人類到達地点 前編

今話の上半分はジルくんが原作から設定を思い返してるのと、原作知識からの考察、分析、そして作戦立案描写です。なので戦闘は後半部分から。戦闘だけ読みたい方は後半部分までスクロールをどうぞ。後編じゃないよ。後半だよ。

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 俺は基本的に、万全な策を持たない状態で格上と相対することを望まない。……いやそもそもとして、格上とは戦わずに済む立ち回りを心がけている。


 教会勢力。

 グレイシー。

 そして、ソルフィア。


 かつて相対した彼らは間違いなく格上の存在で、俺が戦ったところで勝ち目なんぞ存在しない。ならばと俺は口八丁や理論武装で場を収め、戦闘そのものを回避することで"ジルの格"を下げないように行動する。


 それが、俺のやり方。


 故に、上手く立ち回るための材料がない状態で海底都市などという教会勢力でも壊滅しそうな人外魔境を訪ねる気は皆無だし、教会勢力に「神ではない」と判断されないよう常に神経をませている。


 そんな俺だからこそ、天を仰ぎたい衝動に駆られている。


 どうしてこうなった、と。


 ◆◆◆


 人類到達地点。


 原作アニメでも全体像は明らかにされておらず、至る方法は完全に不明。文字通り"覚醒"としか言いようがないものだが、しかし神々を打倒するにあたって俺が欲していた力の一つ。アニメでクロエが神々を相手に戦闘の座に立てたほどのインフレを見せたそれに、俺が目をつけない理由はないからだ。


「……」


 その領域に、『人類最強』は至った。そしてそれは同時に、彼がジルを超える存在と化したことを意味している。アニメや漫画の主人公の覚醒シーンのように、目の前の強敵は、俺を上回ったのだ。


 だが。


「……面白い。人類到達地点、か」


 だが、それは俺が億する理由にはならない。いや正確には、内心で臆している事実を表に出して良い理由にはならない。どんな危機的状況であろうとも余裕の冷笑を保ち、あくまでも俺が優位の立場に君臨し続けているのだと、世界を相手に錯覚させ続けなければならないのだから。


「確かに、人の身で神たる私を相手にするには、その座へ至る必要があるのは道理だが、しかし──」


 刹那。俺の言葉を遮るかのように、ハルバードが振り下ろされる。


(──っ)


 顔面を狙ったそれを紙一重で回避し、俺は意趣返しとして『人類最強』の顔面に蹴りを炸裂させる。可能であれば足を着弾させると同時に奴の体内に『天の術式』を放ちたかったが、術式が発動可能な時間を確保するだけの長時間、奴の肉体に触れていられる余裕はないだろう。


 なので俺は贅沢を言わず、即座に距離を取った。


(……動きは見切れる。移動速度だけなら『神の秘宝』を用いた攻撃の方が厄介だな)


 そんな風に冷静に分析している間にも、『人類最強』から放たれる重圧が増していく。物理的な質量を伴う威圧感に大地がヒビ割れ、重力が乱れ、砕けた石礫が宙を昇った。


 それはまさしく、万物を押し潰さんとする重圧。ジルが垂れ流す神威にすら迫りかねない領域のそれ。それを。


(……第一部のラスボスを、舐めるな)


 それを、膝をつくことはジルに相応しくないという鋼の意思を以て、俺は完全に耐えた。


(奴の速度に変化はなし。先刻俺を吹き飛ばした際の腕力の上昇具合から、身体能力が全体的に向上しているものかと思ったが……そういう訳ではないようだ)


 あくまでも能力の向上は部分的なものなのか。あるいは奴の足が死んでいるのか。力の扱い方に慣れていないから機動力に欠け、単純な動きにのみ適用されているのか。


 理由の特定は不可能だが、いずれにせよ、速度に変化がないのであれば問題ない。奴の攻撃をまともに受ければ重傷は必至だが、見切れるならば十分対応可能だ。


「……」


 目を細め、全身に『神の力』と魔力を巡らせた。全体的に肉体の基礎スペックを向上させ、更には保険として、即座に回復系の『天の術式』を起動できるよう術式を待機させておく。


(大事なのは建設的な思考。求められるのはリカバリー能力。不毛なことに思考のリソースを回す必要はない……そしてなにより──)


