第17話 夏に海は叶わずとも
ザリガニ釣りに行って姉が入院したその日の夜、僕と姉が収穫したザリガニを僕たち三人だけで茹でて食べた。三人とも無言だった。
姉が入院するといつもそうなる。もし姉がいなくなってしまえば、僕たち三人はこうして一つ屋根の下、ずっと無言で生きていくことになるのだろう。姉はうちで一番明るく、うちで一番やかましく、うちで一番皆を朗らかにしてくれる存在だった。皮肉なことに僕たち全員がその明るさやけたたましさに救われている。一番苦しんでいるのは誰あろう姉であったはずなのに。
その姉はわずか十日間の入院で済んだ。僕たちは色々な意味でほっとした。姉自身の体調が思ったより悪くなかったことにもほっとしたし、無言の生活から解放されたことにもほっとした。
だが姉の筋力の低下は思った以上で、これまで以上に厳しいリハビリを課されることとなる。
ここ二週間ほど猛暑日が続いていた。照り付ける太陽の自己主張が激しすぎる。そんな夏と言えば海、のはずだが、我が家ではそうもいかない。今の姉が海水浴などしたら一瞬で波にさらわれ海の藻屑になるのは目に見えているからだ。
そこで親父がビニールプールを購入してきた。姉一人分には大きすぎる。三人は余裕で入れそうだ。おまけにどうしたことか大きな噴水まで買ってきた。少し奮発しすぎだと思う。
僕が水を張って、しっかり水温を見てもう大丈夫、万全の状態となったところで、大声で姉を呼んだ。するとおふくろに介助されて両腕にロフストランドクラッチとかいう杖をついた姉がようやっとのことで縁側までやってくる。親父とおふくろに抱えられ、Tシャツと短パンをはいた姉はそろりそろりとプールに沈んでいく。「冷たーい」ときゃあきゃあ大騒ぎして喜ぶ姉。その姿を見た僕たちに笑みがこぼれる。
ところが、あろうことかその姉に親父はとんでもない凶器を与えてしまった。ポンプ式の大型水鉄砲である。その凶器をめったやたらと僕にだけぶっ放す姉。親父もおふくろも何の被害を被っていないが、僕だけ上から下までずぶぬれだ。さすがに腹が立った僕は、その物騒な得物を取り上げようとして姉ともみ合いになる。その拍子に僕は足を滑らせ盛大にプールに落ちた。
僕が起き上がると大笑いをする姉に密着しそうなほどの至近距離にいるのがわかった。姉のTシャツが目に入る。おい何やってんだよ! 下は水着じゃないのかよ! なんで下着なんだよ! 途端に血流が一気に顔に集まってきた。顔が熱い。
「ねぇねぇ、ゆーくん。何顔真っ赤になってるの?」
視線を上に向けるとにやにや笑いでいっぱいの姉と超至近距離で目が合った。鼻と鼻がくっつきそうなほどだ。僕は焦りながらごまかす。
「ひっ、日焼けだよ」
「へえ、日焼けってそんな急になるもんなんですかあ、姉ちゃん全然知らなかったよ」
「うっ、うるさいっ」
僕はプールに浮かんでいた小さな拳銃型の水鉄砲で姉を撃つ。力ない水流がぴゅー、と姉の顔に当たる。
のりのりの姉は
「ふふふ、やらせはせん、やらせはせんぞー!」
と大はしゃぎで僕の五倍くらいの威力の水鉄砲をびゅーびゅー撃ちまくる。僕たちは小学校以来、唇が青くなるまで小さな子供のようにはしゃぎまわっていた。また少しやつれた姉の笑顔は、それでも僕には以前のようにまぶしかった。
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