教会勢力 VII 神に最も近い少女 後編

 視線の先で突然大地が爆発し、爆風が俺の髪をいだ。……否、突然の爆発ではない。ジルの有する常人ならざる動体視力は、確かにそれを捉えていた。


 即ち、何者かが上空から落下し、着地したその瞬間を。


「あら」


 やがて視界を覆う砂塵さじんが晴れ、一人の幼い少女が現れる。


 その少女の蒼い瞳に光はなく、病人のように白い肌もあいまってまるで死人のようで……しかし身を刺すような絶対的な存在感が、彼女が死人であるという可能性を完全に否定させていた。


 ──なんだ、アレは。


「今代はかなり見込みのある熾天もいるのね」


 教会最高戦力とされている熾天どころではない。


 熾天も確かに、人間を超越した神聖さを纏っていた。


 だが目の前の幼い見た目の少女はまさしく──存在としての格が、根本から違っている。


「……っ!!」

「うーん。でも才能自体はかなりのものだけど、現時点の実力ではさっきの二人には及ばないみたい」


 そう言って笑う少女の言葉に、恐らく表情を歪めたであろうソフィア。その顔色は悪く、身体も震えているようで……白銀の鎧から音が鳴っていた。


「まあ、今回はあなたなんてどうでも良いわ。それより、分かるわよね? だって私の目的は、あなたのすぐ近くにいるんだもの。私は目が見えないけれど、確かにそこに感じる」

「……さあ? 何のことでしょうか。私には分かりかねますね、グレイシー」

「名前で呼ばれたのは久しぶりだわ。色んな意味でとても見込みあるわよ……あなた。これが今じゃなかったら、あなたの相手をしても良かったのに」

「あなたのような危険人物に見込まれるだなんて──光栄ですね」


 瞬間、ソフィアの身体が閃光と化す。


 人間でいうところの、一瞬という概念でさえ生ぬるい速度。大陸有数の強者であるキーランですら目視不可能な領域に至った彼女は、その手に持つ槍を標的に突き刺ささんと幼い少女の懐に入り、


「あなた、勘が良いようね」


 そして次の瞬間、ソフィアの身体が一転して後方へと吹き飛ばされる──否、身に迫る『何か』を回避すべく自ら吹き飛んでいた。


 猫のように身をひるがえしながら俺の眼前へと着地した彼女は、その後ぐらりと身体をよろめかせる。


「くっ」

「やっぱり、良い才能を持ってる。ふふ、何かきっかけさえあれば、面白いことになりそうね。有望だわ」

「……っ」


 右手の人差し指を唇にわせ、舌で舐めるグレイシー。


 苦悶の表情を浮かべ、自分が神をなんとしてでも守護しなければ、と心の中で叫ぶソフィア。


「……」


 ……明らかにソフィアを上回る実力を有するその姿を見て、俺の中から物理的に少女を排除するという考えは消え去った。


 目の前の少女の存在は、あまりに危険すぎる。


 超人たるジルの視力が捉えた、ソフィアに放たれようとしていたグレイシーとやらの一撃。あれは、アニメで神々が用いていた攻撃の片鱗へんりんに酷似している。しすぎている。


 彼女には片鱗しか扱えないのか。それともあえて片鱗しか出さなかったのか。……彼女の存在感から察するに、おそらく後者。だとすると『権能』の有無は別にして、神々にさえ匹敵する出力や戦闘力を有している可能性がある。


 それはつまり、ジルを虐殺可能な実力者ということだ。


「……」


 ソフィアとしては、俺が神の肉体で降臨していれば少女に殺されるなどと夢にも思わなかっただろう。それくらいに、彼女からジルへと向けられる信仰心は強い。


 だが今の俺は、ただの人間の肉体でしかない。


 如何に神が憑依しているとはいえ人間の体──それも、現時点では熾天にすら劣る俺では、あの少女に殺されるかもしれないと考えるのは当然の理屈だ。


 実際問題俺は神の力の一端を有する人間でしかないので、その戦力分析は正しい。グレイシーと本気でぶつかり合えば、最終的に死ぬのは間違いなく俺の方だろう。


「……」


 教会が有する『天の術式』は僅かとはいえ知れた。心許ないといえば心許ないが、しかし贅沢ぜいたくを言って死んでしまっては元も子もない。俺の目的は、あくまでも生存であることを忘れてはならない。


 何より、原作であんな少女は見たことがない。そんな存在を相手に、軽はずみな行動なんて馬鹿げている。


 しかし、見覚えがない実力者か。もしや、俺が可能性の一端として危険視していたオリ主という線も……?


