最後の晩餐 前
エクエス王国民の脳内は、平時だと基本的にお花畑である。
恋愛を匂わせる発言をすれば、それはもう地獄への切符に早変わり。地獄への道は善意で舗装されているという言葉があるが、この国においては地獄への道は恋愛脳で舗装されていると言っても過言ではない。
(特に、最後の少女はインパクトが強すぎたな……)
アレはヤバイ、と俺の直感が告げている。おそらく、エクエス王国民の中でも上位の恋愛脳だったのだろう。目がイッた状態で「えへへへ」と笑う様子は、普通にホラーであった。できればお近づきになりたくない。
(……嵐に遭遇したとでも思って忘れよう)
と。俺はそこで、先ほどエンカウントした少女に対する考察を中断する。そんなことを考えている場合ではないからだ。
現在の俺は結婚式に関する計画を立てるフェイズを終えて、とある人物を探すために城の廊下を歩いている最中だ。本日の訓練は休みであり、騎士たちは常時厳戒態勢を敷いているが──目当ての人物は、城の中で待機中であるが故に。
(む)
そして、その目当ての人物はいた。中庭の椅子に座りながら、どこか上の空といった様子で青空を眺めているその人物こそ──
「騎士団長」
「じ、上官殿ですか」
俺が呼びかけると、視線を泳がしながら返事をした騎士団長。オロオロとした様子は、あまり彼女に相応しくない。
「……?」
その様子を見て、日を改めるべきかと考え──まあ、日程を決めてからその不審な様子に関しても尋ねれば良いだろうと言葉を続ける。
「貴様とキーランについてだが、結婚式はあげたのか?」
「いえ。その……まだ、です……」
「──そうか。ならば喜べ。この私手ずから、貴様らの式を盛大にあげてやろう」
「……は?」
俺の言葉に意気消沈、といった様子でしょんぼりとした騎士団長だったが、続けて俺が口にした言葉を受けて硬直した。ジルに対して「は?」などという返事をすれば普通に考えると極刑ものだが、今の俺は寛容なジルとして振る舞っているので不問である。
この辺の線引きは、意外と難しい。常に冷酷だと叛逆者を生むリスクを背負ってしまい、かといって寛容にすぎればジルとしてのキャラクター像を維持できなくなるからだ。
まあとはいえ正直なところ、ほとんど主観で決めている。それ以外の判断要素はジルの直前の行動や言動。対外的に見たときのジルの機嫌。ジルと相手の関係性。周囲にいる人物……辺りから総合的に判断していく、といったところか。とりあえずは、常に相手を死刑にするパワハラ上司ではないということだけは理解していてほしい。
まあ原作第一部において機嫌が悪い状態のジルは完全にパワハラ上司だったが。『レーグル』を一斉に粛清していたので。
「む。聞こえなかったか? ならばもう一度口にしてやろう。貴様とキーランの挙式を、この私が盛大にあげてやろう」
「上官殿──!」
ガバッと、笑顔を浮かべながら突撃してくる騎士団長。大陸最強格による自重なしの突撃は有象無象からすると受ければ死亡待ったなしの殺人兵器だが、ジルであれば特にダメージを負うことなく受け止めることが可能だ。
──可能だが、少女に抱きつかれるなんぞジルのキャラ崩壊もいいところなので普通に回避する。
「……私ほどの美少女からの抱擁を回避しますか、上官殿。なるほどなるほど、その辺はしっかりしているようでなによりです。遊び人ではない、ということの証明にはなりましたから」
突撃を回避されて、しかしどことなく嬉しげな様子の騎士団長。キーランの返事に対するソフィアに酷似した空気は──いや、やめよう。これ以上、これに関して思考を割くのは良くない。
ちなみに自分で自分のことを美少女と口にした彼女だが、事実、彼女は大陸でも最高峰の美少女である。まあ、大陸最強格はその全員が例外なく顔が良いのだが。多分、全員人類最高峰の顔面偏差値を持っている。
