第25話 ホワイトデー

 まあ、バレンタインデーとくればその一か月後にはホワイトデーが来るのが世の習わしだ。


 でも今年の僕はその時流に乗るつもりはなかった。さらさらなかった。


 だってさ、コンビニの二十円チョコ一つを、それもさもめんどくさそうに、しかもポイっと放るようにして僕によこしてきた相手に、何であろうとお返しをしようという気が起きるはずなんかないじゃないか。


 だのにどうやら姉はホワイトデーをやけに期待しているようなのだ。


「ねー、ゆーくん。三月十四日って何の日か知ってるよねえ」


 朝飯を食っていると向かい側に座っている姉がにこやかな顔で僕に語りかける。


「知らない」


 僕は納豆ご飯をかき込みながらぶっきらぼうに答えた。


「えっ? 知らないのっ」


 姉が真剣に意外そうな顔をする。


「知らない。と言うか、その日に関する情報はすべて僕の頭の中から消去されました」


「姉ちゃんが上書きしてやろうか?」


 心配そうな顔をする姉。


「結構です。あと、復旧もできません」


「なんで?」


 僕は姉の言葉が聞こえなかったように椅子から立ち上がり、食器を台所に下げる。そのままコートを着て、クリスマスに姉からもらったマフラーと姉とお揃いのブレスレットをつけて、かばんを持って家を出る。


「いってきます」


「……いってらっしゃい」


 残された姉はキツネにつままれたような顔をして僕を見送った。


 僕は不貞腐れた顔で自転車にまたがる。まだ時間は余裕なのに猛スピードで学校に向かって自転車を走らす。


 ホワイトデーだって? 絶対やらね。


 僕だって期待してたんだからな。




 寒々とした学校の廊下。授業が始まるぎりぎりの時間にトイレに行った僕は、理科準備室から一人歩いてくる少し小さなスクールボブが似合う女子が、正面からよたよたと歩いてくるのを見つけた。委員長だ。


「どうしたの」


「さっき先生に頼まれっ、って。よいしょっ」


 委員長は大量の印刷物を持たされ、しかもそれは彼女の腕の上で今にも崩落の危機を迎えている。僕はその束の三分の二を手に取る。


「あっ、いいよそんな」


「崩してバラバラになったら目も当てらんないじゃん、いいって。何でも一人やろうとするから押し付けられちゃうんだよ」


「……うん」


 彼女は赤面して静かに頷く。その後は誰もいない廊下にしばらく沈黙が流れる。


「ね、ホワイトデーはどうするの?」


 その話題のセレクトに僕は少しイラついた。


「別に」


「えっ」


「別に何もない」


「……」


 目を伏せ沈黙する彼女。


 そこでハッと僕は気づいた! 僕は彼女から本命チョコもらっていたんだ!


「あっ、あのさ、僕の方からはその、それなりのものになっちゃうけど、ちゃんと用意しますから……」


 な、なんで敬語になるんだ僕は。


「……う、うん、ありがと」


「ただその、そういうだけで、あの、だからって、えーと、うまく言えないけど、委員長の気持ちには応えられなくてごめん」


「ううん、いいの。わかってるから」


「えっ? って、何を?」


「ふふっ、きれいなお姉さんよね」


「えっ、えっえっ」


 まずい。バレンタインの時のセリフと言い今のセリフと言い、僕の一番知られたくない秘密を、委員長は確信するまでに至っているようだ。そう思うと僕は少し恐ろしくなった。教室の入り口前で僕は彼女に言う。


「まっ前にも言ったけどっ、べっ別に姉は姉ってだけでそれ以外には何にも……」


 僕は小さい声でささやいた。


「でも、好き、なんでしょう? 前に二回お見かけしたけれど全然仲のいいカップルにしか見えなかったから。君だって普通に彼氏な雰囲気だったし……」


 彼女は少し悲しそうにささやき返し、扉を開ける。


「好きっ? 好きって、そりゃ僕は好きっ、だって……」


 彼女の背後から少し大きくて少し裏返った声をあげた僕と委員長は、クラス全生徒の注目を浴びていた。


 静まり返った教室。固まる僕たち。僕の今のせりふはクラス中の全員に丸聞こえだったようだ。

 委員長は真っ赤になって、僕は真っ青になった。


 この日以来僕と委員長は公認カップルであると決定された。僕の必死の抗議や弁明はすべて却下され、誤認された事実だけが真実とされた。理不尽だ。あまりにも理不尽だ。


 委員長にとってはまんざらではない話だから、彼女はあまり真剣に抗議も弁明をしなかった。僕は委員長に恨みがましい視線を送ったが、彼女は少しはにかんだ苦笑いを見せるばかりだった。




「ねえ、一緒についていっていいかな?」


「は?」


 翌日の放課後、ホワイトデーの買い物にデパートへ行こうとしていた僕は、目ざとい委員長に呼び止められた。


「やだよ。なんで?」


「ホワイトデーの買い物に“彼女”がついていくのって自然なことでしょ?」


「……“彼女”じゃないし」


「ああ冷たい! 片想いで傷心のクラスメイトを慰めようって気持ちはないの?」


 僕という当人を目の前にして片想いとか言うか? しかもおかしい。どうして僕の周りの女性はこんなに押しが強いのばかりなんだ?