(いや、オリ主であるかなんてどうでもいい。そんなものは向こうが自ら「俺が最強系オリ主だ」とか宣言でもしない限り、判断する方法がこちらにはないのだから)


 そもそもオリ主であろうとなかろうと、現時点における俺にとって格上の存在であることは火を見るより明らかであり、ならばこの先すべきことは決まっている。


 即ちソフィアを見捨て、キーランとヘクターを回収してとっとと教会から立ち去るという選択。


(……いや、しかしジルが真っ先に逃亡を図るというのはキャラ崩壊に繋がるんじゃないか?)


 そういうことを言っている場合ではないかもしれないが、しかし……ジルにとって逃亡は死に等しい。ないとは思うが、しかし万が一いぶかしんだソフィアや他の教会の連中まで俺の敵に回るのは現時点では困る。


(俺の敗北条件は死だ。そこに死の可能性があるならば、なるべく回避しなければ)


 とすると俺が取るべき行動はこの場を如何いかに口八丁で収めるかに焦点を当てるべき──しかし、ソフィアが攻撃をした時点で、その手段は望み薄な気が……。


 いや仮にソフィアが攻撃していなくても、グレイシーという少女相手では難しい。何故なら俺は、あの少女を構成しているパーソナリティに関して、一切把握していないからだ。


 これが俺のよく知る原作キャラ相手であれば、舌戦に持ち込んで穏便おんびんかつ俺の威厳いげんを落とさない方向で場を収める自信はあった。


 格付けとは何も、武力だけで決するものではない。神々のように絶対に戦闘が避けられない──もとい避ける気がない──ことが明白な連中相手ならともかく、それ以外であれば極端な話、口喧嘩で勝てば良いのだ。


(まあ無様な姿を晒しての戦闘回避は敗北だから、常に頭を使う必要はあるが)


 だが、目の前の少女にはそれが通用しない。


 行動原理。正確な戦闘力。心理状況。過去。価値観。それらに関して、俺は何も知らないのだ。


 教会勢力だから神を名乗れば解決する? バカを言うな。それで解決するのであれば、ソフィアが真っ先に少女を排除しようと行動を起こしたりしない。


 ソフィアが少女に対して「神に向かって何事か」とか言わない時点でお察しだ。

 

 どうする? と、俺は再度思考を巡らせた。


 少女の目的はおそらく俺。それも、言葉の端々から感じ取れる戦闘狂に近い気質からして、目的は俺との戦闘。


 少女は「目が見えない」などと口にしていた。盲目の可能性……目が見えないのに俺の存在を把握しているとなると、『神の力』の純度でのみ俺の戦闘力を憶測し、標的認定でもしたのかもしれない。


 俺よりも強いソフィアには「才能がある」程度で済ませて、俺に関しては標的と認識していると仮定するならば、この少女は他者の実力を、『神の力』の純度で測っているとしか思えない。


(くそ、仮に戦闘そのものが目的だとしたら詰みに近い。どうやって穏便な状況に持って行けば良いんだ)


 この状況下で教皇や他の熾天が現れないのも気になる……いや、待て。さっきグレイシーの言っていた「二人」とはまさか熾天の二人か? ならば、既にやられている? 教皇や熾天を叩き潰してでも、俺と戦う気があってこの場に立っていると? 


 それだけの価値を、奴は俺に見出してしまっている?


(……先ほど身につけた神代の魔術を不意打ちで放つか?)


 ソフィア曰く、神代の魔術の単純な威力は熾天を上回ってるらしいので、現時点でも効果はあるだろうが……不意打ちが通るのか? 相手は格上だぞ? 


 不意打ちが通ってそのまま押し切れるならともかく、そうでないなら悪手としか思えない。挑発行為あるいは先制攻撃と受けとられ、そのまま戦争の開幕だろう。


 そもそも現時点のソフィアの実力はおそらく原作登場時より低いだろうに、その彼女の基準で俺の神代の魔術の威力を推定して大丈夫なのか? 原作登場時のソフィアと同程度の威力の可能性だってあるんだぞ?


