下準備

「老公。犯人の情報、欲しいとは思わぬか?」


 口元に酷薄な笑みを貼り付けて、俺は老人に向かってそう言い放つ。それに対して老人は暫く逡巡しゅんじゅんする様子を見せてから「……ああ、その通りじゃな」と返してきた。


(比喩でもなんでもなく、ジルは人間という種族の最高傑作だ。そのジルが威圧しながら答えを問う……無言の圧力とはこのことだな)


 とはいえ周囲に神威を放ってこそいるが、スペンサー以外には一応加減はしている。ただそれでも屈強な兵士でさえ体を動かすこともできないだろう重圧はあるので、老人に対してだけは更に神威を緩めている形だ。そうしないと、返事すらもらえないからな。


(……それにしても)


 キーランは恍惚とした表情を浮かべて、どこかだらしない表情をしている。『余所者がいなければ脱いでいたのだが……』なんて心の中で呟いている。見なかったことにしたい。

 ステラは「魔力だったらなー。魔力を垂れ流してくれないかなー。そしたらその魔力を全力で受けに行くのになー」なんて口で呟いている。聞かなかったことにしたい。


 まあこいつらは大陸有数の強者であり、近頃はメキメキと実力を伸ばしている。肉体が成長すれば当然ながら精神面でも成長するし、精神的な強さがなければ神々を前にした時に

 だからこの程度は、軽く受け流してくれないと困る。服を脱がれるともっと困るが。


(……だが)


 だが──お姫様。彼女はどういうことだ?


「……」


 確かに微動だにしていないが、しかし特に顔色を悪くしているわけでもない。老人に対して恐怖の色があった彼女が、俺の威圧に対してなにも感じないなんてことがあるのだろうか?


 俺の今回の目的はスペンサーから実的証拠を得ることと、老人やお姫様に対してくさびを打つことである。

 おそらくこのあと、老人は俺に対する警戒心から縁談を破談にできるよう動くはずだ。そうなるように、俺は振舞っている。


 一方で、お姫様に対しては『ジルは老人より格上である』と認識してもらう必要があった。いくらお姫様の味方になると口にしようが、老人の格下であれば頼る気にはならないだろう。


 だが、俺の方が老人よりも格上なのだと認識すれば話は大きく変わる。向こうは俺に対してある種の信頼感を強め、俺に頼ってくるはずだ。


 そしてこれは俺の方が格上であると認識してくれれば大丈夫なので、それこそお姫様がめちゃくちゃ俺に対してビビってくれても問題ない。老人より俺の方が怖いから俺に従うという形であろうと、俺の思惑通りにことは進む。


(だから分かりやすく神威……威圧感で実力差を理解させてやろうとしたが……)


 分からん。お姫様がなにを考えているのか、彼女の中で俺の位置付けがどうなったのかがまるで分からん。

 価値観が狂っている可能性は──いやしかし、恐怖という感情は彼女の中で正常に機能していたはず。それはお見合いで言葉を何度か交わしているうちに察することができた。


 だから仮にお姫様が価値観ぶっ壊れガールであろうとも、少なくとも恐怖という感情自体は常人と変わらないそれ。ならば俺の先ほどのパフォーマンスはお姫様にクリーンヒットするべきで、顔を青ざめさせるくらいはするかなと考えたのだが。


(どうなっている?)


 流石におかしいのではないか、と俺が内心で眉を潜めていると。


「ジル様」


 突如片膝を突いたお姫様が、俺に対して淀みない所作で一礼する。それはどう考えても、一国のお姫様がとるべき行動にあらず。ましてや、この場はお見合いの延長。一応俺とお姫様は対等の立場に立っている。


 その対等の立場であるはずの人間が、完全に恭順の姿勢をとるという異常自体。俺は絶句し、キーラン以外の面々が息を呑んだ。


「……ジル様?」


 返事をしない俺に対して、お姫様が再度尋ねてくる。聞き間違いでもなんでもなく、俺に対して「様」をナチュラルに使っているらしい。


「……何用か」


 恐怖による屈服ではない。


 彼女のまとう空気は非常に穏やかで、声音に震えもなかった。完全に、彼女は平常心を保っている。にも関わらず、この態度。これでは完全に、王と臣下である。


(……)


