勘違い系主人公 改
風呂から上がった俺は、ローランドにキーランの案内を命じた。俺たちに与えられている部屋の数は多く、キーランの自室はそれで確保できるという形だ。それこそあと三人くらいなら自室がもらえるほどなのだが、それをすると国の方が手薄になるので呼ぶ予定はない。
(『魔王の眷属』の最高眷属を単独撃破可能となったヘクター。初見でエミリーとステラを庇いながら一時間以上戦場を保たせたキーラン。弱体化しているとはいえ、アニメでは数分であの場にいた『魔王の眷属』を壊滅させたソフィア。そして、主人公組であるレイラとローランド。……さて)
大部屋のソファに腰掛ける。これもエクエス王国の国王からの配慮であり、皆が集まれる部屋を用意してくれた形だ。本当に、こういうところの気遣いはよくできている国だと思う。少しばかりこちらを信用しすぎな気もするが、ヘクターがエクエス王国の仮想脅威の一角を撃破したことと、国の最高戦力と婚姻を結んでいる人間が身内にいるから、と考えれば分からなくもない範囲だ。
(『魔王の眷属』に動きはなし。まあ、まだ初日だから当然か。だが、連中はこちらを見張っているはず。キーランがこちらに来たことで、多少なりとも動揺を誘うことができていれば良いが)
数日以上も穴熊を決め込むかもしれないが、それはそれでやりようはある。数日以上も穴熊を決め込むことができるということは、それができる場所に限定して潜伏していることに他ならない。その頃には連中が逃走できる最大範囲を計算し終えた後に、『天眼』で俯瞰しつつ、俺とソフィアがいつでも結界を張れるように準備しつつ、騎士を総動員して範囲内で限定された場所を漁らせればいい。
逆に、焦って動いたならばあとは処理するだけだ。連中の目的である騎士団長を守っていれば、連中は確実に捕捉できる。俺たちは、そこを叩けばいい。
一番厄介なのは、エーヴィヒが来ることだが……これはあくまでも予想だが、エーヴィヒは来ない気がする。アレが本気で騎士団長を欲しているならば最初から来ているだろうし、そうでなくとも最高眷属が瀕死のダメージを負った時点で降臨するだろう。つまり、奴としてはあまりこの場に旨味を見出せていない──はずだが、気まぐれで来る可能性があるのも確かだ。所詮は分体であり、来て暴れるだけなら奴自身にそこまで手間はないだろう。
まあなんにせよ、騎士団長を護衛していれば──
(……いや、待て。それにしても)
──キーランは何故、服を脱いでいた?
「……」
自分で疑問に思ってなんだがめちゃくちゃふざけた字面だなとイラッとしつつも、俺は思考を巡らせる。
(騎士団長とキーランは婚姻を結んでいる。つまり、互いに愛し合っているということだ。愛する人間が狙われていて……実際問題として襲撃されていて、あんなにリラックスできるか?)
俺は人を好きになったことがないので、実感を持った想像をするのは難しい。難しいが、大切な存在を守るのは至極当然のことであり、それこそ自らの命を捨てでも──と考えるのが自然ではないだろうか。人を愛するということは、自分よりも上位に愛するものを置くということである。他の何よりも優先すべき感情。それこそ、自分でもコントロールし難いとされるもの。それが、愛であるからして。
(いやまあ人それぞれだ。人それぞれだぞ? だが、だとしても、流石に服を脱いで風呂に入るか? 真っ先に駆けつけると思うんだが)
気になる。気になるが、待ってほしい。ジルが愛を語り出して、そのまま慈しみの表情を浮かべてキーランに問いかける姿を想像してみてほしい。キャラ崩壊でしかないだろう?
