終局 中

 神々とは、理解不能にして超常の存在である。


 太古の昔。人と会話ができ、意思疎通が可能で、それでいて同じ世界に住んでいた神々は、しかし根本からして人間とは異なる生き物だ。正直、性質だけを見れば人間よりも魔獣や天災の類の方が近かっただろう──と、目の前に立つ男を見て確信した。


 人類と神々は、根底の価値観が違う。視点が違う。在り方が違う。だからこそ、人と神は最終的に相容れない。


 彼らからしてみれば、人間は物語に登場するキャラクターに近しいものなのだろう。人に対する好嫌の感情は存在するし、時には肩入れをするし、協力だってする。だがそれは、人々が英雄譚を読んで空想上の英雄に対して憧憬を抱くことと、さして変わらないものだ。


 神々は基本的に、人間そのものには興味関心がない。人間が紡ぐ喜劇を、悲劇を、運命を、彼らは肴にして楽しんでいる。物語を読むのと同じ感覚で、彼らは世界を眺めている。完全に傍観者な神もいれば、介入することに対して愉悦を見出す神もいるだろう。だが、根本的には人間そのものに対して興味が湧くことはない。


 ──それが、上司の出した結論だった。


 マヌスでさえ多くが欠落した情報しか残っていないし、多くにおいて現代では空想の物語と考えられているが──神話を見れば分かるのだ。神々にとって、人間など娯楽でしかなかったのだと。娯楽だからこそ、人類という集合体に対して時には守護もしていたのだと。


 自分たちの無聊ぶりょうなぐさめてくれる娯楽を失う訳にはいかない。きっと、その程度の感覚で災厄から人類を救っていた。真に人類を想っていたのなら、こんなくだらない法則が世界を敷いていることはなかったはずだから。


 ──本当に。本当にこの世界は、残酷だ。


 魔術とは、ある事象を数式で示してそれを再現すること。

 例えば火を灯す魔術を行使するには、発火という事象を数式で示すところから始まる。そして、あらゆる事象は数式で綺麗に証明できる。できてしまう。


 何故、綺麗に証明できる? と思った。そんな偶然があるのだろうかと考え、いつしか世界そのものに対して疑問を抱いていた。


 神々が実在していたのではと強く思わせる秘宝に加えて、魔術という代物の仕組み。

 ここで、自分の中にある仮説が生まれた。


 すなわち、この世界は作られたのではないか? というものだ。


 何者かが意図的に生み出したからこそ、あらゆる事象は綺麗に数式で表せるのではないか。では何者とは何か。


 ──そんなものは決まっている。神々だ。


 神々の手によって、世界は創造された。これは宗教などで使い古された言い回しだが、事実としてそうなのだろう。


 だとしたら世界に渦巻く法則は、神々が楽しむために作られたものでしかない。人間の喜劇や悲劇を楽しむために、喜劇や悲劇といった物語が生まれやすいように、この世界はできている。


 ──くだらない。実に、実にくだらない。


 悲劇。

 そう、悲劇だ。


 偶然なら良い。偶然ならば許せた。抗えないものなら仕方がない。抗えないものはどうしようもないから。何者にも仕組まれていないのであれば、そういうものだと納得できる。


 だが、もしもそれらが意図的なものだったならば?


 ──なぜ何者かのくだらない趣味嗜好に、我々が付き合わなければならない。


 もしもそれが不可逆的なものではなく、可逆的なものならば?


 もしもそれに、抗うことができるならば?


 何者かの意図によって起きている悲劇ならば、それを覆すことだってできるのではないか?


 そう思ったからこそ、この身は宿願を抱くに至った。誰もが当たり前だと諦め、屈している現実。それを壊すために、この身は存在している。


 ──宿願に至った経緯までは、人類最強にすらも伝えてはいないがな。


 経緯は伝えていないが、しかし目的と手段はあますことなく伝えた。他の『蠱毒』は両方を語ったところで手段の方に注目するだろうし、なんならそちらだけを伝えた方がモチベーションが上がるだろうと踏んで手段の方だけを伝えておいたが、いい意味でマヌスの人間らしからぬ人類最強に関しては、目的まで語ったのだ。


