第5章 大陸最強国家マヌス

プライド

 縁談。


 それ即ち、結婚の申し出のことである。


(結婚の申し出ねえ。対外的に見て、ジルの現状のスペックは──)


 国を治める王にして、対外的には大国と同盟関係を結ぶほどの政治的手腕を有していて、ドラコ帝国相手に親善試合で勝利を収める戦力さえ保有している傑物。なにより独身の身であり、後継者が存在しない。


 そんな王が、他国の方々からどのように見えるかを考えてみると──成る程、縁談を申し込んでくるのは至極当然と言える。

 なにせジルの正妻としての地位を確保してしまえば、明るい未来が待っていると予測できるだろうからな。優良物件とはこのことか。


(……そら他国のお偉いさんは、俺との繋がりを得て盤石な将来を得ようとしてくるか)


 謂わば波に乗っている俺と俺の国。なんとかして取り入ろうと考える国のお偉いさんは多いだろう。同盟や属国の申し出なんかはこれまでに来たことがあるのだし、縁談の話が持ち込まれるのもなにもおかしくない。


 周囲に女の影ない俺相手であれば楽勝だとでも思われているのかもしれない。ハニートラップと似たようなものだ。


 実際問題、普通に考えて国家運営に際して王の後継者は必須。基本的に、この世界は世襲制を採用しているようだからな。この機会を逃してなるものか、と縁談の話を持ってきたのだろう。親の意向か、本人の意向かは知らないが。


(情勢の機微を読み取る能力があるのは結構なことだな。そしてなにより、野心もあると。それなりに有効な一手だろう)


 ただ、致命的な弱点がある。


(ああ本当に、有効な一手だ。──他ならぬ俺自身が、この手の話に全く興味がない点を無視すれば)


 昨日の夜にヘクターから渡された書状を半目で見ながら、俺は内心でため息を吐く。国の長としてどうなのかとは思うが、他国のお姫様と結婚して下さいなんて言われても「嫌ですけど」以外の答えが出てこない。


 なにが悲しくて、死を回避する為に奔走している最中に、結婚なんてしないといけないんだ。国の存続を想うならば結婚して子供を作って後継を用意しておくものだろうが、そもそも世界が滅んだら国の行く末もクソもない。この手の話は、せめて神々をぶっ殺した後にしてくれ。まあ、そのことを知らない人間相手に愚痴っても意味はないが。


(まあそれに)


 そもそも結婚するなら、好きな人としたい。


(まあこういった話からお見合いをして、そこで相手を見定めて、時間をかけて仲を深めて好きになれば結婚って形なんだろうが……そんな時間はない)


 政治面を考えると形だけでも結婚しておくのは悪くないのかもしれないが、まったくもって乗り気になれない。結婚するだけで神々をぶっ殺せるなら脳死で結婚を受け入れるかもしれないが、そんなアホな展開はあり得ないので無視。


(会いもせずに断ったら、問題になったりするのだろうか)


 よく分からんな、こういうのは。

 だがまあ、ジルのキャラクター像を考えると相手の顔色を伺って懇切丁寧にお断りする必要はないだろう。つまるところ、俺はまるで興味がないので「断る」とだけ返事をして問題ない。


(しかし……)


 しかし、ヘクターの忠言を聞き入れないのもどうなんだろうな。ヘクターの言葉は正論だし、彼は俺にとって一番槍のようなもの。筋が通っていない話ならともかく、筋が通っている部下の話を受け入れる度量を見せておいた方が人は付いてくるかもしれない。


 ジルのキャラを崩壊させない範囲で、下の信仰心や忠誠心を高めていくことは重要だろう。暴君として君臨しないことのアピールの一環として、大局には関係ない部分の判断材料に部下の意見を聞き入れておくのは悪くないかもしれない。


 前例を作っておくというのは大事だ。過去に部下の忠言を聞き入れていた事例があれば、ある程度人々は俺に対する心象を良くする。


 俺の国の民や、魔術大国の連中などにはもはやアピールする必要もないだろうが、それ以外の国の連中がどう考えるかは別問題。

 今日から他国の王が支配者になります、なんて言われて不安を覚えない国民はいないだろう。だがその王の評判が良ければ、あっさりと陥落させられるはず。


(……いや考えすぎだな。普通に断ろう)


 流石に自分でもバカバカしすぎるな、と思った。この程度の忠言を聞き入れたかどうかの話で、他国の支配が簡単になってたまるか。どんだけちょろいんだよ。恋愛シミュレーションゲームの最低難易度でももう少し難易度高えよ。


 そもそも俺とヘクターの関係は、そんな忠言を無視した程度で壊れるほど軟弱なものじゃないのだからな。忠言を聞き入れなくても、奴は俺に付いてきてくれるさ。


 流石に書状を破り捨てて断るのは国際問題とかに発展するかもしれないので、最低限の礼儀程度は果たしておこう。無闇矢鱈と多方面に喧嘩を売る必要はあるまい。必要なら売るし買うが、安売りをする気は無いのである。


(ジルは別に、多方面に喧嘩売りまくる奴ではないしな。いやまあ、世界征服的な意味で世界に喧嘩を売りはしたが)