 考えて考えて考えて。


 必死に考えて、俺は──


『……逃げて下さい、神』


 ──俺は。


『ここは私が、必ず抑えてみせます』


 ────。


「参ります」


 再び、ソフィアが閃光と化した。


 相対する少女は「ふぅん。まあ、これはこれでありかしら?」と呟くと笑みを深めて、力をほんの少しだけ解放する。


 轟音が響いた。


 少女を中心に世界が震撼し、ソフィアの肉体が宙を舞う。


「くっ──」

「私としても、あなた相手なら遊んでも構わないわ。だって……ある程度なら、私の力を魅せることができるでしょう?」


 そう言って、少女は一瞬だけ俺の方へと意識を向けて、再びソフィアの方へと意識を戻す。空中で態勢を整えたソフィアと、悠然と微笑む幼い少女。


(……俺に実力を示すことで、俺を戦闘の座に引っ張り上げようという魂胆か)


 少女からしてみれば、神である俺は少女より強い存在という認識なのだろう。だからこそ、自分の価値を前面に出すことで、俺という絶対者をその気にさせるのが目的。


(……ふん)


 緊張した面持ちを浮かべた様子の、ソフィアをなんとなく眺める。


「……」


 彼女の心の声は、今でも俺の安全を守ろうとする意思で満たされている。それ以外の思考は不要だと言わんばかりに、彼女は俺を守ろうとしていた。


(俺の目的は、生き残ることだ……)


 そのために適切な行動はなんだ? 考えろ。


 異世界転移などという非現実的な事態におちいって。本当の意味での味方は一人も存在せず、しかも何もしなければ死ぬという最悪の状況だぞ?


 そんな状況で生き残るための選択肢を、俺は選ばなければならない。


 一度のミスも許されない。

 だから俺は、真剣に考えて考えて──。


 俺は──。






「……」

「えっ……」


 宙から落下しそうになったソフィアを抱きとめ、ゆっくりと地面に下ろす。


 呆然ぼうぜんとした様子のソフィアに内心で軽く笑い──表向きは無表情のままだが──俺は彼女に回復魔術をかけてやった。


「……中々に、面白いものを見せてもらったぞ」

「ふふ、お気に召してくれた?」


 あなたには言っておりません、と心の中で口にする。そうして俺はソフィアの前に躍り出て、両の手にポケットを突っ込みながら悠然と君臨した。


「貴様は、この私の内にある暗雲を晴らした。ならば次は、私の番であろうよ。──大陸の王にして神たる私が示す威を、貴様には示してやろう」

「……!」

「ふふふ」


 そして俺が内心でとある言葉を呟いた瞬間──俺を中心に、世界が切り替わる。


「か、神……それは」


 俺の『固有能力』発動を察知したソフィアが動揺し、少女の方は愉快だと言わんばかりに笑みを深めた。それらを横目に、俺は冷笑を浮かべて。


「……くく。この私に、わざわざ言の葉を使わせるか。随分ずいぶんと強欲よな」


 ジルのキャラ像を考えると察して欲しかったが──まあ、仕方ない。ソフィアからすれば、俺のこの選択肢は違っていて欲しいものだろうから。


 まあ別に、直接言葉にしても構わないだろう。ジルの威厳を保ちながらでも、やれる方法は見出したのだから。


「だが許す。貴様はそれだけの価値を、私に示した。末代まで誇るが良い。この私が、言の葉を使うに値するだけの価値を示したことをな」


 そう。


 俺には、一度のミスも許されない。


 だから俺は、真剣に考えて考えて。







 ──ソフィアの横に並んで、幼い少女と対峙すると決めたのだ。


「……確かにこの身は只の人間でしかない。神の肉体を有していた時代と比較すれば、今の私の実力は格段に落ちるだろう。それこそ、貴様らにも劣る始末だ」


 決して、ソフィアに対して情が湧いた訳ではない。単純に考えて、ソフィアと手を組むのが最も勝算が高いというだけの話だ。


 決して、心の底から命を懸けてでも俺を守ろうとしてくれたソフィアに、気を許した訳ではない。ジルのキャラ像を考えて、特に失態を犯したわけでもない少女を、見捨てるのはどうなのだろうかと思っただけだ。


 ……だから決して、嬉しいなどと思ってはいない。これは、どこまで行っても俺のエゴなのだから。


「だが見くびるなよ。私は決して、目の前で切り捨てなどせん」

「────」


 それに、だ。仮に威厳が落ちないことを祈って外まで逃げたとしよう。その逃げた先まで、あの少女が追ってくるのなら意味がないじゃないか。


 俺一人で目の前の少女の相手をするより、ソフィアと協力して相手をした方が勝利の可能性が高いなんてのはバカでも分かる。ならばここで少女を叩くのが、俺の生存戦略としては最も合理的なのだ。


 ……そして何より、あの少女はちょうどいい試金石じゃないか?


