変態達の狂想曲

 突如現れた、無機質な少女。


 特徴的なのは小柄な体躯と、雪のように白い髪と碧眼。服装は薄い緑色のロリータファッションのようなものに身を包んでいて、肌の露出は少ない。そんな白い少女は、僅かばかり地面から宙に浮いた状態で、静かに佇んでいた。


(現れたか……)


 彼女こそが大陸表舞台最強の一角、氷の魔女。


 ジルには劣るものの過去に特級魔術に至った術師達の三倍以上の魔力量と、最高難易度の魔術である特級魔術を苦もなく扱う卓越した技量。


 更には禁術をも操る彼女を相手に、魔術戦を挑むバカはこの世界には存在しな──いや原作ステラがいたわ……。


(……それにしても)


 実際に目にすると分かるが……成る程、強い。熾天には及ばないが、大陸頂点の一角として君臨するだけの事はある。


 原作においても、ジルが「では頂上決戦といこうか? 貴様らが今の世を是とするなら、それを否定するこの私を打倒してみせよ」などと口にしていた対象の一人。


 傲岸不遜を地で行くジルがそう口にするだけの戦力的価値が、氷の魔女にはあるということだ。


 それに何より、『氷の魔女』には覚醒すればインフレに追随出来るという恐ろしい事実が存在する。万が一ここで覚醒なんてされたらたまったもんじゃない。気を引き締めなければ。


「……氷の魔女か」

「そんな風に呼ばれてもいる」


 ──と。

 そんな事を考えている間に、キーランも自身の隣にいる存在の正体に至ったらしい。眼を細めたまま、彼は『氷の魔女』に対して言葉を続ける。


「お前の謝罪など必要ない。オレは、そこの小娘にジル様への不敬に対する処罰を下そうとしただけだ。流血沙汰をお前が嫌うのであれば、それ以外の手段でも構わん。単にこれが最も速かっただけの事」

「……不肖の弟子の相手をするのは、あまり推奨しない」

「オレが不肖の弟子とやらに劣ると?」

「そうではない。あなたはおそらく、不肖の弟子を上回る実力を有している。少なくともその距離から戦闘を開始するのであれば、その子が術を発動する前にあなたは致命傷を与えられる」

「ならば」

「……でも、その子の相手をするのは推奨しない」

「……話にならん。もういい。この氷の壁を砕いて、小娘を───」


 そう言ってステラの方へと顔を戻したキーランは、しかしそこでピシリと硬直した。


「し、師匠の魔術がこんな近くに……! ぐへ、ぐへへへ!!」

「────」


 キーランの視線の先、そこには氷壁を舌で舐めたり顔を押し付けたり太ももで挟んだりと、完全な奇行に走っている少女がいた。


 腕の動かないキーランの足が僅かに後退し、氷の魔女は無表情のまま……されどどこか疲労感を感じさせる雰囲気を浮かべている。気がする。これは勘でしかないので、なんとも言えない。


「キーランくん、ボクと、ボクと位置を代わってくれよ! ボクも師匠の魔術を身体で感じたいんだ……!! ボクも凍結させられたいんだよ……!! ねえ、どんな感覚なんだい!? ああ! 我慢できないいいい!!」

「────」


 キーランの足が更に後退する。だが、腕が固定されているせいでそれ以上動けない。俺がこの世界に来てから初めて焦った様子を見せるキーランは、その心の中で絶叫していた。


『なんだこの頭のおかしい小娘は!? 訳が分からない! 一体どういう思考回路を有していたら、このような意味不明な発言が出てくる……!? 頭が、頭がおかしい……! なんだ、なんなんだ……!?』


 どんぐりの背比べって知ってるか?


『くっ、このような小娘からは距離を置かなければ、オレまで頭がおかしくなってしまう……! そんな事になれば、ジル様は私に失望されるに違いない……! オレは、オレは頭がおかしくなる訳には……』


 とっくに頭がおかしいと思っているが?


(どいつもこいつも……)


 何故頭のおかしい連中というのは、自分を全力で棚に上げて他人を批判出来るのだろうか。やはりヘクター。ヘクターが世界を平和に導く存在なのだと、俺は改めて思う。ヘクター。俺は今からお前を連れて来たいぞヘクター。


(しかし、あのキーランの精神を乱すとは……)


 原作では冷静沈着な仕事人。狂信者と化したこの世界においても、頭がおかしくなりすぎたが故にか強固な精神を有していた。


 そのキーランが、ドン引きするレベルで精神を乱すという偉業。俺の中ではもはや、ステラという少女は歴史に名を刻む偉人にすら匹敵する存在と化していた。


(もしやステラは、キーランに対する特効薬になるのではないだろうか?)