『その道は果てしなく、困難極まる。人類の極致と、神々の領域に達するのは別の問題だからだ。だが──自分はその道を肯定する。道を違えない限り、自分はあらゆる命令に従うことをここに誓おう』


 その返答に人類最強と呼ばれる青年──当時は少年だったが──は、あらゆる意味で素晴らしい人材であると確信して、しかしそこからは、困難の連続だった。


 最も近道と考えた『神の力』は、人類最強ですら扱うことは不可能な代物だった。かといって禁術を扱える『氷の魔女』も、魔術大国と正面戦争を起こしてまで手に入れたいほどの才気は感じられない。


 世界の法則を書き換える。そのためには、世界の法則を敷いていると考えられる神々の力が必要だ。神々の力を扱うことすらできなければ、計画は第一段階に至ることさえできない。


 故に人類最強という協力者を得てからも数年以上の時が経過してしまい──そんなとき、それは現れた。


『上司。魔術大国を、猛吹雪が覆っている。『神の力』と似た気配……禁術だろう』

『……禁術か。魔術大国が虎の子を起こさねばならない事態が、起きているということだな』

『ああ。しかし「龍帝」が動いたという情報はなく、「騎士団長」も同様だ』

『冒険者組合の秘蔵っ子は、冒険者の権利が不当に侵害されでもしない限りは動かないだろう。そして魔術大国は、そもそも冒険者側が任務を拒否している地だからそれはあり得ないと見ていい。となると、新たな人物か……? だが、大陸最強格に連なる実力者が……』

『──上司。より濃い「神の力」の気配を、微弱ながら感じる』

『!』

『凄まじい隠密性だ。広範囲にわたる禁術が感知を妨害する機能を果たしているのに加え、より濃い「神の力」を扱う者は非常に繊細なコントロールをしているのだろう。あまり良くない気配を感じる謎の力と激突したような空気の瞬間にのみ、ギリギリ感知ができると言ったところか』

『……より濃い『神の力』に加え、お前でさえ特定の条件下のみギリギリ感知可能という繊細なコントロール……か。「氷の魔女」に兄弟がいたとでもいうのか……?』

『──なるほど、そういうことか』

『む、何か分かったのか?』

『ああ。なんとなくだが、道が開けた。「神の秘宝」を媒介すれば、この身も「神の力」を扱えるかもしれない』

『そうか。ならば、往くぞ。我々の道を目指して』


 このときはまだ、神を神であるとは認識していなかった。だが、ここがターニングポイントであったのは事実だ。この瞬間より、宿願への道は大きく切り拓かれたのだから。


 ──なあ、神。お前にこの世界はどう映っている?


 世界は理不尽だ。世界は残酷だ。お前たちからすれば悲劇も喜劇も終わり良ければすべて良しで済む等しい価値なのかもしれないが、こっちからすればこれ以上に迷惑な話はない。

 

 ──だからこそ、我が宿願を果たすことでお前たちを否定する。

 

 この世界が神々によって都合のいいように創造されているというならば、この世界を改変することで神々を否定して人の世を創り出そう。世界を敷く法則を書き換えることで、我々は神々の手から解き放たれてみせよう。


 ──だから神。お前は礎になれ。


 仮に道半ばでこの身が滅びても構わない。宿願さえ果たされるのならば、この命すらも犠牲にしてみせよう。この身を含めて数多の屍を築く過程であったとしても、◾️◾️を◾️◾️道に繋がることは間違いないのだから。


 別に、人類全てを救いたいだなんて思っていない。ただ、◼︎◼︎を◼︎◼︎◼︎◼︎と思っているだけだ。だがその結果として、人類が救われるのは自由だ。


 だから自分は◼︎◼︎などではなく、この身は──◼︎である。


 ◆◆◆


 床を埋め尽くすは曼荼羅状の魔法陣。描かれし紋様の色は血のように赤く、薄暗い地下室をより一層不気味な空気へと変えていく。


「ふん」


 そんな足元の魔法陣を見やりながら、しかしジルは顔色を変えることなく光を薄く身体に纏った。彼の周囲を黄金色の粒子が舞い、室内の環境が現世とは異なる世界へと歪んでいく。


