超越者たち

 歪んだ紅い空が晴れ、大地を沈めていた黒泥も消失していく。先ほどまで空間を震撼させていた暴威が去り、世界が元の色を取り戻し始めた。

 いつのまにか日が暮れ始めていたのか、雲の隙間から夕陽が差し込む。


「……っ」


 そんな光景を尻目に、俺はフラつきそうになった体に力を入れた。決して、弱っていることを悟られてはいけない。ジルという人間は絶対的な存在であるのだと、周囲に示さなければならないのだから。


 だから俺は、即座に『天の術式』を起動した。肉体的に再生さえしてしまえば、後はどうにでも取り繕える。暫く痛みは残るだろうが、感情を無視して表情を作るのはもう慣れた。


 無表情程度、幾らでも貫いてみせよう。なにせ今となっては、喜怒哀楽を浮かべる方が難しいからな。泣いていいだろうか?


「ジル」


 ──と。

 俺がそんな感じでアホなことを考えていると、頭上から幼い少女のような声が響いた。ゆっくりとそちらに顔を向けると、ふわふわと漂う白い少女が。

 恐怖を与える俺の無表情と異なり、愛嬌のあるそれ。これが顔の造形が生む差なのだろうかと世の理不尽を呪いながら、俺はその少女に声をかけた。


「……久方ぶりだな、我が師クロエ。先ほど私が訪ねた際は、昼寝をしていたようだったが。起きたのだな」

「うん、寝てた。すっきり」

「然様か」


 見ればどことなく、満足そうな表情である。随分と、快適で素晴らしい睡眠を取れたと見受けられる。

 相変わらずのマイペース具合に内心で呆れていると、彼女は俺の目の前まで近づいてきた。


「上層部から連絡があったから、力を辿って来てみた」

「……ふん。存外、連中も使えるということか。伊達に大国を治めているわけではないらしい」


 国の最高戦力を惜しみなく投入してくる思い切りの良さは、正直言って嫌いじゃない。まあ俺、というか知り合い関係でなければ余程のことじゃない限り多分クロエは二度寝するのだろうが。


「ジル。大丈夫?」

「──」


 表情に変化はなく、声音に抑揚もない。だが俺には、クロエがどことなく心配しているような気がした。

 ふむ。ヘクター辺りもそうだが、俺とある程度以上に親しい連中は俺の内心を悟る能力でも持っているのだろうか。あるいは素を見せまいとしている時でさえ、彼女たちの前では気が緩んだりしているのか。


 真偽は分からないが、俺の返答は決まっている。


「当然であろう。私にはこの程度の雑事、なんの問題もない」


 たとえこいつらであろうと、俺は弱みだけは決して見せない。自分の胸の内にしまってさえいれば、決して情報はどこからも漏れたりしないのだ。

 だから俺は、正直に己の状況を口にするつもりは、ない。


「……」


 そんな薄情な俺に対して、無言で手を伸ばしてくるクロエ。その行き先を見守っていると、その手は俺の頭に伸ばされ、


「……」

「? なんで下がる?」

「……我が師クロエ。なにをしようとしていた?」

「? なでなで。ジル、頑張った」

「……」


 絶句する俺と、きょとんと首を傾げるクロエ。彼女は今、なでなでと言ったか。なでなで……つまり俺の頭を撫でようとした、と?


 まるで、まるで意味が分からない。

 俺の外面をこの少女は、理解しているのだろうか。どう考えても、ジルという男は頭を撫でられるような人物像ではない。どちらかというと、相手の頭を握り潰すような人物像だろう。


(もしや、俺はからかわれている……?)


