呪いの皇女

「……『魔王の眷属』。不死の軍勢とは聞いておったが、よもや歴史上の人物さえも従えているとは」

「父上。彼女は一体」


 騎士団長の結婚式に参列していたエクエス王国の国王と、王位継承権第一位の息子。彼らはジルの張った結界の中から、会場に現れた脅威へと視線を送っていた。


「歴代騎士団長、その一人じゃよ。何百年もの昔……"戦乱の世"と呼ばれる時代を生きていた人物じゃ」

「何百年も昔、ですか」

「正確な年月は不明じゃ。じゃが……」

「父上……?」


 目を細め、押し黙った国王。そんな彼を、王子は訝しんだ様子で見上げていた。


「……」


 その視線を無視して、王は剣を構えた騎士団長を見る。娘のように思っている、その少女のことを。



 ◆◆◆


「ふーん。私のことを知ってるんだ。ということは今もずっとアレを続けてるんだね。くだらないなー」

「誉れ高き『騎士団長』の座に着くために必要な大切な儀礼だ。当然、貴女のことを私は把握している。……といっても、儀礼の関係上、把握できているのは顔写真くらいだが」

「それだけでも十分凄いと思うよ。一回しか見ないのに、よく覚えていたね」

「当然だ。歴史を知り、趣旨を理解し、過去を学ぶことで未来へと進む架け橋を正確に繋ぐことができる。歴史を知らなければ同じ過ちを繰り返し、趣旨を理解していなければ意味はなく、顔を学ばなければ未来へと繋げない。手段の目的化や、本末転倒といった事故が起きる可能性があるからな。ならば、私が偉大な貴女方の顔を忘れる筈がない」

「ふーん……」


 ジロリ、とルシェは騎士団長とキーランの二人を見下ろす。見下ろして、言った。


「よくも見せつけてくれるよね。ね。ね」

「……?」


 その言葉に、眉を顰める騎士団長。見せつけるとは、一体何を言っているのだろうか。


「なんで首を傾げてるのかな?」


 断じて許せない、とルシェは思う。嫉妬という感情を抱いたのは初めてだが、成る程。これは確かに、殺意の波動に溢れる代物だ。知識としては知っていたが、実感を得ると凄まじい。目の前のものを壊したくて壊したくて壊したくて仕方がない。自分は理性的で計画的な人間であるはずなのに、こうまでも感情に振り回されるとは思ってもみなかった。


(うん、そうだね。ここにいる人たちを皆殺しにして。あの人を分からせて。世界中に私たちのことを祝福してもらって、幸せな世界を作るしかないよね。ね。ね)


 下準備は完了している。理論上、世界を堕とすことは不可能ではない。では手始めに──今代の、大陸最強格の一角を崩そうか。







 敵は歴代騎士団長の一人。


 一時代を支えた傑物であり、大陸最強格を冠していた偉人。特に、時代が時代であれば大国同士の戦争にも参加していたであろう人物だ。大陸最強格同士の激突も、何度もあったことだろう。その経験を乗り越えて、今の今まで生きてきた怪物。


 疑う余地もないほどに、強い。


「何百年も昔の騎士団長とはな」


 加えて、そこに『魔王の眷属』としての特性まで付与されているのだ。『最高眷属』の一角たるサンジェルと交戦したときの記憶が過ぎり──最大級の警戒と戦力をぶつけなければ敗北は必至。おそらく、敵は『魔王の眷属』の中でも最高位の実力者だろう。それはマヌスの戦闘鬼兵の頂点『蠱毒』よりも、格段に凶悪であることを示している。


 間違いなく、キーランが敵対した中で過去最強の敵である。


「随分な大物だが……理解したぞ」


 だが、それでも退くことはあり得ない。ジルが直接見ている以上、情報を持ち帰ることを優先する理由はない。ならば、自分が為すべきはなるべく多くの情報を引き出すこと。そして、隙があれば撃破することだ。


