランド並びにレイラ。友人の夫婦関係が円満そうで嬉し泣きをするソフィア。ここに、誰も何も理解していないが奇跡的に成り立っている謎の舞台は完成した。


(よし、あとは不審な動きをするものを索敵して……)


 そしてその瞬間──


「ではこれより、キーラン殿と騎士団長殿の結婚式を始めます」


 ──キーランの表情が硬直した。


(……???????)


 キーランの心境を分かりやすく表現するならば「マジで?」といった具合だろうか。なんとなく、なんとなく自分が結婚式をするような空気だなとは思っていたが、しかし本当に自分の結婚式なのかとキーランは自らの耳を疑う。


(……)


 キーランは横にいる騎士団長を見た。その騎士団長は、神父の言葉を疑いもしていない様子だった。というか、心なしか服がウェディングドレスに見える。というかこれは、ウェディングドレス以外の何物でもない。どの角度から見ても立派なウェディングドレス。すなわち、新婦の姿である。そして自分の姿も、どこからどう見ても立派な新郎である。


(……)


 だがしかし、騎士団長と結婚なんて話を進めた記憶はない。それは騎士団長も同じはず。ならばこれは、自分たちを狙った罠に他なら──


「──旦那様」

「え、あ、ああ……」


 突然、騎士団長の空気が変わる。それはさながら、夫を立てるために三歩後ろ下がる妻が如く。彼女としては結婚式が始まるので丁寧な言葉遣いがいいだろうと考えた結果だが、キーランからすると敬語に謎の圧を感じてしまう。


「ふふ。急に緊張したですのか? あれほど、私に熱い言葉を送っておいて……」

「……いや、それは」

「ところで、夢のマイホームで飼うペットは白い犬が良いと思うのですか、どうお思いですか? もう土地は買っていますし、名前ももう決めてあります」

「……」


 いつのまにか話が進みまくっている。キーランは恐怖した。


(いや、待て。もしやこれも作戦なのでは……?)


 そうだ。そうに違いない。敵を釣り出すために、騎士団長は芝居を売っている……のか? ならば最初の威圧感に説明がつかない。騎士団長の行動が一致しない。だが、だとしたら──この状況は、この状況はなんなんだ!?


「子供の名前も、考えてあります。……旦那様も、ある程度は考えているのでしょう? あとで、お互いに話し合いましょう。夫婦として、大切なことですから」

「……………………ああ」


 そんなものを考えている訳がない。かといって、頷く以外の道もない。どうなるかが全く分からない未知への恐怖が、そこにはあった。


「ご近所付き合い、というのも大切です。引っ越し先では、ご近所の方々に二人揃って挨拶をしましょうね」

「……」

「それとも、そちらの国の方が良いでしょうか? 私としては、それでも構いません。こちらでは別荘を建てましょう。そしてそちらの国の土地も、ジル様を仲介してご購入させていただきたく存じます。もちろん、私が支払いますので」

「……い、いや。オレが買う」


 ついオレが買うといってしまったが、何を買うのだと、何故そんなものを買うのだと、内心で自問自答するキーラン。答えはまるで見つからなかった。多分、今後も見つからない。


 表情に変化を示していないが、しかしキーランは間違いなく混乱の極みにいた。


(まるで、まるで意味が分からん……! この女、一体どのような思考回路をしている……!?)


 この混乱は、ジルらがキーランの行動で起こす混乱と大差ないのだが、キーランがそれに気づくことはない。


 そしてキーランが混乱しようがしまいが、結婚式は続く。聖歌が終わると同時に、神父が聖書を朗読して神に祈りを捧げていた。その神はジルではないが、キーランは狂信者でありつつも異教徒死すべしという思考を有していない──自ら攻勢に出ることでジルの敵を作ることこそ不敬と考えている──ので特に何かを言うことも何かをすることもない。


 が、


「では、お二人も祈りを……」

「私の信仰している神は貴方の信仰している神とは異なる。そちらの神に祈りは捧げられん」

「あ、はい。申し訳ございません。ではその、騎士団長は」

「旦那様が信仰する神は私も信仰するのが道理です。なので、私も捧げません」

「さ、左様ですか……」


 が、自ら異教の神に信仰を捧げることはあり得ない。自らが信仰するのはジルのみであり、それを違えることはあり得ないのだ。


(……しかし、そうか。今は祈りを捧げる時間か)