 視線を逸らすな、と俺は自分に言い聞かせた。


 一点に集中しすぎるのではなく、俯瞰ふかんするように『人類最強』の全体像を見ろ。

 敵を格上と認識し、格闘技の試合を観戦するような感覚で相対すべき。その方が、敵の初動を見切りやすい。


(──なにより、ここで負ける訳にはいかない。絶対者ジルに敗北は許されない。ここまで積み上げ、練ってきた計略を、こんな交通事故で無為むいにしてなるものか)


 まだ完全体に至ってすらいないから負けました、なんて口にするのは簡単だ。

 だが、そんなものは言い訳でしかない。生死を賭ける場面で、たらればなんぞなんの意味も為さないのに、そんなことをしてなんになる。


 かつてない領域で、俺は神経を集中させた。


 ラスボス適正しかないキャラに憑依したから、主人公適正も持っているキャラには勝てませんなどというふざけた理屈設定を、真正面から強引にねじ伏せる。


(考えろ。完全に奴がまでに倒すか、あるいは奴の活動限界が来るまで時間を稼ぐか……どちらがこの状況における最善だ?)


 先ほどの一連の攻防。それを分析した結果、なんとなくだが、敵の戦闘力は分かった。


 とりあえずだが、『人類最強』はまだ完全に"人類到達地点"へと至っている訳ではない。少なくとも、教会で相対した際のグレイシーより格下だ。


(……しかし、それでも『何か』以上の実力は間違いなくある。そして『何か』と違い、俺は『人類最強』の弱点を明確に突ける訳ではない。そこが厄介な点と言えるな)


 先日相対した『何か』。当時は相性の問題もあって俺一人では勝ち目がなく、それこそソフィアとローランドの助力がなければ死んでいた可能性も非常に高かった存在だ。


 そんな存在と対峙した俺の見立てでは、現時点の『人類最強』はその『何か』以上の脅威……いや、単純に戦闘力を数値化すれば『人類最強』の方が強いと断言できる。速度や特異性においては『何か』の方が上だが、単純な戦闘力では『人類最強』の方が上だろう。


 加えて、『何か』には俺が直接触れてしまえばどうにかできるという活路があったが、『人類最強』に対しては現状、分かりやすい活路がない。しかし一方で、『何か』にはあった俺やソフィアに対する天敵のような性質がないと言う救いもある。


(それに、俺自身あの頃より強くなっている。こんな街半ばで死ぬ気は毛頭ない)


 特に、『人類最強』が速度面において『何か』に劣っているというのは大きい。

 さて。基本方針として速攻で倒すことを狙うか、時間稼ぎに徹するべきか……どちらにもメリットと、デメリットが存在するので難しい選択ではある。


(人類到達地点に至ることは、いきなりトップギアに入ることを意味するのではなく、徐々にギアを上げていきやがて真の意味で至ることを意味している。だからこそ、"今"の行動が肝心だ。なにせ今が、奴が最弱の状態なのだからな)


 『人類最強』。

 元々大陸最強格の中でも別格とされていた彼は本来、人間ではジル以外に敵なしの存在。


 そんな彼が人類到達地点へと完全に至ってしまえば、その脅威度は計り知れない。それこそ、主神クラスの実力にすら届くやもしれん。


(だからこそ、至る前に倒すのが定石と言える)


 だがこの策には、『人類最強』の防御力が高すぎるせいで最弱の状態でも物理的に倒せるのか微妙という、致命的すぎる問題点があげられる。


 ……それに、あまり考えたくはないし絶対に選びたくない選択肢だが、それでも流石に最悪の俺の死が確定する場合は"逃げ"の一手を打つ必要がある。その分の体力は、残しておかなければならない。


(人類到達地点となったことで、防御力も上昇していると仮定するならば……真正面からぶつかれば俺の勝機は薄い)


 何せ、通常状態でさえ体内への噴火すら耐えた怪物だ。最弱の状態だとしても、今の彼にダメージを与えるのは困難極まるだろう。


(……分析しろ。クロエの人類到達地点とは異なる点から、俺は何を考察できる?)