「お前が標的か」


 短刀を構えながら、キーランが確認するかのように呟く。その呟きを拾ったルシェの視線が、キーランへと移った。


「標的? なんの話かな?」

「お前は騎士団長の姿に釣られたのだろう? ならば、お前こそオレが殺す対象に他ならない」


 この状況は、全てジルの掌の上なのだ。気が狂った少女を表舞台に立たせることこそが、ジルの目的の一つ。


 であれば、当然ながら目の前の少女を殺すことも付随してくる目的だろう。


「全てはジル様のために」


 ならば、キーランの為すべきことは確定した。ジルのためにと祈りを捧げ、キーランは静かに殺意を立ち昇らせる。


「は?」


 一方で、苛立ちを募らせたのはルシェの方だ。キーランの言葉は、ひどく勘に触る。


「私を殺すのがジルのため? ジルの判断? いや、キミの独断かな? 頭おかしいんじゃないかな? でもまあ部下の教育がなっていないことに変わりはない。こうなると本当に、分からせる必要があるね。ね。ね」

「言葉に気をつけろよ女。お前ごときがジル様を呼び捨てにするなぞ」

「私はジルの恋人だよ? その私がなんで呼び捨てにしたらダメなの。ねえ。私は恋人なの。だから問題ないよね。ね。ね。……ねえ、なんで返事をしないの?」


 能面と化したルシェが強烈に脚を踏みつけた直後に、キーランの足元に亀裂が走った。それと同時に、亀裂の隙間から闇が溢れ出て、そのままキーランを襲おうとして──


「私の旦那様に手を出させるとでも?」


 ──襲おうとして、キーランの首根っこを掴んだ騎士団長により回避される。そのまま騎士団長は大きく後方に跳躍して、祭壇の上に立った。神父が震えているが、彼も結界に守られているため問題はないだろうと判断してキーランを床に下ろす。


「ふーん。それなりにやれるんだ。でも、流石に反応が早すぎるね。なんで分かったのかな? かな? 未来視? そういう異能? それとも──」

「──そんな特別なものは必要ない。愛する者の危機を、私が察知できない訳がないだろう?」

「言葉の意味は理解できんが、……礼を言おう」

「礼には及ばない。夫を支えるのが妻だからな。私は、当然のことをしたまでだ」

「……」


 まあオレもジル様への信仰心により危機は察知できていたが──とは口にせず、キーランは思考を巡らせる。時間を無駄に消費する訳にはいかないからだ。


(……ジル様の恋人、だと?)

 

 そのような話は聞いたことがない。だが、それはそれとしてジルに対して嘘を吐いている者の気配ではない。あり得ないと直感は告げている。ジルが認めたものであれば文句を挟む真似はしないし、するつもりもない。だが流石に妙だ、と訝しんだ様子を浮かべるキーラン。そんな彼に向かって、ルシェは嘲笑を浮かべた。


「こんな大事な話を聞かされてないの? 部下なのに? キミ、本当は信用されてないんじゃないかな?」


 心の底からそう思っている者の表情。だが、しかし──


「惑わされるなよ旦那様。アレは妄言だ。彼女の中ではそれが正しいから、そう見えるだけだ。つまり勘違い女というやつだな」

「妄言? 勘違い女? 何を言ってるのかな今代の騎士団長」

「そのままの意味だ過去の騎士団長。お前が上官殿の恋人? そんな訳がないだろう。これだから狂人は困る」


 やれやれ、と肩をすくめる騎士団長。


「私はジルの恋人だよ。そして、キミたちがいなければ今日にでもジルと結婚していたんだから」

「恋愛脳もここまでくると滑稽だな。仮にも騎士団長の名を冠していた者がこれほどまでにお花畑な勘違い女だったとは」

「…………………………………………」


 ふと、騎士団長は横から視線を感じた。おそらく、キーランは自分の横顔に見とれているのだろうと当たりをつける。夫婦なので構わないどころかウェルカムなのだが、流石に今は敵に集中していて欲しいとも思う騎士団長。彼女には鏡という概念が存在しなかった。


「私のどこが恋愛脳なのかな?」

「全て、と言ってやろう」

「まあ、それでも良いよ。だって、私はジルが大好きだもん。そして、ジルも私が大好き。なら、思考が恋愛に染まるのは当然だもんね! ね! ね!」

「……成る程、理解した。恋人でもないのに恋人を自称するなど、厚顔無恥にもほどがある。恥ずかしくないのか?」

「ふむ。流石旦那様だ、理解が速い。旦那様の言う通りだぞルシェ。恥ずかしくないのか?」

「…………………………」


 ふと、騎士団長は横からの視線が更に鋭くなるのを感じた。思わず視線を返してそのまま口付けを交わしたくなるが、しかし流石に敵を前にして──いや待て。別に問題ないのでは?


