終局 前

 敵国への入国。

 普通ならそれを果たしたあとは気配を隠すだとか、隠れ潜むだとかそういうことをするのだろうが──俺の場合はむしろその逆をいっていた。


「……あの神々しい人は、誰だ?」

「分からない。どう見ても只者ではないし見覚えはないけど、うちは鎖国中でなにより戦争中だし……」

「密入国?」

「亡国の王子のお忍びかしら……?」

「確かにうちは大陸最強だが……」

「あの堂々っぷりは──」


 ざわめく群衆を横目に、俺は堂々と、悠然と道を歩く。道を駆けて走るという選択肢は、沽券にかかわるので存在しなかった。


(人類最強が敗北したという報せは出していないようだな……まあ、当然か。戦争中に最高戦力が突破されました、なんて聞かされたら一般人は混乱するのみ)


 箝口令かんこれいが敷かれているのは、予測できていたことだ。知っているのは軍に属する人間でも、上位に位置する者たちくらいだろう。


(とはいえ、街の様子から得られる情報もあるだろう。俺は堂々と、この国のニュートラルな状態を知るとしようか)


 人目を避ける必要などない。ジルという男であれば、有象無象から襲撃されたところで、雑事であると切り捨てるに違いないのだから。


 故に俺は威風堂々とマヌスという地に君臨する。俺が通る道は、人の波がモーセのごとく割れていく。近所を散歩でもするかのような気軽さで、俺は敵地を歩いていた。

 

 襲撃は、ない。


 この場で俺に仕掛けたところで無意味なことは、向こうとて理解しているということだろう。


(国の威信。余波による被害への懸念。様子見。最高戦力である人類最強の敗北。その他にも理由は多いだろうが、手は出しにくいだろうな)


 それでも俺自身念のためにと警戒を緩めてはいないが、しかしここで戦闘になることはないだろう。おそらく戦闘になるとしても……本当に、最後の最後だ。


(兵士か)


 少し離れた位置に、兵士が三人ほど集まっていた。好戦的な空気を纏っている彼らに内心で少し身構えるが、しかし仕掛けてくる様子はなかった。


(……ふむ?)


 命令で手出しを禁止されているからだろうと推測したが、そもそも彼らは俺に気づいた様子がないことを察知する。ならば何故、好戦的な空気を纏っているのだろうか。


(面白い)


 少しばかり興味を抱いた俺は、神経を研ぎ澄ませて連中の会話を盗み聞くことにした。


『人類最強が負けたらしい』

『ということは、新しい人類最強が生まれたということか』

『で、どの「蠱毒」が人類最強を殺したんだ? 俺がそいつを殺せば人類最強だろ?』

『は? 俺が殺すんだが』

『は?』

『は?』

『今すぐテメェらを殺してやりてえが……命令には従うしかねえ。とりあえず、向こうの兵士を一番多く殺せた奴が先に挑むで問題ねえか?』

『なに言ってんだ。「人類最強」が負けたってことは、俺たちは戦争に勝ったんだろ。もう下で殺し合おう』


 ……。


(……?)


 俺としてはたいへん不思議なことに、頭が痛くなってきた気がする。


(……どういうことだ)


 俺の記憶が正しければ『蠱毒』とはマヌスが擁する精鋭部隊であり、人類最強はその頂点に座している……はずだ。その『蠱毒』の一員が人類最強を殺すとか意味が分からないし、それを当然のように語っている彼らも例外なく意味が分からない。


(加えて、人類最強が敗北しても、取り乱した様子がない……)


 現在は戦争中であり、戦争の最中で自軍の最高戦力が敗北するなど普通に考えて危機的状況である。にも関わらず、彼らは「明日の朝ごはんなににする?」くらいの感覚で人類最強の敗北を雑談の種にし、あまつさえ人類最強の敗北=勝利という謎の図式が生まれている。


 大陸最強国家を名乗るには、これくらい頭のネジが飛んでいないといけないのだろうか。流石に脳筋すぎやしないだろうか。というかこれは、脳筋とかそういう問題なのだろうか。至極真っ当な疑問を抱きつつ、俺は頭を振る。


(……見なかったことにしよう)