 共通点は、瞳に灯る蒼炎。

 しかしクロエが魔術戦を得意としていた一方で、彼は近接戦を得意としている。この違いは、人類到達地点に至った後の彼らの戦闘力にも表れているように感じる。


(正直、クロエの人類到達地点の方が俺に相性が悪かったかもしれん)


 クロエは遠距離攻撃を主体としている。


 そして人類到達地点に至ったクロエと通常ジルが魔術合戦をすれば、間違いなく競り負ける。なので、そういう意味では魔術を用いて遠距離から防衛戦が可能な『人類最強』は、俺にとってやりやすい。


 なにより人類到達地点は──いや、それは今はいいか。


(こいつは近接攻撃主体。だからこそ、遠距離に徹すれば時間稼ぎとて不可能ではない)


 問題は全力を出せない状況で、こいつの足を止める遠距離攻撃の有無だが──まあ、一応策はある。

 

(そもそも、既にこいつが負っているダメージは大きいはず。そんな状態で、最高のパフォーマンスを披露するのは不可能のはずだ)


 つまり、こいつが本当の意味で完全に至ることはない。万全の状態で"人類到達地点"に目覚めていたのなら絶望しかなかったが、瀕死の状態での覚醒ならばやりようはあるのだ。


(……だから時間稼ぎも、悪くはないんだよな)

 

 あらゆる可能性を考える。


(時間の経過と共に"人類到達地点"への親和性が高まり、これより強くなる可能性)


 考える。


(『人類最強』の体力はどれくらい残っているんだ)


 考える。


(体制を立て直す時間を作るための撤退は、同時に奴に時間を与えることにもなってしまう)


 考える。


(本当に弱点はないのか? 現時点における、奴のアキレス腱は? ジルの観察眼ならどこまで視える?)


 考える。


(奴は本来であれば、既に動けない状態。今の奴は、手負いの獣の足掻きのようなもの……)


 考える。


 考える。


 考える。


 




 そして──カチリ、と脳内でピースがハマった。


(……万能性という面では誰もジルには及ばない。『氷の魔女』も、『騎士団長』も、『龍帝』も、『人類最強』も、聖女も、そして原作主人公であろうとも──例外はない。あらゆる分野に関して人類最高峰の才能を有し、全ての魔術や『天の術式』を操るジルが最強だ)


 故に俺は不測の事態となり得る『神の秘宝』対策で大地を焦がし、蜃気楼を起こしておく。


(……よし)


 ──『人類最強』との攻防を終えてからここまで、約五秒。


 人類最高峰の頭脳を持つジルだからこそ、できた神業といえよう。


「……まだ足掻けるか、『人類最強』」


 再び顔に冷笑を貼り付け、ジルは余裕を演出する。本物のジルならば、自らに届き得る実力者の登場は大歓迎なのだから。ジルをロールプレイする俺が、そこを崩す訳にはいかないだろう。


『貴様らが今の世を是とするなら、それを否定する私を、打倒してみせよ』


 なにせ、こんなセリフを笑みを浮かべながら全集合した大陸最強格相手に口にする男だ。世界征服にしても、彼が認めた人間に関してはそれなりの待遇をするつもりだったらしい。一方で、彼の目にかなわなければ死ぬのだが。


 彼が拒絶した実力者の例外は、完全体に至った後に見たローランドと邪神くらいである。人間大好き説があるジルにとって、邪神は実力者としてカウントされないのかもしれないが。


「人としての究極。それを越えた先。貴様の到達した位階の真価を、この私が見定めてやろう」


 ジルの強み。


 それは全ての『天の術式』と魔術を扱える点であり、それが意味するところは即ち、状況に応じて様々な戦術をとれるということだ。

 だからこそ二つの戦術を同時並行で進めることだって容易く、それをもって『人類最強』を倒すと決めたのである。


 ──さあ、始めよう。人と神の決戦、その序章を。人類が至ることのできる極致。それを知ることで、俺は来るべき神々との聖戦に必要な戦力分析も果たしてみせる。


 ◆◆◆


「さて」


 凄絶な笑みを浮かべ、ジルは小さく呟いた。何かを感じ取った『人類最強』が身構えるより早く、ジルの肉体に刻まれた術式が起動する。


「!」


 術式が起動した瞬間に、『人類最強』は動いた。何かをされる前に、ジルを殺せば問題ないそう判断したが故の行動であり──しかし彼の肉体は、彼の意思とは反して真逆の方向へと吹き飛ぶ。


