第11話 端午の節句と障子

 五月も近づけば僕たち男の、いや親父のような年よりはいいか。僕の、男の子の祭も間近だ。

 僕と親父で甲冑を組み立てる。僕が生まれた時に祖父が買ってくれた甲冑で、着ることもできる等身大の甲冑だ。実は甲冑を飾るのは僕にはもう結構恥ずかしい。でも親父が本当に張り切っているので、僕はそれを言い出せずにいる。

 ひな祭りのひな飾りを飾るよりははるかに簡単だが、それでも時間がかかる。姉はそれを遠巻とおまきに眺めているだけ。

 そう、今度は男たちの祭りなんだから女は手を出しちゃだめなんだ。そのように姉に言うと嬉しそうに、ああよかった、と言いやがった。ちっ。

 甲冑が完成した。黒とグレイを基調にしてあちこちにある朱や赤や金の明るい色が目を引く。親父は嬉しそうに笑顔になる。それを見た僕は、甲冑を出してやっぱりよかったかも、と少しだけ思った。

 今度は親父は鯉のぼりを上げたがったが、これは恥ずかし過ぎるので全力で断った。だって専用の太い竿に5mはある鯉のぼりを上げるのだから目立って目立ってしょうがない。これも祖父が買ってくれたものだが、近所でも話のタネになって、僕は時々からかわれたものだ。


 おふくろは今回もまた料理を作っている。こうしてみると、主婦って、母親って本当に大変。親父は本当に何もしないからなあ。あれ? でもこれ男の祭りだよね。女に料理作らせちゃだめだよね? そこで、僕は作らないまでも少しは手伝おうと台所に行った。

 母親は驚いたようだが、あずきのあんと砂糖と水を温めながら混ぜるよう言われた。そのおふくろはちまきとたけのこご飯をタケノコの煮物を同時に作っているように見えた。すごいな。

 あんが混ぜ合わさったら、今度は白玉粉に水を入れてを練って“耳たぶ”くらいの硬さにまでしろと言われた。耳たぶくらいの硬さってどうだよ。ちょっとわかりにくい。自分の耳たぶをつまんでみたが、それでもいまいちわからない。そこへ姉が通りかかる。


「姉さん姉さん」


「なにゆーくん」


 僕は姉の耳たぶをつまむ。


「ひあっ」


 ぎょっとして固まった姉。その姉の耳たぶの硬さを確かめようと、耳たぶをむにむにする僕。


「うっ、うくうぅっ」


 姉はぞわぞわと身悶えする。


「うーん」


 やっぱりよくわからない。


 姉にぽかりと叩かれた。


「やっ、やめろっ、気持ち悪いいぃっ」


 姉もよっぽど暇だったのか、「特別に」手伝ってくれることになった。そこで二人で互いに耳たぶを触ろうときゃあきゃあ言いながら白玉粉を練って生地にする。

 おふくろは「あんたたちにやらせた方が時間がかかるわ」と呆れる。


 それでも調理は進み、練った生地を蒸し器に入れて蒸した。蒸し終わった熱々の生地にあんを挟んで、冷ましたところで柏の葉を巻いて完成。意外と簡単?

 その間におふくろはちまきを蒸し終えていた。やっぱりふざけあっている僕たちよりも、おふくろの方が圧倒的に仕事が早いや。敵わん。


 端午の節句の晩ご飯にはケーキもないし伯父さん一家もやってこない。でも、僕はこれくらいの方がいい。静かに家族がいて、隣に姉がいて、おふくろが作ってくれた美味しいものが食べられたらこんなに嬉しいことはない。

いつも通り菖蒲しょうぶ酒ですっかり酔いつぶれた親父。僕たちは床の間の甲冑が置いてあるとこまで行く。


「これ刀抜けるの?」


「抜けるよ」


 すらりと甲冑の刀を抜く僕。でも明らかにプラスチックのおもちゃだ。


「へえ」


 片手で杖を突く姉はにやりと笑って甲冑の脇差わきざしを抜いた。そしてすっかりやる気な表情で。


「いざ尋常に勝負!」


 とか言って切りかかってきた。僕もそれに乗って、


「お覚悟!」


 と言って切りかかる。


 が刀の長さの違いで僕にぽこぽこいいように頭を叩かれる姉。


「おのれえええ!」


 ムキになって僕に向かって突進したところで片手の杖が滑った。びっくりした僕は姉を抱きとめる。無事に抱き留めることはできたんだけれど、今度は僕がバランスを崩してしまい、抱き留めた姉ごと後ろに倒れてしまう。そして僕の後ろには障子が。

