『龍帝』の戦慄

「……」


 完全に気配を消しながら、ヘクターは目を瞑りながら城の一室の中で待機していた。


 その理由は当然、主人たるジルの命令によるもの。彼とキーランは今回の会談では決して『龍帝』に姿を見せないよう言い含められているのである。


「……」


 今頃会談は、順調に進んでいるだろう。『龍帝』とやらは非常に聡明なようだが、流石に相手が悪い。同じレベルの頭脳を有している者同士が知略を競えば、当然ながら勝つのは事前の準備が入念な方だ。

 

 そして事前の準備という意味で、ジルの上をいく存在は早々にいないだろうとヘクターは思っている。


 どのような情報網を有しているのかは分からないが、確実にジルの持つ情報量は世界でも頂点クラスに座している。勿論分野の偏りはあるだろうが、強大な勢力や実力者に関する造詣の深さはヘクターをして思わず感嘆の声を漏らしてしまいそうになるほど。


 教会勢力などという全くの未知の勢力の情報に至っては、どこで仕入れてきたのかすら全くもって見当もつかない。あの男の前に、初見殺しは初見殺し足り得ないだろうとヘクターは睨んでいる。


 いや、半裸の集団という初見殺しは初見殺しとして機能しているからそうでもないかもしれない。分からなくなってきた。


(まあ、ボスなら大国のトップが相手だろうが上手くやれるだろ)


 超然とした空気を放ちながら、冷徹に笑うジルの姿が鮮明に浮かんでくる。


 あらゆる物事を計算通りに動かし、計算外の事態すらも無理矢理計算の中に放り込んで最良の結果へと導く手腕。悪名高き魔術大国でも色々とあったらしいが、結果としてジルはその魔術大国すら掌握している。


 絶対者として君臨するのも、夢物語ではない。

 

(ただまあ……)


 だがしかし、とヘクターは思う。


 間違いなく重苦しい空気で進んでいる会談。ジルも『龍帝』も、本気でその優秀すぎる頭脳を活用している事だろうと思う。


(けどなあ……ドラゴンがなあ……)


 思い起こすのは先ほどの光景。一日に三度ある神に対する信仰を捧げる儀礼のこと。すなわち、半裸の集団がジルに対して信仰を捧げていた姿であり、そんな狂信者達を全力で見ないようにしていたドラゴン達だ。


 偶然。そう、偶然信仰の儀の時間帯とかぶったが故に、生まれた悲劇。


 なんなんだ、半裸の集団は本当になんなんだ。

 連中はドラゴンを見ても動じる事なく半裸のまま信仰を捧げ、ドラゴン達はドラゴン達で半裸の集団に動揺させられる。


 両者の力関係がおかしい。


(……なんだろうな。なんなんだろうな、この気持ちは)


 凄く微妙な気持ちだと、ヘクターは思う。

 少年の夢ともいえそうなドラゴンのあんな姿、見たくなかった。


(まあこれも価値観ってやつなのかねえ。宗教ってのはややこしいからなあ。傭兵時代もカルト集団には手を焼いたもんだ。……いや、でもなあ)


 半裸の集団を前にして内心でドン引きしているであろう主人の姿を想い、ヘクターは人知れず息を吐いた。


 ◆◆◆


「やはり、貴殿の竜は格が違うな? 伝説の竜──ファヴニールの子孫なだけはある」


 その言葉を放ったジルの瞳から感じたものに、シリルは背中に嫌な汗が伝ったのを感じた。


 ただの直感。少なくとも、現時点ではまだ直感の域を出ていない。だがしかし、直感というものは案外侮れないものということを、シリルはよく知っている。


 故にこの直感の正体を探る為、深く考え込みたいところなのだが。


(あまり黙っていては不審に思われてしまいますね)


 それに何より、黙って考えるという行為は、それほどの集中力が必要な事態であると相手に教えてしまうようなものだ。そしてそれは、頭脳戦において相手を精神的優位に立たせる行動に等しい。


 例えばボードゲームの最中にこれまで軽快に駒を打っていた人間が、いきなり手を止めて考え出したら、対戦相手と周囲にどう思われるかは明白。


 それと同様で、会話の最中に押し黙るというのは周囲にも悪影響を与えるのだ。


 ジルだけではなく、周囲の人間もシリルの分が悪いと認識してしまう状況はよろしくない。味方の士気に関わるし、相手国に余裕を持たせる訳にもいかないからだ。


 故にシリルは早々に思考を打ち切り、言葉を返した。


「ご存知でしたか。仰る通り、僕の相棒は伝説の竜の子孫にあたります。……よくご存知ですね。我が国でも、知る人間は限られているというのに」

「歴史を漁るのは趣味の一環……と言えば、貴様なら分かるだろう? とはいえ、その答えに辿り着くために必要な情報枠集めるのには、それなりの情報網が必要故、我が国の情報網の優秀さあってのものだが」

「成る程。深くまで歴史を紐解けば、確かに辿り着けない訳ではありませんからね」


 成る程、確かに「ファヴニールの子孫」の存在を示唆することは、情報網が優れているという事実のアピールにはうってつけだろう。事実、兵士達も「おお」といった様子でジルという男を見ている。有能さを示すには、非常に便利な切り口だ。


 だが、


(初めて視線を交わした時にも思いましたが……)


 だがこれはその程度の次元ではないのだろう、とシリルは内心で苦い表情を浮かべる。狙ってやっているのかどうかまでは不明だが、シリルが気になるのはそこではない。意識的であろうが無意識的であろうが、恐ろしい点は別にあるのだ。