 ジルがしたことは、単純にして明快だった。即ち、『人類最強』の後方へ、小規模なブラックホールもどきを展開すること。


「……ほう」


 そしてジルの視界が、重力の渦に標的の肉体が呑み込まれたことを観測した──直後。重力の渦が、木っ端微塵に砕け散った。


 あくまでも、ジルが展開したブラックホールは偽物だ。本物のブラックホールとは法則が異なるし、星を呑み込むことすらできない小規模のもの。だがそれでもブラックホールはブラックホールであり、人間が生還可能なほど甘いものではない。


「重力の渦に呑み込まれぬように対応してくると想定していたが、呑み込まれて数秒で重力の渦を破壊して帰還するとはな。……存外、まだまだ動けるらしい」


 愉しげに、そしてどこか認めた風にジルは『人類最強』に話しかける。が、『人類最強』の返答はなかった。


「出し惜しみはするなよ。人類到達地点とやらがどれほどのものか、遊んでやる」


 『人類最強』は無言で、ジルを見やるだけ。もしや意識がないのかと訝しみそうになるジルだが、それにしては動きや対処が鋭すぎるか、とその可能性を否定した。


 ──仮にもう意識が消失していて"これ"なのだとしたら、それは完全にバケモノだろう。


 そんな風に、内心で冷や汗を流して。


「……」


 地面スレスレにまで低空姿勢となった『人類最強』が、ジルの懐に飛び込まんと地を駆ける。


 それに対し、ジルは圧縮した特級魔術を放ちながらバックステップをとることで、一定の距離を保っていた。


 爆炎が舞う。

 砂塵が撒きあがる。

 轟音が響き、砂漠が割れた。


 決して近接戦に持ち込ませないためにジルが特級魔術を放ち、近接線を望む『人類最強』がハルバードを振るだけでそれを撃ち破る。攻撃範囲を広げれば一撃で国が地図から消える攻撃を牽制として放つ者と、そんな埒外の牽制攻撃を羽虫を退けるのと変わらない動作で弾く者。


 そんなあまりにも規格外同士の攻防は──


「!」


 ──『人類最強』側に軍配が上がった。


「っ」


 ついにジルとの接近が叶った『人類最強』が横薙ぎに振るったハルバード。それをスウェーの要領で回避したジルは、『人類最強』がハルバードを大振りに放ったことで生まれた隙を突き、ハルバードを持つ手に下から蹴りを炸裂させた。


 担い手の意図しない形で跳ね上がるハルバードと、それを持つ腕。そして、ガードが上がったことで、ガラ空きになる胴体。その決定的なチャンスを見逃す、ジルではない。


「……!」


 一瞬にして『人類最強』の足元から縄が飛び出し、全身を縛った。戦闘の合間にジルが仕込んでいたセオドア製の拘束具であり。それは神狼であろうと、一時間は拘束できると太鼓判が押されるほどの強度。


 足止めが叶ったと判断したジルは続け様に本命の術を放とうとして──


「チッ」


 ──縄から亀裂が走る音を聞き届けたジルは、身を屈めると同時に後方へ飛ぶ。直後、ジルのいた場所にハルバードが振り下ろされ、轟音と共に砂が大きく捲れ上がった。


「……本命を放つ隙がないな」


 砂に隠れた『人類最強』の気配を探りながら、ジルは誰にも聞き取れないほど小さな声で呟く。今この瞬間だけは、彼はジルではなく、◾️◾️◾️◾️◾️としてこの状況に悪態を吐いていた。


「チッ。流石に膂力も上昇しているか。だが、動きそのものは精彩を欠いているな。やはり万全の状態ではないが故に、奴の肉体の機能は──」


 ──刹那。

 ジルの耳が、焔の音を捉えた。


(……は?)