 冷静に考えてみよう。

 大人しげな様子だった一国のお姫様が、俺とのお見合いを終えてからは何故か人前で臣下の構えを取って悪目立ちする意味不明な状況を。そしてそれを目撃した周囲の人々が、どのように思うのかを。


 チラリ、と俺はステラに視線だけ向けた。そのステラはあり得ないものを見るかのような瞳で、俺とお姫様の両方を交互に見ている。間違いなく、変な誤解が生まれていた。


(俺は、俺は無実だ……)


 エミリー辺りに変な誤解が伝播されても困る。ステラには、俺が清廉潔白な人物であることを理解させる必要があるだろう。俺から数少ない友人を奪わないでいただきたいのであるからして。


 ──と。


「我が国の者が、粗相を犯したことに対する謝罪は後ほど。なんなら、今すぐにでも私に対して懲罰を」

「……いや、貴様の国に大きな不敬はなかろう。実力不足による罪と捉えることは可能とはいえ、根源たる問題はこの下郎よ。貴様に懲罰は必要あるまい」

「ジル様の寛大なお言葉に感謝を。ですがそれはそれとして、今すぐにでも私に対して懲罰を」

「うむ。そして繰り返すが、貴様に懲罰は必要ない」


 この子どんだけ懲罰受けたいの。


(てか様ってなに、なんなの?)


 さっきまで「さん」付けだったじゃん。なんで急に様付けになってんの? 俺に対して恐怖してるならなんでハイライトのない瞳で無表情なの? 謎の忠誠心でも抱いたの? おじいさんもなんかあり得ないものを見るような目でお姫様のこと見てるんですけど。


(……いやまあ、お爺さんより俺の方が格上と認識はしているのだろう。ならば問題はない……はず)


 本当にそうなのだろうか。


 腹の中を探りたいこともあり、彼女の心の中を読めるかなと視線を送ってみたが、心の中は読めない。つまり、俺に対して信仰は抱いていないのだろう。だからそう、キーランとは違うということ。


 もしも信仰を抱かれていたら、正直絶叫するが。


 もしやあれだろうか。恐怖が一周回って変な方向にメンタルが突撃してしまったとかか? だとしたら、メンタルケアが必要かもしれない。腕の良い精神科医ってこの世界のどこにいるのだろうか。


(……まあ一応、向こうの国に密偵は放っている。セオドアの召喚した魔獣だが、その内の一体に姫様の動向も見張らせておけば問題ないだろう。自傷とかしてたら止めさせよう)


 情報収集に特化した魔獣というのも創造していたというセオドア。気配遮断はもちろんのこと紙の類の複製も可能というので、資料や文書の類を大量に複製させている。

 そのサイズは非常に小さく、流体への変化も可能なため隙間さえあれば潜り込める便利さが素晴らしい。


(金の動きひとつ取っても、見抜けるものは多い。その辺から、俺は老人の首を取れるだろうしな)


 なのでこちらはもう問題ないだろう。なので残る問題は、殺し屋とその裏にいる連中……マヌスに関してか。


「さて。私は既に察しているが、それは老公の望むであろう実的証拠とは言えぬな。──大人しく口を開け、下郎。貴様の裏にいる勢力、組織に関してな」

「……そ、れは」

「ここに至ってなお、言い淀むか。ふん、職人の矜持きょうじというやつか。だが言ったであろう? 私は既に察していると。……貴様の裏についている愚か者どもは、マヌスの連中であろう?」


 俺の言葉に老人は分かりやすいほど動揺し、キーランは薄く目を細めた。なおステラは「?」みたいな感じの表情を浮かべて首を傾げている。魔術以外に関しても勉強してほしい。