(──だが、気になる。本当に、本当に恋愛の末に結婚に至ったのか? まさかと思うが、不健全な関係だったりしない? 結婚詐欺とかじゃない? 大丈夫? 悪意ある結婚詐欺の類は、エクエス王国では重罪も重罪だぞ)
不安だ。不安である。王子暗殺作戦を成功させるために、キーランが騎士団長を騙したとか、そういう可能性はないだろうか。だが、ジルが「結婚詐欺した?」とか口にするのは本気で意味が分からない。なので却下──
「お疲れ様です、ジル様」
──と、ソフィアがぺこりと頭を下げて部屋に入ってくる。そのまま彼女は紅茶を淹れると、俺の前に差し出してくれた。
「初の剣の訓練、見事でした。初めて扱う武器であれどあそこまで使いこなすジル様の才能、センス、観察眼、イメージ力。そして、これまで培ってきたものを利用する応用力……感服いたしました」
そう言って、キラキラと瞳を輝かせるソフィア。彼女の言葉には実感がこもっているし、色々と具体的に言ってくれるので嬉しい。普通、ここまで多くのことを列挙できないだろう。
「……フッ。私であれば造作もない」
何より、参考例も良かった。騎士団長は元より、ニールも非常に技量が高い。剣という分野であれば、ジルを凌駕している二人は参考例として格別だ。
「貴様もやるか、ソフィア? 貴様はどうやら、騎士団長と仲が良い──」
……待て、騎士団長と仲が良い?
「え、えええっと私はその、その、はい。えっと、私は、私は……その、剣……に限らず、槍以外の武器は……その。いえ、正確には、初見の武器を扱うのはその、えっと、あのあのあの。教皇やジョセフから止められてまして──」
俺が尋ねるのはおかしい。だが、騎士団長と仲の良ソフィアが尋ねる分には問題ないのではないのだろうか。いやむしろ、尋ねないとおかしいだろう。
友人の旦那が、友人のことをどう思っているのか。旦那が身内であれば、気にならないことはないはずだ。
(……良し)
ならば、と俺は思考を巡らせた。うまくソフィアを、動かすための会話の流れを考えるために。それも、自分からその思考に至ったと思い込ませる会話を。
そして──
◆◆◆
「突然現れたと思えば……『騎士団長』をどう思っているのか、だと?」
「はい」
ソフィアにとって、騎士団長は友人であり、先達であり、善良な人物である。そんな彼女と婚姻を結んでいるキーランは、彼女のことをどう思っているのか。数分前にソフィアはそれを知らねばならないと思い、こうして問いかけるため移動するに至った。
(もしも、もしもですが不貞を働いているのであれば……あるいは、肉体目的などという不義理を働いているのであれば……そうであれば、私は)
前者であれば折檻して、騎士団長に突き出すべきだろう。騎士団長がどう考えるかは分からない。笑って許すようなイメージもあるし、激怒して殺意を昇らせるイメージもある。だが、とりあえず折檻して突き出そうと思う。
後者であれば、同じように折檻して騎士団長に突き出すか──ここで消すしかないだろう。騎士団長に対して不義理であるし、肉体目的など、色んな意味で断じて許すべきではない。そのような精神性はジルに仕える者として品格が無さすぎるし、そもそも人間たるもの己を律して──
「……殺意を感じるのだが」
「気のせいです」
「ならば良いが……ふむ」
そんなソフィアの思考など知らないキーラン。彼は彼女の殺意の真意を理解できないものの、それでも質問に答えるべく、顎に手を添えて思考を巡らせた。
騎士団長のことをどう思っているか。なるほど、中々に難しい問いかけだ。問いかけだが、自分がジルに仕えている以上、確かに放置できない問題だろう。
(中々に成長したようだな)
ソフィアがジルに仕える者としての自覚を有していることは、彼にとって素直に喜ばしい。他の者たちは、自覚が薄すぎるが故に。
ジルに仕えし精鋭部隊『レーグル』は自分とヘクターを除けば、皆が皆、欲望に忠実すぎるのだ。自分のように、信仰心から服を脱ぐことすらしない。なんとも恥知らずな連中である。公の場で服を脱いでから出直してきてほしい。
そして、そのヘクターもジルに対する畏敬の念が足りない。