 ステラの変態性を見れば、キーランは奇行に走る暇がなくなる。そしてそんなステラがここまでの変態と化すのは『氷の魔女』に対してであって、俺に対してではない──


(成る程、勝ったな)


 彼女を勧誘する理由がまた一つ増えてしまった。是が非でも彼女を勧誘するとしよう。


「氷の魔女、この小娘をどうにかしろ。このような汚れた存在をジル様の視界に入れるなど、あってはならない」

「私には不可能。何をしても、その子を喜ばせるだけに終わる。一度頭以外を凍結させた事もあったが、その際も彼女はだらしない顔を晒してよだれを垂らしていた」

「無敵か?」

「無敵」

「そうか……」

「そう」


 そこまで言って、『氷の魔女』は俺の方へと視線を向けて来た。向けて来て、彼女は首をこてんと傾げる。


「誰?」

「氷の魔女。まさか、ジル様を知らないとでも言うつもりか?」

「知らない」

「貴様───」

「良い、キーラン。此度は我々が乞う身だ。ならば多少の無礼は許してやるのが度量というもの」

「はっ!」


 俺がそういさめると、キーランはそのまま何も言わずにステラから全力で顔を逸らす。


 足を震えさせて額から汗を垂らしているが、しかし俺はどうもしないしするつもりもない。もっと変態を味わえ。


(さて)


 『氷の魔女』の性格は分かりにくいようで分かりやすい。一時期サブカル界で大人気を博した「無表情系ヒロイン」のようなものとでも言えばいいか。こういう手合いには、素直に言葉をぶつけるのが一番である。そう軽く思考をまとめて、俺は言葉を紡いだ。

 

「お初にお目にかかる、『氷の魔女』殿」

「うん。初めまして」

「私の名はジル」

「私の名前はクロエ」

「そこな小娘……ステラの紹介により、『氷の魔女』殿の弟子に──」

「おそらく、ステラはあなたより年上」

「……そこな女、ステラの紹介により『氷の魔──」

「私の名前はクロエ」

「……クロエ殿の」

「分かった」


 まずい会話のペースを全く掴める気がしない。


 アニメでは淡々とした無表情なキャラだったのに、どういうことだこれは。


(何故だ……『氷の魔女』もといクロエはここまで積極的な性格だったか……? もしや、マイペース……?)


 いや、そんな筈はない。


 クロエは第二部以降でも出番が多くあったが、しかしマイペースな気質なんて一切見せていなかった。基本的に相手の言葉を全て聞き終えてから、ゆっくりと自分の言葉を語る性格だったはず。場合によっちゃ何も語らずに出番が終わることすらあった少女だぞ。


 だというのに、目の前の彼女はどういうことだ? 何故、俺の言葉を遮るように、食い入るように言葉を発している……? おかしい。自己主張が強すぎる。何故だ……と俺がそんな風に思考していると。


「……」


 クロエがフワフワと俺の目の前まで来て、その碧眼でじっとこちらを見つめてくる。その表情に一切の変化はなく、まるで氷のようで。


 こちらを呑み込んできそうな美しい碧眼が、ただただ俺を見下ろしているという不思議すぎる状況。


 なんだ、なんなんだ……まさか、俺のこの姿が偽りだと見抜いて──


「かわいい」


 待って。


「『氷の魔女』貴様、ジル様をかわいいなどと───」

「私は事実を述べたまで。この子は私が大切に育てる。あなたは帰っていい」

「貴様……」

「問題ない。不肖の弟子は破門にする」

「師匠!?」

「……一考の余地はあるか」

「キーランくんもそれなら良いの!?」


 クロエとキーラン達のコントを横目に、俺は高速で目の前で行なわれた会話から『氷の魔女』の有する性質を分析。ジルの優秀すぎる頭脳と、本来の俺が持つサブカル知識。これらを駆使すれば、大抵の人間の属性は見抜けてしまうのだ。


 即ち──『氷の魔女』は、ショタコンであると。


 待て、本当に待て。クロエにショタコン属性があるなんて聞いていない。何故俺は若返りの薬なんて飲んでしまったんだ。想定外もいいところだぞ。くそ……どうするべきだ、と思考を巡らせて──


(いや、問題ないのか?)