(俺が回避しなくても、途中で進路変更するつもりだっただろうに。振りとはいえ良くもまあ……。それほどソフィアが大事ということか。まあ、ソフィアに友人ができたのは喜ばしいことだ)
とはいえそれほどの美少女が相手だったとしても、俺の感情が揺れ動くことはないのだが。グレイシーは妹だから抱擁を許すが、それ以外の者はダメである。
そもそも、ジルのキャラ崩壊云々以前の話だ。大和男児たるもの、結婚を前提としたお付き合いをしてからでなくてはそのような──などと脳内思考が脱線し始めたので、路線を戻すべく俺は再度口を開いた。
「さて、話を戻すぞ。私は貴様とキーランの式をあげようと考えている。ああ、予算は気にするな。全て私が出すからな。奴のこれまでの働きに対する追加報酬のようなものだと思えばいい。あの男は独自で私や国、民たちの利になるよう尽くしているからな。それへの報いというものだ」
「それは……いえ、断るのは逆に無礼ですね。では、ありがたく」
「当然だ。この私からの施しを無下にするなど、不敬にもほどがあるというもの。それに、これは正当な報酬だ。忖度ではないし、不正も存在せん。故に、大手を広げて受け取るが良かろうよ」
方向性が斜め上に突き進んでいるとはいえ、キーランが俺に尽くしてくれているのは事実。そんな男が、愛する女を持ったのだ。その道を祝福するのは、至極当然のことである。
……まあ、真の意味で家庭を持てばキーランも少しは大人しくなるかもしれないという打算が少しもないか? と言われれば頷くしかないのだが。騎士団長には、キーランの封印になってもらおう。そうしよう。
「さて、では何時がいい? 流石に今日は不可能だが、明日以降であればどうにでもなるぞ。これまでのことを考えると、なるべく早い方が良いだろう。明日を望むか?」
そこまで深く期待してはいないが……キーランの封印か。それはなんて素敵な響きなのだろうか──と若干に思いつつ内心で不敵な笑みを浮かべて、騎士団長に尋ねる。すると、騎士団長は暫く唸ったのち……。
「で、では。明後日というのは」
「問題ない。この国の式の準備は迅速であることは、貴様が一番理解していよう」
「ええまあ。結婚式場が他国ではあり得ないくらい建設されていますし、スタッフの動きも恐ろしいまでに洗練されていますからね」
エクエス王国は恋愛脳国家。そんな国であれば、結婚式という文化が大きく発展していることは想像に容易いだろう。今日は無理と言ったが、それはキーランの服装を準備したりするために必要な時間であり、ぶっちゃけ、一時間もあればこの国では結婚式をあげられるのである。前世でいうところの、消防隊に近い次元でスタッフが待機しているからだ。
(この国の人間は、とりあえずウェディングドレスやらタキシードやらを持っているからな。二十四時間体制で結婚式が可能というわけだ)
多分、騎士団長も持っているのだろ──
「恥ずかしながら、私はまだウェディングドレスを着たことがなくて……。その、式をあげるときに、その殿方の隣を歩くのに相応しいドレスを購入して着ようと、そう考えていたのです……」
「……然様か」
思わず優しい声を出してしまった。なるほど、これが尊いという感情か──キーラン。彼女を泣かせてはいけないぞ。そんな日が来ようものなら、俺はお前をぶん殴ってしまうだろうからな。
(……さて、ヘクターたちは上手くやっているかな)
◆◆◆
「……何故、オレがこのような礼服を着させられている?」
「さあ。何故でしょうね」
「良いから試着してろ。詳細は後日のお楽しみにってな」
「……」
こいつら使えない。そう思ったキーランは、袖に腕を通しながら思考を巡らせる。
(エクエス王国であることも考えると……結婚式で暗殺の任務、か?)
