絶対者 後編

 スペンサーの放つ糸は例え鎧であろうと紙のように切り裂き、街中で放てばそれだけで数多の建造物を半ばからスライスすることが可能だ。これはつまり、人間の肉体で防ぐことは不可能ということ。


(初手から王手なり)


 モノクロなスローモーションと化した世界の中、スペンサーは己の標的を見た。


「────」


 神を名乗る男。


 透き通った銀色の髪に、天を想起させる澄み渡った青い瞳。氷のような表情は絶対的な存在感と重圧を増幅させ、侵し難い神秘性のようなものを纏っている。

 見た目は青年のようだが、しかしその貫禄は男の生きてきた歴史を感じさせていた。あらゆる意味で、人間離れした存在だとスペンサーは思う。


 成る程、確かに神を連想させるような容貌だ。


 今まで多くの人間を見てきたスペンサーだが、神秘的という意味でこの男に並ぶ人間は存在しないだろうとすら思ってしまう。あの人類最強が鎧を纏った時以上に神秘的であり、神を名乗り、周囲に信じ込ませるだけの異常性は垣間見える。


 人間にとって寿命による死とは覆せない恐怖そのものであり、それを真正面から打ち破ってくれそうな存在は確かに"奇跡"であり"神"と縋りたくなるものだ。


 ──なればこそ、殺してしまえばこの男は神足り得ない。


 目の前の男が神を名乗れるのは、神に相応しいだけの要素を持ち合わせているからにすぎない。それは絶対性であり神秘性であり──そういった様々な要素が、目の前の男を神の座へと押し上げている。


 ならばスペンサーがこの場で男を殺してしまえば、神を名乗る男は神を名乗っていた道化に成り下が──


■■■■■アースガルズ


 瞬間、スペンサーは目の前の男を中心に世界が切り替わるかのような感覚を覚えた。何かしらの変化が起きたのは明白で、それがもたらす効果も分からない。


 だが。


(……だとしても、問題ないのである)


 既に糸は男の人体を裂く寸前。コンマ一秒すら経つことなく、目の前の男は死に絶える。そういう確信を抱いていて。


「……は?」


 そういう確信を抱いていたから、スペンサーには目の前の現象を理解できなかった。

 人体を裂くはずの糸が弾かれ、逆に糸の方が乱雑に裂かれた現象を。バラバラになった糸は男を中心に逆巻く風によって吹き飛ばされ、スペンサーの髪が薙ぐ。


(ば、かな……)


 相手はなにもしていない。それこそ、微動だにしなかった。糸を注視する素振りすら見せず、自然体のまま己の業を凌いだ。これまで数多の人間の死体を築き上げてきた、この業を。


(莫迦な!!)


 糸が手指に装填され、新たに放たれる。蜘蛛の巣のように複雑に絡み合った糸の天蓋てんがいを男の頭上に展開し、そのまま振り下ろした。


 これにより、無数の肉塊に変わるだろうとスペンサーは思った。


「くく……」


 だが──届かない。

 嘲笑をはらんだ笑みをこぼした男が放つ、絶対的な存在感だけがただただ空間を侵食していく。


(な、ならば……捕獲を……)


 巧みに操ることで糸で男の動きを封じる一手に出る。糸の種類を、捕獲を目的としたものに変更。粘着力や柔軟性を第一にすることで、確実性を高め──


「くだらん。その程度、直視するに値わぬわ」


 だが、それすらも弾かれた。

 文字通り、見向きもしていない。回避行動すら必要ないと判断された絶望に、スペンサーは思わず呆然とする。


「人間の尺度で私の実力を測り、私を殺そうなどと愚考する。その不敬は、万死に値すると、知れ」

「…………ッッッ!!」


 凄まじい重圧が、スペンサーの肉体を襲った。重力を操作する異能による攻撃と判断して──否、これはただの威圧。


(こ、れはぁ……!?)