 クロエ恐ろしい子──と思ったが、違う。ジルの観察眼を有する俺には分かる。彼女に、他意は一切存在しないのだと。

 あの瞳は間違いなく、弟子を労う師の瞳。そこに邪な感情は混在しておらず、本気で俺を褒めようとその小さな手を伸ばしたということがはっきりと理解できる。


 俺が纏う虚像すら剥ぎ取り本心を完全に読み取ることで生まれた行動なのか、彼女の善性が成した行動なのかは不明だが──いずれにせよその手を受けるわけにはいかない。


 勿論俺個人としては彼女の心遣い自体は嬉しく思う。

 けど幼女に頭を撫でられるジル様は、俺が思い描いているジル様じゃないんです。はっきりいって、解釈違いです。


「……」

「……」


 再び伸ばされる小さな手。流石にはたき落とすのは忍びないので、俺はそれを横に移動することで回避する。

 しかしクロエも諦めない。魔術による身体能力強化を行ったのか音速で手を伸ばしてきたので、更に俺は横にズレる。


 音速の三倍に至った。避ける。


 音速の十倍。避ける。


 避ける。避ける。避ける。避ける。避ける。避ける。避ける。


 大陸最強クラスの超越者だけが演じることのできる、常人では目視すら不可能な一進一退の攻防。

 力の調整を誤れば余波だけでその辺が吹き飛んでしまう──両者の譲れないものを賭けた"信念の戦い"が、そこにはあった。


(ていうかまだ足治ってないからクソ痛え)


 痛い。超痛い。

 この痛みを思うと白旗を振って投了したいが、白旗を取り出そうとした瞬間に俺はクロエから頭をなでなでされるだろう。

 それ即ち、死を受け入れることと同義なり。念のためにいうと、クロエを貶める意図はない。


(ジルに敗北の二文字はない。だが、お前の手を躱すことに関しては、特例としてもう敗北でいい。敗北でいいから、とりあえず頭を撫でようとするのはやめてくれ……)


 しかし、俺の切実な心の叫びは届かない。俺を撫でようと伸ばされるクロエの手が、止まることはなかった。何故に先ほどまではあれほど察しが良かったのに、今回は鈍いのか俺には皆目見当もつかない。


 誰か、誰かクロエを止めてくれ。


「──お待ちください」

「? 誰?」


 そんな俺の心の悲鳴が届いたのか、ソフィアが凛とした表情を浮かべながら現れる。それを受けて、とうとうクロエの手が止まった。その隙を突いて、俺はクロエのリーチ外にまで下がる。


 大陸最強のクロエを凌駕する実力者の登場。これは期待できるぞ、と俺はことの推移を見守ることにした。


「失礼。私はソフィアと申します」

「クロエ。『氷の魔女』とも呼ばれている」

「ええ、一方的にですが存じています。というより、今回で確信したというべきでしょうか。あなたは大陸唯一の『天の──……禁術の使い手ですね?」

「そう」


 そういえば教会勢力は、クロエ本人に関しての情報は一切持っていないのだったか。

 禁術の使い手が生まれたこと自体は察知したが、本当にそれだけ。クロエ本人に辿り着く前に、魔術大国にドン引きして逃げたらしいからな。


 ある意味、教会勢力としては収穫なのではないだろうか。『天の術式』を扱えるということは、神の血を引いていることと同義な訳だろうし。まあ、教会にいる神の血を引く連中と比較すれば非常に薄いのだろうが。


(勧誘したりするのだろうか……)


 ソフィアの心中が気になる俺は、彼女へと視線を向けた。それで判明した心の声は『思っていたよりも普通……かと思いきや、ジル様の頭に手を伸ばすという奇妙かつ不敬な行動が見られる。やはり、変人ですか』か。


 クロエは泣いていいと思う。


「本題に入りましょう。あなたはジル様のなんなんですか? 何故、執拗なまでにジル様の頭に手を伸ばされるのでしょうか」

「? ジルは私が育てた。だから、手を伸ばした。理由は、頭を撫でるため」

「────」


 電池が切れたように停止するソフィアと、そんなソフィアを見て頰をぺちぺちと叩くクロエ。それはまさしく、壊れたテレビを殴れば直る理論が如く。

 原作アニメでは決してあり得ない光景が、そこには広がっていた。


(凄く、シュールな光景だ……)