「……」


 そして、殺し屋。


 俺の先ほどのパフォーマンスによる精神の弱り具合もあり、もはや取り繕えることができていない。「何故」とでも言いたげな表情を浮かべながら、愕然としていた。


「大陸最強国家、と言ったか。人類規模での最強の称号になど興味はないが……この私の領域に土足で足を踏み入れ、荒らそうなどと愚考するその罪、万死に値する。報いを受ける覚悟は当然あるであろうな?」


 ジルという人間が、殺意を向けてきた相手に対して何もしないなんてのはあり得ない。

 だから俺のとるべき行動は、報復である。そもそも向こうは、一国の王に対して殺し屋を差し向けてきたのだ。戦争の引き金を、向こうは自ら引いている。


(とはいえ、だ)


 殺し屋の表情で俺は確信を抱けたが、しかし実的証拠とは言えないだろう。極端な話、連中が「そんな奴知らんけど?」みたいな具合で白々しい態度を取れば誤魔化せる範囲だ。端的にいうと、証拠らしい証拠はない。


 まあ勿論、連中の態度なんて無視して戦争をふっかけることは可能である。可能であるが、


(個人間の喧嘩と、国家間の戦争では話が全く違う)


 単純な被害規模だけを考えても、それは明白である。最悪の場合一般人も命を落としてしまう戦争を行うというのは、双方にとって諸刃もろはの剣。

 そしてその諸刃の剣を、証拠もなしに振るえるかと言われると怪しい。


(さて、どうするかね)


 証拠がなくとも戦争自体は簡単に起こせるが、しかし戦争を簡単に起こすような国に対してプラスなイメージを人々が抱くことはないだろう。確実に抱かれるのはマイナスのイメージだし、国に対するマイナスのイメージはそのまま王である俺へのマイナスのイメージに繋がる。


 大陸最強国家を真正面からぶっ潰した国に喧嘩を売りにくるアホはいないだろうが、それでも天下統一の道は遠去かってしまうということだ。今後の外交は勿論のこと、俺自身の能力向上のための信仰心にも悪影響が及んでしまう。


(当然ながら宣戦布告は必須。そして同時に、ある程度"温情"も見せる必要がある。とはいえ、ジルのイメージを崩してはならない)


 当たり前だが、一般人を生かすのは確定だ。俺個人としても単純に胸糞悪いので、その辺は徹底させる必要がある。


 それに、取るに足りない雑魚連中も基本見逃して良いだろう。戦意を失った兵士も見逃させるべきだ。別に俺は、殺戮をしたいわけじゃないのだし。

 流石に俺を殺す作戦を立案した上層部は極刑に処すとして、この殺し屋を始めとした大陸有数の強者連中の扱いは考えないと。


(圧倒的実力差があると、イジメにしかならんからな……一見無秩序にしか見えん戦争にも、暗黙の了解というものがあるんだ)


 尤も、原作よりは強力な能力を誇る可能性が高いので油断は厳禁だ。地の術式というジョーカーを持っていた以上、更なるワイルドカードを保有している可能性は十分ある。


(……ふむ)


 しかし、そうだな。

 どうせなら、相手国が絶対に悪いと周辺諸国が思うような形で戦争を起こしたい。例えばそう──俺が送る抗議に対して向こうがナメくさった態度をとってくれれば、戦争になるのも仕方がないという風潮が生まれるのではないだろうか。


(いや、むしろ煽るか? この程度の雑魚は取るに足りません。ご返却いたします。みたいな感じで。……むしろ臆病風に吹かれるかもしれんな)


 まあいずれにせよ、人類最強とは雌雄を決する必要があった。大義名分を得た以上、ここを見逃すのはあり得ない。


 さて、どのような形でマヌスを収めようか。


 ◆◆◆


「……スペンサーがやられたそうだな」


 上司のその言葉に対する、蠱毒の反応は様々だった。瞑目する者。新たな標的に殺意を募らせる者。静かに戦意を練る者。無反応な者。


「……伏せておきたかったが、仕方がない。神を名乗る男には、人類最強をぶつける。……動けるか、人類最強」

「その言葉に従おう。自分の役目は、命令を聞き届け実行することなのだから」

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