この身は『魔王の眷属』への対処をすべく、ジルから召集を受けた身だ。そんな状況下で、なんの理由もなく礼服を買うなんてあり得ないだろう。そのことを前提にしつつ、この地の特性を考えれば、結婚式場に潜むための服装を選んでいる可能性に到達するのだ。
「……なるほど、結婚式ですか。ジル様」
「!」
おそらく、『魔王の眷属』は結婚式に現れるのだろう。そしてその場に自然と潜むため、キーランに礼服を与えるという寸法だ。
「気付いたか。結婚式専用のじゃなければバレねえかなと思ったのによ」
「鋭い。……いえまあ、この国の性質を考えると、そこに至るのは仕方がありませんか」
「ふん。とはいえ、ジル様が伏せることを目的としていた以上、これ以上深くは考えまい。私が詳細を知ることによって、不都合が生じる作戦ということだろう? 世の中には、執行人が知らない方が上手く機能する策もある。暗殺者として、その程度は心得ている。心得ていなくとも、ジル様の命は遵守が基本だ」
「そこまで思考が至るって、テメェはほんと目敏いよなあ……」
なんでもない風に深くまで思考した結論を口にするキーランに呆れながら、しかしヘクターは同時に別のことを考えていた。この国において、ある意味最も冷静で客観的な人物であるが故に、彼だけは懸念していたことがある。
それは。
(ここまで思考ができるならまあ、騎士団長の気持ちだとかその辺は当然察しているか。実は全員が勘違いしてんじゃねえの? 集団幻覚見てんじゃねえの? 結婚とか嘘なんじゃねえの? とも思ったが……)
それは、この状況は本当に正しいのか? という懸念。キーランのとある発言を聞いたからこそ、ヘクターだけが抱いてしまっている懸念事項だった。
(まあ、風呂場での発言も臣下としては正しいんだよ。正しいけど、妻帯者になる者としては……いやまあこの手の問題に確立した正解不正解はねえけど)
風呂場でのキーランの発言。「ジル様より大事なものなんぞ存在しない」というあの発言は、忠臣としてはこれ以上なく正解だ。妻を選んで国を裏切り、多数の被害が出るなど、こちらからすると笑えない。傭兵としてのヘクターは、そう考える。それこそ痴情のもつれで国が崩壊など、本気で笑えない。エクエス王国では割とあったらしいが、それはちょっと横に置いておきたい。
(一応確認しておくか? あれが公私を分けての発言なら問題ねえ。けど、マジで全員の勘違いって可能性もあんだろ。まあソフィアやボスが「騎士団長に好意的だった。両想い」って判断したからほとんどないような可能性ではあるが……最悪の芽は事前に積んでおく必要がある。俺だけがキーランのあの発言を知ってる訳だからな。同僚として、ボスに雇われてる身として、その義務は果たさねえと。腹痛対策にもなるしな)
同僚としては……傭兵としては、感心を示す。だが、私人として思うところがないわけではない。それこそ、愛がないけど結婚するとかならば流石に引く。ドン引きする。
(つかそもそも結婚する意味あんのか?)
常にジルを第一に置くというなら、それはもう結婚しないほうがいいんじゃねえの? その方が公正じゃねえの? とも思うのだ。結婚するならば、結婚する者としての最低限の務めや義理を果たすべきだろう。
なにせ、相手が相手である。その辺の有象無象や女狐の類ならいざ知らず、ヘクターが見る限り騎士団長は善良な人物だ。彼女であれば、ジルの不利益になる行動は取らないだろう。ソフィアとも友人関係であるし、ジルに仕える身分の人間が婚姻を結ぶのに、ここまで障害の無い人物も稀有といえる。
そんな人物が相手ならば、本当に好きだから結婚するという流れであるべきだ。政略結婚? 半裸の狂人を政略結婚に出すなど世界の終わりである。
(だからまあ、なんつうか。ある程度の信頼関係が国同士としても存在するのが前提である以上は)
それこそジルや国が間違っているときは──そのときは、妻をとるべきだろう。少なくとも今回のケースでは「常にジルを一番として置く」と宣言するのは少し違う気がする。それくらい、キーランも分かっているはずだ。
(てことはよ。そもそも前提が崩れてる可能性があるよな)
つまり、キーランが「結婚……? なんのことだ?」と口にする可能性。全てが勘違いなのであれば、キーランの発言は一切矛盾しない。ジルを第一として置くのは、結婚をしていたという事実がないからであるということ。
(まあ、そういうの考えるのはややこしいしめんどくせえから、俺は結婚とかする気はねえが)
そうすれば最期まで、真の意味でボスに付いて行くことができるだろう。それが、ヘクターなりの考えだった。
