混沌の幕開け

「……分かってはいましたが、やはり強いですね」


 剣を地面に突き立てながら、騎士団長は大量の汗を流していた。


 あれから数時間。一日目の剣の修行を終えて解散かと思いきや、騎士団長は「模擬戦をしませんか?」という提案をしてきたのである。


 俺は迷った。騎士団長という大陸最強格の実力は把握しておきたいし、俺自身剣を使った戦闘というものに大いに興味が湧いていたからである。


 だが、俺は俺であって俺ではない。俺は、ジルなのだ。ジルに敗北は許されず、ジルというブランドを保つためには如何に騎士団長が相手で、なおかつ彼女に合わせた初学の分野とはいえ、無様な敗北は許されない。観客が身内だけという条件付きでもあるが、しかし流石に現時点では実力差がありすぎる。


 剣技もクソもない身体能力でのゴリ押しは、それはそれで敗北した感があるので無しだ。身体能力と剣技を掛け合わせることができる段階に至っていないのに身体能力だけで勝利するのは、少し違う。まあそもそも、騎士団長クラスであればジルの身体能力とはいえ剣を使った不慣れな戦闘でゴリ押せるかは微妙である。


 そんな風に内心で悩んでいた俺だったが、彼女が求める模擬戦は「普段の俺の戦い方によるもの」と判明してからはトントン拍子で話が進んだ。


 人類最強以外の大陸最強格との戦闘。クロエとは戦闘をする機会がなかったし、シリルも同様。だからこそ、俺は大陸最強格の実力を把握するべく挑戦を受けて──結論から言うと、無傷で勝利した。もちろん、権能は使用していない。


(まあここで無傷で勝利できなければ、俺は自殺していたが)


 原作ジルが大陸最強格をまとめて相手にしてほぼ完勝していたのだから、それを超えるべく行動している俺が騎士団長を相手に完勝できなければ笑えない。


 もちろん、騎士団長は強かった。騎士団長を試すために放った超級魔術を切断するわ。同じく試しで放った月を貫く人類最強の一撃すら防ぐ『光神の盾』にかすり傷を入れてくる──ソフィアがドン引きしていた──わ。「目で見えているから斬れる」という理論で射程範囲が視界全てで尚且つ急所必中の遠隔斬撃を放ってくるわと、デタラメな能力を有していた。


 今思うと、アニメでは割とかませ犬的な立ち位置の大陸最強格。神々のかませ犬のジルのかませ犬な彼らは実際に対峙すると分かったが、きちんと強いのである。


(大陸最強格は、最強を冠するだけあって強い。しかし、ジルはそれよりも強い。単純な理屈だな)


 単純だが、しかし彼らの限界がこの程度でないことは知っている。アニメではクロエだけ。この世界では人類最強だけだが、彼らには"人類到達地点"という高みが存在するし、そもそもまだまだ発展途上だろう。


(この敗北で、原作以上に鍛えてくれるはず)


 騎士団長は負けず嫌いな性格をしていると読んでいる。なので、この敗北をバネにしてくれるはずだ。


(既に尋常ではない次元の修行を積んでいることは把握している。だが、それでも)


 それでも足りず、そして神々による『世界の終末』で終わるだろう。無情にも、世界ごと人類は滅亡する。人類がこれまで繋いできた文明や歴史は、少し先の未来で潰えることになってしまうのだ。


(俺だけが生き残れば良いと思っていたが……)


 少し、欲がでてきた。それは、周りの人たちも生き残って欲しいという、小さな欲である。


 使い捨ての駒として考えなければならないという冷徹な思考及び理性と、それと相反する欲求。一緒にいて気分がいい連中はもちろん、人の身でこれほどまでに至ったことに、敬意を表したい大陸最強格。