 ちょっとこの国を支配するのは魔術大国以上にご遠慮したいな、と思いながら──俺は本来の目的を果たすべく足を進めた。


(目的の場所は『神の力』の気配を辿れば分かる。封印が解放されていれば、俺なら気配を悟れるからな。反応は、地下からだ。地下へと続く道を探すとしよう)


 俺が堂々と道を闊歩かっぽしているのには当然ながら複数の理由があるのだが──主な理由は、マヌスの国民たちに「ジルは敵国に入っても、特に暴れることなく降伏勧告を促した」という事実の生き証人になってもらうためである。


(俺の寛大さをアピールするために、こいつらは利用させてもらうとしよう)


 もちろんデメリットもある。


 あるのだが、天秤にかけた際にメリットの方が上回るからこそ、俺はこの選択をとった。それに人類最強が戦闘不能状態になっている以上、デメリットなんてないに等しい。それにジルである以上、罠の類は真正面から粉砕してみせる。


(ここか)


 そうこうしているうちに、俺は都市からそれなりに離れた位置にある地下への入り口を発見した。幻術で擬態させたうえにかなり頑丈な作りの扉で閉ざしているが、その程度はジルに通用しない。


 軽く周囲に結界を張り、俺は扉に向かって超級魔術を三発ほど放つ。加減に加減を重ねないとマヌスの環境を破壊し尽くしてしまうので、その辺は考慮しなければならない。


 元に戻す魔術を使えば問題ないといえばないが、あまり魔力の無駄遣いはしたくないし、騒ぎを大きくすれば原作ジルのように国ごと吹き飛ばす結末になるだろう。


(環境の復元といえば、いずれは人類最強との決戦の地を復元させねばならんな……)


 仮にも神として君臨する男が、率先して環境破壊というのは良くないだろう。この大陸は俺の所有物だからとかなんとか理由をつけて、復元させなければ。


 ──なお、死んだ大地を再生させる俺の姿を目撃した部族たちから

「大地の神だ……」と信仰されることになるとは、ジルの頭脳をもってしても予測できなかった。


 ◆◆◆


 さて、ここで軽くおさらいをしよう。


 俺にとっての絶対的勝利は『神の力』の確保と、対神々用の戦力として『人類最強』を配下に加えることの二つ。マヌスの対応によって難易度は変化するが、強引な手段をとれば割と余裕な前者と違って、少しばかり後者はめんどくさい。


 まず大前提として、一応は決着が付いたとはいえ俺と人類最強は敵対関係にある。俺も人類最強も互いに嫌悪感だとかは抱いていないが、立場というものが俺たちを決定的な敵対関係へと落とし込んでいるのだ。


 深く考えなくても分かることだが、敵対関係の人間を配下に加えるというのは不可能に近い。「お前もレーグルにならないか?」なんて勧誘したところで「ならない」と一刀両断されるのがオチである。俺が勝者とはいえ、人類最強には、俺を殺すだけの牙があるので、強引に配下に加えるなんてできやしない。


(俺が人類最強を欲していると思われると、それはそれでマヌスが俺に付け込む弱みになるからなあ。「別に興味ないですけど?」みたいなツンデレ女子のような対応が必須になる)


 もちろん、敵対関係の人間相手でも強引に従属させるという手段もあるといえばある。だがそれは、こちらが相手よりも優位な状況に立っているという前提があってのもの。


 完全回復した人類最強は、間違いなく俺より強い。彼が人類到達地点を発動して反旗を翻した途端に、俺は肉塊に早変わりすることだろう。それほどまでに隔絶した実力が、真価を発揮した人類最強にはあるはずだ。


 もしも人類最強を強引な手段で配下に置くのであれば、少なくとも俺自身が完全体でなければ話にならない。だから俺に求められるのは、全力全開を出せる『熾天』と同等の領域だ。安心という意味では、グレイシークラスの実力が欲しいところである。


(武力的な面で優位に立っていないと、まったくもって安心できる気がしないからな)


 あるいは『熾天』には届かずとも、『何か』が俺や『熾天』相手に相性ゲームで優位に立ち回れるように、人類最強に対して優位に立ち回れる力があればそれでも構わないが──


(人間に対して優位な力といえば『魔王の眷属』が操る力だな……)


