勘違いの狂想曲

「うふふ」


 そこに、無邪気に笑う少女がいた。


「あは、あはははは!」


 少女が腕を振るう。途端、彼女の前に整列させられていた人間たちが、一斉に『闇』に呑み込まれた。


 ──呪詛 羅刹変容


 空間が血の色に染まる。人間が人間ではなくなる。彼らが紡いできた感情、記憶、信念。傀儡として活用するのに不要な人間の情報記録を貶める最悪の呪詛がここに顕現し、この場に立っていた者たちは死に絶えた。


 それは、意識を持つことを許された『魔王の眷属』であれば誰もが使える基本の技術。最高眷属が放つそれの練度や出力は他と一線を画すとはいえ、それでも基本中の基本であることに変わりはない。人間を傀儡へとおとしめ、自らの思うがままに操る最悪の術。それこそ、大陸最強格であろうとも呑まれるであろう人の世を脅かす力。


 だが、その原理は不明だった。


 誰でも使用可能だが、どうしてそうなるのかは誰も知らない。いや正確には『伝道師』は把握しているが、それ以外は誰も分かっていないのだ。それこそ少女──ルシェにも原理は分かっていない。最高眷属で最も高水準で『闇』を扱えるスフラメルや、最高眷属で最も多種多様な『呪詛』を修めていたサンジェルも同様。


 だがその程度の認識でも、例え仕組みを知らずとも『魔王の眷属』であれば例外なく扱える。人類に対する毒を、よく分からないままに操ることができてしまう。それは、そのことに気付いた者が深く考えれば、恐ろしい事実であるはずだ。


 だが。


「それがどうしたの?」


 薄っすらと笑みを浮かべながら、ルシェはその事実を捻り潰す。恐れを知らない少女は、狂気に満ちたままに世界を侵していた。


「原理なんてどうでも良い。私は、私が理解した範囲であろうとも、これを掌握するに至った。『伝道師』さんでさえ、私の前には無力だった!」


 だから原理なんて知らなくても問題ない。自分と伝道師との繋がりを絶っただけに留まらず、ドケリーと伝道師との繋がりをった上で、その力を手中に収めるに至ったのだ。


 故に今の自分は伝道師と互角──いや、それ以上だ。力の総量は互角以上で、元々の自分が持っていた"力"もある。人類の脅威となる力を持っている『伝道師』だが、『魔王の眷属』となり人間を辞めた自分にそれは通用せず。『伝道師』が『魔王の眷属』に対して有している最大の有効打である憑依による自我の上書きも、『伝道師』との繋がりを断った自分には通用しない。


(でもまあ、油断は禁物だよね!)


 とはいえ、ルシェに油断は微塵も存在しない。『伝道師』の力を奪ったということは、それだけ『伝道師』の力を認めているということであるが故に。


『なんだ。俺様が想定していたよりも弱いんだな────というものは』


 だからこうして、『羅刹変容』で傀儡と化した人間たちを、燃料にするべく即座に使用している。


 ……そう。即座に、だ。


(また同じようなことになったらめんどくさいからね! ねっ!)


 ドケリーに伝道師を降誕させ、その力を根こそぎ強奪した後のことだ。続け様にルシェは、三人の『魔王の眷属』の下っ端を燃料にしようとした。


 下っ端とはいえ、意識を持つことを許された『魔王の眷属』はそれなりに強い。つまり、それだけの力を貸し与えられているということ。だから、ちょうどいい燃料になると思ったのだ。


『じゃ、みんなにもあの人の糧になってもらうね! ね!』


 だからドケリーにしたときと同様に、彼らの分の力も強奪しようとしたまさにその瞬間──三人の『魔王の眷属』に、『伝道師』が降誕し始めたのだ。


『gwばっgzz』

『aaaaーーーッッッ!』

『な、nnでぇgw』

『……ありゃー』


 びっくりした。思わず声が漏れてしまうくらいには、とてもびっくりした。だからルシェは、とりあえずそれらからも力を貰うことにした。手に入れた力の総量はドケリーの時よりも少なかったが、それでも当初に想定していたより多くの力を得られたのは嬉しい誤算である。


(まあ最高眷属でもないと、伝道師さんも本当の意味で降誕なんてできないよねっ! ねっ! ねっ!)