 俺はそんな彼らを率いて、神々に挑んで、そして生き残りたい。ここに、かませ犬連合結成計画は始動したのである。名前がひどい。


 ──と。


「完敗です。模擬戦、ありがとうございました」


 悔しげな表情を浮かべながらも一礼した騎士団長。表情は悔しげだが、しかし心の底から礼をしていたことが分かる。そんな彼女を見ながら、俺は口を開いた。


「確かに、此度の戦いは私が勝者だろう。だが、剣では貴様の方が上であり、私の師となった。末代まで誇ることを許すぞ」

「じ、上官殿! 気が早いですよ! ま、まだ私はその、夫とそういうことをしてはいませんので! まだ人類の存続に貢献できていません!」


 頭お花畑か。


「ですがその、嬉しいです。上官殿は、私たちの結婚を祝福してくれるのですね」


 どうすればそこまで話が飛躍するのか。俺にはまるで理解できなかった。ジルの頭脳で理解できないということは、設定的に考えるとスパコンでも解明不可能ということである。俺は恐怖した。


「実を言うと私は、上官殿が姑なのでは? と危惧していたので。そうでなさそうで安心しました。不敬な思考を抱いていたことを、ここに謝罪します」


 一瞬にして先ほどまでの空気が弛緩する。ソフィアが呆れたような表情を浮かべ、レイラが「分かります」と頷き、ニールが微笑ましげに笑う。この国で俺はどうやって威厳を保てばいいのかを、真剣に考える必要があるかもしれない。


 ある意味、魔術大国以上にヤバい。ジル特攻的な意味で。魔術大国は一応、不本意ながら魔術の神として威厳を出せるが、ここでは威厳を出すためのセリフを口にしたところで恋愛脳たちによって恋愛話に変換されるのである。恐怖だ。


「……貴様らの軍事力は高い」

「はっ」

「それこそ集団戦術で防衛戦に徹すれば、マヌスとて早々には打ち破れまい。……だが、人類最強は別格だ。私と、人類最強という二つの例外が存在する。この意味が分かるな?」

「はっ。他の例外にも用心する必要がある、ということですね」

「そうだ。私と人類最強だけが例外などと考え、私に失望させてくれるなよ。我が師」

「もちろんです、上官殿。マヌスをフルボッコにして余りある戦力を整えたいと思います」

「良かろう。私自ら、見定めてやる。励め」


 よし、と俺は内心で笑みを浮かべた。これで、騎士団長並びにエクエス王国は原作以上に強化されるはずだ。強化騎士団長並びに人類最強を筆頭に、大陸最強格たちには神々の相手をしてもらいたいし、それ以外の連中には神々が放つ尖兵──ワルキューレの相手をしてもらいたいのである。


 なので、組織力には組織力を。エクエス王国には雑魚(雑魚とは言っていない)を受け持ってもうとしよう。ちなみに、ワルキューレは一騎一騎の実力が大陸有数の強者から大陸最強格の間くらいの実力である。インフレが激しい。


 ちなみに俺が現時点では接触を避けたい海底都市は、一般市民の実力がワルキューレとほぼ同じくらいであり、そこの王はこれまで語ってきたように神々と同等の実力を有している。インフレが激しい。


「……では、今日はこの辺にしましょう。体の疲れを明日に残してはいけませんし、魔王の眷属のこともあります。訓練で疲れて魔王の眷属からの襲撃に耐えられません、ではいけませんからね。普段より訓練軽めにしてますし」


 なるほど、軽めか……軽めとは?


(ランニングの時点で普通の人間には結構意味不明なものだったと記憶しているが、あれは軽めだった……?)


 エクエス王国。

 それは、そこまで異質な才能を有していない人間たちが、純粋な人間の力だけで他の大国と遜色ない戦力を整える国家。そんな彼らの実力を保つには、やはりそれだけの訓練が必要なのだろう。


 基礎的な修行も大好きなヘクターやローランド、レイラだったからギリギリ訓練メニューに付いていけていたが、多分キーランや他の『レーグル』には不可能だ。マヌスの『蠱毒』にも不可能だし、それこそクロエやシリルだって不可能──というか、普通は不可能だ。体力は、才能ではどうしようもない。普段の積み重ねや気持ちがモノを言う世界だから。


(やはり、大国は魔境か……)


 こうして俺に一つの驚愕事項を残して、一日目の修行は終わった。


 ◆◆◆


 夕食を終えて、大浴場に入るべく俺はヘクターとローランドを連れて歩いていた。


 この時間は、俺たち客人の貸切時間らしい。その辺の気遣いはありがたいし、どうせなら大きな風呂が良いと考えるのは当然のことだろう。


(この世界は風呂があるから良かった。というか、衛生面がしっかりしてて良かった)