なお、気安い態度はそこまで問題視していない。公の場でない以上、ジルが咎めないのであればそれが真理だからである。個人的に思うところはあれど、それはそれだ。公私混同は禁物である。それを自覚するために、ヘクターは服を脱ぐべきだろう。
(ジル様に進言するか……ソフィアを『レーグル』に加えてはどうですか、と)
ローランドとレイラは保留である。彼ら個人は問題ないと判断できるが、その背後が問題だ。彼らの背後にいるのが人物あるいは勢力か、事情か、使命か、それらの特定はできていない。だが、その背後によって彼らがジルと敵対せざるを得ない状況に陥る可能性は存在すると推察していた。
彼ら個人は、ジルに対して好感情を有している。だから彼ら個人が好き好んでジルと敵対することはない。それは確実だ。
だが、それでも彼らはジルと敵対する可能性がある。彼らの意思とは関係なく、望む望まないに関わらず、その可能性が存在する。だから、彼らに関しては現時点では様子見だ。
再三になるが、彼らの背後にあるものは分からない。だが唐突な来訪や、当時の探るような様子からして、背後に何かがあることだけは確定しているといっても過言ではない。そして、彼らがそれを伏せたいのも明白。それはローランドが服を脱ごうとした時に、レイラが慌てて止めていた様子から簡単に伺い知れることだ。服を脱いで全てを曝け出す信仰を示すことを、彼らは恐れたのだ。
だから不確定要素が取り除かれた時、つまり彼らが服を脱いだ時、彼らはレーグルに相応しい傑物となっているだろう。その時に、改めて進言すればいい。だから、キーランは彼らの脱衣を心待ちにしていた。
ソフィアが、キーランに対して騎士団長に関する質問を投げたのは当然である。なにせ。
(オレは、あの女と対峙したからな)
自分はかつて、この国の王子を殺害した身なのだから。かの王子は端的に言って、あまり"いい人物"とは言えない人となりだった。というか、普通に犯罪に手を染めていた。殺し屋である自分が──そうなるしかなかったとはいえ──言えることではないが。
だが、そんな腐れきった王子であろうとも、王子暗殺は王子暗殺である。
そんな王子であろうと任務に遵守するべく、護衛に徹していた騎士団長。国に仕える騎士の頂点にして、滅私奉公を是としている高潔な精神。あの時、王子を殺害した自分に対して向かってきた気迫。その気迫を裏付けている忠誠心。
それらを総括して、端的に言うと──
「好ましく思っているぞ」
「────」
それはとても、真っ直ぐな言葉と瞳だった。思わず、ソフィアは息を呑む。
「最初は疎ましく思っていたのだがな」
ジルに信仰を抱く前の自分にとって、騎士団長は理解不能な人物だった。何故、既に死んだ人物にそこまで拘るのか。何故、そこまで他人に入れ込むことができるのか。何故、何故、何故──とキーランは疑問を抱きつつ、騎士団長の猛攻を凌いで命からがら逃げ切ったのである。
『私を置いていくのか?』
夜闇に包まれた世界。もう少しでエクエス王国の国境を越える──そう安堵した瞬間に、それは現れた。
並々ならぬ激情を瞳に映しながら、その獅子は剣を携えてキーランの前に立ちふさがったのだ。当然ながらキーランとしては取り合う気はなかったが、しかし先の彼女の言葉の通り、彼女を真の意味で放置して逃亡などできるはずがない。
私を置いていくのか? なんたる不遜。なんたる自信。大陸最高の殺し屋とすら謳われている自分を相手に、「私を置いて逃げられるとでも思っているのか?」などと口にできる人物がどれだけ存在することか。
『ここに残れ』
『……』
大人しく投降しろと口にする騎士団長。問答無用で斬り捨てればいいものを、それをしないのは国の法によるものだろうか? だとすれば甘いな──とキーランは考えて。
『私も無理矢理付いていくぞ』
考えて、キーランは騎士団長の覚悟を知った。国境を越えてでも、地の果てまでも自分を追い詰めてみせるというその覚悟を。彼女ほどの地位に立つものが、許可なく国境を越えるなど、あってはならないはずなのに。それを、それを目の前の少女は──
『……』
理解不能な人物だ。だが、抵抗しなければ死あるのみ。故に、キーランは全能力を最大限以上に発揮して、騎士団長を相手に逃げ切った。
本当に、理解不能だった。少し前までは。
(だが、今ならば理解できる)