 目の前の男が放った威圧に『あの力』と近しいものが混ざっていることを感じる。単純な圧力だけでも、まるで海が落ちてきたかのような質量。


 だがそれ以上に、肉体が立ち上がることを拒絶する。恐ろしい現実から目を背けたくなる人間の本能が、目の前の男と相対することを拒絶しているのだ。


(……な、めるな)


 されど、スペンサーもさるもの。伊達に人類最強を日夜殺しにかかっているわけではなく、大陸有数の強者の中でも彼は上位に位置している。


 だからこそ、抗うべく掌の水晶玉が輝かせ──始まる寸前、その光は途絶えた。


「愚かな。私を前にして、それを扱うとはな。貴様は、私をどのように認識している? どのような命を受け、この場に伏している?」

「小、生は……か、みを名乗る男を……抹殺しようと」


 確信を得ているとしか思えない男の言葉に反応してしまい、自然とスペンサーは言葉情報を漏らしていた。それが、目の前の男の思惑通りであると気づくことすらなく。


「ほう『神を名乗る男』か。くく、成る程な──貴様らの認識は、その程度ということか。不敬」


 水晶玉から、一切力の波動を感じ取れない。絶句するスペンサーの耳に、足音が響く。


「貴様自身に『神の力』が巡っておらず、されど水晶玉に『神の力』が直接封印されているわけではない。貴様はどこか別の場所から、『神の力』の供給を受けている」


 淡々とした声音。感情の読み取らせることのない、冷たい声が空間を伝播する。

 スペンサーは動けない。


「その根源は『人類最強』。私が授けている『加護』に近いが、ある程度変容し、各々に自律させることで当人たちだけでも完結可能な『加護』に利便性や機密性で劣る。当然といえば当然だが……どうやら人類最強も、私ほど汎用的な扱いに長けているわけではないらしい」


 得心がいったように、何事かを呟く男。

 スペンサーは動けない。


「貴様が受けている供給は実にシンプルな形だ。真に、真に単純な方法。とはいえ本来、神の力への干渉など不可能。人智を超越し、神々の法であるそれを人間が操るなど道理に反するからだ。故に、神々の法則に近しいものを擬似的に操る禁術は廃人を生む」


 理解不能な言葉の羅列が耳朶じだを叩く。

 スペンサーは動けない。


「人間には干渉すら許さない力。故にそのシンプルな形であろうと問題はない。だが……私は例外だ。神たる私に、それへの干渉が不可能だとでも? 貴様自身で完結しているならば問題はなかったが、人類最強を介しているならば話は変わる。流れは隙を生み、その隙は私の手による掌握の対象と化す」


 足音が止まり、気配を間近に感じる。

 スペンサーは動けない。


「魂の肉体からの離脱と、魂を起点とした肉体の再構築だったか。肉体に価値はなく、魂こそが本質という理論から導き出された術式。我思う故に我ありといったところか。面妖な術だが、そもそも私を前にして抜け殻になろうなど笑止千万。我が威光を直視せずに離脱しようなどとは……貴様、よほど死にたいと見える」


 ブワッ、とスペンサーの全身から大量の汗が溢れ出す。背中に氷柱が突き刺さったかのような悪寒が身を襲い、心臓が大きく鼓動を鳴らす。


 目の前に立っているであろう男は、なにを言っている? この世界において、マヌス以上に『あの力』に関して詳細に知る組織や勢力が存在するはずがない。


 文献。秘宝。遺物。実験結果。その他諸々、マヌスは他国と大きく差をつけているはずだ。だというのに、スペンサーには目の前の男が一歩や二歩どころか──まさしく次元の異なる領域の知識を保有しているように思えて仕方がなかった。


(まさか、本当に、神の降臨だとでもいうのであるか)


 まるで、世界の仕組みそのものを理解しているかのような物言い。自分こそが理を握っているのだと言わんばかりの男の言動に、スペンサーはブラフだと考えようとして──できない。あらゆる面で、格付けが決定されてしまっている。


「どうした、この程度か」


 頭を掴まれ、そのまま持ち上げられる。それでもと抵抗すべく指を動かして新たな糸を放つが、


「無駄だ」


 その全てが、男に触れた途端消失した。そのまま冷然と細められた眼が、こちらを覗き込む。


「神を名乗る男か。生憎とだが、私がこの世界で『神』を自称したのは、特定の人物に対してのみだ」


 男──ジルは確かに多くの地域で神として崇められている。だが、本人が直接「私は神である」と口にしたのは教会勢力を除けば人類最強に対してのみ。


 神と呼ばれる男ではなく、神を名乗る男。


 故にそのような名付け方ができる存在は、限られてしまう。


「貴様は大陸一の殺し屋を自称しているようだが……頭の方はそう優れている訳ではないらしい」


 だがもちろん、神と呼ばれることを否定していない時点で、実質的に神を名乗る男であるという解釈でも大きな間違いはない。なので、ジルの言葉は答えを元々把握していたからこそ出せるこじつけのようなもの。犯人探しという面で見れば、穴が多いためスマートな推理とは呼べないだろう。


