妹より優れた兄などいねえ!

「楽しみにしているわ、お兄様」

「くく。私の威光を、しかと目に焼き付けるといい」

「ええ。それじゃあ私は、ソフィアの様子でも見てくるから」

「ああ」

「またね」

「うむ」


 そう言って部屋から出て行くグレイシーの背を見送り──椅子の上から崩れ落ちそうになる体を、寸前で堪えた。


(早口でなにを口走ってしまったんだ俺は)


 グレイシーの「王様なら縁談くらいしてるわよね」的な言葉。それを受けた俺は、安いプライドが機能したのか知らないが「いやめちゃくちゃ縁談してるから。縁談マスターだから」などと口走っていた。


 それを口にした以上、俺に求められるのは縁談マスターとしての立ち振る舞いに他ならない。華麗に女性をエスコートし、話を弾ませ、見る者全てが「ああ、縁談だ」と納得するような光景を打ち出さなければならないのだ。


 だがこれには、致命的すぎる問題点が一つ存在する。


(……お見合いを、したことがない)

 

 お見合い経験皆無。

 お見合いをつつがなく終わらせなければならないというのに、肝心の経験が皆無という絶望感。加えて俺は縁談自体は遺恨が残らないように破断にする必要があるため、普通にお見合いをするより遥かに難易度が高い……気がする。


(……そもそも彼女がいたことも、ない)

 

 彼女いない歴イコール年齢。

 この絶望的すぎる経歴を持つ俺に、果たして王としてのお見合いをこなせるのだろうか。正直こんな経歴では、どの企業に履歴書を提出してもお祈りメールを送られてくる未来しか見えない。端的にいうと、グレイシーに「お兄様……」とドン引きされかねない。


(……どうする)


 俺は思考を巡らせる。

 実行できるかどうかは別として、一応の解決策は立てることができたこれまでの案件と、完全に方向性の異なる危機的状況。

 これを乗り越えることができれば俺の精神は更なる進化を遂げる気がするが、考えれば考えるほど時間の無駄遣いな気にしかならない。


(いや、だがそうだな──美神対策の一環には、なるかもしれない)


 男女関係なく、あらゆる知的生命体を惚れさせることで行動不能状態に陥らせてくる美神。かの女神の美貌に対抗するには人外の領域に至った精神力もそうだが──異性への慣れというのも、それなりに効果的らしい。


(男女関係なく通じるのに、異性への慣れが効果的ってのはどういう仕組みなんだろうな)


 尤も、その美貌を無力化することは美神と敵対する上で前提条件のようなものなので、それを無効化できたら勝利というわけではないが。単純に、クソゲーをゲームにするだけである。しかもそれは『権能』ですらないのだから腹が立つ。


(俺は異性への耐性が、恐ろしく低い。それは天の術式をソフィアに刻んでもらったときに、素数を数える必要があったことから明白……。意識しなければ問題ないが、意識した途端に緊張してしまうからな……)


 美神には目視することなく、遠方から殺す作戦を立てていたが……念には念を、だ。これを機に、異性への耐性をつけるとしようか。


 ◆◆◆


「? 意外と早かったですね、グレイシー」


 思っていたよりも早く部屋に戻ってきたグレイシーを見て、ソフィアは僅かに目を丸くする。


 グレイシーの私室は、ジルが直々に環境を変化させていることである程度教会や天界に近い環境になっている。そのため、ソフィアにとってもグレイシーの私室は快適な空間だ。それ故に、ソフィアもグレイシーの私室で過ごす許可をジルとグレイシーの両名から得ている。現在の彼女は鎧を脱いでおり、白いネグリジェを身に纏ってリラックスした状態だ。


「……ソフィア」

「?」


 そんな完全に休日体制のソフィアを目が見えないながらもなんとなく感覚で見やり、グレイシーは口を開く。ソフィアの手元にあった、おそらくジルの書斎に置いていたであろう『猿でも分かる狂人の取り扱い方』という本が見えないのは、不幸中の幸いなのかもしれない。