 爆風が吹き荒び、ジルの視界を隠していた砂のヴェールを一瞬にして晴らす。そして晴れた視界の先に君臨しているのは、ハルバードを上段に構えた最強の青年。


「……」


 呆気に取られるジルの内心を他所に、ハルバードを蒼炎そうえんが覆い尽くす。


 一瞬にして極大に膨れあがったそれは、先刻放たれた最強の奥義を簡易化したものだろうか。ゆらゆらと揺れる蒼炎は大地を焦がし、青年の足元に亀裂が走った。


「…………」


 背筋が凍りつくジルに対し、青年は静かに呟くのみ。


「──創世神話ミズガルズ


 瞬間、人類のすべてに匹敵する一撃が放たれる。森羅万象を滅殺する究極の一撃。それを、『人類最強』は天に収束させることなく、直線上に放ったのだ。


「チィッ……!」


 ──あまり視界を塞ぎたくなかったが。


 内心で毒吐き、大地を抉るようにして突き進んできたその一撃を、ジルは眼前に『光神の盾』を展開することで防ぐ。超常のエネルギー同士の激突。周囲への被害を考慮してか、蒼炎の攻撃範囲自体は先刻よりも狭まっていた。


 だが。


(咄嗟の起動で調整が甘かった不完全な形というのもあるのだろうが、『光神の盾』に僅かに亀裂が入っただと……!?)


 だがその分、局所的な威力は増していた。


 貫通力が高まった最強にして絶死の一撃。


 神々が誇る概念的な防御力をも力業で突破しかねない火力の一撃に、意図せずしてジルは笑っていた。それは「これでも本当の意味での人類到達地点には至っていない」という事実をバカバカしく思った内心が吐露された結果だったが、見るものが見れば、戦闘狂が待ち望んだ強敵と対峙した瞬間に浮かべる笑みに見えるだろう。


「…………悪くない一撃だが、私には届かんぞ。して、次は何を魅せて──」


 しかし、どれだけ莫迦げていようと現実は変わらない。気配探知で『人類最強』の動きを追って、ジルは背後に視線を送った。


 送って。今度こそ、ジルは己の中の時が凍結したかのような錯覚を覚えた。


(待て、なんだそれは)


 死。

 死が、己に迫っている。

 その理由は──


(連射、だと……)


 絶句するジル

 そんな神を嘲笑うかのように、天を地に引き摺り下ろす証明とでも告げるように、人の極致に手を掛ける青年は、再び言葉を紡いだ。


「──創世神話ミズガルズ


 蒼炎が、ジルの視界を埋め尽くす。


 ◆◆◆


 世界を覆うは清き蒼炎。


 人の世を体現せし人類史上最強の一撃の凄絶さは、大地に残留し続ける焔が物語っていた。『人類最強』がジルに対して先の一撃を放ってから、既に二十秒もの時が経過している。


 聖戦は終わった。人と神の決戦は、人の勝利で幕を──






「……ッッッ!」


 血の塊を飲み込みながら蒼炎を裂くように跳躍し、ジルは地面に着地する。それを確認した『人類最強』は──その眼を、僅かにだが見開いていた。


 炎から飛び出てきたジルは、全くの無傷だったのだ。間違いなく致命傷を与えたという手応えがあったにも関わらず、この結果。さしもの彼も、この結果には驚きを隠せなかった。


「……神。お前は、何者だ」

「なんだ貴様、喋れるのか」

「……」

「私が何者か、だと? 世迷言を、それは貴様自身が一番、体感しているだろう?」


 くつくつ、と笑みを深めるジル。





「──だが、誇るといい。この私を相手に、ここまで戦える人間はこの大陸に存在しないのだから」


 そう言って尊大な態度を取るジルだが──しかし、その内心は、もはや完全に疲弊しきっていた。


(……危なかった。咄嗟に速射可能な『天の術式』を放つことで『創世神話ミズガルズ』の威力を減衰させ、俺の全身を覆うように『神の力』を纏い、『美神の御体』を筆頭とした回復系の『天の術式』や魔術を使用しながら全力で回避行動していたおかげでいち早く蒼炎から抜け出すことができ、生存できた……。あと数秒遅ければ、死にはせずとも敗北が濃厚だった……)


 加えて奴の背後からの二激目は、攻撃範囲を広く設定してくれていたおかげで耐えられた面もある、とジルは内心で続けた。範囲を狭めても『光神の盾』を容易には貫けないことが判明したからこそ、余波を用いて確実にジルにダメージを与えようと判断したのだろう、と。