 アレの不死性と、人間に対して一方的な殺戮や蹂躙、魔改造が可能な異能は確かに強い。というより、強すぎるし悍ましすぎる。この世界に神々や神々由来の代物が存在しなければ、アレらはこの世界の天下をとっていたに違いない。


 それこそ、エーヴィヒであれば『神の力』や『神の秘宝』で守られていない人類最強なら相性差で一方的に殺せるのではないかというのが俺の見立てである。


(だが同時に、致命的なまでに神々に対して貧弱すぎる。神々との決戦を見据えてる俺としては、あまり魅力を感じない……。弱点を増やすわけにはいかないからだ。となると)


 俺ではなく、配下に『呪詛』を扱える存在がいれば助かる。


 つまり、『魔王の眷属』を一人でもいいから従えることができれば、対人類最強用の防衛機能として使える──いや、ないな。だって連中、カルト集団だし。


(実在していないのが濃厚そうな魔王を信仰してるからな……)


 それこそ連中を従えるには、過去に一度俺が誤解されかけたように自分自身が魔王として君臨するしかなくなるだろう。ただでさえ神として崇められていて意味が分からないのに、魔王としても崇められるなんて意味が分からなさすぎて却下だ。というか、狂信者がこれ以上増えても困る。


(そもそも『魔王の眷属』は、全員エーヴィヒによる首輪が付けられている気がするんだよな)


 俺が『魔王の眷属』を従えたところで、連中の自我はエーヴィヒによって握り潰され、そしてエーヴィヒ本人が俺の前にご登場するのだろう。

 そしてそうなれば、俺はエーヴィヒと戦争を繰り広げる必要が出てくるわけで……うん、却下だな。毎度毎度、国が滅びかねない応酬をするなんてアホらしい。


(……人類最強が実力行使に出た場合、俺に奴を止めることは不可能)


 先の戦闘は、なんとか勝利を手繰り寄せることができたが故の結果にすぎない。常に俺の目が届く範囲に人類最強がいるのであれば、人類到達地点を発動させる前に『光神の盾』で動きを封じるという手札もない訳ではないが……不確定要素が多すぎる。


(マヌスは敗戦国。だからこそ属国にすることも可能だが……)


 ここでまた人類最強の存在が問題になるんだよなあ、と俺は頭を抱える。マヌスの上層部が俺よりも人類最強の方が強いと分かれば、当然ながら反抗するために人類最強を動員しようとするだろう。これまで大陸最強の地位に君臨していた連中であるからこそ、何かの下に付くことは嫌がるに違いない。


(ならば上層部を全て虐殺するか? ……いや、マヌスの国民を見た感じ、政策は悪くない。そこを考えると、有能ならば重用したいから可能な限りは残すべき。それに、マヌスの国民からの信仰心とかも考えると──)


 俺のやるべきことは山積している。ぶっちゃけてしまうと大国単位の規模の土地の統治など、やる暇はないのである。だから、ある程度はそっくりそのまま丸投げにしたいのだ。その点、もともとこの国を統治してた連中にそのまま引き継がせれば俺の負担は皆無と言っていい。魔術大国同様、俺は形だけの王でいいのだから。


 もちろんジルのスペックであれば不可能ではない。だが、その時間を修行などに回す方が俺の目的達成確率は上昇するのは自明の理。国の政策を考えるより、海底都市の攻略方法でも考える方が断然として合理的だろう。


(マヌスの上層部に対して必要な措置は、俺に逆らうなどあり得ないと思わせることかね)


 人類最強なら俺に勝てるかもしれないと思われるから問題なのだ。幸いにして、俺は一度人類最強に勝利している。そして、人類最強の肉体は想像を絶するほどにボロボロだ。


(──俺の力を勘違いさせる。くくく、結局俺はここに帰着するらしい)


 俺の方が人類最強よりも遥かに強いと思わせることができれば、俺に反旗を翻すことはないだろう。つまり、俺がやるべきことは先の戦闘で俺が勝利したという事実も最大限利用し、奴に叛旗を翻すのは無意味であると思わせること。