 ──と。


「ここがお兄様の部屋なのね。お兄様の視界を通して見てはいたけれど、実際に足を踏み入れたのは初めてだから新鮮だわ」


 俺の部屋の扉が開き、そこから一人の幼い少女が現れる。

 セミロング程度の長さの透き通った金髪と、病的なまでに白い肌。その見た目と反してどこか妖しげな雰囲気と絶対的な貫禄、周囲を従わせるカリスマを纏った少女は──


「グレイシー。息災か?」

「ええ。お兄様のおかげで、城の中ならある程度は調子がいいわ。自室ほどではないけれど」


 グレイシー。

 色々あって来れていなかったが、ついに彼女はこちらにやってきた。


 教会の最高戦力『熾天』をも遥かに凌駕する、神に最も近い少女と謳われる存在。

 彼女の有する『権能』は神話や伝承の再現という埒外のものであり、彼女がそのスペックを遺憾なく発揮できるならば大陸程度簡単に沈んでしまう。


「然様か。ではやはり、外出は控えるべきであろうな」

「そうね。ソフィア以上に、私は神々に近いもの。お兄様なら、よく分かるんじゃないかしら?」


 神々に限りなく近いグレイシーは、現世を歩くことができない。吸血鬼が太陽の下を歩くことができないのと同様で、現世の環境はグレイシーにとって毒なのだ。

 グレイシーに与えた私室と、この城の敷地内は環境を弄っているのである程度快適に過ごせるだろうが、本当にそれだけ。今の彼女の実力は、本来の実力とは程遠い。


 それでも周囲に漂っているカリスマが、人間としての究極に至っているジルと同等の領域という辺りが凄まじい。人間と神々の間に隔たる力の差は歴然としているのだろうと、嫌でも理解させられる。


「分かってはいたけれど、残念だわ。私も、お兄様やヘクターと一緒に外で遊んでみたかったもの」

「ふん。時が経てば、叶う日も来よう。貴様も察しているだろうが──」

「ええ。本当に微々たるものだけれど、感じるわ。今の現世は、少しずつ変化していってるのね」

「然り。いずれは、お前にとって快適な環境となる日が来るであろう」

「ふふふ。楽しみだわ。お兄様の視界を通して、見てきたものを実際に感じ取りたいもの」


 声音は怪しげだが、しかしその表情は朗らかなものだった。まさに、幼い少女のそれ。

 閉じた世界で暮らしていて、しかも封印されている期間も長いからな。精神年齢とは少し異なるが、どことなく幼い部分があるのだろう。それはそれとして年長者としての貫禄も備えているので、頭のスイッチを切り替えた時は末恐ろしいらしいが。


「ところでお兄様。それは縁談の申し出に関してだったかしら」

「ああ」

「ふーん」


 グレイシーが俺の近くにやってきて見上げてきたので、その体を持ち上げて膝の上に乗せてやる。どこか満足げな雰囲気を纏った彼女は机の上に置いてあった書状を手に取り、足をプラプラと動かし始めた。


「縁談の申し出。それってつまり、結婚の申し出ってことよね」

「ほう、よく知っているではないか。あのような箱庭で、縁談などという単語の意味を知る機会などなさそうなものだが」

「二代目の教皇がね、そういう単語に詳しかったのよ。他の誰も知らない単語を、なんか知っていたわ」

「……」


 前々から思っていたがその教皇は、果たして大丈夫な人物なのだろうか。この世界は、過去から頭のおかしい人間が蔓延はびこっていたのだろうか。


「縁談、縁談ねえ……。つまり、お見合いというものをやるのよねえ」


 書状を頭上にかざしながらグレイシーが口にし、俺は内心で笑みをこぼす。

 どうやら年頃の女の子であるグレイシーは、この手の話に興味があるらしい。それは大変結構なことだが、俺はそれに関して全く興味がないので早めに伝えてやるべきだろう。

 

 そうだな、レイラ辺りを紹介してやろう。彼女なら、恋話の一つや二つ持ち合わせているに違いない。多分顔を真っ赤にして湯気を立て始めるだろうが、そんなの知らん。

 向こうは向こうの都合で俺に突撃してきたんだから、俺だって俺の都合でレイラにグレイシーの相手をさせてやる。万が一のことがあってはいけないので、ソフィアを同席させるが。


 そんなことを考えながら「ふん。そのようなものを受ける気はないがな」と伝えるべく、俺は口を開いた。


「なんかこう、縁談をしていると王様って感じがするわよね。一度も縁談をしていない王様なんて存在しないだろうし。そういうのは、大事よね。まあ完全に私の憶測だけれど、お兄様的にはどうなのかしら?」

「──フッ。当然であろう。私は、この世界にて最も崇め奉られるべき王。その私が縁談経験皆無など、天地が裂けてもあり得ぬ話よ。……ふむ。そのように思われるのは心外であるし、由々しき事態かもしれぬな。くく、グレイシー。お前は私の妹故に特別、同席を許可してやろう。その縁談は私に相応しくないと見送るつもりであったが、席に着いてやるとしようか」


 めっちゃ早口で、俺はそう口にした。

 

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