「……素晴らしい」


 変化していく世界を見ながら目を細め、そう呟く上司。

 声量は小さいが、されどそこに込められし感情は歓喜のもの。なんらかの希望を見出しているような声音のまま、上司は言葉を続けた。


「魔術というものを知っているか」

「エーヴィヒにしろ貴様にしろ、私に弓を引きながら講釈を垂れるのが好きなようだな。講釈を垂れたくば、童子らに向けて教鞭をとるが良かろう」


 くだらない会話は即座に断つとでも言うように、黒い炎が床を這いながら上司へと突き進む。


 超級魔術の領域を超えた超級魔術。


 大陸有数の強者の中でも上澄みの人間で無ければ耐えれはしない一撃。平均的な魔術師が持つ魔力量の数千倍以上の魔力を有するジルだからこそ、加減をしていてもこの程度であれば息を吸うようにやってのける。


「超級魔術か。やはり現世にいるだけあって、神でも人間の技術を知っているようだな」


 しかし、その一撃が上司を殺すことはなかった。上司の前方に平らな水晶のようなものが展開され、それが六面体へと形を変えて『死の業火』を包み込むことで完全に防ぎきったからだ。


「……貴様」


 僅かに、眉を潜めるジル。

 そんな彼の反応に応えるかのように、上司はゆっくりと口を開いた。


「マヌスを覆い尽くす結界を見ただろう? アレは普段、魔術大国からの特級魔術やドラコ帝国のファヴニールのブレスに対する防衛手段として展開しているが──神が目の前にいる以上、国を防御するために結界を展開し続けるなど宝の持ち腐れだ」


 つまりはそういうことだった。国を維持するための魔力やその他の力。その全てを、上司は目の前の神に相対するために回している。本来ならば大国の全てと戦争をする場合に備えて蓄えられていたありとあらゆる力が、ジルという個人に対して牙を剥いているということだ。


 国を滅ぼす火力を有する特級魔術及びファヴニールによるブレス。それを防ぎ続けるためのエネルギーを対個人用として運用するなど、破格というしかない。


 だが問題は。


「くだらん」


 黒い炎が鮮やかな橙色に変化すると同時、六面体の水晶に亀裂が走る。


「大陸の全てと戦争をした際の備えごときで、神と戦争などできるわけがなかろう」


 だが問題は、その程度ではジルを止めるに至らないということだ。他の大陸最強格であれば抵抗できる時間を稼ぐ術ですら、ジル相手にはなんの意味もなさない。


 それだけ他とは隔絶した差が、ジルという人間の性能には備わっているのだ。純然な人間だというのに、ジルと人類最強の二人だけは神の血を引く者たちに並ぶものを有している。


「神々とは、そういうものだ。人の常識に囚われる時点で、勝負の土台に立つことすら叶わぬと知れ」


 前提からして違うのだ。

 本来、ジルという男は大陸の全てを相手に一人で戦争して勝利目前まで到達していた。邪神相手に敗北を喫して死亡したとはいえ、大陸全ての人間を殺戮可能という事実は揺るがない。


 大陸の全てと戦争をしてもある程度の時間であれば防衛できる? その程度の備えで、大陸の全てと戦争をしても勝てるジルを止められる訳がない。至極単純な理屈で、だからこそ上司は自らの体を横へずらさざるを得なかった。


 ──瞬間。


 ジルの魔術が内部から破壊するように六面体の水晶を粉砕する。轟音が響き、炎の粒子がチリチリと空間を舞う。それを見て目を見開く上司と、薄く笑うジル。


「……莫迦な。瞬間的な特級魔術への切り替え、だと? いや、だとしても。特級魔術の一撃で水晶を破壊できるはずが──」

たわけ。私が使用した時点で、これはもはや特級魔術などという人間が作った指標で定義付けられるものではない。私に術の類で挑みたければ、『氷の魔女』を連れて来るが良い」


 室内に被害は、ない。

 されど特級魔術を超える火力を瞬間的に発揮できていた時点で、室内を蹂躙できなかったのではなく、しなかっただけというのは自明の理。


 おそらく超級魔術から特級魔術に切り替えた後に、再び低位の魔術に切り替えたのだろう。だがそれが、並大抵の技術でないことは明白だ。そもそもとして、特級魔術を扱える人間すら、長い歴史の中で数えるほどしかいないのだから。


(人間の技術でさえ、ここまで扱えるのか……)