(人類最強自身が俺に反抗する可能性は……上司の命令が鍵となるだろうな。マヌス自体が俺に付くことを選べば、人類最強はそれに従うだろうし)


 いやもちろん、一般人を意味もなく大量虐殺するなんて真似をすれば人類最強は俺に敵意を持って叛旗を翻すだろうが、幸いにして原作ジルと違って俺にそのような思想はない。原作ジルは、自分が認めた者以外は不要みたいな思考だからな。


(とはいえ、マヌスに属しているから従うという形より、俺自身に従うって形に持って行きたいんだよな……。私兵として自由に扱いたい)


 だがそれは簡単な話ではない。そもそも人類最強は「自分よりも強いから従う」という気質ではないだろう。度々耳にする上司とやらが、人類最強よりも強いとは思えないというのが根拠だ。


 それに、俺の方が強いから主を鞍替くらがえしろと言って鞍替えするような人間を従えたところで、裏切りは目に見えている。俺よりも強大な存在が現れたら、間違いなくそちらに着くだろうから。そんな人間に、対神々用の戦力としての価値は皆無だろう。


(反旗を翻させないために、俺の方が人類最強よりも強いと思わせることは重要だが、その勘違いを武器にして人類最強を直接的に従えるように行動をとるのは悪手。あくまでも、武力は抑止力として使うべきだ)


 人質作戦──は、良くないな。


 人質をとるということは人質が消えた途端に契約が成立しなくなることを意味するし、人質を解放するために探ろうとしてくるのは明白。探られたところで何もないならともかく、探られた結果俺の方が人類最強よりも弱いと判断されたら大問題だ。


 こちらを探られないために最も有効な手立ては、相手にそもそも探ろうという気にさせないこと。ならば俺は、人類最強との間に亀裂を生むような真似をしないように立ち回るべきだろう。不和の種は無い方がいい。


(で、あればだ。人類最強が良い意味で自発的に従いたくなるようにするか──人類最強以外の要因から攻めていくか)


 俺がヒントにすべきは、既に人類最強を従えていると言っても過言ではない『上司』の存在だろう。得体が知れない奴のことを知ることが、人類最強を従えるために最も近道。


(人類最強を安全に運用するには、少なくとも人類最強にとって俺を上司と同価値にするのが手っ取り早い)


 人類最強は、従うと決めた存在の命令には絶対だ。例えその命令が自らの価値観では"悪"であろうと、彼は従う。軍人として、あの青年の精神は完成されているのだから。


 そういう意味では、上司とやらを従えることは必然的に人類最強を従えるも同義か。ならば、上司に俺を心酔させるか?


(心酔、となると難しいんだよな。とりあえず、人類最強が敗北したから降伏はすると思うが。向こうから仕掛けてきた戦争である以上、俺には報復という名の大義名分がある。ならば早々に降伏する方が賢い)


 人類最強の敗北。


 それは上司にとって予想外の事態のはず。世間的には同格扱いとされる大陸最強格の面々と比較しても、間違いなく人類最強は一線を画す存在。それを打ち破った俺という存在を、上司はどう認識するだろうか。


(人類最強を倒したという事実は変わらない。今後全力で戦えば、人類最強が勝るのだとしても……この場においては、俺が勝者だ)


 最高戦力である人類最強を破った相手とこれ以上戦争を続ければ、もはやそれは消耗戦などという言葉では収まらない。

 時間も。兵力も。資源も。何もかもが無駄になるというほかないだろう。


(俺の暴力に正当性がある以上、選択権は俺の手に委ねられていると言っても過言ではなく、であるが故に国を守るためには降伏以外はあり得ない)


 幸いにして、上司という男がある程度合理的な思考を有していることは把握済みだ。暗殺者をうまく忍び込ませた手腕なども考慮すれば、まったくもって的外れな選択をとることはないだろう。


(無駄死にを望むことはないだろう。人類最強が再起可能なのであれば一抹の望みにかけるのも悪くはないが、現時点でそれはあり得ない)