 ジルの推察通り、『創世神話ミズガルズ』の二激目は、局所的な威力が落ちていた。


 とはいえ、最初から防ぐことを前提で行動していれば、おそらくジルは命を落としていただろう。回避を前提に全力で行動していたから、彼は死ぬまでに脱出できただけだ。


 少しでも選択肢を誤れば、そこで己の物語は終わっていた。


(くっ)


 表には決して出さないように努めながらも、内心で冷や汗をかく。


(通常攻撃として人類の奥義を連射するなど、 異常にもほどがある。いや、異常という言葉ですら生温い)


 遠距離主体のクロエの方が厄介だと予測したのは訂正しよう。遠距離攻撃も難なく放てる今の『人類最強』は、間違いなく人間という枠組みの中で最強の敵である。


「……!」


 蒼炎が空間をはしる。先ほどよりも威力が落ちているそれをジルは横に跳ぶことで回避し、少し遅れて彼の後方から爆音が響いた。余波が身体を叩いたが、身を低くすることで衝撃を軽減させる。


(威力の操作もある程度可能になっているということか。それにもう少し離れた地点から爆音が聞こえると思っていたが……どうやら目視できる位置に着弾するよう、計算して撃ってきているようだな)


 ジルもよく分かっていることだが、『人類最強』は、無意味な殺生を好まない。


 筋が通った命令であれば一般人の殺害であろうと従うという気質を有しているが、無意味に一般人を殺すことはあり得ない。むしろ、命令がなければ目に見える全てを守護しようとすら考えそうな青年だからこそ、目に見えない位置に自らの攻撃が着弾しないようにしているのだ。


(人が住む国を背後にして戦えば蒼炎を放てないのではと思ったが、そう甘い話ではないらしい。確実に安全圏を狙い澄ませて、奴は撃ってくる)


 足止めのために『人類最強』の足元を消失させた瞬間──『人類最強』が、ジルのすぐ近くにいた。


(『神の秘宝』か!)


 念のために蜃気楼を起こしていて正解だったと思考するよりも早く、ハルバードが蒼炎によって莫大なまでに巨大化する。そしてそれを、『人類最強』は蒼炎を纏わせたまま振り下ろした。


 『人類最強』が狙いとして定めたのは、あくまでも陽炎として映っているジルの虚像。だからそこにジルはおらず、直撃はあり得ない。


 だがその攻撃の危険性を察知していた彼は──直撃しないことを理解していながらも、全力で後ろに跳んでいた。


 瞬間。聴力を失いかねないような轟音と共に、ハルバードを振り下ろされた大地が爆炎に包み込まれる。ビリビリと振動が空間を伝播し、衝撃波がジルの肉体を更に後方へと勢い良く吹き飛ばした。ジルは腕を前面に出してガードしていたが、その両腕の骨が砕け散る。


(ガッッ……!?)

 

 ──他はともかく、コレはマズイ。


 莫大なまでに跳ね上がった『人類最強』の膂力りょりょくに、蒼炎のエネルギーが加わわった一撃。それはジルの見立て通り、一撃でジルを屠るに足る一撃と化していた。もはや『熾天』であろうとも、『人類最強』の一撃が直撃すればひとたまりもない。


(至近距離には決して入れてはいけない。何故なら、遠距離からの攻撃はまだ回避できるからだ。だが、距離を離しすぎても『神の秘宝』を用いて急激に接近されてしまう。故に、その辺の調整は大事だ。かといって空中に逃げるのは、蜃気楼を利用しづらくなるから論外──)


 苦悶の声を漏らさないようにしながら、ジルは高速で思考を巡らせていた。そうしなければ死ぬのは己だと、肉体に鞭を打って難敵を睨む。その難敵は油断も隙もない表情を浮かべながら、ハルバードに再び蒼炎を纏わせた。


「……」


 厄介極まる、とジルは素直にその脅威を改めて認識する。


 体内に噴火を起こされても死ぬことがないどころか、負傷した素振りすら見せない究極の肉体。


 本来は一度だけしか放てないはずの人類総てに匹敵する圧倒的な火力を、連射可能という恐ろしい事実。


 人智を超越した膂力と、強制的に標的との距離を詰める『神の秘宝』という悪夢のような組み合わせ。


 『人類最強』に、攻略方法を知らないとどうしようもない類の理不尽性はない。初見殺しの要素や、反則じみた異能もない。『人類最強』を最強たらしめている要素は、その一つ一つは地味と言っても過言ではないだろう。