(そもそも俺は、いずれ邪神や神々を相手にするのに──ここでビビってどうする?)

 

 こんなのは強がりでしかない。そんなことは分かっている。


 しかし、俺は神々に下剋上する男だ。その男が、ここで逃走を選んで、この先やっていけるのか?


 もちろん原作ジルの最終決戦時の実力にも至っていない俺では、前提条件からして時期尚早も尚早というのは分かっているが……やるしかない。


 ここに来て、俺は初めてポーカーフェイスを崩し──見る者全てに、安心感すら抱かせるであろう笑みを浮かべた。


 強がりだと、言いたければ言うがいい。余人が嘲笑あざわらうであろうその強がりで俺は蛮勇ばんゆうを──勇敢へと転じさせてみせよう。


「────」


 俺の笑みを見た、ソフィアの瞳に活気が宿る。


「──はい! !」


 先ほどまで震えていた彼女は、今は槍を構えて笑っていた。


 今ここに、俺と彼女の心は一致したのだ。


 俺は彼女の心を読めるので、コンビネーションは悪く無いはず。即席コンビとしては、かなりの実力を発揮できるだろう。


「本当に、最高ね……」


 うっとりとした様子で、少女はこちらと向かい合っていた。今の言葉の何が彼女の琴線きんせんに触れたのかは分からないが、そんなことに思考を回す必要はない。


 重要なのは、ここからどう戦術を組み立てるかだ。幸いにして、コンビネーションが悪くはないという意味で、活路は見えたのだから。


「なら次は……」


 活路が見えたことで、心にゆとりも生まれた。今の俺は、この世界に転移してきてから一番良いコンディションに違いない。


(……ん? いや、待て。おかしくないか?)


 そして心にゆとりが見えたことで、先ほどまで見えていなかったものが見え始める。


 突如として、俺の脳裏に浮かんだ疑問。


 それは、


「……」


 それは口を一向に開かず、行動を起こそうともしていないキーランの存在だった。


 冷静に考えると……狂信者筆頭のキーランならば、俺に対する脅威と判定したら、真っ先に少女に対して『加護』を用いた即死攻撃を放ちそうなものなのに。


 それが通じるかどうかは別として、一切行動に移していないのはおかしい。これまでのキーランの行動と、一致していない。矛盾が生じている。


(……?)


 とてつもない違和感が、俺を襲っていた。

 

(……なんだ?)


 ゆっくりと、俺はキーランへと視線を向ける。そしてそのキーランは、不思議そうな顔でソフィアを見ていた。


「……何をしている、小娘?」

「下がっていて下さい。彼女は私とジル様が──」

「下がる? 何故だ?」

「……何故だも何も、分からないのですか? 目の前にいる少女の存在が」

「ああ、美しい少女が一人いるな」

「……でしたら──」

「──ところでジル様。あの少女はジル様のご息女か何かでしょうか?」


 は?


「は?」

「お前には聞いていないぞ、小娘」

「え……いや、何を……え、は?」

「……まさかここまで愚鈍とはな。『熾天』とは愚者の集まりなのか? 程度が知れるぞ、小娘」


 やれやれ、と呆れた様子でキーランは嘆息する。その様子は、この場においてもはや異常でしかない。


 いや本気で待て。なんだ、何を言っている。何を言おうとしている。お前には何が見えているんだ。


「あの少女から溢れる神聖さは、ジル様のそれと酷似している。加えて、彼女の放つ雰囲気。ジル様に信仰を抱いているオレには分かる。アレは、親族を相手に放つ雰囲気だ」

「え、は、え?」

「仮に彼女が何者かに向けて殺意のみを放っていようと、オレの目は誤魔化せんだろう。それ程までに分かりやすいというのに、貴様の目は節穴か? かの少女は間違いなく、ジル様に連なる存在──ですよね、ジル様」


