救国の英雄

 頑張った。


 俺はとても、とても頑張ったのだ。


 自慢ではないが、俺に恋愛経験は存在しない。異性と接する機会が皆無に近かったのもあるが、それ以前に恋愛感情というものを抱いたことがないので、恋愛に対する羨望だとか憧憬だとかそういったものが皆無というのもある。


 そしてそれは今でも変わらない。今でも恋愛感情なんて存在しないので、そういったものに対する憧憬等は皆無だ。


 そんな俺が、恋仲であると周囲に思わせるように行動する難易度は、想像を絶するものだった。


(彼女と恋仲であるかのように振る舞いながらパーティーを過ごす……。中々に、難易度が高い)


 なにせ、完全に空想の世界である。先の振る舞いが正しいのかは俺には理解できず、前世で見ていたラブコメ知識を総動員させて俺はパーティーを過ごしていた。


(お見合い経験では足りなかった、か。……ふっ。無念だが、ここが俺の墓場らしい)


 ジル死す。

 死因、恋愛経験皆無によって生き恥を晒したこと。

 物語完。ご愛読ありがとうございました。


 俺の現在の心境を三行で示すと大体こんな感じである、と言えば俺の内心の悲壮具合が伺えることだろう。


(いや本当に、あれで大丈夫だったのだろうか)


 冗談抜きに心配になってきた俺は、顎に手を添えて熟考する。


 ヘクターからは呆れたような視線を、ローランドとレイラからはどこか興味深げな視線を、周囲からは好奇心旺盛な視線を、ソフィアからはよく分からない視線を抱いたことは記憶に新しい。


 ……問題しかない気がしてきた。どうやら異世界恋愛事情は、ラブコメ漫画やラブコメライトノベルで培った知識では太刀打ちできないものだったらしい。


 ここが現実世界であれば俺の立ち振る舞いは間違いなくパーフェクトコミュニケーションを叩き出していたはずだ。それこそ周囲から『恋愛王』あるいは『恋愛神』の称号を得て凱旋を果たしていたことは想像に難くない。


(異世界であるが故の常識や価値観の相違、か。残念極まりないな……)


 などと俺が現実逃避をしている最中、ソフィアが俺の耳元で囁いた。


「──ジル様、エクエス王国の国王が壇上に上がりました。閉幕は近いかと」

「……ふん。ようやく、か。待ちくたびれたものよ」


 いよいよパーティーも終わり近いであろうことをソフィアの言葉から察し、俺は再度気を引き締める。これよりエクエス王国国王による演説が始まり、最後はパートナーと社交ダンスのようなものを踊って終了という流れのはずだ。

 

(パーティー終了後に会談を設けるためのアポを入れなければな。問題はどうやって『神の力』を回収するかだが……)


 取引をするにしても、彼らが望むものはなんだろうかと考える。一応は『上司』の許可を得てマヌスから『神の秘宝』たる剣を交渉材料として持ち出してきたが、これで問題ないと言えるかどうか。


(エクエス王国に適合者がいなければ、芸術品としての価値しかないからな。騎士団長が適合すれば間違いなく取引材料としては至高だが……)


 しかしそれでも、エクエス王国が頷くか分からないのが悲しいところだ。エクエス王国の価値観は完全に恋愛脳に染まっている。騎士団長本人が取引相手ならともかく、国王が取引相手である以上、『神の秘宝』とて国王の目に叶うとは限らない。価値観が違いすぎるからな。


 ──と。


(来たか。エクエス王国の国王)


 壇上に上がりし老王。

 年老いてはいるが、その身に纏う覇気は間違いなく王としてのそれ。流石にシリルには劣るが、しかし大国を纏め上げる者が有する特有の覇気はパーティー会場を一瞬にして掌握し、そして──


「皆の者。恋愛は良いぞ」


 ──そして、俺の表情が死んだ。と言っても、無表情のままなので他人から見れば変化はないが。


「ええ……」

「どういうことなの、ローラン」

「分からん……」

「……」


 上からヘクター、レイラ、ローランド、そしてソフィアである。唯一ソフィアだけは見定めるような視線を真剣に送っているが、お前はアレの何を見定めるつもりなんだ。


「我々が求めるのは、至高の恋愛である。王族であり、貴族である我々はノブレス・オブリージュの精神に則り、至高の恋愛を果たさねばならない」


 どんなノブレス・オブリージュだよ。


 ノブレス・オブリージュとは簡単に説明すると、偉い人は色々と権利を持っているんだから、その分権利を持っていない人たちより頑張らないといけないよね、という己に課す誓いのようなものである。