 なんとなくだが、上司は効率を重視するタイプに見える。だからこそ、降伏勧告とその後の交渉はすんなりと通るだろう。


(心酔させるのには、時間がかかる。──いや待て、とりあえず降伏を促して人類最強の身柄を一度預かるという形をとって隔離してしまえば……まあ、とりあえずは、この戦争を終わらせよう)


 それこそ、わざわざ降伏勧告をするだけ無駄で、向こう側から降伏嘆願をするに違いない──そんな風に、俺は思っていた。


 ◆◆◆


 神を名乗る男に人類最強が敗北する。


 確かにそれは、予想外といえば予想外だった。

 

 だが──それを成したことで、もはや上司の中でその男が"本物の神である"という仮説は、確固たる真実に近いものとなっていた。


(人類最強を倒すという、人類にとってあり得ないことを実現させたお前は……本物の神なのだな?)


 瞳孔を開き、半ば興奮気味に上司は酷薄な笑みを浮かべる。いっそ狂気を感じさせるような表情のままに、上司は神の登場を待っていた。


(マヌスは敗北した)


 人類最強の敗北は、マヌスの敗北と同義である。


 最高戦力である人類最強を倒した存在を前に、残りの『蠱毒』なんぞなんの役にも立たないだろう。『仮面の女』の『地の術式』とて、神の前には無力に違いない。いやむしろ、そうでなくては困る。


 それに今のところ、配下の者たちから朗報の類は来ていない。

 強いて言うならば戦闘鬼兵が「千人殺しのヘクターと殺し合いを開始した」と嬉々として語ってきたが、上司としてはアレを朗報などとは言えない。殺し合いに悦を見出す狂人の価値観では朗報なのかもしれないが、正直言って理解しがたいと上司は思う。


(座標的にテールムが相対したのだろうが……奴は『蠱毒』の中でも向上心に欠けていたのに加え、人類最強から度々病室送りにされていた。数分も保たないだろう)


 実際のところはヘクターと互角に立ち回っているし、病室送りにされているのはそれだけ人類最強が加減をできなかったことの裏返しなのだが、上司がそれに気づくことはなかった。彼は、戦闘者ではないからだ。


 だが、それ以上に。


(──もう、今となってはどうでもいいがな)


 そう、どうでもいい。

 どうでもいいのだ、もはや上司にとって他の戦場の戦局など。


 人類最強が敗北した時点で、上司は計画のための道筋を変更している。だから『蠱毒』が全滅しようがしまいが、どうでもよかった。それらはもはや、結果に影響を与えないのだから。


(本気の人類最強を倒すのは、奇跡でしかない。ならばその奇跡を引き起こしたお前は、神なのだろう? 神ならば、奇跡だって起こせるだろうからな)


 上司の中に、人類最強が加減をしたという発想はない。そんなことをするような人間でないことはよく理解しているし──あの凄惨な姿を見て、そう認識することは愚者の極みだろう。


 なにより、人類最強への侮辱だ。

 上司は人類最強だけは認めているからこそ、それを打ち破った神に対する感情に良くも悪くも曇りがない。


(人類最強。お前の役目はここで終わりだ。お前はもう、必要ない)

 

 人類最強はいつ死んでもおかしくない状態だった。それはつまり、それほどの死力を尽くしたということ。だから上司は、これ以上人類最強を酷使する気がなかった。


 ……人類最強には、未来で柱になってもらう必要があるから。

 

(ここから先は、我が番ということだ)


 ──直後、上司が座す部屋の扉が轟音と共に爆発する。爆風が部屋を駆け抜けるが、しかしそれによって室内が蹂躙されることはなかった。


「……」


 部屋の中を砂塵が舞い。自然と上司の目は細められる。


「……」


 扉を破壊した人物の姿はまだ見えない。見えないが、しかし分かる。力の波動を感じる。何者からか放たれる肌を刺すような神威が、上司を歓喜へと導いていた。


「──どうやらここで正解のようだな」


 やがて、部屋の中に声が響く。人間のものとは思えないような。神託を思わせるような、そんな声が。


「随分と長い旅路だった。国自体の構造は単純だったが、しかし地下がこれほどまでに広大とはな。まさに地下迷宮と言ったところか。とはいえ、合理的ではある。対侵入者用としては、これ以上なく機能するだろう」