 いや、何を言ってるんだお前。


 いや確かにジルにも親族はいるかもしれないが、教会勢力は完全に外界と隔絶した勢力だぞ。そんな存在と、俺に血の繋がりがある訳がない。


 いやまあめちゃくちゃ昔にまで遡ったら先祖が一致しているとか、そういうことはもしかするとあるかもしれないが、それがなんなんだ。


 それはもう、人類皆家族理論でしかない。母なる海から生まれたから家族だよなんて意見、考慮するに値しない。そして少なくとも、娘なんてのは絶対にあり得ない。

 

 少しは状況を見ろ。あの少女の武力的脅威が分からんのか? 一瞬でも気を抜けば殺されるんだぞ? そんな世迷言を口にするような状況じゃないだろうが。


(まさかここまで、キーランの頭がおかしいとは思ってもみなかった)


 そんな風に脳内でキーランを袋叩きにしていると、何故か俺たちの隙を突いて動かなかった少女が口を開く。


「……ねえ」


 その声音に戦意は一切感じられず、それを感じ取ったソフィアはどこか困惑しているようだった。それは俺も同様であり、内心で眉をひそめる。


 ……なんだ、何が起きている。ソフィアが先手で攻撃したというのに、こんな状況だというのに、あの少女は本当に戦意がない、のか……? 


「貴方は……私のお爺様になるのかしら? ね、ねえ。良かったら教えてくださらない?」

「……」

「……」


 なんだ、これは。


「フム。外見年齢を考慮し……お兄様とお呼びするのが形としては合うかと」

「そ、そう? 分かったわ。ええと……」

「キーランと申します。ジル様の臣下にして、ジル様の素晴らしさを伝導する役目を担う者です」

「そう、キーラン。覚えたわ」

「私にはもったいないお言葉です」


 膝を突き、頭を深く下げるキーラン。それに対して、神の血を引くに相応しいカリスマ性を発揮しながら頷く少女。


 どういう状況だ、これは。


「ど、どういうことですかキーラン殿」

「まだ分からんのか? 先ほどから言っているだろう──グレイシー様こそ、神たるジル様の妹様であると」


 お前は何を言っているんだ。


「何故お前は槍を構えているんだ。本気で意味が分からんぞ」

「さ、先ほどまで明らかに戦闘に入る所だったはずでしょう! 私達は共にグレイシーを相手に神話の戦いを繰り広げる寸前だったのです! わ、私とジル様の心は完全に一致していました! 私には分かります! 私とジル様の心は一つになっていたんです! 今なら、今なら私の戦闘力は三倍くらいになってるはずです!」

「……いやしい女め。やはり頭の中はピンク色だったか」

「い、いやし……っ!?」

「貴様の脳内フィルターではどのように映っていたのか知らんがな、貴様の言葉は全て思い込みでしかない。貴様はジル様の意図を何一つ汲み取れていないのだ」


 呆れたような声音で、キーランは続ける。


「大方先ほどのジル様の言葉が自分に向けられていると思っていたのだろう。まあ、気持ちは分からんでもない。何せ、神たるジル様のお口から紡がれる親愛の込められたお言葉なのだから。自分に向けて頂ければと不遜にも妄想するのは必定だろう」

「な、なにを……」

「まだ分からんのか? ジル様のお言葉はお前に向けられたのではない。妹様に向けられていたのだ」


 違う。全く違う。


「神より劣る肉体というご謙遜けんそんなされたお言葉は、妹様の胸に僅かにあった『この方は本当にご先祖様なのか?』という不安を払拭させる為の言葉だ」


 お前は何を言っているんだ。


 そんな言葉、俺は勿論グレイシーとかいう少女にとっても意味不明すぎるだろうが。場を引っ掻き回すんじゃない。


 俺はキーランの言葉を訂正すべく、口を開こうとして。


「ええ。お兄様のお言葉のおかげで、私の胸の不安が消え去ったわ。なんで人間の肉体なのかは、分からないけども。お兄様の言う通り、私の暗雲を晴らしてくれた」


 なんで正解してるんだ。


「切り捨てはしない。これもまた、妹様に向けられたお言葉だ。おそらく崇高すうこうすぎるお力を有していた妹様は教会の愚か者達によって恐れられ、封印されていた。だが、親族であるジル様が、妹様の偉大なる力に恐れるなどあり得ない。故に、ジル様は彼女を受け入れるという意味を込めて、このお言葉を口になさったのだ」