 風呂がない世界に飛ばされていたら、それはもう地獄だろう。世界を巻き込んだ文明開化に力を入れて、可能な技術の全てを費やさせてでも俺は風呂を作ると思う。


 それくらい衛生周りは大事だ。神々を倒せても病気で死んだら元も子もないのである。我々日本人は、水道水が普通に飲めるありがたみを知っておかなければならない。異世界転生以前に、海外旅行でもネックとなる部分だ。


「ここの風呂はデカくて良いよな。なんかこう、開放感っつうの? それがある。解き放たれた感がすげえ。疲れが吹き飛ぶんだよな」

「なんとなくだが分かる。風呂は、不思議だ」

「私も同意しよう。城に温泉を導入するのも悪くないかもしれん。……ふむ、王都にも大浴場を建設するか? いや、どうせならレジャー施設として建設した方が、採算をとれるか。娯楽が少ないのは、民衆の不満の原因になりかねんしな」

「うちの国に、不満がある連中なんていねえと思うけどな」


 そうヘクターは言うが、しかし退屈は人を殺すのである。そういう小さな不満が積もりに積もれば、それは王である俺に対する負の感情を抱かせる原因になってしまう。それは信仰を集めたい俺としては歓迎すべきではない事態だ。


(技術力自体はあるのがこの世界だ。ならば、ある程度前世の記憶を頼りに娯楽産業の発展を図るか)


 可不可はもちろん、投資や予算の元を取れるかなど考えることは多いが、ある程度はやっていくとしよう。


 そんなことを考えながら、俺は更衣室の扉を開いて──そこに、全裸の男が信仰を捧げていた。


「……」

「……」


 ここは大浴場の更衣室だ。だから、全裸の男がいるのはおかしくない。普通であり、正常であり、常識である。疑問に思うことは何一つとして存在せず、注意すべき点も見当たらない。普通に服を脱いだんだなで終わる話。


 だというのに、この男が服を脱いでいる。その一点の事実が、俺にその認識を許さない。この男が服を脱いでいると、風呂に入るために服を脱いでいたのだとしても許されない何かが存在する。


 端的にいうと、腹が痛くなる。


「……」


 男は普通に服を脱いで、更衣室にいるだけだ。そして、そのまま風呂に入る。それは普通のことだ。普通のことなのに──何故だ。何故、こうも違和感があるんだ。何故、この男だと普通に風呂に入っているんだなと認識できないんだ。何故、何故、何故──ッッッ!!


「ジル様」


 その男が俺の名前を呼ぶ。その瞬間に、俺の背中に極大の悪寒が走り抜けた。


「私、キーラン。招集に応じて馳せ参じました。信仰の儀をこの国で行う土台ができていないので、このような場で服を脱いでしまったことに、謝罪を」

「……」

「……」


 絶句する俺とヘクター。この男は、何を言っているんだ? 風呂で服を脱ぐことに、謝罪? 風呂で服を脱ぐのは、おかしなことだった?


(こいつは何を言っているんだ……?)


 未知の生物を前にした時、人間の思考はフリーズするという。現在の俺とヘクターは、まさしくその状態に陥っていた。


「ですがご安心を、このキーラン。いずれは室内であればどの場でも信仰を捧げることが可能となるよう、全力を尽くす所存であります」


 何を、何を安心すれば良いの……?


「……無視しようぜ、ボス。風呂だ風呂」


 そう言って、ロッカーの前に立って服を脱ぎ始めたヘクター。そんなヘクターに、キーランは感心したように言う。


「そうか、ヘクター。お前もついに、その領域に至ったか」

「……」


 ピタリ、とヘクターの服を脱ぐ手が止まった。


「いい傾向だ。ジル様のいる前で服を脱ぐ、それはつまり、信仰を捧げることに他ならない」

「……」


 そうなの? とアイコンタクトを送ってくるヘクター。


「……」

 

 俺は恐怖を抱いた。目の前の男が理解不能すぎて、俺は底知れぬ沼を前にしたかのような恐怖を抱いたのだ。心の中を読むことができる対象なのに、俺はキーランの思考が全く読み取れないのである。


(助けて……)


 天を仰ぐ俺。しかし、そんなことで助けが来るはずもなく。


 かくして、よく分からないお風呂タイムが、幕を開けた。

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