理解

「……素晴らしい」


 思わず、ニールはそう呟いていた。


 無意識のうちに剣筋がズレたら修正しろと言われたが、それはあり得ない、と彼は頭を横に振る。


 目の前の王は、剣を一度振るたびに進化している。成長ではなく、進化だ。慣れるのではなく、研ぎ澄まされていく。一秒ごとに進化していく彼は、もはや剣士として数分前とは別の生き物といっても過言ではない。


 もちろん、どこかで行き詰まりはするだろう。だが、それだけだ。彼は確実に、立ち塞がる壁を越える。否、破壊する。


「あなたは、どこまで……」


 もはや自分にできることは、目の前の奇跡にただただ感嘆の息を零すことだけだ。


 軽く見た限り、彼は騎士団長にさえも匹敵する剣才の持ち主。このまま技量が伴っていけばもしかすると、もしかするのかもしれない。


(一度、手合わせを願いたいものですね)


 高揚。


 騎士として高みを目指し、騎士団長を目標に据えている彼は、目の前の王の進化を見て、過去最高峰に高まっていた。この国おいて、騎士団長に次ぐ実力者である彼が、だ。


(元々、ある程度はイメージがあったのでしょうか。しかし珍しいといえば珍しいですね。剣を振るう機会がないのにも関わらず、イメージだけはしていたというのは)


 ニールは知る由もないが、ジルは前世において、アニメの影響によって妄想で剣を振っていたことがある。その効果が、微妙にあったりなかったりしていた。


 ちなみに、ジルはそれを黒歴史と呼んで闇に葬り去っている。


 なのでもしもニールが「剣を振るイメージトレーニングをする機会があったのですか?」と尋ねれば、ジルは秒で膝を屈するだろう。大陸において、ジルに膝を突かせることができる人物となる可能性を、ニールは秘めていた。


 ◆◆◆


 剣を振る。それはとても、単純な動作だ。


 だが、その単純な動作に使われている筋肉や感覚を認識すると、意外と俺は剣を振るだけで多くのものを活用しているんだな、ということを理解し始めて。


(これは……)


 魔術を使うのは、息を吸うようにできていたから特に何も考えなかった。


 『天の術式』を学んだときは、前世ではあり得ない異能の力ということもあって「そういうものなのか」で終わっていた。


 人を殴る、蹴る、踏み潰す、その他諸々の動作も、体が慣れ親しんでいたのか特に考える必要はなかった。


 だが剣を振る。この動作は、この肉体にとって初めての経験だったらしい。だからこれまでやってきたこと異なって試行錯誤という過程が生まれ──それを経ることで己の肉体に対する理解が、どんどんと深まっていく。


(──凄い)


 凄い。凄いと、子供のように無邪気に思う。


 肉体に対する敬意が溢れ出て、まだまだやれるだろうと活力が湧く。疲れを感じるなど言語道断。それは、この肉体ジルに対する最大の侮辱に他ならない。


(それに、なんだろうな……俺は今、楽しい……のか?)


 楽しい。そう、楽しいのだ。


 これは『天の術式』を学んだときも思ったことだが、新たなことを身につけるというのは実に面白い。特に今回の場合は、肉体に対する理解も深まっていくので、余計にそう思うのだろう。


(そうか。これは、ジルの観察眼とかも相乗効果を発揮して──)


 ジルという男は、あらゆる分野にて人類最高峰の才能を有している怪物である。俺はそのことを把握していたが、しかしその意味を少々甘く──というより、軽く考えていたのかもしれない。


 ジルは生まれた瞬間から世界最高だ。戦闘という分野では人類最強が、頭脳という分野ではシリルが並び立つが、しかし頭脳という分野で人類最強がジルに並び立つことはないし、シリルが戦闘という分野でジルに並び立つこともない。


 分かっていたが、分かっていなかった。魔術において、総合的にクロエが並んでいるのに。剣士として、騎士団長の方が遥か高みにいるのに。ジルが最強であるのは何故なのかを分かっていたのに、理解していなかったのだ。


 無限にも等しい量の魔力を用いた滅殺。人間の領域を越えた身体能力を活かした戦術。そして、人間という枠組みの中において唯一無二の『神の力』及び『権能』による絶対性。


 原作において、ジルの戦闘方法は非常にシンプルなものだった。『権能』によってあらゆる攻撃を無効化し、笑みを浮かべながら魔術を連発し、絶対性の象徴たる『神の力』を放出し、興が乗れば肉弾戦にも応じる。