 だが同時に。


 どうしようもない程に隙はなく、堅牢だった。


(神々が持つギミックじみた理不尽的な強さとは違う方向性だが……)


 単純に、単純に人類到達地点へと足を踏み入れた『人類最強』は強い。

 特に、遠距離への攻撃をデメリットなく放てるようになっているのがその化け物具合を全面に押し出しているじゃねえか、ともはやジルは一周回って笑っていた。


 単純に強い"だけ"だからこそ、単純に火力を上回るか同等のスペックを用意しなければ嬲り殺しにされてしまう。火力勝負で『人類最強』と戦えるグレイシーやソルフィア、海底都市の頂点、神々といった超常の存在でもない限り、今の『人類最強』の牙城は決して崩せない。


(おのれ……)


 『人類最強』に、概念的な防御はほとんど存在しない。そして存在しないからこそ、概念的な防御の穴を突いた方法で突破口を見出すことは不可能。


 なにせ、単純に強いだけだからこそ、攻略の糸口は"単純に奴を上回る"という当たり前のものしかないのだから。


(だが、回復力はないらしい。加えて移動を嫌って固定砲台に徹しつつあるということはやはり、持久戦がベストか──?)


 しかし、それでもジルは諦めなかった。確実に分析を進めつつ蒼炎を回避、あるいは『光神の盾』で防いでいく。


 大地は極度に熱せられ、いつのまにか溶岩地帯のような環境へと変化している。灼熱の大地はそれだけで只人を殺してあまりあるだろうが──ジルは『権能』で、『人類最強』は『神の秘宝』で平然と戦闘を継続していた。


 だが、環境の変化に適応できるからといってそれで戦況は好転しない。


 ジルの攻撃は全て、全てがあの蒼炎の前に蒸発させられる。環境を利用した一撃も、大陸に存在する物質の全てを破壊可能なアレの前には無力だった。


 まさに暴虐の王。


 そう例えるのが相応しい性能を、『人類最強』は有していた。


(……っ、ここまでコレを連射可能となると、むしろ懐に入る方が安全か?)


 そう一瞬考えたジルだったが、しかし敵の持つ最も威力の高い技が敵の膂力に蒼炎を上乗せした近接攻撃であることを思い出し、即座に切り捨てる。あの一撃を安全に回避するには、中遠距離を保つのが最も得策だ。懐に入ってあの一撃を喰らえば、間違いなく死んでしまうから。


 とはいえ、最もあの一撃に威力が乗る瞬間は振り切った瞬間であるのも事実だ、とジルは眼を細めた。ならばあえて中途半端な位置でぶつかるという手も──と、そこまで考えた瞬間だった。


「ハッ、雑になってきたな『人類最強』!」


 中々攻撃が当たらないことに業を煮やしたか、あるいは──肉体に限界が訪れ始めたのか。『人類最強』の狙いが、雑になり始める。まさに狂戦士といった暴挙に、しかしジルは全くもって笑えない。


 ──加えて、出力が上がっている。


 徐々にだが、確実にギアが上がっているのだ。人類到達地点に、真の意味で彼は至ろうとしている。


 だが、我慢比べのような状況にまで持ち込めているのも確かなことで。


(今の奴にとって、最大の弱点は体力。ならばやはり、アレを狙い通りに打てば、勝てる!!)


 先刻に思いついた本命。

 それさえ決まれば勝てる、と確信を抱いたジルの顔に本当の意味で笑みが浮かんだ。


 故にこれは、どちらも相手に王手をかけることができる状況での根比べ。

 絶望的な戦闘ではなく、勝負論がある戦闘だ。


 だからこそ、


(っ、しまっ──)


 一瞬の読み違い。

 それが、この場では仇となってしまう。


(いや、違う。奴の攻撃が理詰めではなく、乱雑になったからこそ読み違え──)


 ジルの視界を、最大級の火力を誇る蒼炎が覆い尽くし──














 ──yr。


 刹那。ジルの脳裏に、とある姿が思い浮かんだ。

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