「『龍帝』殿は──」

「その通りですね。僕は──」


「先日の魔術大国の件ですが──」

「ほう。あれは──」


「だがな『龍帝』殿──」

「成る程。貴方の言う通り──」


「そういう見方も──」

「悪くない。そして──」


「この世界は不完全な部分が──」

「僕もその点は──」


「あの国は──」

「ええ、僕としても──」


 滞りなく、会談は進む。進む。そう、進む。進んでいる。


 進みすぎている。


(これは──)


 やはりあの直感は間違いなかった、とシリルは内心で舌を打つ。


(これは、既知だ)


 ジルという男は知っている。


 文字通り、全てを知っているかのような言動が幾つも見受けられる。自分の思考を覗かれているような感覚。自分の未来の行動を直接見たことがあるのか? とでも思わせるような言葉すら存在していた。


 そしてそれらを、当然のように彼は言っている。というより、過去のものとして言っている。言動ではなく、彼の目がそう語っている。


(あの瞳は、推測を語る者の瞳ではない。そうあって当然だろうという自信からくる瞳でもない。あれは、昨日の夕食について語る時のような瞳。つまり、彼の中で未来は過去と化している)


 目は口ほどに物を言うという言葉の通り、ジルという男の目は、間違いなく既知の事実を述べているだけと物語っていた。


(異常者の戯言と切り捨てるのは不可能。何故なら、正解しているからだ。僕が魔術大国の一件が無ければ次に攻めようとしていた国すらも、彼は遠回しに把握している事を口にしている。仮に戯言だとしても、ここまで来るならもはや本物だ)


 あり得ない、と『龍帝』は思う。


 だがこれが現実である、と己の頭脳が導き出している。


(少し交える雑談にしても、僕のパーソナルデータを把握した上での会話としか思えない。これはもはや会話の誘導という次元ではない。そんな低次元のものではない。あの男の既定路線に乗せられているだけ……)


 僕の全てを知っているとでもいうつもりか、と『龍帝』は内心で冷や汗をかく。


 それはもはや、情報網が優れているなんて次元の言葉で片付けられる問題ではない。未来を予測する程度であれば、問題ない。だが、目の前の男は違う。未来さえも既知。それはもはや、予測なんてレベルの話ではない。


(あり得ません。誰にも語っていない僕の行動原理すらも把握しているとしか思えない発言。こんな存在があり得るのか……?)


 それともまさか、目の前の男は本当に神などというバカげた存在だとでもいうのか。そんな架空の存在が、今目の前に君臨しているとでもいうのか。比喩表現ではなく、実在する神なのだと。


(加えて視点や精神性も異様だ……まるであらゆるものを俯瞰したような……王ならば確かに身につく視点ですが──格が違う。国どころではない。この男は世界……いや、世界の理すらも俯瞰している)


 どうするべきか、と『龍帝』は思考を巡らせた。


(……ふう、落ち着きましょう。本当に神ならば、この世界の不完全性を説く必要はない。全知全能の神であるならば、人知れず世界の歪みを正すなんてことも造作もないはず。何より、こんな策を講じる理由がない。真正面から全てを粉砕すれば良いだけなのだから。本当に神であるかどうかはさておき──少なくとも、全知全能の類ではない)


 であれば付け入る隙はあるはずだ、と『龍帝』はその眼を細めた。


(情報的なアドバンテージは向こうの方が上。ならば……)


 ならば、ここでその優位性を崩しまえばいい。今ここで、自分も相手のパーソナルデータを手に入れてしまえば状況を五分五分に持ち込めるはずだ。


「ジル殿」

「どうした、『龍帝』殿?」


 笑顔を浮かべて名前を呼ぶことで、強引に会話の主導権を手に入れる。自らの劣勢を間接的に認めたに近い行為だが、構うものか。どちらが優勢でどちらが劣勢なのか分からないほど、向こうは鈍くない。


 ならばもう、賭けに出ることこそがこの場における最適解。


「友好を深める事が出来たらと、僕はお気に入りのボードゲームを持ってきたんですよ」

「ほう」


 嘘だ。


 正確には、相手の頭脳や価値観を測る為に用意した玩具。別に、ボードゲームなんて好きでもなんでもない。人類最高の頭脳を有するシリルにとって、ボードゲームなどもはや駒を動かすだけの作業でしかないからだ。


 だがしかし、ある意味ここに持ち込んできた目的通りの使用方法ではある。


「どうでしょうか」


 目の前の男に、直接的な戦闘を挑むのは言語道断。かといって、このまま舌戦を繰り広げたところで情報量の差で何も得る事ない敗北は必至。


 だが、ゲームならばどうだ?

 

 ゲームであれば五分五分か、こちらが優勢。それにだ、勝負事というのは相手の性格が大きく出てくる。性格を秘匿しようと行動するにしても、何度も勝負を重ねるうちに見えてくるものはあるのだ。


 故に、シリルは動いた。


 分野はともかく、既に相手の頭脳が優秀なのは把握済み。ならばそれ以外の事も、このゲームをもって把握してやろう。


「休憩がてらに、やりませんか?」


 ゲームの盤面で、ジルという男のパーソナルデータを調べ尽くしてやる。そんな意気込みのもと、シリルは内心で炎を灯しながら準備を始めた。


 ──一瞬だけ冷笑を深めたジルの顔に、気付くことなく。

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