 最高眷属の肉体強度と呪詛への親和性は、有象無象の『魔王の眷属』とは隔絶した領域にある。そんな最高眷属への憑依でさえ、伝道師にとっては自壊前提のもののはずだ。下っ端への憑依となると、かなり格を下げる必要があったのだろう。だから、準備が不十分な状態でもアッサリと確保できた。ドケリーの時に準備が不十分であったならば、少々厄介だっただろう。


 まあとにかく。そんなことがあったので、念には念をとルシェは即座に燃料として彼らを貯蔵するに至ったのである。人間としてのガワは必要ない。必要なのは、あくまでも彼らの『力』だけ。ガワがあるから、器があるから伝道師による憑依を許してしまう。繋がりを断ち切って保存しておく方向でも構わないが、それよりはこうした方が効率的だ。


(まあ全員に同時に憑依させてから繋がりを断った方がエネルギーは多く集まるけど……流石にしんどいかなあ。それに、言ってしまえばオーバーフロー状態だからエネルギーを確保する前に自壊しちゃって集まらない可能性の方が高そうだし)


 どうせ、最終的にはエネルギーにしてあの人に渡すんだから。ならまあ、最初からエネルギーとして集めて固めておけば良い。


(でもまあ、急がないと急がないと)


 あまり時間をかけていると、伝道師が大量に憑依して面倒事を引き起こすかもしれない。その対策のために、彼女は作業速度を速めていた。


「うーん。そろそろ良いかなあ?」


 数多の人間を呪詛で染め、傀儡の山を築き上げ、傀儡の山から燃料を抽出し、それを一箇所に集約させる。この工程を経て、超高密度かつ超級のエネルギーを確保することができるのだ。本来ならば傀儡兵にして戦力として用いるそれらを、ルシェは全てエネルギーに変換している。全ては、彼女が恋する男にプレゼントするために。


「でもまあ、もう少しやっとこうかな」


 やってることは至極単純だが、その光景は恐ろしく醜悪だった。


「喜んでくれるかなー」


 なにせ数千万を超える人間を、彼女は自分の都合で消費しているのだから。蠢く闇は人類の怨嗟を全て詰め込んだような深淵を体現し、それを取り込んで操るルシェはまさしく闇の女王。


「喜んでくれると嬉しいなー」


 そんな彼女だが、その思考の元となっているのは少女らしい恋心。えへへと照れたように笑いながら、彼女はエネルギーを宙に浮かばせる。自らが恋をしたあの人に、これを渡すために凝縮させていく。


「うーん。でも、サプライズがいいかな!」


 そうと決まれば、一度あの人に会いに行こう。本来、『魔王の眷属』は肌が青白くて不健康的だ。正直、幽鬼というほかない。それは決して避けられない『魔王の眷属』としての特徴なのだが──自分は、自分だけは例外だ。


「さてと、オシャレしないとね!」


  さあ、会いに行こう。私だけの王子様に──


 ◆◆◆


「るんるんるんるん!」


 スキップしながら、ルシェは街を歩く。勝手知ったる庭のような足取りに、一切の迷いは見て取れなかった。それこそ、エクエス王国の国民が「観光客かな?」とすら思わないほどに。それほどまでに、彼女の足取りは自然だった。


「乙女センサー的に、ここにいる!」


 そうして宣言したルシェの視線の先。そこに、確かに彼女の目的の人物はいた。


「……中々に案が浮かばんな」


 目当ての人物はなにやら考え事をしているらしく、長い足を組んでベンチに座っている。


「……」


 かっこいい。本当にかっこいい。そこだけが別世界かのように輝いて見える。動かないはずの心臓が、トクントクンと音を奏でる。物思いに耽っている姿を見ているだけで、もう一週間分の食事を得た気分に──


「────はっ!」


 見惚れているだけで、なんと5分も時間が過ぎていた。そのことに軽く戦慄すると同時に、姿を眺めているだけで時間があっという間に過ぎていたという事実に嬉しくなる。それほどまでに、自分はあの人のことが好きなんだと分かったから。好きな人と一緒にいるどころか、好きな人を視界に入れているだけでも、幸せになれる。それはとても、とても素晴らしいことだとルシェは思った。


 でも、それじゃダメだ。それじゃ、この恋は前に進まない。見ているだけはもう辞めるんだ。自分は、あの人と一緒になるんだ──!!


(それと、周囲にいる人たちが邪魔だなあ)


 どれだけ超高級絶品料理を前にしても、テーブルの上に蝿がいればそれだけで食欲は失せ、不愉快な気持ちになる。それと同じで、あの人の周囲に有象無象がいるだけで非常に不愉快になる。なので、あそこにいた人たちも後ほど全員エネルギーにしよう、とルシェは心に決めた。


(ちゃんとあの人を映えさせるために消費してあげるんだから。私って優しいよね! ね!)