「私……嬉しかったわ……受け入れられたのは、その、初めてだから……」


 だからなんで正解しているんだ。


 いやそもそも、封印ってなんだ。どうしてそんな推測に至ったんだ。そしてなんでその推測が正しいんだ。


 キーランの心の声で推測が成り立った経緯を探ろうにも、己の推理が正しいという謎の自信に溢れていることしか分からない。


(……これは、まさか)


 異端審問の時「ジル様は神である」という主張のみを一辺倒に信じこみ、理論展開していた時と同じだ。こいつ、己の中で定まった結論──ジルと少女が親族である──が正しいという前提の元に状況を推理して、理由付けしてやがる……。


「分かったか小娘。お前は一人で勝手に盛り上がっていた道化でしかない。この舞台はジル様と妹様の感動の逢瀬であり、お前は脇役以下だ。背景だ。路傍の石だ。いや己の役割を理解し、それに徹する路傍の石の方が信仰心があると言えるだろう。何故背景が自己主張をしている。図が高いにもほどがある。分かったなら、その槍を収めろ。妹様に槍を向けるなど、いつからお前はそこまで偉くなった? お前がやるべきはジル様と妹様に首を垂れて信仰を捧げる事だろう。……お前のせいで私までもが背景に徹しきれていない。分かるか? この状況における我々がどれ程の不敬なのか、お前は分かっているのか? 理解したならば早く跪け。お前は何様のつもりなんだ」

「…………」


 捨てられた子犬のような瞳を、ソフィアが俺に向けてきた。


「……」


 状況は一応、理解出来た。


 キーランは俺とグレイシーとかいう少女に繋がりを感じ取り、グレイシーを神に連なる存在であると断定。


 そこから逆算して、推理をした。


 そして偶然にも、グレイシー視点でもキーランの言葉は全て正しいものであり、それが余計にソフィアを孤立させた。


 ……成る程。確かに、少女の体を巡る力は俺が取り込んだ『神の力』に限りなく近い。純度が非常に高いと言えばいいのか。これは確かに、似ているといえば似ている。


 そういう勘違いをしてしまうことも、あるのかもしれないな。


(……だとすれば力を見せつけてきたのも、子が親に自らの価値をアピールをするような感覚だったということか)


 認めよう。キーランの解釈は、グレイシーにとっては真実を示していたのだと。


 だがしかし、俺は違う。


 俺の視点では、キーランの解釈は正しくない。俺の視点では、ソフィアの解釈こそが真なのだ。


 グレイシーが俺の妹とか訳が分からないし、俺はソフィアと揺るぎない結束を固めていた。


 あの瞬間。確かに俺達は熾天だとか神だとかその他諸々を抜きにして、ひとつの脅威に立ち向かおうとしていたのだ。


 故に俺は、俺だけは、ソフィアの味方でいよう。そう決心した俺は、ソフィアを弁護するべく口を開いた。


「安心したわ。お兄様の言葉がその女に向けられた言葉だったら、会って早々兄妹喧嘩ってやつをするところだったもの」

「ふん。たわけたことを言うな。私が自らに連なる存在であるお前を、正しく認知出来ないはずがなかろう」

「!?」


 妹の味方をしない兄がこの世界に存在する訳ないだろいい加減にしろ。


「そ、そんな……」

「だから言っているだろう、小娘。お前は信仰心が───」


 決して、決してソフィアを見捨てた訳ではない。むしろ冷静に考えて欲しい。グレイシーが暴れればこの場の人間は全員死ぬのだ。


 それはつまり、ソフィアも死ぬということ。ソフィアの味方である俺が、彼女が死ぬような状況になることを回避しようとするのは当然のことだ。


 そう、俺は自らを偽ることで、ソフィアを救ったのだ。俺のこの高潔すぎる精神は、末代まで讃えられるに違いない。


(この場で兄妹喧嘩なんてしようものなら、確実に色々と恐ろしいことになる。物事の真実なんてどうでもいい。大事なのは、全員が無事かどうかであるからして)


 良い感じに場を収めることが出来たのだ、ならば俺から言うことは何もないだろう。俺が嘘をつくだけで皆が助かるなら、俺は喜んで嘘をつこう。博愛主義万歳だ。


 全て丸く収まった。


 いやあ本当に、良かった良かっ──


「……死にます」


 ──涙目で槍を自らの喉に向けたソフィアを、俺は全力で止める。


 そしてキーランは、後からやってきたヘクターによってしばき倒されていた。

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