 全てを凍てつかせるような声音はそれだけで有象無象を心肺停止に追い込み、全身から放たれているであろう神威はそれだけで有象無象を平伏させる。


 まさしく、まさしく──と、上司はその目を見開いた。


「だが、この私を招く地としては相応しくない。更地の方が風情があるぞ、上司とやら」


 一陣の風が吹き、砂塵が霧散する。


「……」


 そして砂塵が晴れた先に現れた男は、報告通りの風貌だった。


 神々しいというほかない容姿に、それに相応しい圧力と神威。輝かしい銀色の髪は、殺風景なはずのこの部屋を一瞬にして荘厳な神殿のように煌めかせ。天を連想させる澄み渡った蒼い瞳がこちらを見据えると、全てを見透かされたような気持ちになってしまう。


「……」


 まさに人間とは思えない存在で──だからこそ、上司は両の手を広げて口を開いた。


「歓迎しよう、神を名乗る男……いや、神」

「一目で私が神であると理解できる程度の知性は有しているらしい。人類最強を除けば蛮族としか思えぬ有象無象の長とはどのような珍生物かと思っていたが……存外、まともなようだな」

「思ってもないことを口にするな。この身がまともな訳がないだろう? まともな身であれば、貴殿と戦争などしないのだからな」

「……」


 その言葉を受けて思うところがあったのだろう。神の観察するような視線が、こちらを射抜く。

 策を弄したところで無駄に違いないと嫌でも思わせてくる。全てを見通すであろうその瞳に、この姿はどのようにして映っているのだろうか。


 道化か。

 策士か。

 それとも──


「ふん。すでに、戦争などとも呼べぬ遊戯の結末は決したも同然。故に、私から告げるだけ無駄な話ではあるが──」


 心底どうでもいいと思っている声音と表情だった。おそらく神は、この身を見定め終わったのだろう。その上で、あえて尋ねてきている。


 ……思っていたよりも、寛大な神であるらしい。文献で見た神よりも、よほど善良に神が降臨したと見るべきか。


 だが、互いの目的は相容れないだろう。


「降伏しろ。であれば、貴様らの命はとらん。二度は言わんぞ、小僧」

「……」


 ああ、やはり寛大だ。


 こちらが降伏しないと理解しているからこそ「無駄な話」と前置きして。しかしながらも、こちらに降伏勧告をしてくれるとは。


 ああ本当に、目の前の神は寛大で──


「……」


 ──だからこそ、やはり神は人間と違うことをよく理解した。


「命はとらない、か」


 寛大だ。寛大にすぎる。


 だが、戦争という多くの命が失われる可能性のある事態を引き起こした相手に対して──あまりに甘すぎる。


 これが龍帝であれば、少なくともこの首は落ちている。魔術大国であっても、似たような結末だろう。エクエス王国はよく分からないが、あそこは修羅の国と聞く。上層部は皆殺しかもしれない。


「随分と、優しい言葉じゃないか。上位者らしいよ」


 人間の命など、良くも悪くも目の前の神にとっては等しく平等なのだろう。失われた命も、それはそれで運命の定めとして等しく扱うに違いない。


「やはり、人という生き物の欲深さを理解していないようだな。神という存在は」


 この神からすれば、自分の国も他国も差がない。

 彼にとってはなにも、なにも変わらない。全てを受け入れるといえば聞こえはいいが……それは、誰も彼にとって"特別"足り得ない。だから、神々はこんなにも無情な世界を生み出した。





 そんな風に。ある種盲目的に。現実を直視することなく上司は目的達成のために口を紡ぐ。







「命を捨ててでも叶えたい願望。それを原動力に、この身はここにある」

「それが貴様の答えか、上司とやら」


 神が目を細めて圧力を上昇させるのと、上司の言葉を皮切りに床に魔法陣が浮かび上がるのは、ほぼ同時のことだった。


「……理解できんな」

「理解できんだろうさ」


 そう言って、上司は嗤う。


「では始めるとしよう。ああ、加減をしてくれると助かる。この身は人類の極致などとは程遠い……この世界のどこにでもいる、ごく普通の人間なのだからな」

 

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