「ルシェ。すまないが、夫婦の時間をくれないだろうか? やはり、殺し合いの前に夫婦の時間を設けることは大切だと思うんだ」

「──死んでほしいね。ね。ね」


 ポッと頰を赤くする騎士団長に向かって、凍てついた視線を送り続けるルシェの言葉を皮切りに、開戦の狼煙が上がる。莫大な闇がルシェより放たれ、騎士団長とキーランに向かって降り注いだ。


 ◆◆◆


「……このタイミングで『魔王の眷属』が登場したか。空気を読んで式が終了してからにしろと言いたいが、仕方あるまい」


 大々的なようである程度秘匿して行ったが、それでも登場したということはそれなりの情報網を有しているらしい。その事実を察したジルは軽く溜息を吐いて。


「さて」


 軽く溜息を吐いて、ジルは次々と防御結界を張っていく。建物そのもの──ではなく、今現在エクエス王国にいる戦闘力を有さない者たちへと。


 建物は倒壊して構わない。この会場が破壊されても修復は可能だし、むしろ狭い場所で戦闘を継続する方が不利。ならばいっそのこと、派手に破壊して見晴らしのいい場所で戦闘を行う方が合理的だ。


 だから重要なのは、民間人の保護。あの量の闇となると、余波だけで人々は死ぬ。あるいは呪詛『羅刹変容』とやらで魔王の眷属へと堕とされる。スフラメルによる小国滅亡以上の被害が、大国で起きることとなるだろう。


(俺の見立てでは、あの呪詛はエーヴィヒよりも格段に多く、そして濃い……)


 アレほどの戦力が『魔王の眷属』に所属していることへの驚きと、アニメであの顔は存在しなかったことへの驚き。その二つが、ジルの胸中を占めていた。


(考察は後だ。一先ず──エクエス王国の全住民を保護するための結界を張る)


 もちろん、善意だけではない。善意だけで、自らの戦闘力を削って全滅のリスクを増やすような真似は避けなくてはならない。国の頂点に立つ者として、そういった冷徹な思考は必須だ。友好的な同盟国とはいえ、それでも自国ではないのだから。


(まあ、それでもやれるだけのことはやる主義だ。それに、同盟国程度守護できずに、神々打倒を掲げられるか? 同盟国を守れないなんて結果で、堂々と国に帰れるか? 答えは否だ。ジルとしての格が落ちる。そんなことは、断じて認めない)


 それに何より、現在進めている交渉のための布石になる。


 とはいえ、簡単なことではない。普通に考えて、目視できない範囲の住民も保護するなど不可能に近いからだ。まさしく、神の所業といえる領域である。


(──だが、やってみせよう)


 第一部のラスボス。ジルであれば不可能ではない。ならば、自分にできない道理はない。なればこそ、必ず成功させる。前世でいうところのアメリカ大陸に匹敵する規模の大国に住む人々を守護するべく、ジルは『神の力』を稼働させていく。


「ローランド、レイラ。貴様らは騎士団長とキーランのサポートに回れ」


 そんなジルの様子を見て、ローランドとレイラは、やはりジルが世界を終末に導くと思いたくなかった。だが、今はそれを言うときではない。故に彼らは、ジルの言葉に頷いて戦闘態勢へと移った。


「──分かった」

「お気をつけて」


 ◆◆◆


「あー、もう訳分かんねえ」

「ええ。まさかアナの結婚式に乱入する不届き者が現れるとは……!」


 いやそういう訳じゃねえんだが、とヘクターは『加護』を起動する。友人の結婚式をめちゃくちゃにされて激怒しているソフィアには悪いが、結婚式自体が勘違い説が浮上しているためヘクターにはなんとも言えない。


(けど、今更違いましたーなんざ……)