 障子はバリバリと大きな音を立てて壊れ、折れ、破れた。

 そのけたたましい音を聞きつけおふくろがすっ飛んでくる。その視線の先には。障子に突っ込んで抱き合ってる僕と姉。

 おふくろの剣幕けんまくったらなかった。あんたがしっかりしてなくてどうする、一緒になって遊んだ挙句あげく、こんなことになって万が一姉に怪我けがでもさせたらどうする、とまくし立てた。

 さらには怒りの冷めやらないおふくろの平手が飛んできそうになった。僕は覚悟して目を閉じ歯を食いしばったけどいつまでたっても平手が飛んでこない。そっと薄目を開くと姉がおふくろの手に必死でしがみついていた。


「姉さん……」


「いいから、ね、お母さんいいから。あたし何ともなかったんだし。もともとあたしから始めたことなんだし。だからもういいの。いいから」


 必死になっておふくろをなだめるように、懇願こんがんするように訴える姉を見て僕は目頭が熱くなってしまった。姉に迷惑をかけたことが何よりもつらかった。姉に申し訳なかった。


「ごめん…… ごめん母さん、ごめん姉さん……」


「いいのもう、ゆーくんが謝ることなんてないんだから、あたしが悪いんだから」


「いや僕が、僕が……」


するとおふくろが


「叩こうとしてごめん。二人ともけがしなくてよかった……」


 と言って僕たち二人を抱きとめた。

 僕たち三人はごめんごめんと言いながらしばらく抱き合っていた。

 隣の居間では障子が壊れた音にも気づかず、親父が酔いつぶれて爆睡していた。



 色々あった端午の節句も終わり、僕が自室でこれから寝ようかとしていると、姉がそろりそろりとノックもせず入ってきた。


「ノックしてよ」


 僕が憮然ぶぜんとして言うと、


「へえ何か見られたくないことでもしてるんですかあ?」


 とすっかりいつも通りになった姉の受け答えだった。


「そうじゃないけどマナーってもんがさ」


「あのねゆーくん」


 急にいつもと違う雰囲気になる姉に僕は戸惑った。


「うん?」


「いつもありがと」


 少し照れくさそうに言う姉の姿はこれまで見たことがなかった。


「いや、したくてしてるだけだし。それに大したことしてないよ」


 僕が照れ隠しに言うと姉は少しムキになって反対する。


「大したことしてる」


 僕も少しムキになる。


「してないって」


 さらに姉がムキになる。


「してるって」


「ふっ」


「くすっ」


 二人して視線を落として笑う。


「あたしさ」


 姉が僕をのぞき込むように見る。


「ん?」


「ゆーくんがいてよかった」


 心に不意打ちを食らった気分がした。


「え」


「ゆーくんがいなかったら、あたしだめになってたかも」


 僕は姉にそんな高評価を受けたことが今までなかったので少し驚く。


「そんなことないさ」


「ある」


「ない」


「また?」


 また二人で小さく笑う。


「とにかくそれだけ言いたかったんだ。それじゃ」


「あ、ああ」


 姉は杖を突きながらそっと部屋を出ていく。

いてくれてよかった、とか僕がいなかったら姉はだめになっていたとか、そんな告白のような言葉を受けて、僕の胸の内には甘いもやもやが立ち込めていた。


「そうだ」


 姉が振り向きざまにかすかな笑顔で言う。


「さっき抱きとめてくれてありがと。ゆーくんって思ったより胸が大きいんだね。びっくりしちゃった」


「えっ」


 そう言われた瞬間、僕も姉を抱きとめた時の痩せて骨ばっていながらもどこかふわっとした感触を思い出してドキッとした。


「じゃね」


「あ、ああ、それじゃ」


 僕はベッドの中で考える。

 今まで僕は自分自身のために姉の世話や遊び相手や話し相手をしていた。だけど、それを姉自身も喜んでくれているのだとしたら、やった甲斐があるってものだ。僕は甘いもやもやしたものを胸の内に抱えながら、ささやかな充足感に満たされてゆっくりと眠りについていった。

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