「じゃ、いいよ。わかった」


 僕は渋い顔をしてそう言うと先月のバレンタインの時にも行ったデパートの催事場に向かった。彼女は本当に僕の彼女であるかのように僕の隣をにこにこして歩く。周囲の視線が痛かった。そりゃこんな容姿端麗才色兼備ようしたんれいさいしょくけんびな女子とカレカノの関係になったと言うなら注目を浴びるのは当然と言えば当然か。僕は自分のこれからの学校生活を案じてそっと白い溜息を吐いた。


 僕としてはあまり気乗りがしなかったので、言葉少ない道のりだった。ほどなくしてホワイトデーの特設コーナーに着く。バレンタインの時よりは売り場が若干狭い気がするな。そして意外と女子もいる。


 彼女は興味津々と言った様子で売り場を眺めていた。チョコ、クッキー、マカロンといったお菓子類。ハンカチ、ポーチとかの日用雑貨。ペンやペンケース、付箋といった文具など。売り場は少し狭くとも、バレンタインの時に匹敵するバリエーションの豊富さだ。


 僕はこういったにぎやかな場所は苦手なんだけれど、これも傷心(ほんとか?)の委員長のためだ、やはり何かプレゼントしたい。でも何がいいかなあ。よくわからない僕は直接彼女に訊いてみた。


「ねえ、何か欲しいものってある?」


「ふふっ、そういうのは君に選んで欲しいなあ」


 ほんの少し照れくさそうに彼女は言う。


「そういうものなの?」


「そういうものなの。自分で選んだものを贈って欲しいの。あっでも金額は気にしないでね。安いので全然いいから」


「あ、うん」


 そこで僕はわざと委員長に見られないように四葉のクローバーの柄が入ったマグカップを買った。


 買い終わって彼女のところへ行く。


「僕もう帰るけど」


「あら、お姉さんの分は買わなかったの?」


 結局買うとこ見てたんかい。


「あ、ああ、いいんだあんなやつのは。コンビニの二十円チョコにするから」


「だめよ何言ってるの?」


「だからいいんだって」


「よくないって」


「いいんだよっ」


 僕が吐き捨てると彼女は心配そうな顔をした。


「もしかして喧嘩けんかしたの?」


 そう言われてギクッとした。喧嘩けんかというほどのものじゃないけれど、僕の中にある小さなしこりは一体何なんだろう。僕は委員長に包み隠さず話した。そんなに親しいわけじゃないけれど、不思議と彼女になら何でも話せる気がするんだ。


「ムキになったというか、意地を張ったというか、ということみたいね」


「そういうものなの、かな?」


 委員長はうんうんと何か色々考えている表情で頷いた。


「でもそれとこれは別。やっぱり何かプレゼントすべき」


「えーっ」


「そうすれば『バレンタインには二十円のサバカカオミソ味チョコしかあげなかったのに、こうしてホワイトデーには素敵な贈り物をくれるイケメンだったのね』って思ってくれるようになるから。たぶん」


「……『たぶん』、なんだ」


「い、いや、ほぼ間違いないとは思うけど……」


 まあいいか、彼女が言うように、少しは姉にいいところを見せておくのもいいかもしれない。ちょっと悔しいなとは感じながらも思いなおした僕は、姉へのプレゼントを委員長と一緒に見つくろった。




 そして翌々日の夜。夕食後、こたつに下半身を突っ込んで特別製の座椅子に座っていた姉が、右隣にいる僕の方を向いてなにやら早速ねだってきた。食い意地の張った奴め。


「ねえゆーくん? 今日は何の日か思い出せたかな?」


「あ、ああ、ホワイトデー」


「よかったよかった、ちゃんと復旧しましたね? 姉ちゃん、ゆーくんがこれ以上おばかになるんじゃないかと心配だったよー」


 大げさにほっと安心した表情を見せる姉と、そっけない表情でテレビを観てる僕。


「それでホワイトデーが何?」


「えっ、えっと、男の子から好きな女の子へのプレゼントの日?」


「ふうん」


 僕はずっとテレビの方を向いたままだ。


「あれっ?」


 拍子抜けした姉。


「えっと、あのお、ゆーくうん」


「ん?」


 つまんなさそうに姉の方を向く僕。


「あのお、それで姉ちゃんには何もないのかな? ホワイトデー」


「ああ」


 僕は思い出したようにポケットに手を突っ込むと、そこから何やら取り出す。期待に胸をふくらませた表情の姉。


「はいこれ」


 姉の前に置いたのは二十円チョコ、セミクジラパクチーしょっつる味だった。

 僕のポケットの中でこたつの熱を浴びてすっかりとろけたそれは、少し形がいびつになっている。


「…………」


 呆気に取られてる姉は、それでも恐る恐るそれを開封してぽいっと口の中に放り込んだ。一口噛むと顔をしかめる。


「まず……」


 なんだかやたらと寂しそうな顔になる姉。僕もさすがにこれはやりすぎたかな、と少し、ほんの少しだけ反省した。気まずい雰囲気のまま時間が過ぎていく。テレビだけはいつまでも陽気に笑い続けていた。


 そのあと姉が風呂まで移動するのをお互い無言で補助し、姉が風呂に入ったのを確認すると、僕は自分の部屋へ行き、それから急ぎながらも密かに姉の部屋へと忍び込んだ。


 風呂上がりの姉がおふくろに介助されて、僕の部屋の隣にある自室に戻って一分十七秒後、歓声が上がる。


「きゃー! かわいー!」


 姉が見つけたのは、僕が買ったカラフルな七色のビンに詰められた、やはりカラフルなバスソルトの入った紙袋だった。


 これ以降一週間、姉のバスライフはとても充実したものになったようだ。まあ、その後に入る僕もそうと言えばそうなんだけど……

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