 人間に神々の技術を扱うことは困難極まる。それは人類最強が『神の秘宝』を媒介させるというプロセスを踏んでようやく『神の力』を単調にとはいえ扱えるに至った……という事実が物語っている。


 だから、神々とて人間の技術を扱うことは困難に違いないと考えていたが──まったくもって、そんなことはないらしい。つくづく神々は理不尽だなと思う一方で、説明が省けるから良しとしようと上司は思考を切り替えた。


「お前も知っての通り、魔術とは既存の事象や法則の再現だ。人間が何もない空間へ火を灯す光景は非常に幻想的なものに見えるが、その実、細やかな数式や理論に則って作られている。つまり、学術だ」

「ほう。感心したぞ、上司とやら。魔術師でもない人間で、そこまで魔術に対して造詣が深いのは『龍帝』くらいのものだろうよ。然り、貴様の言うように魔術とは事象の再現を指す。逆に言えばあらゆる事象は、人の手で解析可能という訳だ」

「そうだ。だがな、だからこそ不思議に思ったのだよ。この世界のあらゆる事象を数式や法則、理論で規則的に表現できるというのは、流石に出来過ぎではないかと」


 それは『龍帝』シリルも抱いた疑問だった。されど彼は魔術大国と国交を持っていない点や、神話をあまり詳しく知ることができない環境にいるという点、神々という幻想の存在に縋る人が増えることで停滞する世界が訪れる可能性を危険視すると同時に嫌悪している点、あくまでも現代の世界を支配しようとしているなどの理由から、そこ止まりでしかなかった。


 だが、彼は違う。


「魔術大国曰く、この世界の全ては矛盾なく数式で表現できる。それを美しいと連中は言うが……ワタシは、非常に悍ましく感じた。まるでこの世界が、作られているかのようじゃないか、とな」

「…………」


 自らの手を開き、見つめる上司。

 それに対して、ジルは無言。表情を変えることなく、彼は上司の言葉に耳を傾けていた。


「ではその何者かとはなにか? 薄々分かってはいたし、それを前提で行動していたが……お前を見てやはりなと思ったよ。お前たちだろう? お前たち神々が、この世界を創造したのだろう?」

「……」


 ジルは答えない。

 しかし返事を期待していた訳ではなかったのか、上司はそのことに対してなにも言わず、ジルを見据えながら言葉を続ける。


「お前たちに言いたい文句は腐るほどあるが……しかし、宿願が成就すればどうでもいい。過去は本当の意味で過去になるのだからな。お前たちのような旧時代の存在は、とっとと去ね」

「……」


 その言葉を発した直後。


「……くく」

「──!」


 ジルの纏う空気が、変わった。


「くく、ははは──!! 神々にこの世界を去れと! 人の手では届き得ぬ大望を胸に抱き、そう口にするか、貴様は! く、くくく! はははは!!」

「……」


 なんだ、これは──と上司は僅かに一歩後退る。

 これまでと違う圧迫感。確かに目の前の男はこの場に現れてから常に人を平伏させる威圧と神威、こちらの心臓を鷲掴みにするような凍てついた空気を纏っていた。


 だが、違う。

 具体的になにが違うかと問われれば答えるのは難しいが、しかし分かる。目の前の男は、何かが琴線に触れて変化したと上司は確信した。


 自分のことを憐れな道化と見て嘲笑っているのか? と上司は考えたが、それもなんとなくだが違う気がすると否定する。


 目の前の男の瞳が、激情に濡れているのだ。それはこれまでのような感情が欠落しているとしか思えないような無機質な視線ではなく、されど決して怒りに染まったものでもない。魂が燃えるような視線、と例えるのが相応しいそれ。


「──問おう」


 ジルが、真剣な声音で言葉を発する。まるで神託かのようなそれに、自然と上司の背筋は伸びていた。


「貴様が胸に抱く野望。神々を排してでも望むそれは、如何なるものか」


 その問いかけに、答える義理はない。


 目の前の男は仇敵とでも言うべき存在で、だから答える義理なんてないはずだ。うるさいとだけ口にして、目の前の男を礎にするべく行動するのが合理的──そのはずなのに、無意識のうちに上司の口は開いていた。


「あらゆる悲劇の原因……死という概念を、この世界から消し去ることだ」


 その言葉に、ジルは──



 

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