──と。
「まあ、そうですね。それが正解です。なにせ(ジル様と騎士団長が)サプライズを用意していますから。深く考えるのは、逆に失礼ですよ」
「……ほう。サプライズ」
それは腕がなる──と、キーランが感動に打ち震えていたのを見たとき。ここだ、とヘクターは口を開いた。
「つかよ。テメェは良いのか?」
「何がだ、ヘクター」
「……いや」
流石にこれでは伝わらなかった。幾ら鋭いといっても、限度はあるらしい。かといって具体的に言うべきか? とも思う。
なにせ、隣にはソフィアがいる。これから口にする内容は、騎士団長と仲が良いソフィアにとっては酷な内容だ。そう考えると、ある程度はボカして口にするのが吉だろう。それでも、キーランが相手ならば伝わるはずだ。というか、伝わらないとおかしい。
「テメェは風呂場でああ言ってたろ。その、ボスに対してな。実のところはどうなんだ? その……(騎士団長と結婚することに)拒否感とかはねえのか?」
「風呂場でのオレの発言……? ジル様に関するもの……。それに、拒否感だと……?」
ヘクターの言葉に訝しんだ表情を浮かべたキーランは、しかし即座に内容を理解したのか軽く頷いた。
「……理解した。理解した上で言おう。──口を慎めよヘクター。オレが(ジル様の作戦に)拒否感なんぞ抱くわけがない。ジル様より大切なものがないから拒否感が生まれる? バカめ。お前は本当に愚かだなヘクター。いいか。オレにとってはジル様本人と同等──いや、時としてそれ以上に(ジル様の作戦は)大事なのだ」
「──! ハッ、なるほどな! テメェも漢だったって訳だ! ま、なんだかんだでボスも喜ぶだろうぜ! あの人は冷酷そうに振る舞ってるが、なんだかんだで義を大事にしている人だからな。テメェが裏切らねえ範囲なら、その方が良いってこった」
「ああ。……? ああ……?」
おかしい。ちょっと今の会話には違和感があるぞ、とキーランは眉をひそめた。少しだけ、少しだけだが会話が噛み合っていなかった気がするのだ。違和感を放置するのは気持ち悪い。なので、キーランは直球に尋ねることにした。
「貴様ヘクター。オレに何か重大な情報を伏せていないか?」
「あん?」
「少しだが、オレとお前の問答が噛み合っていなかっただろう? 先にボカした発言をしたのも気になったが、貴様の言葉が足りていない」
「俺は普通の会話に思ったが……」
「キーラン殿。おそらくそれは、ジル様の命令によるものかと思います。我々は、ジル様からそう仰せつかっていますので」
「……なるほど、ここが抵触していたのか。オレとしたことが……っ!」
「ええ。なので、重大な情報は伏せています。私たちは、全ての情報を有している前提で話をしているから違和感がないのかと。反面、キーラン殿には違和感があるかもしれません」
「……そうか。先ほどの会話に違和感があったのは、サプライズの影響ということか」
「ええ。そういうことです」
「理解した」
「ジル様曰く『気付いても気付かぬ振りをしろ。そういう程で、ソフィアたちには会話をさせる。なんなら思考停止で構わん。──フッ、悪いようにはせん』とのことです」
ならば思考を停止しよう。それが天命なのだから。
「それにしても、意外とあっさりそれを着ましたね。キーラン殿は(騎士団長との結婚式を)ごねると思いましたが」
「バカを言うな。(ジル様の命令であればなんでも聞く)覚悟はとうに、決まっていた」
◆◆◆
──そして当日。
(……?)
まずはじめに、キーランが抱いたのは空気への違和感だった。何か、何か周囲の空気が違う。
(なんだ……なんだ、この空気は)
暗殺者としてこれまで培ってきた経験が告げている。今すぐにこの国から逃げろと告げている。それこそ、騎士団長と相対したときに匹敵するほどの危機感が、この身を襲っていた。
「おはようキーランさん」
「迎えに来たぜ」
「……意味が分からん。何故、お前たちが早朝からオレの部屋に来る。ジル様の元へ向かわんか」
「ボスはもう出たぜ」
「……」
おかしい。何かがおかしい、とキーランは思う。だが、何がおかしいのかがまるで分からない。具体的に言葉にすることができないのだ。だから、体が意味不明な不調を訴えていても起きるしかない。ジルの臣下として、意味不明な体調不良ではない体調不良を理由に休むなど言語道断。
言語道断なのだが。
(……おかしい。この悪寒はなんだ。何が、何が起きようとしている……?)
地獄である。
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