 それが、ジルという男の辿り着いた戦闘における最適解。基本は座して動かず、自らの目に叶う存在が相手の時は身体能力も活用する。強みを最大限に活かした、彼の在り方。


 だから俺は、それに倣った。原作のジルを強化するには、原作ジルが辿り着いた最適解を更に研ぎ澄ませるべきだろうと。研ぎ澄ませつつ、原作とは異なるアプローチたる『天の術式』や他のインフレ要素にを手を出す。単なる延長線上ではいけないということは、理解していたから。


 だが今思えば、俺は真の意味でジルのスペックを活かせていなかったのだろう。『天の術式』による強化は確かにあるし、神々を見据えて訓練も積んでいるが──もしも原作のジルが『天の術式』を手にして、なおかつ訓練を積んでいたら、おそらく今の俺よりも強かった。


 それに原作ジルとは異なる方向性を求めていながら、どこまでいってもベースは原作ジルだ。延長線上ではいけないと理解していたのに、俺は本当の意味での改革に手を出せていなかった。


(そうか。そういうことか)


 絵師を志せば神絵師になり、ピアノを弾けば後世にて音楽の教科書に載るようになり、武道を始めれば達人の領域に至る。それが、ジルという男だ。


 だが神絵師は一人ではない。歴史に名を残したピアニストだって複数人存在している。ならば彼らの才能は、ステータスは、その全てが同じものだったのか? 


 答えは否、否である。


 単純に絵が上手いもの。表現力が高いもの。独創性あふれるもの。その他諸々。単純に『絵の才能』といえど、更に深く、細分化できるはずだ。突出した才能は、各々で微妙に異なっているはずなのだ。


 そしてジルは、その全てが人類最高峰。絵を描くのに必要な才能。絵を描くのに使える才能。その全てにおいて人類最高峰なのがジルなのだ。


 思わず笑ってしまう。俺はこれまで、絵の才能の中の一つしか使っていなかったようなものだ。最も想像しやすい、絵が上手く描ける才能だけを活用していたのだ。


 だがここに、表現力の才能を掛け合わせればどうなるか? その効果は倍どころではないはずだ。


 つまり、俺がやるべきことは──


「私が言うまでもなく、至ったみたいですね上官殿。……流石です」


 ピタリ、と俺は剣を振るのを止めて声のした方向へと顔を向けた。


「そう。あなたの強みは、複数の才能を掛け合わせることだ。人は各々のアドバンテージを伸ばしつつ、他の才能や能力でそれを補強していきますが……あなたの場合は、全ての才能がアドバンテージとなるだけの潜在能力を有している。故に補強ではなく、相乗。これは単純な最終的な能力値もそうですが……それ以上に、無限の可能性があることを示唆しています」


 肩で息をするレイラに水を渡しながら、騎士団長は言葉を続けた。


「それを認識しながら修練を積むのと、無意識で修練を積むのとでは効果が大きく変わります。才能に対する理解と、才能と合致した技量を鍛えつつ、その才能を活かせる才能も鍛えていく。それも、並々ならぬ努力で……これが最強です。努力を積みまくる凡人の千倍の努力をする天才に敵うものはありません」


 ドヤ、と騎士団長は胸を張る。そして、ソフィアへと視線を送った。


「上官殿に見惚れているソフィア」

「み、見惚れていません! ジル様に誤解されたらどうするのですかアナ!」

「誤解されたらむしろ成功だろう」

「そ、それはその……」


 やれやれ、と肩をすくめる騎士団長とそんな彼女に詰め寄るソフィア。……やはり、仲が良い。いやというより、良すぎる。この二人に何があったのか思考をしたいが、しかしそれよりも剣を振ることを再開したい気持ちが──


「私よりもお前が伝えた方がいい部分がある。だから、少し役割を分担しよう」

「えっと、私は剣を使うことは……」

「それは──……ええいもうまどろっこしい! なんでお前はチャンスを活かせんのだ! そんなんだと突然現れたポッと出ヒロインに取られるぞ!」

「!?」

「それに、レイラ殿も放置はできん。約束もあるが、空間を斬れるのは中々の逸材だからな……」


 ふむ、ちょうど良いか──と騎士団長はレイラを呼ぶ。肩で息をしながらも、レイラは騎士団長の元へと駆け寄った。


「上官殿も見ていてくださいね」


 その言葉に俺が頷くと同時に、騎士団長の纏う空気が変わる。


「これは私見だがな。剣を扱うならば、目に見えるものの全てを斬ることができなければならないと私は考えている」

 