 驚くほど寛大だ、と自分でも思う。恋は人を優しくするというのは本当らしい。まあ、自分は厳密には人ではないのだろうが──それでも、優しさという感情は損なっていなかったのだ。


 それが嬉しくなって、余計に足取りが軽くなる。弾むような空気のまま、彼女は目当ての人物の前で立ち止まった。気配を察知した目当ての人物が顔を上げて、視線が交錯する。ドキドキしちゃう。


「はじめてー! ご趣味はなんですかー?」

「……」


 ドキドキしながらも元気よく挨拶をすると、変人を見るような目で見られた。空気が凍結し、周囲から音が消え去る。


「……」

「……」


 ……あれ? と思わず首を傾げた。挨拶をするときはこれが正しいと本で読んだのだが、どうやら違ったらしい。だって、この人から変人を見るような目で見られているのだもの。この人がこの挨拶を変だと認識したのであれば、それは本が間違っていることの証明に他ならない。


 この人こそが、世界の真理なのだから。この人がリンゴは地面から昇るというのならそれが正しいのだ。リンゴが木から落ちるなんて大嘘を吐く人間は全てエネルギーにしてしまおう。


「私は忙しい。他を当たれ、小娘」


 案の定、会話を打ち切られた。当然である。この人からしたら、ルシェの挨拶は異常だったのだから。


「……」


 とりあえず、あの本を売っていた本屋は後日壊そう。その後は本屋の店員も、店主も、その家族も、友達も、みんな傀儡人形にして、この人に捧げなければ。それが愛するこの人への償いだから。


「えへへへ」


 そこまで考えて、私って良妻適性高いなーと思わず笑顔を浮かべるルシェ。とても幸せな気持ちになれた。突然笑い出した少女を見て意中の男はドン引きしているが、幸か不幸かルシェがそれを知ることはない。


「いいお天気ですねー!」

「……忙しいと言ったのが聞こえなかったのか、小娘」

「お散歩しませんかー?」

「無敵か?」


 褒められた。嬉しい──などと思っていると。


「……私は挙式をあげるための準備に忙しい。ことがことだ。国中を巻き込んでの式になるやもしれん。理解したならば疾く失せ──」

「ふぁふふぇ!?」

「……」


 突然、特大の爆弾を叩き落とされた。


(き、きょしき!? けっこん!? も、もももももう私たちはそんな段階に来ていたの!?)


 でも、まだ一度も会話をしたことがない──いや、待て。少なくとも自分は目の前の彼にゾッコンだ。ならば向こうが自分のことを認識してくれていて、そのまま恋に落ちていた可能性だってあり得なくはないだろう。それこそ、もう今すぐにでも結婚したいと考えるくらいに。


(う、嬉しい……!)


 それに、そういえば。


『あの人が、あの人が私のことを考えている気がする……。これはもう、両想い……!』


 あれは。あの時に抱いた直感は、真実を示していたのだ。乙女センサーがきちんと役割を果たした結果、自分は目の前の人と一緒に過ごせることが確定したのだ──ッッッ!


「えへ。えへへへ。結婚。結婚式。なんて素敵な響き。えへへへ」

「…………」


 目の前の男からの視線が絶対零度のものと化したが、ルシェは気づかない。流石に珍妙すぎる生物であると認識したのか、ルシェを観察した結果「……いや、まあカプ厨のエクエス王国民ならこうなるか」と内心で疲れ始めてもいるが、そのことにも気づかない。彼が道中で似たような反応を何度も貰ったのも大きいだろう。まあそれはそれとして、愛する者の苦悩を理解できていないので良妻失格である。


「そういうことなら、私はここから去ります! はい! 私、偉いよね!? ね!」

「……ああ。貴様は賢しい。認めよう。この私が認めよう。故に、疾く失せよ」

「はーい!」


 認めてくれた。


 自分の発言を、認めてくれた。


 それだけで、ルシェは天にも昇る心地になった。






 ルシェは信仰を向けていない。故に彼女の意中の相手──ジルは彼女の心の中を読めなかった。もしも彼女が信仰心をジルに向けていたのであれば、結果は変わっていただろう。これは、それだけのお話だ。


「さて。段取りを考えた後は日取りを決めるとしよう。キーランは私の決定に異を唱えんであろうから、騎士団長の予定を本人に確認して──」


 ◆◆◆


「……なんと」


 その会話を、ニールは聞いていた。聞いてしまった。買い出しの途中、見知った顔があったので挨拶をと思った矢先の出来事である。


(まさかかの王に、既に意中の相手がいらしたとは。しかし、だとするとソフィア殿……しいては騎士団長の──)


 そこまで至って、ニールは隣にいる少女を見た。目を見開き、完全に固まってしまった敬愛すべき団長の姿を。

 

(……荒れますね)


 ニールは確信する。間違いなく荒れると。


 そして、それは正しかった。彼が想像していたのとは異なる形ではあるが、この国は荒れることとなる──!

 

 

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