敬愛する主。この世界で最も尊い存在。ジルに仕える身となった自分には分かるのだ。
「そう、最初は疎ましく思っていた。だが──今は違う。あれは、得難いものだ」
「……」
彼女ほど、配下として素晴らしい人間はそうはいない。だから、そう。
「今のオレにとって、彼女以上に(人材的な意味で)欲しいものはない」
だから、できればジルの配下になって欲しい。そして、他の連中の規範としてあって欲しいのだ。
そんな想いを込めて、キーランは視線をソフィアに移す。そのソフィアは、顔を真っ赤にしつつ、されど凄まじい感情を込めた瞳でキーランを見ていた。……どうやら彼女も騎士団長という人物の在り方を、キーランの言葉から断片的にではあるが認識したらしい。信徒として、彼女は素晴らしい成長を遂げることだろう。
「……理解しました、キーラン殿。あなたは(最初は嫌っていたけれど、時を重ねていく中でいつのまにかなんか好きになっていた系的な意味で)、騎士団長に対する認識が変化したのですね」
「ああ。オレは(ジル様と謁見させて頂けたおかげで、信仰と忠誠の偉大さ尊さを把握し、その結果)彼女のことを理解し、好ましく思うに至ったのだ」
「なるほど、なるほど……本気(本気で、騎士団長のことが好き)なんですね」
「ああ本気だ」
「……エクエス王国の民の気持ちが、少し理解できた気がします」
彼であれば、騎士団長を任せることができる。だから、ソフィアは最後に言葉を残して、部屋を出るべく背を後ろに向けた。
「最後まで、(騎士団長を)守りきってくださいね」
「その言葉の意図はわからんが、愚問だな。オレが(ジル様を)守りきらない訳がない。まあ、オレの方が(ジル様より)弱いがな……。だが、オレの方が弱いことを、良しとしている自分もいる。不思議なものだ」
「ふふっ、そうですね。あなたの方が弱い。ですが、それでもあなたは守り切る。その意思があるなら、十分だと思います」
「……(ジル様の部下として)成長したな」
「そうですかね。(騎士団長のおかげで恋愛に対する知識的な意味で)成長できたのなら、私は喜ばしい」
「ジル様もお喜びになられることだろう。お前が成長したことに」
「そ、そうですかね? ジル様、(私が恋愛強者になって)喜んでくれますかね? ア──騎士団長に尋ねないと」
「ああ。(本物の忠義を知る)彼女は力になってくれる」
「ですよね。(愛を知る)彼女であれば(愛を知る)キーラン殿もそう言うのであれば、間違いありません」
「ああ。オレと彼女は(忠誠心的な意味で)通じるところがあるからな」
「ええ、分かります。あなた達は、(恋愛的な意味で)似ていると……」
会話は続く。両者ともに全く見当違いの方向で、整合性を保ったまま二人のすれ違いは続いていく。これが導くのは悲劇か、喜劇か、それは誰も知る由がなかった。
◆◆◆
(……そうか、キーラン。お前は、本気で騎士団長を愛していたんだな)
感慨深い。実に感慨深い、と俺は一人内心で感情を吐露していた。
(不思議なことにキーランの部屋の前に立ち止まって、これまた不思議なことに中の会話を最後まで聞いてしまった。人生とはよく分からないものだな……)
勘違いされては困るのだが、これは決して盗み聞きではない。ソフィアがキーランの部屋に向かうように仕向けたし、ソフィアがそこで何を尋ねるのかも同時に仕込んだし、その内容を把握するためにキーランの部屋の前に立っただけである。
だからこれは決して、盗み聞きではないのだ。ただの計画犯罪である。
(部下が結婚した時の気持ちを知ることになるとは……。まだ俺は大学生なのになあ……いやまあこの肉体は大人だが)
うむうむ、と頷く。頷きながら、俺は静かに手を打った。
(おそらく結婚式は挙げていないだろう。まったく、世話の焼ける奴らめ。部下の結婚を祝うのは、上司として当然のこと……俺自ら、奴らの式を挙げるべく奔走してやるとするか。サプライズプレゼントというやつだな)
俺は不敵な笑みを浮かべる。エクエス王国は恋愛脳国家である。予算を出すだけ出せば、青天井に豪華な式を挙げることが可能なのだ。
(そうと決まれば、早速行動だな)
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