決戦『神の力』 後編

 勝負は一瞬。

 敵は強大。


 万物を吸収し、己の糧とする黒く伸縮自在な翼。人体が焼き爛れるなど、さまざまな効果を有する黒泥こくでい。そして、奴の体を構成していると思われる謎の霧。

 

 姿形はドレス姿の少女だが、使用する言語が不明すぎるため意思疎通は不可能。内包されている単純な力の総量は、おそらく熾天と同格。技術はないが、しかし奴の有する異能と身体能力が上手く作用した結果、本能による攻撃だけでも充分すぎるほどの脅威。ようは、シンプルに強い。


 そして奴は『神の力』が変質したものだが、明らかに異なるものが外側を覆っている。まあ、コーティングのようなものだ。だからこそ、そのコーティングを破壊するなりして内側の『神の力』に触れて取り込む必要がある。


 加えて、本来は力の総量が熾天と同格なんぞあり得ない。間違いなく、化学反応のようなものが奴の内部では起こっている。スフラメルやエーヴィヒの力を取り込んだことによって、奴は格段に進化したということだ。


(不明瞭な点は多い、だが)


 核となっているのはあくまでも『神の力』。余計なものさえ取り除いてしまえば、対処可能。


 ならばなにも、問題ない。


「あの翼には直接触れるなよ」


 言うと同時に『神の力』を放出し、半径十キロ圏内を限りなく教会に近い環境へと変化させ、ソフィアの能力を向上させる。完全体ならともかく、今のジルでは流石に教会にいた頃と同じ能力を発揮させることはできない。


 だが、それでも『熾天』は別格の存在だ。邪神が相手でも対抗可能な教会勢力の最高戦力。

 その称号は、決して安くない。


「はっ」


 ソフィアが全身に『神の力』を巡らせ、神速に至る。空中に躍り出たソフィアの神性を感じ取ったのか『何か』が翼を繰り出すが、ソフィアを捉えきれていない。ソフィアより遅い俺でも、回避だけに専念すれば当たることはなかった。ならば俺より速い彼女が、あの翼に捕まるなどあり得ない。


「……今は、なにもしない方がいいな」

「然り。貴様の役目は万が一、ソフィアに危険があればの話だ。貴様なら適切な瞬間程度見切れるであろう? 私の判断を仰ぐ必要はない」

「いや、サボってるとか思われたくないからな」


 そんなこと思わんわ、と脳内で突っ込みを入れて。


「往くぞ」


 大地を蹴り、俺は『何か』に向かって突貫した。『何か』の足元から黒泥が溢れて津波のように襲いかかってくるが、俺は『神の力』を俺を中心にドーム状に展開しながら、津波の中に突っ込む。


 津波の中央に穴が開き、制御を失った黒泥が大地に落下する。海のように広がっていくそれを、視界の端で捉えながら──


「死ね」


 右手を突き出して、『何か』の顔面を右手で鷲掴みにする。そのまま『何か』をコーティングしているものを剥がそうと『天の術式』を起動して、解析を開始。

 開始して。


(待て。全く分からん)


 無。

 ソルフィアの触り部分を解析した時でさえ「これは危険だ」程度の解析はできたというのに、これに関しては理解不能。……というより、理解させてくれないのだ。

 まるでそう──空白地帯かのような。

 

(パスワードのロックをハッキングで解除するみたいに、華麗な手際で素早く終わらせたかったが……)


 ならば強引に破壊してやると『神の力』を纏った左拳で『何か』の顔面へ打突を繰り出す。一瞬仰け反った『何か』だが、それだけ。奴を覆っている、謎のコーティングを破壊することは叶わなかった。


(だが、それより)


 ここまで軽いとは思っていなかったせいで、踏み込みすぎた──ッッ!


「yr」

「!」


 思っていた以上に『何か』が軽かった結果、俺の想定以上に振り抜かれてしまった拳。この姿勢は戦闘において致命的な隙であり、『何か』による攻撃を許してしまうことを意味していた。

 

(しまった、完全に回避は不可の──)


 大地が揺らぐ。

 振動で『何か』の体がぐらつくと同時、俺のすぐそばを神威を纏った黒い閃光が通り過ぎていった。

 遠くの方から爆音が響き、爆風が背後から俺の全身を叩く。


(ナイスアシストだぞ、ローランド)


 間違いなく、左腕は持っていかれていたであろう一撃。内心で礼を告げ、その場から飛びのく。上空を見上げればソフィアが翼を華麗に回避しつつ、されど俺の方には向かわせないよう時折わざとギリギリまで引きつけたりと流麗に動いていた。