 しかし、ジルの主目的がスペンサーを絶望させることとなれば話は変わる。

 パワハラを受け続けた社畜が、正常な思考を失うのと同様。追い詰め続けられるスペンサーに、正常な思考を保てる訳がない。そのため、ジルは多少強引だとしても「お前が悪いんだよバーカ」といった風にスペンサーを責め続ける。


「……殺してしまえ、ば」

「ふん。確かに、死人に口なしだ。それは正しいが……貴様の目は節穴か? 私はこの通り健在だが」


 ジルは口元に弧を描く。描いて、言った。


「貴様自身に価値はない。だが、貴様の持つ情報には価値がある者もいよう。例えば貴様が殺した護衛の主人……などだな」


 ◆◆◆


 ──甘く見ていた。


 一連の流れを見ていた老人の背中に、冷たい悪寒が走る。


(よもや、よもやこれほどの傑物とは……)


 頭が回る。これは良い。

 武力を有している。これも良い。

 人々を集めるカリスマ性。上に立つ者としては必須なので想定内だ。

 時には残虐な行為も容認する精神性。これもまた、上に立つ者として重要な要素。


 だが、その全てを兼ね備えているとなると話は変わる。特に、武力に関しては完全に想定外だ。あらゆる意味で、老人の手に負える存在ではない。


(これは、裏から乗っ取るのは不可能に近いか……)


 しかし、縁談の話はすでに始まっている。それも、こちらから持ちかけた形で。こちらから持ちかけた縁談をこちらから破談にするのは体裁が悪いし、向こうとしてもそれを容認することはないだろう。向こうのイメージが、悪くなりかねない。


(ならば……この娘には道化として踊ってもらうことにするかの……)


 しばらくの間は不干渉に徹することで、こちらの悪行を知られないように行動しようと考えていたが、事情が変わった。これほどの王を、半ば急造の作戦程度で裏から乗っ取れる訳がない。間違いなく、殺される。


(幸いにして、娘に対してさほど興味を抱いているようには見えん。加えてあの殺し屋に対する仕打ちから察するに、敵対者への容赦はない。ならば娘には、あえて嫌われるよう動いてもらうとしよう。そうすれば、縁談は向こうから破談させるじゃろう。そして、娘はトカゲの尻尾として献上しよう)


 老人は、引き際をわきまえることに長けていた。

 同時に、人の見る目もそれなりに有していた。ジルという男のパーソナリティをまとめて、それに対して適切な作戦を瞬時に組み立てる程度には頭も回る。


 故に、老人は的確な判断を下すことができた。


(よもや既にこれほどまで完成されているとはの……。もう少し、早くに目をつけておれば……)


 そう、的確な判断だった。


 ジルが容易く予測できる程度には、的確な判断。


 ジルは己に仮面を被せることで、虚構の存在を演じている。そして虚構の存在を演じるということは、それに対する周囲の反応を予測し続ける能力にも長けているということ。


『原作ジルならこうする。そして原作ジルがこうしたら周囲はこういう風に反応する』

『原作ジルなら──』

『ジル様ならこの程度で表情変えませんけど???』

『このジル様は解釈違いですね……』

『絶対的な存在として君臨すれば、こいつは──』


 かつて龍帝が陥ったのと同じだ。老人は、既にジルの術中にある。ジルの掌の上で、ジルが誘導した的確な判断を的確に下しているに過ぎない。


「……」


 ジルの縁談相手の瞳が怪しく輝いたことに、老人が気づくことはなかった。


「老公」


 そんな老人の耳に、王の声が響く。顔を上げた老人の目に、不敵な笑みを浮かべる王の姿が映った。


「犯人の情報、欲しいとは思わぬか?」

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