 アニメで見た時は冷徹な少女という印象だったクロエと、真面目も真面目な少女という印象だったソフィア。その二人が、ポンコツにしか見えない。

 だが両者共にインフレすれば、神々と戦える潜在能力を有している。才能の世界って残酷だな。


「…………ハッ!」


 暫くフリーズしていたソフィアだが、意識が戻ったのかハッとなってクロエと俺を交互に見る。やがて自らの現状を把握したのか、勢いよくクロエから距離をとった。


「……」


 そしてソフィアはクロエの体を上から下まで眺めると、神妙な顔つきになる。そんな彼女の心の声が、俺の脳内に響いた。


『……髪の色が似ている。そして育てたという発言──もしや、ジル様のご親族?』


 お前は何を言っているんだ。


『ですが、この方はジル様と異なり「神の血」をごく僅かとはいえ引いている……。わ、分からなくなってきました……。キーラン殿に尋n』


 俺はソフィアから、完全に視線を外した。


「……? この人、どうしたの」

「私には、預かり知らぬことだ」

「変人?」

「……」


 否定できないのが悲しい。

 俺に仕える者たちはどうしてこう変人や奇人、狂人ばかりなのだろうか。こんなバーゲンセールいらない。


(戦闘狂やマッドサイエンティストがまともに見えるのって、なんなんだろうな……)

 

 俺にはもう、何も分からない。

 

(それにしても、ローランドはなにをしてるんだ)


 そろそろ俺たちと、合流してきても良いと思うのだが。



 ◆◆◆



 この国に数多にいた、スフラメルの軍勢。そのほとんどはローランドとソフィアによって殺されたが、一人だけ生き残りもいた。


「……ぐ、う」


 最高眷属は、ある意味特別な存在だ。普通に考えればソフィアとローランドを相手に死んだふりというのは不可能に近いが、彼らはその限りではない。


「まったく、美しくない……」


 ストックを大量に補充できたと思ったが、その全てが消滅した。自らの芸術を解さない愚か者。そんな連中に自らが敗北するなど、あってはならないというのに。


「伝道師殿も、ご帰還されたようだな……」


 ならばこの場に留まる理由はない。

 そう思って、スフラメルはその場から離れるために立ち上がろうとして。


「な、なんだアレは……」


 立ち上がろうとして、視界に入った光景に恐怖を抱いた。


「は、半裸の人間たち……?」


 悟りを開いたとしか思えない表情を浮かべ、悠然と歩く半裸の軍勢。彼らはこの国の生き残りと思わしき人間たちに救済と施しを与えながら、こちらへと向かっている。


「これを」

「え、で、でもあなたがたの服では……」

「──問題ありません。私どもは、神の寵愛を身に纏っています。また、服を脱ぐことで至上の信仰に至っているので、なにも問題はありません。我らが神も、これをお望みになっているでしょう」


 なにを言っているんだ、とスフラメルは思った。だが、助けられた方はそうじゃなかったらしい「自らを鑑みずに人々を救うなんて……」みたいなことを涙を流しながら口にしている。

 加えて、なんか入信希望者が生まれている。まるで、まるで意味がわからなかった。

 

「……」


 呆気にとられていたスフラメルだったが、いつのまにか半裸の集団の一人がこちらを見下ろしていることに気づく。震えるスフラメルと、スフラメルを見下ろす下着だけの男。


「お前は、ジル様に対して多大すぎる不敬を働いた」

「!?」

「お前に、生きる価値は存在しない」

「っ! うるさ──」

「【禁則事項】はジル様への殺意。【罰則】は、死だ」



 





「……」


 その光景を、ローランドは遠くからジッと眺めていた。下着だけになった半裸の集団。彼らは己の意思で服を脱ぎ、自らの意思で行動しているのだろう。

 まさしく、ある種人間の極致の集団。


 そんな集団を見て──ローランドは感動さえ覚えていた。


(彼らは、自由だ)


 なんという開放感。

 あれこそが、自分の求めていたものに近いのかもしれないとローランドは思う。そんなローランドの思考を読んだソルフィアの思考が軽く停止したが、ローランドがそれに気づくことはなかった。


(……レイラにも、教えよう)


 この素晴らしい光景を、レイラと共有したいとローランドは思う。

 顔を赤くしたレイラにローランドがぶん殴られるまで、あと数時間。


 ◆◆◆


 小国から離れた場所に位置する森。そこに、顔以外を鎧で纏った一人の青年がいた。青年の周囲には美男子の死体の山が築かれていて、背後には目に涙を溜めた幼い少女の姿もある。


 青年──人類最強は耳に手を当てて。


「──以前俺に向かって神を名乗っていた男が、『神の力』を吸収する現場を確認した」

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