 むしろ好都合では? と思い直す。

 クロエが本当にショタコンなら、ショタの要求は大抵呑んでしまうのでは無いだろうか。


(禁術の閲覧はもちろん、もしかすると穏便な方法での『神の力』の入手も可能なのでは……?)


 最悪の場合ショタになった俺による全力のショタムーブという精神的に死にかねない黒歴史を刻む事になるかもしれないがしかし、それで神々に対抗する力を得られるならやる価値は……ある。


 想定外の事態には陥ったが、しかしそれが良い方向に転がるなら問題ない。ショタが死ぬほど嫌いという場合は絶望的な展開になる所だったが、ショタが死ぬほど好きという場合には問題なんて存在しない。


 それにショタコンとはいえ、キーランやステラのような変態性は見受けられない。ならば俺の胃にも悪くない。


 高速で今後の道筋を修正した俺は、ジルのキャラを崩壊させない程度に微笑んだ。


「よろしく頼む。師匠」

「任せて。あなたには特級魔術を完璧に仕込んでみせる」


 でもその前に、と彼女は続ける。


「今晩は食事を作ってくれる使用人が不在。そして私も不肖の弟子も、料理は出来ない。ジルとそこのあなた、どちらでも良い。料理というものは……出来る?」


 ◆◆◆


 森の中を少女が駆ける。


 少女は、とある偉大な女性の使用人のような立場だ。


 そんな彼女は「今日は体調が悪くなったので夕食には間に合いません」と主人に伝え──主人は料理をするくらいなら魔術の研究に没頭する事を思い出し、慌てて屋敷に向かっているという状況である。


(急がないと急がないと急がないと───!)


 少女にとって、敬愛する主人の体調管理は大事なものだ。それこそ、自分の体調が優れない事なんかよりずっと。


 食事や睡眠を無視して魔術の研究に没頭すれば人間は死んでしまう。そんな恐ろしく、そして衝撃的な情報がこの国を揺るがしたのは、今となってはもう数百年も前の話。


『恐ろしい事実が明かされました。なんと魔術師は───食事と睡眠をせずに魔道に励むと、死んでしまうのです』


 大賢者アタ・マオカシーンが発見したその新事実に、当時の魔術大国の誰もが未知への恐怖に錯乱し、また涙を流したという。


 あわや恐慌状態に陥った国民による隣国への魔術爆撃が始まるかと思われたが、続けられたアタ・マオカシーンの言葉によって世界は救われる事となる。


『しかし、これを解決する方法も見つかりました。なんと魔術師は───食事と睡眠を適時とりながら魔道に励めば、死なないのです』


 国中の誰もが、彼を天才だと讃えた。魔術師全てを悩ませる迷宮入り大事件の原因を突き止めたばかりか、その解決方法までも提示する大偉業。


 その偉業をもって、アタ・マオカシーンは大賢者としてこの国の歴史に名を残した。


 なお国がその情報を他国にも伝えたところ、どこの国も「バカにしてんのか」という返答をよこしたという。魔術師の生死に関わる情報を信じないなど愚かな連中だ、とは当時の国民の総意であり、少女も全くもって同意見だった。

 

(主の為にも、急がないと!)