 ならば──とキーランは服を脱いだ。唖然とする神父と、目が点になる騎士団長。そんなことは知らぬとばかりに信仰を捧げるキーランを見ながら、神父は震える声で。


「な、何をしていらっしゃるのですか……?」

「信仰を捧げているだけだが」

「な、何故服を……?」

「ジル様に信仰を捧げるためだが?」


 ざわり、と式場が騒めく。


「ふ、服を脱ぐ必要があるのですか?」

「むしろ信仰を捧げる以外の理由で服を脱ぐ訳がないだろう」

「────」


 こいつは何を言っているんだ、と神父は絶句した。


「……待ってください旦那様。それはつまり、旦那様はジル様以外には服をお脱ぎにならないと?」

「ああ」

「……それは、何故?」

「オレがジル様に全てを捧げると誓った身だからだが?」

「……ほう?」


 直後、空間が歪んだ。


「それはつまり、私には全てを捧げられないということか?」


 それを見て、キーランは思う。これ、浮気をしたみたいな空気ではないか? と。


「お前は何を──」


 浮気以前に、結婚した記憶も付き合った記憶もないのに浮気を詰問される。意味不明だがしかし、それが現実だった。


「……まさか、上官殿が姑ではなく、好敵手だったとは……。いやだがしかし、私のために式を挙げてくれた上官殿が……? そんなはずはない。そんなはずは……」


 ぶつぶつ、と何やら呟いた騎士団長はそこでカッと目を見開いた。見開いて、キーランに向かって言い放つ。


「旦那様」

「なんだ」

「その信仰、貴方が勝手に送っているものでは?」

「……なんだと」

「上官殿が旦那様に信仰しろと言った訳ではないだろうと言っている。貴方の妄想なのではないか、とな」


 怒りに震えるキーラン。神託が妄想だと……? 勘違いも甚だしい。キーランは激怒した。


「それはこちらのセリフだ」

「何?」

「何故、オレがお前と結婚することになっている。それこそ、お前の妄想ではないか?」

「なんだと」


 怒りに震える騎士団長。結婚が妄想だと……? 勘違いも甚だしい。騎士団長は激怒した。


「貴方が今ここにいる、それが私の愛の答えだろう」

「オレが今生を受けている。それこそが神の存在と信仰の偉大さであると知れ」

「……」

「……」

「…………あ、あの」

「申し訳ないが、少し端にいてくれ」

「すまない。暫し待て」

「あ、ハイ」


 素直にいうことを聞く神父。是非もなかった。


「まさか結婚式で、夫婦喧嘩をすることになるとはな」

「そもそも夫婦とはなんだ、とオレは言いたいのだがな」

「夫婦は夫婦だろう。そこに嘘偽りはないはずだ」

「…………いや、嘘偽りしかないと思うのだが」

「それより、私も問おう。神とはなんだ、とな」

「なんだと。貴様、神たるジル様を……」

「上官殿は王であり人間であり義父である。そして、旦那様は私の夫である。私はそれを証明しよう」

「ならば言おう。ジル様は神である、とな。ジル様は神であり神であり神である。そして、お前はオレの妻ではない。オレはそれを証明しよう」

「私は貴方の妻だ。勘違いはやめてもらおう」

「ジル様は神だ。貴様こそ勘違いはやめてもらおう」


 かくして、どちらも勘違いでしかないことへの無意味な証明合戦が幕を開け──


 ◆◆◆


 始めは、自分とあの人の結婚式に乱入した厚顔無恥な屑共だと思った。


 だが、それはおかしい。あの人を物理的に排除するのは、あの程度の二人では不可能だ。たかが大陸有数の強者の上澄みと、大陸最強格程度であの人をどうにかできる訳がない。


 ならば策謀を巡らせたか? と思ったがそれもおかしい。神算鬼謀という言葉ですら生温い領域にあるあの人の頭脳を、あんな妄想癖の塊としか思えない二人組にどうにかできるはずがない。


 ならば──と考えて、そんなもの、答えは一つしかなかった。

 

(そっかー。……分からせないと、ダメなんだね。ね)


 ──瞬間。

 莫大な呪いが、式場を覆い尽くす。


(私と両想いじゃないなんて、あり得ないよね。ね。ね?)


 ◆◆◆


「っ!」

「!」


 次の瞬間。騎士団長は剣を振るい、キーランはナイフを放っていた。同時、どこからともなくジルの結界が起動し、観客たちを覆う。そして現れたるは──


「まずはキミたちを殺すね。ね。ね」


 莫大な呪詛を纏った少女、ルシェ。エーヴィヒから力を強奪し、数千万人規模の人間を傀儡に落とし、呪詛を抽出したことで、その実力は計り知れないものと化していた。


 そして、何より。


「やはり、なのか」

「……知っているのか?」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる騎士団長。そんな彼女の横に立ちながら、キーランは問う。この状況に至って、口喧嘩を続けるほどキーランも騎士団長も子供ではない。勘違いを修正させるのは、目の前の敵を消してからで構わない。そう意識を切り替えて、彼らは目の前の脅威へと注意を払っていた。


「彼女の名前はルシェ」


 剣を構え、騎士団長は口を開く。今もなお圧力が増していく大敵を見据えて、眼を細めながら。


「エクエス王国の──歴代騎士団長の一人だ」

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