(翼は、ソフィアに一任して問題なさそうだな)

 

 内心でホッと息を吐き、俺は再び『何か』を見据えた。いつのまにか『何か』の周囲が黒い霧で覆れていて、ソフィアの『天の術式』の流れ弾を完全に防いでいた。


(……あれは防御壁のような役割を果たしているのか)


 解析を開始──成る程、あの霧は見た目こそ禍々しいが『神の力』だ。つまり、強引に突破自体は一応可能。


 問題は。


(全力を賭しても出力が、僅かに足りん)


 ソフィアの能力向上のために、俺は『神の力』をある程度広範囲に分散して放出している。そのせいで、俺自身に回せる『神の力』が非常に少ない。

 かといってソフィアのための『神の力』の量を減らせば、全員が死ぬだけ。今はギリギリの綱渡り状態のようなもの──ピースが、足りない。


(ソルフィア……は、嫌だな。頼みごとをした瞬間に変な呪いをかけられそう)


 しかしソルフィア、嫌に無言だな。アニメではこんな状況だと、ローランドに対してアドバイスをしたりしていた記憶なんだが。


(……一か八か、か)



 ◆◆◆



 魔獣騒動にて、ジルが救った辺境の地。

 そこに住まう人々は、皆がとある場所を目指して歩いていた。彼らの表情は真剣そのもので、周囲に荘厳な空気が流れていく。


「──お前たちも、至っていたか」

「キーラン様」


 そんな彼らのもとに、一人の男が現れた。すでに服を脱いでいる彼を見て、人々は自分たちの感覚が正しかったのだと確信する。


「やはり、そうなのですね」

「神を騙る、偽物が現れたんですね」

「そうだ。服を脱いで信仰を示していたオレたちだからこそ、肌で感じ取ることができる」


 言葉を発しながら、人々は慣れた手先で服を脱ぎ始めていた。下着以外を纏わぬ信者たちを見渡し、キーランは頷く。


「行くぞお前たち──信仰を捧げろ」


 次の瞬間、彼らを中心に爆発的なまでの信仰が世界を変革させる。


 神の寵愛。


 赤子は一糸纏わぬ姿をもって、神の寵愛を授かるとされている。それは神に全てを曝け出し、神の全てを受け入れるという究極に至っているからこそ。

 ならば服を脱ぎ、信仰を捧げている彼らが神の寵愛を受けない道理はない──とキーランは語るが、真偽の程は定かではない。


 なにより服を脱いで信仰を捧げることで、信仰の全てを神に届けることができる。服を着ていては捧げるべき信仰の一部が服に邪魔をされてしまうから──とキーランは語るが、真偽の程は定かではない。


 だが、ひとつだけ確かなことが存在した。

 それは何者にも強制されることなく彼らが捧げる、純粋かつ真摯な信仰心。


 神々にとって信仰とは、彼ら自身の存在を確たるものにする証明のようなもの。事象が第三者によって観測されて初めて事象として成立するように、神々は第三者から信仰されることでその存在の位階を上昇させることができる。


「ジル様……」


 信仰を捧げながら歩む、半裸の軍勢。

 何者にも侵されないその絶対性はまさしく、神の領域と呼ぶにふさわしい。

 完全なる悟りを開いた彼らの瞳は黄金色に輝き始め、その周囲を黄金の粒子が舞い始める。


 その姿はまさしく、神の使いそのもの。

 彼らは確かな信仰心をもって、その存在を昇華させたのである。教会勢力の人間が見れば感動に打ち震えるような光景が、そこにはあった。



 ◆◆◆



 空気が逆巻くような音と共に、俺から神威が溢れ出す。これは──


(! 信仰心によるブーストか!?)


 一体なぜ──いや、理由はどうでもいい。大事なのは、先ほどまでは足りなかったピースがハマったということ。

 

(信仰心によるブーストは微々たるものだが……その微々たるものの差が、明暗を分ける)


 内心で獰猛な笑みを浮かべて、俺は『何か』を見据える。僅かに足りなかった力が足りた以上、あとはやるだけ。霧の防御を破壊しつつ、コーティングを貫いて『何か』の内部に直接触れる。

 ただ、それだけでいいのだから──ッッ!