 そう言って、騎士団長は一振りの剣を取り出した。どこにでも売っているような、安物の剣だ。とてもではないが、騎士団長ほどの格を有する者が使うような剣ではない。その辺の野盗が適当に拾ってそのまま使うような剣。それを片手でもてあそびながら、騎士団長は訓練場に置いてある鋼鉄の鎧の前に立った。

 

「──ふっ!」

 

 そして、彼女は剣を振り下ろす。安物の剣は、見るも無残に砕け──

 

「まあ、こんな具合だな」

 

 ──ることなく、綺麗に鋼鉄を斬り裂いた。

 

「……」

 

 名剣なら分かる。素手ならば尚更。だが、そこいらにあるような安物の剣で、鋼鉄を斬り裂く。しかも、剣が一切ダメージを負っていない。その領域には一体、どれほどの修練を積めば至ることができるのか。

 

「私は生後半月の頃から剣を振っていてな。剣を振りながら立つことでバランス感覚を覚え、剣を振りながら歩く方がバランスが取りやすいと剣を振りながら歩き、剣を振りながら母から乳を頂くという不思議な赤子をしていた」

 

 それはただの危険人物なのではないだろうかと思ったが、とりあえず黙っておく。俺の横でソフィアが「ええ……」と若干引いていたので、俺の感性がおかしくないことだけは確かだ。……確かだよな?

 

「目に見えるものを全て斬るのは前提条件。故に我々に求められるのは、目に見えないものを斬ることに他ならない」


 騎士団長な言葉に、ニールの表情が僅かばかり強張る。おそらく、騎士団長が求める前提条件とやらに到達していないのだろうが……騎士団長の語る前提条件は厳しすぎる気がするので、そう本気で受け取る必要はない気がする。


(しかし、どうなっている。鋼鉄を砕くこと自体は容易い。俺ならデコピンで可能だ……。だが、あの剣で……ああも綺麗に斬るなど……)


 やはり得るものは大きそうだと俺が再認識したのと、騎士団長が言葉を締めくくったのは、全くの同時だった。


「すなわち、概念の切断だ」


 ◆◆◆


「いやー、二日連続で徹夜して遊ぶのは疲れるぜ」

「だな。けど、こんなことができるのは今くらいだろ? 年齢を重ねたら、キツくなるらしいぜ」

「げっ、そうなのか」

「おう。あ、そういえば──の劇場は見たか?」

「ああ見たぜ。良かったよなアレ」


 エクエス王国のとある町にある喫茶店。その一席に腰掛けながら、男は情報を集めていた。


「なによりもあのシーンは感動したね」

「分かる。けど俺としてはあの子とあの──」

「っ! 馬鹿野郎!」

「ぐはっ!」


 隣の座席で向かい合って座り、雑談を交わしていた二人の男。その片方がもう片方の顔面を殴って、無理矢理言葉を遮った。当然ながら殴られた方は抗議の声をあげるべく、顔を上げて──


「お前! 俺たちの間でカップリングについて語り合うのは禁止って言っただろ! 解釈違いがあったら……もう、俺たちは友達じゃいられねえんだぞ!!」

「────ッッッ!!」

 

 涙を流しながら叫ぶ男と、それにハッとした様子になるもう片方の男。


「すまん! 俺が、俺が悪かった……!」

「いや、俺も殴って悪かった!」

「そうだよな。解釈が違ってたら、もうそれは殺すしかねえもんな……。忘れてたよ……」

「ああ。だから俺たちは、カップリングについて語らない。そうすれば、友情は不滅だからな」

「……けど、好きなことを語らないってなんなんだろうな」

「……分かるぜ。けど、頑張ろう。カップリングについての話題を避けたいくらいに、友情を感じてるのは事実なんだからさ……」


 そう言って、立ち去っていく二人組。


「……」


 その歪な光景を──


「なるほど。私を呼び出したのは、そういうことだったのですねジル様……理解しました。この地に、救いを」


 黒衣の暗殺者は、横目に眺めていた。

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