 通用しないのではないか、とヘクターは思う。確認すらも勘違いであった悲劇はあるが、それはそれとしてもうキーランには結婚する以外の道がない気がしているのだ。ここから何かあれば別だが。


(……腹がいてえ)


 苦労人ヘクター。彼の胃痛の未来は、ここに宿命付けられ──


「ヘクター殿!」

「分かってらァ!」


 襲いくる闇の大瀑布。それを、拳を爆発させることで凌ぎ──きれない。


「っ!」

「はあっ!」


 ソフィアが『神の力』を放出し、僅かにできた隙間から二人は飛び出した。闇の波が周囲を埋め尽くし、空間そのものが呪われていく。


「……空間そのものに作用する領域の怨念。なんですか、これは」


 それを見て、ソフィアの顔が強張った。


(世界そのものを変化させている。現世と異なる環境という意味では、我々教会のいる空間に近いですが……これは、人を完全に呪殺する領域。こんなものを放置していては、一日も保たずに人類は滅亡してしまう……!)


 『熾天』として十全な力を使える状態であればともかく、現時点でのソフィアは大陸最強格程度の実力しかない。ある程度は慣れたと言っても、それでもやはり違うのだ。普通の人間に例えるならば、彼女は生身の状態で海溝に放り込まれて生活する状況に等しい。生きているだけでも理解不能だが、それで普通の人間と変わらぬパフォーマンスを行うのはどう見積もってもあり得ない。そんな不可能を可能にしていること自体が、彼女の実力の高さの裏付けなのである。


 そしてそれほどまでに弱体化しているからこそ、彼女は目の前の脅威を即座に打倒しなければならないと更に気を引き締めた。世界そのものを変化させている以上、人類滅亡どころか世界が崩壊する恐れもある。緻密な計算をした上であれば問題ないが、奇跡のような確率で成立している世界という方程式を、出鱈目に書き換えれば全てを巻き込んで崩壊する確率は極めて高いからだ。


 故に、


「天の術式、起動」


 故に、彼女は全身に力を巡らせた。

 そして。


「『豊穣神の涙』」


 そして、惑星の大地全てを捕捉可能な神弾が放たれる。それはルシェを貫くべく、天井を貫いて寸分違わずに標的を仕留め──


 ◆◆◆


 普通の『魔王の眷属』であれば、それで終わったのかもしれない。それは最高眷属であろうと例外ではない。神々の法則は、彼らにとって毒だ。エーヴィヒでもない限り、直撃すれば瀕死だろう。


 だが。


「──ぬるい」


 だが、彼女は普通の『魔王の眷属』などという枠組みに収まらない。『魔王の眷属』最高眷属の一角でありながら、大陸最強格として名を馳せた歴史上の英傑。通常時でさえ手に負えない怪物だが、エーヴィヒの力を強奪し、ドケリーを含む複数人の『魔王の眷属』から力を剥奪し、何千万人もの人間の力を呪いとしてその身に凝縮させている最強状態だ。


 彼女が闇から取り出したるは一振りの剣。年季を感じさせる、されど手入れの行き届いた魔剣だ。


 それを軽く振るう。それだけで、惑星の大陸全土を捕捉する最高範囲の『天の術式』は無力化された。如何に神の血筋といえど、人類最高峰に位置した大陸最強格を舐めるな。


「ふーん」


 剣を空間に収納しながら、ルシェは感じ取っていた。新たに出てきた四人の邪魔者を。人の恋路を阻む、愚か者たちを。


「まだまだたくさんいるみたいだね。ね。ね」


 怪物という表現ですら生温い彼女を打倒するのに、弱体化した状態のソフィアが放った中位の『天の術式』では到底足りない。比較的安全圏から攻撃するだけで、打倒可能な程度の敵である筈がない。


 それだけの準備をした。

 それだけの年月を費やした。


 目的は変わったが、しかし手段に変更はない。なればこそ、自分がこの場において最凶の存在であるのは自明の理。六人の邪魔者を見据えながら、彼女は口元を酷薄に歪めた。


「まあでも、一度にたくさん処理できた方が楽だよね! ね! ね!」


 さあ始めよう。

 世界を終わらせて、新生して、あの人と私だけの世界を作るための物語を。

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