「yr」


 俺の変化を察知したのか、『何か』から放たれる重圧が増す。だがしかし、そんなものは関係ない。

 全身を『神の力』で覆って、俺は『何か』に向かって弾丸のように飛び出した。


「yr」


 黒泥の大瀑布──突破。


「yr」


 黒い羽の乱舞──ソフィアの『天の術式』で弾き飛ばされる。


「yr」


 霧の防御壁──強引に、こじ開ける。


「終局といくとしようか、神の力!!」

「y──」


 声を荒げて、俺は『何か』の顔面を両手で掴んだ。掴んで──その顔面に、俺自身の顔面を全力で激突させる。

 ピシリ、という音が響くと同時に、黒い霧から僅かに光が漏れだした。


「th、」


 黒泥から透明な手が複数生え、俺の膝から下を包み込んだ。そして──


「thorn」

「……ッッッッッッ!!?」


 悪あがき、というには暴虐的なまでの一撃。それが、俺の両足を無残に握り潰す。

 凄絶な痛みに思わず叫んで膝を屈しそうになるが──そんなものは、ジルとして相応しくない。


「く、くくく……軽い一撃だ。その程度、この私には通じんぞ」


 無様な真似は晒してたまるかと俺は眼光を光らせて、強がりで口元で笑みを描いてみせる。

 こんな痛み、今世どころか前世でも味わったことはない。骨が折れるだなんてどころじゃない。今すぐに泣き叫んでやりたい──だが、それがどうした。


 この程度の痛み──神々を相手にする以上、この先何度も、何度も味わうに決まっている。

 

(ここで終わらせる!)


 回復用の『天の術式』に、『神の力』を回すなんてアホな真似はしない。今ここが、間違いなく最後のチャンス。


 故に俺は全身に『神の力』を巡らせて身体能力を倍増させ、『何か』の顔面のヒビ割れた部分に手を突っ込み、そのまま中身を取り込もうとして。


(……ッッ!? これは、厳密には『神の力』ではな──)



 ◆◆◆



 ふざけるなよ、と青年はその拳を握りしめた。


 肉体的には完全に再生した。だが目の前で暴れている化け物を、直接倒すことはできない。

 もはや、それだけの力が残されていない。そのほとんどを──あの訳の分からない化け物に、吸収されてしまったから。


(ふざ、けるなよ……)


 その力は、自分だけのものだ。

 自分が絶対に至るために生み出し、これまで使ってきた力だ。世界の抜け穴を発見し、不死の存在へと至り、そして──


(俺、様は……)


 断じて、断じて許さんとエーヴィヒは大地に這い蹲りながら『何か』を睨む。

 自分だけの力を我が物のように扱う、不届き者を。


(俺様は……!)


 直後、エーヴィヒの肉体は『闇血』と化した。肉体を保つことを放棄し、自らも怪物と化してエーヴィヒは『何か』に襲いかかる。


(──お前ごときが、それを使うな!!)


 そして、ジルとは逆方向から『何か』へと張り付いたエーヴィヒは、ジルが解析不能な力の操作権を剥奪はくだつする。

 元より、それはエーヴィヒの専門分野だ。彼だけが理解し、彼だけが操ることのできる絶対の力。

 神々であろうと"未知"と形容するしかないだろうそれの操作において、エーヴィヒの右に出るものなどいるはずがないのだ。


「hagall」


 痙攣し始めた『何か』に向かって、ざまあみろとほくそ笑みながら──


(今回も、ここまで、か……だが、俺様は、往生際が悪、いぞ……。たとえどれだけ、敗北を重ね、ようとも……最後に立っていれ、ば……俺様の、勝利なのだからな……)


 ほくそ笑みながら、エーヴィヒは霞となって消えていく。

 この場に残るものは、なにもなかった。



 ◆◆◆



「────ッ!」


 カッ、と俺は目を見開く。

 理由はよく分からないが、『何か』を構成していた理解不能な空白地帯が完全に消滅した。

 これであとは、俺が取り込むだけだ──!!


(ぐう……っ!)


 だがそれは、向こうも同様のことが言える。向こうにも吸収能力がある以上、これはどちらの吸引力が強いかの戦い。


(やっぱ、そうくるよな……!)


 ソフィアへと向かっていた四つの翼が、俺に襲いかかってくる。その内の二つをソフィアは自ら触れて止めているが、彼女の方も『何か』に己の力を吸収されまいと必死。

 ローランドがなにやらソルフィアに向かって叫んでいるようだが、内容までは聞き取れない。


(だが、俺の方が僅かに早いはず……!)


 とはいえ、翼がこちらに向かって来られると少しばかり怪しいかもしれな












「禁術解放 絶対凍結ニヴルヘイム












 

 聞き覚えのある声とともに俺に放たれていた翼が一瞬だけ凍結し──その僅かな差が、天秤を完全に勝利へと傾けた。

 



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