「お兄様は間違いなく、お見合い経験が皆無よ」


 グレイシーが口にした情報。それはまさしく、ジルが安いプライドでグレイシーに対して伏せようとしていた情報だった。妹にお見合い経験皆無な王と思われるなんて恥ずかしい──そんな思春期男子のような心境から、秘匿しようといていたトップシークレット。


 だがそれを「妹に、兄の隠しごとは通用しねえ!」と言わんばかりにグレイシーはジルの真実を見抜いていたという事実。ジルが聞けば、内心で膝から崩れ落ちること必至である。


 なおグレイシーにジルをバカにするような意思は皆無であり、むしろどこかいい意味で楽しげなので問題はないだろう。多分。


「……グレイシー。幾ら妹といえど、それは不敬では」


 だがしかし、受け手がどう思うかはまた別の問題だ。ジルが恥ずかしいと思ったのと同様に、ソフィアもまたマイナスのイメージを抱いたのだろう。

 故にソフィアはグレイシーの発言に、眉を顰めながら苦言を呈した。

 だが、


「あらソフィア。何故お兄様がお見合い経験皆無な点が、不敬になるのかしら? お兄様は神なのよ? 人間の尺度で測るなんてお門違い……それは、人間よりも神々に近い私たちなら理解してしかるべしだと思うけれど。不敬だなんて、私には皆目見当もつかない発想だわ」


 だが、グレイシーにソフィアの苦言は意味をなさない。心底不思議そうな顔をして、彼女はソフィアを見上げる。


「そ、それは……」


 一方で、純粋すぎるグレイシーの瞳を見てしまったソフィアは「確かに不敬ではないのでは……むしろそれを不敬と思う自分こそが不敬なのではないか」と思い始めていた。

 言われてみれば、神たるジルが人間とのお見合い経験が皆無な点は全くおかしくない。むしろ、ジルとお見合いをしようだなんて発想を抱く人間こそが不敬なのではないだろうか。


 そうなると、自分の発言は──


「はあ……」


 オロオロとし始めたソフィアへと顔を向けながら、なんとなくソフィアの意図を察したグレイシーはため息を吐く。

 ため息を吐いて、言った。


「まったく、普段から脳内がピンク色だからそうなるのよ」

「!?」


 絶句するソフィアを横目に、グレイシーは一人掛けのソファーに腰掛けて足を組む。見た目だけなら幼い少女が大人の真似をしたような姿勢だが、彼女の放つ貫禄は余人にそのような印象を抱かせることを許さない。

 

 女王のような風格を纏い、そう振る舞える少女。それが、神に最も近いとすら謳われるグレイシーだ。


「でもそうねえ。お見合い経験がないとなると色々と慣れない点や、そもそも価値観の相違なんてものもあるから……相手の人間に、お兄様が嘲笑されるかもしれないわね。どうする、ソフィア?」

「……ジル様のご判断のままに」

「目が怖いわよソフィア。半殺しにしそうな目じゃない」


 言いながら、グレイシーは思う。他の教会の連中だったら「国ごと滅ぼしましょう」とか口にしそうだなと。

 そう考えると黙秘を選択し、なおかつ抑えようとしているソフィアは非常に温厚な人物だろう。


「まあ話を戻すわ。お兄様が嘲笑されるだなんて、到底許されることではない。それは確かよね?」

「はい」

「そうすると、お兄様は嘲笑されないように立ち回る必要があるのよ」

「はい」

「習うより慣れろ、という言葉は知っているかしら? 例えばそうね……天の術式を、あなたは実際に扱って覚えたと思うわ。理論を覚えるだけじゃなくてね」

「はい。ジル様も、そのようにして習得されました」

「ふふふ。理解が早くて助かるわ。つまりね、何事もやってみるのが手っ取り早いのよ。──ソフィア。あなたは、お兄様のお見合いの練習相手になりなさい」

「はい……はい?」


 首を傾げたソフィアに対して、グレイシーは愉悦の笑みを浮かべる。

 対するソフィアは、グレイシーの言葉の意味を理解したのか顔を赤くし始めた。


「あなたとお兄様のお見合いを開始するわ。ああ、愉しみ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいグレイシー。何故、何故そうなるのですか!?」