 そしてそれは騎士道精神と割と近い概念であり、騎士道精神を思い浮かべると分かりやすいかもしれない。そういう意味では、彼らが騎士を従えるのは納得がいくだろう。


 ただ、ノブレス・オブリージュの精神に則った結果が至高の恋愛というのはまるで意味が分からない。


「そして、皆の者に通達する。我が国の精鋭。騎士団が誇る気高き乙女──騎士団長が、婚姻を結んだ」


 スッと、音もなく壇上に現れる騎士団長。その表情は──完全に恋する乙女のそれだった。とても大陸最強格に君臨する『騎士団長』が浮かべる表情ではなく、ただの少女が浮かべるそれ。


 それを見てか、会場内が微笑ましいものを見るような空気に包まれていく。その空気の変化を直に感じ取ったであろう騎士団長は身じろぎし、顔を俯けて停止した。


 もう一度言おう。完全にただの恋する乙女である。


「……」


 既婚者なのか、と僅かに驚愕する俺。ちらりとローランドに視線を向けるも、彼は特に訝しんだ様子を見せていなかった。


 つまり。


(嘘は吐いていない、か。……これは、凄い情報を得たな)


 ローランドの『祝福』は嘘を見抜く。彼を前に欺瞞は無意味にして無価値。危険察知能力を有するレイラと、嘘を見抜くローランドは護衛としてこれ以上ない性能を有しているのだが……こういうちょっとした場面でも、彼らは有用なのである。


 まあ俺はそのことを知らないということにしてあるので、彼らの反応を見て察するという使い方しかできないが。


(恋愛関係云々をすっ飛ばして、まさかの既婚者か。外見年齢は十代のそれだが、一応二十ではあるのだったか)


 この国の結婚可能年齢を知らないので、なんとも言えないと言えば言えないのだが。


「そして喜ばしいことに──相手は救国の英雄なのじゃ」


 ドッと湧き上がる会場。

 空気の変化にまるで付いていけないが、どうやら俺……というかアニメ視聴者の知らないところで、エクエス王国はなんか凄いことになっていたらしい。


(しかし、ふむ。救国の英雄と騎士団長か)


 なるほど、これ以上なく相応しい組み合わせと言える。カップリング論争が盛んなエクエス王国でも、満場一致で受け入れられるのではないだろうか。俺でも普通に祝福してしまうものだ。文句のつけようがない。


「そして救国の英雄はなんと『戦神の国』に属していた。……もはやこれは、至高の恋愛と言っても過言ではない!!」


 クワッと目を見開く老王。


 その気迫はまさしく大国の王を冠するに相応しい……のだろうか。少し自信が保てなくなってきた俺。そんな俺の内心を見透かしているのかいないのか、ヘクターが果実水を手渡してくれたのでありがたくいただく。


 ……ふむ。美味い。


「素晴らしい演説ですね、あの国王は。ジル様の国を差し置いて『戦神の国』を名乗るのは不敬ではありますが……しかし、ええ。神たるジル様を間接的にとはいえ讃えているのであれば問題はないでしょう。ジル様を目にすれば──」

「ソフィアお前少し口を閉じよ」

「!?」


 涙目になるソフィアを無視して、俺は再び果実水を飲む。内容的に演説を聞く意味を見出せなくなってきたので、演説が終わればアポを取って宿に帰宅しようという魂胆である。内容に関しては真面目なレイラがメモを取っているので、おそらく問題ないだろう。多分。


(それにしても『戦神の国』に属する救国の英雄……? どこの主人公だよ……)


 そんな大それた存在が、なんで原作に出てこなかったのだろうか。王子様系キャラなら、間違いなく女性からの人気は出ると思うのだが。男性視聴者の方が多いアニメではあるが、しかし女性人気もそれなり以上にあったのだから王子様系キャラを出して損は──


「ではまずはこの御方をお呼びしよう! 『騎士団長』最愛のパートナーにして救国の英雄──『粛然の処刑人』を従えし者! 『戦神の国』が王! ジル殿を!!」


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