 幸いにして、薬を飲んで少し横になったら体調は良くなった。あんな意味の分からない者を目撃しなければこんな事には、とあの頭のおかしい人間に腹が立って仕方がない。


 そして森の中を暫く走っていると、見慣れた屋敷が目に入った。彼女は門をこじ開け、勢いそのままに扉を開く。玄関を抜けて、その先の部屋へと足を踏み入れて──


「すいませんクロエ様! これより夕餉ゆうげの準備をさせていただきたく──」


 踏み入れて。


「わー! キーランくんのご飯おいしいねー! エミリーとは別の意味で! キーランくんのはなんだろう、高級食って感じ!」

「貴様小娘……! オレがジル様の為に作り上げた食事をどれほど食らうつもりだ……! 後、食事中は静かにしろよ小娘……! その口を永久に閉ざされたいか……!」


「……あーん」

「やめろ。私は自分で食べられる」

「……弟子は師匠から様々なものを学ぶべき。食事の仕方も、学ぶべきものの一つ」

「だからそれは既に習得済───」


「貴様『氷の魔女』! ジル様のお口に食事をお入れする栄誉を有しているのは! このオレだけだ……! ですよね、ジル様。私だけですよね?」

「そのような栄誉とやらを与えた記憶はない」

「私は彼の師匠。師匠こそが、あーんをするに相応しい」

「そのような話は聞いたこともない」

「貴様……! 信仰を持たぬものがそのような……!」

「信仰の有無は関係ない」

「その通り。必要なのは師弟愛」

「師弟愛とやらも同様に関係ない」

「信仰だ!」

「師弟愛」

「貴様らは私の話を聞く気があるのか?」


「あ、来た来た。入りなよエミリー!」

「え、あ……ええと、はい」


 踏み入れて、思ってもみなかった状況に目を回していた。


 ◆◆◆


 慌てた様子で部屋に入ってきた少女。


 特徴は茶髪にポニーテール。外見年齢は今の俺とそう変わらないエミリーと呼ばれたその少女は───間違いなく、ベンチで休んでいた俺に話しかけてきた少女であった。


「使用人のエミリー」

「そっちの子は初めまして……じゃないけど、よろしくお願いします」


 ステラが変な様子になって逃げだしたのに納得した。知り合いにあんな人面魚を被っている頭のおかしい奴と思われたら、死にたくなるに違いな──いや、普通に魔術狂いの変態だから問題なくね?


(俺には違いがサッパリ分からん……)


 魔術狂いの変態は問題ないが、人面魚を被る変態は問題あり。その基準は、いったいどこで設けられているのか。同様にして神を信仰する変態は問題ないが、魔術狂いの変態は問題ありのキーランも俺からしたらよく分からない。


(それにしても……)


 エミリーが体調を崩したのは、完全に仕方がない。どう考えても、エミリーはステラのアレで体調を崩したのだろうから。


「二人は、その……この国出身の魔術師じゃない……ですよね?」


 テーブルの中央にある豚の丸焼きをナイフで小さく切り分けながら、エミリーは確認するかのように尋ねてくる。別に隠すような情報でもないので、特に考える事なく俺は頷いた。


「てことは……この料理の品々は……二人が?」

「正確にはキーランくんが、だよ」

「えっと、料理は普段なされるんですか?」

「ジル様の為だ、当然だろう。何を当たり前のことを聞いている。ジル様は全てにおいて優先される。ならば料理を作るのは、従者として当然の務め」

 

 そうキーランが答えると、エミリーは呆然とした様子で。


「えっ、天才?」


 お前は何を言っているんだ。


「え、凄い! ご飯を食べないと死んじゃうことに気付くだなんて天才! 天才だよ……!! こんな天才がいるなんて、私ちょっと信じられない……! 本当に凄い! ちゃんとご飯を作って食べるなんて、誰にでも出来る事じゃないんだよ? それを当たり前のようにこなして、しかもそれを自慢しようともしない。あなた達は間違いなく、立派な人になる。いえ、それどころか歴史に名を残すかもしれない……私、そう思う」


 異性から褒められてイラっとしたのは、生まれて初めてだった。


(バカにしてんのか……いや、もしかしなくてもこいつも頭がおかしいのでは───)


 表情は変えず、されど俺は内心で絶望していた。

 ……ヘクター。ヘクターはどこだ。どこにいるんだ俺のヘクター。なあヘクター。助けてくれ。


「ところで二人は、何しにここに───」

「───弟子になった。キーランじゃなくて、ジルの方が」


 ピシリ、という音が聞こえた。気がした。少なくとも俺には。

 その音の発生地であるエミリーはギギギとびついた人形のような動作で首を動かし、クロエの方へと顔を向ける。


「……今、なんと?」

「だから、ジルは私の弟子」

「……」

「……?」

「…………ません」

「ん?」

「……めません」

「エミリー?」

「認めません!!」


 両の手で机を叩きながら、身を乗り出すかのようにエミリーはそう叫んだ。

 残るのは呆気あっけにとられたような顔をしているステラと、表情は一切変えていない俺とクロエ。そして、眼を光らせ始めたキーラン。

 それらを無視して、殺気立ったエミリーは指を突きつけてくると。


「こんな小さい他国の子がクロエ様の弟子だなんて、私は認めません!!」


 ◆◆◆


 ───同時刻、教会。


「お兄様が食事中に、殺気立った子犬みたいな女の子に指を差されたわ。可愛らしいわね。勇ましい小動物って」

「……私も、小動物のようになるべき……?」

「ソフィア。あなた最近何かおかしいわよ」

「殺気立った様子で……神に……指差し?」

「……教皇……」

「……………………」

「いやいや待ちなさい。お兄様何も言ってないでしょ」

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