「私が決めたからよ」

「暴君!?」

「私はお兄様の妹よ。だから私は、あなたよりも偉い。理解なさい」

「私はジル様より、ジル様以外の全ての存在を見下せとの言葉を仰せつかっています。だからグレイシー、あなたは私よりも偉くなどありません。むしろ私の方が偉いと言えるでしょう」

「……ソフィア。それは間違いなく、あなたの勘違いだわ」

「え」


 とにかく、とグレイシーはソファーから立ち上がる。立ち上がって、彼女はソフィアの眼前に立っていた。


「お兄様に恥をかかせるわけにはいかない。それは分かるでしょう?」

「……」

「なによりソフィア。あなたが本気で嫌なら私はそもそもこんな提案をしないわ。あなたぶっちゃけ、恥ずかしいだけでしょう」

「…………」

「ふふふ。本当に、愉快な子だわ」


 目を逸らすソフィアと、口角を吊り上げるグレイシー。彼女はソフィアの頰に指を這わせると、顔を耳元に近づけて囁いた。


「私たちは神々に近い。──けれど確かに、人間でもある。それを、常々忘れないことね」


 ◆◆◆


「神を自称する例の男と近づくために、囮を用意した」


 大陸最強の軍事国家マヌスが保有する地下大空間。エーヴィヒと人類最強による衝突で崩壊したが、つい最近復旧が完了した場所。

 そこで『上司』と呼ばれている男が、とある集団の前に立って口を開いていた。


「奴に、縁談の話を持ちかけた。自然と接触するには、ちょうどいい隙を作れるだろう」

「……え? その人王様なんですよね。王子じゃないんだから、結婚くらいはしているんじゃないですか? 側室にしても向こうからのご指名ならともかく、こっちから縁談の話を持っていくのは難しいんじゃ」


 上司の言葉に、水晶玉の上に座る仮面の少女が問いかける。

 その言葉に、他の面々も同意だったのだろう。仮面の少女を諌めることなく、彼らは少し離れた位置で壁に背を預けて佇む青年へと視線を向けた。


「『人類最強』氏。その辺はどうなんです?」

「非常に端正な顔立ちをしていた。間違いなく、引く手数多だろう」

「すいません『人類最強』氏。少し答えがズレています」

「……そうか」


 どことなく悲しい表情を浮かべる『人類最強』から視線を外し、仮面の少女は上司へと視線を戻す。


「問題ない。既婚かどうかは把握していないが、少なくとも見合いの席には着くとの返事が来たそうだ」

「……驚きですね。よほど若くに即位したんでしょうか」

「例の男が既婚者かそうでないかなどどうでもいい。……話を戻すぞ。今回用意した囮だが、我々とはほぼ一切関わりのない小国の姫だ」

「こっちは殆ど無関係だから、足は付かないと」

「その通りだ。その小国に対して、我々が行ったことは例の男に関する情報を流したことのみ」

「なるほど」


 そしてその姫の護衛役として見合いの席に忍び込むということか、と仮面の少女は納得する。

 確かにそれなら、気配を消して侵入する以上に気付かれにくい。大義名分をもって堂々と乗り込んでいる以上、入り込まれたことに気付く気付かないの問題ではなくなるからだ。


「そして、配置する人員だが」

「……小生しょうせいか」


 上司の言葉に、目を閉じた状態で佇む男が答える。

 

「ああ。そして、言うまでもないだろうが……」



 





「……」


 そんな彼らを少し離れた位置から眺めながら、人類最強は思う。自分たちの国と、神を名乗る男は確実に衝突する。

 あの男の目的は不明だが、少なくとも『神の力』を必要とはしているのだろう。ならば同じく『神の力』を必要とする我々と、決して同じ道を歩くことはない。


「……」


 神を名乗る男との、決戦の日はそう遠くないだろう。薄く目を開きながら、人類最強は静かに戦意を練っていた。

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